ダルクールとの婚約
あと1から2話で1部終了です。
「よく似合ってるわよマリー」
目の前で、エマと彼女の従者たちがニヤニヤと笑みを浮かべる。
ドレスに着替えさせられた私は、ダルクール男爵との婚約のために教会の控え室で待機していた。
「ありがとうエマ」
彼女の嫌味に対して精一杯の作り笑顔で応える。
「ふん、つまんないの」
私が戻ってからずっとつきまとう彼女はよっぽど退屈なのだろう。
いつまでたっても私が取り乱さない事に苛立ったエマは、私の方を睨みつける。
「まぁいいわ、そこの貴方、ちゃんと見張ってなさいよ」
エマは入り口にいる眼帯の男に命令を下すと、私のことを鼻で笑い部屋を出て行った。
部屋で見知らぬ男と2人、意図せず目が合い少し気まずい。
しかし見張りの男性は壁にもたれかかった背中を離し、こちらにゆっくりと歩み寄る。
何かするつもりなのかと身構えるが、彼は胸に手を当て私に敬意を示す。
「久しぶりだな嬢ちゃん、いや、マリアンヌ様」
彼とは初対面のはずだが、その声はどこか聞き覚えがあった。
つい最近、どこかで聞いた事のある声の記憶を辿る。
「その声は...もしかして、ライアン様ですか?」
答えは正解だったらしく、ライアン様は少し笑みを浮かべると、ゆっくりと頷く。
「まさか、こんな形で再会するとは思わなかったが...すまないな、事情は粗方理解できたが、私の立場ではどうする事もできん」
悔しそうなライアン様の顔をみて、私は慌てて首を横に振る。
「気にしないでください、ライアン様が気に病む事はありません、今回は後手に回ってしまった私の落ち度なのですから」
今回は私のミスだ。
悠長に廃嫡を待たずに、もっと早くに行動を移していればよかっただけの話である。
それこそ、ロワーヌ大陸から出るという選択肢もあったのだから。
戦争が終わって平和ボケしていたのか、私がエドモンという人間を舐めていたしっぺ返しだとも思う。
「それでもだ、君のような年端も行かぬ子供を食い物にするなど、本来はあってはならぬ事だ」
ライアン様の握る拳が震える。
「ありがとうございます、そのお気持ちだけで私は十分嬉しく思います」
私がライアン様に微笑みを返すと、誰かが部屋の扉をノックした。
「失礼します、婚約の準備が整いました、こちらにどうぞ」
呼びに来たメイドの後をついて、私とライアン様は控え室からでて教会の通路を歩く。
部屋の外もそうだが、通路にも多くの騎士達が巡回している。
会場となった聖堂の前にたどり着くと、大扉の前にはエドモンが立っていた。
「やっときたか、私の後に続いて入れ」
エドモンが手を挙げると、目の前の観音開きの大扉が開かれていく。
聖堂の中にはエドモンが用意したのか、多くの貴族が証人になるために参列している。
貴族の婚約には後見人や証人が必要であり、多くの貴族が絡む事で、彼らの結束を強固にさせている面があるが、その一方でしがらみなどの問題も多い。
ダルクール男爵の元まで歩くと、私たちは反転して男爵と同様に参列者の方に視線を向ける。
「我が愛娘マリアンヌと、ダルクール男爵の婚約に、これだけ多くの者が集まってくれたことを感謝したい」
エドモンの退屈な挨拶が始まったその時だった。
会場の外で派手な爆発音が上がる。
「どういうことだ!」
エドモンは私の方を睨むとこちらに詰め寄る。
「ローレリーヌがどうなってもいいのか」
参列者に聞こえないように、私の耳元で小声で囁く。
「ええ、そうね、でも裏を返せば、ローレリーヌさえ無事であれば、私を縛り付ける事はできないのではなくて」
私はローレリーヌを連れて、ロワーヌ大陸から逃げる事にした。
こちらに残る元従者達は、アンブローズ大公にできるたった一つのお願いを使って守ってもらうつもりである。
