嫌な予感
「マリアンヌ様、次はこっちの書類になります」
あれから、あっという間に1週間が過ぎ、つい先日、お爺様はフェリクスら数名の騎士と文官を何人か連れ、どこかへと出かけて行った。
私はこの1週間、面白がったナタニエルにみっちりと鍛えられたおかげもあり、滞りなく執務を執り行えていた。
「.....おかしいですね」
私は手渡された書類を捲り、記載された数字に疑問を抱く。
「どうしました?」
ナタニエルは嬉しそうに声をはずませる。
「この食料品の輸入リストですが、先週整理した書類の中にあった、例年のリストに記載されていた時よりも仕入れの量が増えてると思います」
先週その書類を整理したばかりなので、大体の数字は把握している。
「はい、そうですね、何が考えられますか?」
ナタニエルは作り笑顔で微笑む。
先週から事あるごとに、ナタニエルはこうやって私が悩むのを楽しんでる。
恐らく、この問題に気づくように書類整理させたりしたのだろうと思うと、意地が悪いと感じる。
最初は私もナタニエル様、ナタニエル先生と呼んでたが、この人をナタニエルと呼び捨てにし、砕けた会話をするまでの関係になるのはそう時間はかからなかった。
「まず疑問に思ったのが、農作物の統計を見ると今年は豊作なんです」
他の報告書をナタニエルに提示し、数字の部分を指差す。
「うんうん」
満足そうに頷くナタニエルを見て少しイラっとする。
「その上で領民の推移表を見ると、こちらも人数が増えているわけではない」
気を取りなおし、説明を続ける。
「たしかにそうですね」
やはりテストするために、わざと私に気付かせるようにヒントをちりばめたようだ。
「それなのに輸入量が例年より増えてる.....考えられるのは、どこかで災害や不作による飢饉が起きて値段が高騰化する、最悪仕入れが困難になる可能性があるという情報を仕入れたのか、詳細まではわかりませんがそんなところでしょうか」
私は唇に人差し指を当て、考えられる中でもありえそうな物事を推測した。
「他にも何か気づきませんか?」
どうやら正解はそうじゃなかったみたいだ。
「違和感があるとしたら増えた分がどこに消えてるのか、と言う事でしょうか」
増えたなら増えた分だけ備蓄が増えるなり、消費量が増えるはずだが、他の書類を見るとそれは確認できない。
「続けて」
答えに近づいてきたのか、ナタニエルは真剣な眼差しを見せる。
「領民が増えてないと先程言いましたが、納税表を見ると領民の生活水準も例年と変わらない状態だと把握できます、かといって領民以外のものの来訪が増えたかと言うと、門兵の交通量の記録や飲食店の納税額を見ると例年より減ってる、この状況で増えた物資はどこに行ったのかと言う疑問が出てきました」
考えられる可能性は2つある。
「誰かが中抜きで横流ししてるとか?」
ナタニエルは横領の可能性を指摘する。
「それも一瞬考えたのですが、ナタニエルやお爺様、お爺様の右腕のトムが気づかないわけないんですよね、となるとグルかなと...」
数字をごまかしても、その2人や、私の目の前にいるナタニエルはそこらへん気づくと思うんだよね。
「だとしたら?」
ナタニエルは私にもう一つの回答を要求する。
「...戦争ですか?他に考えられるとしたらそれしか思い浮かびません」
ナタニエルはパチパチと手を叩き、満足そうな作り笑顔を見せる。
「ご明察です、マリアンヌ様」
彼はこうやって、定期的に私をテストしてくるから油断ならない。
「...わざと気づかせたのによく言うわ、貴方の小芝居に付き合う趣味はないのだけども」
私は一度目を伏せ溜息を吐いてから、ナタニエルを睨みつけた。
「それで、貴方はそれに気づかせて私にどうして欲しいのかしら」
私はこのテストの真意をナタニエルに尋ねる。
「簡単ですよ、何かあった時、何も知らないより知っていた方が動きやすいでしょう?その程度のことです、保険みたいなものだと思ってください」
なるほど、この人はお爺様が不在の間に何かがあると読んでるわけか。
その上で保険という言い回しを考えると、私がこの答えに辿り着いても着かなくても、関係ないという立場にあるという事だろうか。
「...貴方何者なのかしら?」
やられっぱなしも嫌なので、今度はこちらからナタニエルにカマをかける。
「おや?お嬢様は初めて会った日から、私を様付けで呼んでいらしたのである程度は気づいておられるのでは?」
あの時は予測でしかなく、一応の保険のために様付けをしていた。
「私があの日に気づいたのは、所作の美しさと姿勢から、恐らく貴方がどこかの貴族に連なる者であるという事くらいまでよ.....その上で今までのやりとり、ナタニエルと言う名前が偽名でないのであれば、貴方の容姿の特徴と照らし合わせると、クーベルタン男爵家に連なるナタニエル・ド・クーベルタンが貴方の正体と言うところかしら、でも、これだけじゃ貴方が何者なのかまではわからないでしょう」
身元は明らかになっても、その人の本質がどうであるかが重要だと私は考える。
