私の選択、レオさんの思い
あれ以来、スクルド達による襲撃もなく、レオさんやナターシャさんと一緒に食事をしたり街を観光したり、穏やかな時間を過ごしていた。
そして、今日は約束の3日後、私は決断を出さなければならない。
「よしっ!」
私は洗面台の鏡の前で、両頬を叩き気合いを入れる。
「お話があります」
朝食が終わった後、レオさんにそう伝えるとコテージの中にある応接間に案内された。
私たちが泊まっている場所はコテージタイプの宿泊所で、主に貴族やお金持ちが宿泊する場所である。
その事からも、この人達の生活水準がかなり高いのが理解できた。
私たちはテーブルを挟んだ対面のソファに腰をかける。
「だいたい見当はつくが、君の言葉で聞きたい」
私は意を決して疑問に思っていたことを2人にぶつける。
「単刀直入に伺います、レオさんは私の事を知っていますね」
一番最初にレオさんに触れた時、私は彼に手を握られるのは初めてではない気がした。
私の記憶を戻そうとしているスクルドの事も知っているようだったし、この人は確実に知っている立場の人だと思う。
私の質問にナターシャさんが驚いていることから、ナターシャさんの方は何もしらなかったようだ。
「ああ、それで、君はどうしたい?」
もう今朝の時点、ううん、スクルドに襲撃された時点で、私の答えは決まっている。
「私は記憶を取り戻したい」
このまま、2人に甘えてしまえばどれだけいいだろうか。
レオさんは全てを知っていて、私の頭を優しく撫でてくれた。
ナターシャさんは何も知らないのに、私の事を暖かく抱きしめてくれる。
「何も知らず、周りの人が自分のために傷ついていくのは嫌なんです!」
だからこそ、私は自分自身の事を思いださなければならない。
「意思は硬そうだな、わかった」
レオさんがソファから立ち上がると、突如として私たちの足元に魔法陣が浮かび上がる。
「2人とも逃げろ!」
レオさんはとっさに私とナターシャさんを突き飛ばすと、魔法陣と共に跡形もなく私の目の前から消えてしまった。
「ど、どういう事!?」
私はその場に慌てふためくが、そんな状況とは御構い無しに部屋の壁が吹き飛ぶ。
「今度はなに!?」
破壊された壁から、2匹の狼が現れる。
見覚えのあるその虚な瞳は、まるで正気を失っているようだった。
戸惑う私の手をナターシャさんが引く。
「こっちよ!」
私たちは狼が現れた方向とは逆方向に駆けた。
◇
「スクルドか」
白の異空間に飛ばされたレオは、スクルドと対峙する。
「悪いけど、貴方に邪魔はさせないわよ」
スクルドはマリーの記憶を取り戻すのに、1番の障害になり得るだろうレオを排除するために、時間をかけこの空間を用意した。
「待て、マリーは記憶を取り戻す事を選択した、もはや争う理由はない」
レオは両手を上に挙げ、戦う意思がない事を示す。
お互いの利害はこの時点で一致しているので、争う必要はない。
「うんうん、マリーならきっとそういう選択してくれると思ったよ」
口角を上げたスクルドは、腕を組み満足そうに喜ぶ。
「でもね、この前ブリュンヒルデに邪魔されて、私、すごく苛立っているの」
スクルドは先程までの貼り付けられたような笑顔をやめると、その場に倒れこむ。
前に倒れこんだスクルドはピクリとも動かず、空間の中に声だけが響く。
「この空間は特別性、ここでなら私も全力を出せる」
女神であるスクルドは、現世で活動している時は依り代を使い行動している。
そのため、人の身では出来ることは限られており、能力もそれに合わせて制限された状態だ。
しかし、この空間は現世から隔離されているために、スクルドは依り代を離れ本来の力を発揮できる。
「身の程を教えてあげるわ」
依り代であるシスターから抜け出たスクルドはその場に顕現する。
神族にのみ許された煌びやかな銀の髪は星空のように輝き、全てを見透かすような金の瞳は艶やかに瞬く。
その作られたような容姿は神々しく、この世のものとは思えなかった。
スクルドは、その場に現れただけでも跪かせてしまうほどのプレッシャーを放つ。
「愚かなる神よ」
神の威圧すらもまるで意に介さず、怒りを孕んだレオの冷たい声が周囲に気温を下げる。
仁王立ちしたレオの足元から、彼の身体が黒く染まっていく。
「腹を立てているのが、貴様だけだと思っているのか」
黒い何かがレオの首元まで染め上がり、そして、花びらのように舞い散り霧散する。
忠誠を誓うヴェルニエ王家の家紋の入った赤いマントをはためかせ、彼の部下と同じ黒い軍服を身に纏う。
腰には金の装飾の入った漆黒の神器と、反りの入った美しい曲線を描く剣を差す。
気づけば、スクルドによって作られた白の空間さえも、足元から黒へと染め上げられていく。
「はぁ!?」
状況を理解できないスクルドは、思わず神にあるまじき素っ頓狂な声をあげる。
神が作り出した空間が掌握されるなど、普通であればあってはならない事だ。
「お前が襲撃しなければ、マリーは違った選択をしたかもしれない」
スクルドは、白銀の剣を持つ自らの手が無意識に震えている事に気がつく。
「偶然とはいえ記憶を失なった事で、ただの少女に戻るのもいいかもしれないとさえ思った」
レオは、彼女が貴族位を捨てようとしていた事を把握していた。
記憶喪失は想定外だったが、彼女の両親がそうだったように、貴族位を捨て、このまま自由になる方が幸せなのかもしれないとも思った。
「そもそも、それを言うなら、最初のフェンリルの時から貴様の事は気にくわないな」
人を介しフェンリルをけしかけたのはスクルドであった。
なぜ目の前の男がそれをしっているのか? こいつはどこまで知っているのか?
だが、今のスクルドは彼から放出される魔力にあてられて、そんな事を考える余裕すらなかった。
「あの人達の忘れ形見に手を出したらどうなるか、後悔してももう遅い」
深淵より深い黒髪が、彼女と同じ神族のみに許された銀の髪へと変化していく。
そして紫の瞳は、魔族のみに許された赤く輝く瞳へと移ろう。
相反する存在の特徴とされるその二つを同時に持ちうるなど、許されない事である。
「残念だったな、この空間で本気を出せるのは貴様だけではない」
地面に俯いたスクルドはブツブツとなにかを呟くと、作られた笑顔ではなく怒りに震えた顔を上げる。
「なんなんだよ...なんなんだよ、貴様はぁあああああ!!」
思考を止め、怒りに身を任せたスクルドは、白銀の剣を振りかぶった。