彼の立場ならそれができるし、爵位で劣るエドモンには手出しができないはずだ。
「何を言って...」
エドモンの声を遮るように、教会の大きなステンドグラスが割られ頭上に舞い散る。
聖堂に入ってきた空中を漂う2羽のうち、フギンの背中に乗るローレリーヌを見て私は胸をなでおろす。
私は、エドモンに捕まった後、ゲリを取り込んだ事で使えるようになった闇魔法を駆使して、影をつたってフギンとムニンの2人をローレリーヌの捜索に出した。
「なんだと! なぜローレリーヌがここに!?」
驚くエドモンを他所に、ムニンの背中から懐かしい2人が飛び降りる。
「随分と待たせちまったな、マリアンヌ様」
懐かしいヒゲモジャの顔を見て頬が弛む。
彼と会うのはどれくらい久しぶりだろうか。
「ブルノ、どうして...」
私の声をブルノが遮る。
「マリアンヌ様、俺が欲しいのはその言葉じゃないですぜ」
ブルノの言葉に私はハッとする。
ここにきたという事は、彼の中ではもう既に答えは決まっているという事だ。
主人として、従者の決意を無下にはできない。
私は彼の望む言葉を紡ぐ。
「ありがとうブルノ、私についてきてくれるかしら?」
ブルノは歯を見せニカッと笑う。
「ええ、もちろんですとも」
本当にブルノにはいつも助けてもらってばっかりだ。
生まれた時から寄り添い、どんな時も側にいてくれる。
ブルノやローレリーヌがいるから頑張ってこれた。
彼の忠義のためにも、私は決意を新たに腹をくくる。
「ちょっとちょっと、俺も居るのになんか忘れてない?」
思わず緊張の糸が弛む。
「冗談よ、久しぶりねドミニク」
もう20代後半になったというのに、ドミニクの変わらない雰囲気にホッとする。
ドミニクは従者の中でも一番距離が近い、私の中では近所のお兄ちゃんって感じなんだよね。
せっかくの再会に心を躍らせる私を、エドモンの声が遮る。
「おい! 俺を無視するな!」
しかし、ドミニクはエドモンを無視して会話を続ける。
「それに俺たちだけじゃないですよ」
ドミニクが壁際に親指をクイッと向けると、爆発音とともに装飾の入った綺麗な壁面が吹き飛ぶ。
そこから現れた懐かしい人に思わず目を見開く。
「お久しぶりでございます、ただいま戻りました、マリアンヌ様」
この人ほど教会が似合う女性もなかなかいないだろう。
床に擦れるほどの長い髪を引き、その高い身長から周囲を見下ろす。
「ソフィア先生!」
先生と会うのは2年ぶりだ。
話したい事もいっぱいある。
「遅くなって申し訳ございません、戻ってくるのに少々手間取りました」
ソフィア先生の登場と同時に、大扉をぶち破り騎士が吹き飛ぶ。
「どうやら俺たちが一番最後のようだな」
2本の剣を携えた大男と、1組の男女が現れる。
「フェリクス! マティアス! カティア! みんな...」
みんなが来てくれた事で、思わず油断してしまった。
その隙を逃さず、私に方に向かって魔法が飛んでくる。
しかし、咄嗟に反応した私ではなく、参列者の一人の魔法障壁によって攻撃は防がれた。
「油断してはダメですよ、マリアンヌ様」
貴族位は捨てたはずだと聞いたが、どうしてここにいるのだろうか。
さっき見た時は、参列者の中にはいなかった彼を見て驚く。
もしかしたら、認識阻害の魔法をかけていたのかもしれない。
「ナタニエル! 貴方まで...」
溢れそうになる涙を抑える。
まさか、全員が助けに来てくれるとは思わなかった。
しかし、そんな私の背中に悪寒が走る。
フェリクスにぶち破られた扉の奥から聴こえてきた靴音と、魔素を孕んだ空気感に思わず視線が囚われていく。
「これは一体どういう事かな」
会場に現れた3人の騎士に、周りにいるすべての人間が思わず息を飲む。