「.....これは、流石に驚きました、調べられたのですか?」
ナタニエルははじめて驚いた顔を見せる。
「いいえ」
私は机の上に一冊のファイルを出す。
「拝見しても?」
ナタニエルはファイルを手に取ると、中身を確認してもいいか私に許可を求める。
「どうぞ」
ナタニエルはパラパラと中をめくり、途中で手を止め目を見開く。
「懐かしいですか?貴方が士官学校時代に提出した部隊運用のレポートと、実戦訓練時の行程表です」
これを見ていなければ、私もそこに辿り着かなかった。
「どうしてお嬢様がこれを?」
そう、普通であれば、学生の書いたレポートなど見る機会はない。
「たまたまです、学校というものに興味があって、お爺様が不在の時に、こっそりと騎士の詰所や文官のいる官舎に行って、学生時代に勉強した本や資料があれば見せてほしいとお願いして、その中で興味を引いたものを私が書き写したものです」
そのおかげで、この人の鼻を明かすことができた。
「.....なるほど、これは一本取られましたね」
ナタニエルは表情を崩し、少し照れ臭そうに笑った。
「私もまだまだですね」
それは学ぶことの多い私も同様だと思っている。
「お互い様です、それでもう一度聞きますが貴方はどうしてここに?、先ほど白状しましたが、私、文官とも交流があったので、貴方を紹介された時は見覚えがない文官だったので少しびっくりしたのです」
文官と言っても、部屋に篭ってるだけの人間ばかりではない。
おそらくは今までは首都ではなく、ずっと首都の外で活動していた文官なのだと思う。
「答えは出ているでしょう、戦争があるからですよマリアンヌ様」
ナタニエルは表情を硬くする。
「答えは理解できますが、貴方が来た理由の説明にはなってませんわよ」
戦において、優秀な戦術家である彼がここに来た理由なんて、一つしか考えられないんだけどね。
「私はクーベルタン男爵の息子ではありますが、長子ではなく母も妾の1人でした、士官学校を出た後は男爵家の者として、危険度の高い任務の時だけに代わりに出兵しておりましたが、母が死に家にとどまる理由がなくなったのです」
貴族家では良くある話だ。
家督を継ぐ長男は大事に扱われるし、その予備となる次男三男はまだしも、四男以降の扱いなんてこんなものだ、この人にとって不幸だったのは恐らくそのボンクラ共より優秀だった事だろう。
「そのタイミングで士官学校時代にお世話になったレオポルド様がスカウトしにこられたのです、運良くレオポルド様に引き抜いてもらえた私はその恩を返す義務があると感じております」
お爺様の判断基準はシンプルだ、優秀か優秀でないか、有能か有能でないか、もっといえば使えるか使えないかである。
「なるほど理解できました、ただなぜ文官なのですか?戦争時に部隊の指揮や用兵に関わるのであれば、騎士に所属していればいいのでは?」
私はもう一つの疑問点を彼にぶつける。
「マリアンヌ様も先週手伝われたでしょう、業務を効率化するためですよ、幸いにも私は文官としても優秀なのでご安心ください、それと騎士に所属すれば普段から鍛錬しないと怒る人がいるでしょう、それが嫌だからに決まってるじゃないですか」
天邪鬼なこの人の場合、どっちが本音でどっちが建前なのか計りかねる。
「...それ、貸し一つですよ」
私は剣呑な瞳でナタニエルを見た。
「いいでしょう、私でできる事であれば何かあればお申し付けください」
ナタニエルはわざとらしく貴族然とした丁寧なお辞儀を返した。
◇
執務室で一仕事を終えた私は、一度領主邸へと帰宅していた。
「ローレリーヌお願いがあるのだけどいいかしら?」
側に控えるローレリーヌの方に顔を向ける。
「なんでしょうお嬢様」
先ほどのナタニエルとの会話で。最悪の場合を仮定する、できる限りの事は動いた方がいいだろう。
「嫌な予感がします、倉庫を整理して緊急用の食料品や医薬品などを、一階の広間の近くの一室に集めておいてほしいの、それと数をチェックして足りなければ補充もしておいて」
一応、お爺様がちゃんと準備してあるのだろうけど、準備と確認を徹底するのは悪いことじゃない。
「わかりました、他のメイドの手を借りてもよろしいでしょうか?」
当然だ、ローレリーヌ人に押し付けるつもりはない。
「もちろんよ、それと、できれば客間のベッド数を増やして間に間仕切りを置くようにするのと、使用人達に非常時のマニュアルのおさらいしておくように伝えといてほしいの」
直ぐに使える状況に備えておけば、咄嗟の時に正確に対処できる可能性が高くなる。
「マニュアルの件ですが、執事長にその旨を伝えて、使用人達に周知させるように伝えておきます」
他にも何かないかと考えたが、今の段階でパッと思いつくのはこれくらいだ。
「ありがとう、本当は何もなければいいのだけど.....」
ソファから立ち上がり、視線の先にある領主邸の窓から見た空は、私の不安な胸中とは裏腹に、雲ひとつなく綺麗だった。