身に纏う白い衣装は周囲に威圧感を与え、忠義を示す家紋の入った色とりどりなマントはその権威を示す。
その中の1人、マントの下に白いスーツを着た優しい表情の男性が一歩前に出る。
ゆるくかかった金髪のパーマは軽やかで、青の瞳が煌めくその王子様的なルックスに参列した貴族令嬢は頬を染めていく。
「シュタイアーマルク侯爵、ダルクール男爵、状況の説明を」
しかし、一転して優しさを脱ぎ捨てた彼の表情は、周囲を底冷えさせていく。
彼のアイスブルーの瞳に射抜かれたエドモンは、思わず後ろにたじろいでしまう。
目があった私も思わず冷や汗がでた。
エドモンが使いもにならないとわかったのか、ダルクール男爵が彼の質問に答える。
「ゴルドシュミット卿、今は私の婚約式の最中で、私もよく状況を把握できてないのですが、その最中にこの婚姻を望まぬ者達によって襲撃されたようなのです」
ダルクール男爵は見た目はともかく、なかなか肝が据わってるようだ。
彼は新興貴族で、自ら商売を成功させて地位を得たと聞いたことがある。
私は彼の評価を改める。
「婚約?」
彼の隣にいたマントの下に白衣を着込んだ男性は、口に咥えた煙草を離し、怪訝そうな表情で煙を吐く。
指の間に煙草を挟み、黒い短髪を掌で搔くその仕草が野暮ったくならないのは、彼が自分の魅力を熟知しているからだろう。
白衣の下に来たシャツの胸元が開いていて一見だらしなく見えるが、そこから覗かせる肉体は引き締まっており、参列している貴族夫人達も、扇子で口元を覆いながらもまじまじと見ている。
「それは、そこにいる少女とですか?」
反対側にいた3人の中でも最も若い男性は、顎に手を置き不快感を示す。
砂漠の民の着るような一枚布の白い装束を身に纏っているが、襟元や裾にはいった金糸の装飾は美しく、彼の身分が決して低いわけではないと証明しているようだ。
頭に被ったフードの中から、白衣の男性の髪より短く、ゴルドシュミット卿よりはっきりとした色合いの金髪がのぞく。
少年から青年へと向かうその変化を感じさせるルックスに、何人かの妙齢の貴族夫人が反応する。
「その通りでございます、カーマイン卿、マンスール卿」
カーマイン卿はもう一度煙草をふかし、ちらりと此方を見るとため息を吐く。
「貴族同士の婚約に他家が口を挟むことではないが、さて、どうしたことか」
その言葉を聞いたエドモンは、ダルクール男爵を押しのけ前にでる。
「は、ははははは、そうだ、貴族の婚約を邪魔する事はあってはならぬこと、私は侯爵家当主として貴方達に賊の排除を要請いたします、どうかご協力を!」
まずい、成長促進の魔法を使いフェンリルと同化してもこの3人相手に及ぶかどうか。
特にマンスール卿は一番若いが、多分ここにいる誰よりも強い。
名前を聞いて確信したが、この人が私の知る当代の剣聖なら、全力を出しても及ばないだろう。
「正直、気は進みませんが...」
マンスール卿は他の2人を見る。
「仕方ない、拘束したのちに判断を仰ぐとしよう」
ゴルドシュミット卿は腰に携えた剣に手をかける。
この人はとても不思議だ、これでけ強者の香りを出しておいて、彼からは一切の魔力を感じない。
「おい、フェリクス、どうするよ、1人でも手がつけられなさそうなバケモンが3人もいるぞ」
身構えたフェリクスは視線を固定したまま、小声で周囲に喋りかける。
「わかっている、フギンとムニンだったか、マリアンヌ様とローレリーヌを連れて全力で逃げろ、あの人たちには勝てる気がしない」
ブルノとフェリクスは、仕掛けるタイミングを図る。
膠着する私たちの状況を、白馬に乗って聖堂に駆け込んだ1人の女性がぶち壊す。
「見つけたわ、マリーちゃん!」
声の主の顔をみて私は目を見開き驚く。
「ナ、ナターシャさん!?」