私の新しい日常
4章スタートです。
大陸暦1801年、覇王ギュスターブがロワーヌ大陸を統一してから2年の時が経過した。
戦争前にギュスターブと契約を結んでいたルシエルは、アンスバッハを中心とした東部一帯の地域を自由に統治する権利を得て、ギュスターブからは大公を名乗る事を許される。
他の貴族をごぼう抜きする事や、ロワーヌ統一といいつつも事実上の一国二制度に反発もあったが、ギュスターブの妹ナタリーがルシエルと結婚し、ルシエルが、ギュスターブへの絶対的かつ恒久的な忠誠を血命魔法という特殊な魔法で契約を結び、反対する貴族たちの声を抑えつけた。
血命魔法とは、契約を破棄できるのはギュスターブのみであり、忠誠を誓ったルシエルは思考ならびに身体的にギュスターブに逆らうことができないように魔法で制御されるというのものである。
名実ともにヴェルニエのナンバー2に収まったルシエルは、自らの治める東部一帯で多くの技術革新をもたらし、それらがヴェルニエ全土に波及した事で戦後から急速に復興を果たした。
更にギュスターブと共に貴族制度の改革にも乗り出し、貴族たちに領地権を返上させ、辺境領や辺境伯を廃止し、ルシエルと彼に連なる東部貴族以外の貴族の当主は、みな王都に居住を構えるように命じられる。
軍事面、経済面、技術面において世界でも有数の国家へと急速に発展したヴェルニエは、新たな局面を迎えようとしていた。
◇
11歳になった私はというと、朝から全身に水を被り、あまりのくだらなさに心の中でため息を吐いていた。
「ほほほ、卑しい出自の女にはよくお似合いです事」
私の目の前で口を扇子で隠し卑しく笑うこの女は、エドモンの娘、エマだ。
お爺様の弟であるエドモンや、彼の家族から疎まれている私は、度々嫌がらせを受けている。
「ねぇ、何か言いなさいよ!」
別に水なんて炎で蒸発させたり、凍らせればどうって事はないんだけど、それをやると逆上するから面倒くさい。
それによって、対象が私じゃなくてローレリーヌに移動するのも困るしね。
「ふん、つまらない子、行くわよ」
視界からエマが消えた事を確認すると、私は魔法で衣服を乾燥させる。
テオ先生のおかげで炎の魔法を完全にコントロールできるようになった私にとっては、もはや造作もない事だ。
アンスバッハ陥落の時、ほんの数日であったがテオ先生からは炎の魔法、セフィリアさんからは氷の魔法、アリスからは未来の女神スクルドの加護の使い方を学び、今日まで鍛錬を怒った時はない。
ただの令嬢に戻った私は、みんなとは接点がないため、あれ以来は一度も会っておらず、ベルトーゼ様と訓練してた時を懐かしく思う。
「マリアンヌ様!」
使いに出していたローレリーヌが、息を切らせて私の元へと駆けつける。
「すみません、私が離れている時に」
ローレリーヌには用事を頼んで、わざと1人になるように仕向けたのは私なんだけどね。
どうせなら1人の時に仕掛けてもらった方がややこしくない。
「ローレリーヌが謝る事ではないわ、そんな事よりもブルノとドミニクは元気だった?」
辺境領を返上させられたエドモンは、辺境伯の対価として侯爵の地位を得た。
王都へと居住を構える時に、別邸に住んでいた私も同じ屋敷内に住ませる事となり、そのタイミングで彼はローレリーヌ以外の私の従者を解雇する。
ブルノは猛反発し無給でもいいと申し出たが、エドモンはそれを認めなかった。
彼は侯爵になるにあたり、お爺様が辺境伯の時に結んでいた継続契約が爵位の変動で変更できる事に目をつけた。
その一つが雇用契約であり、爵位が変わった場合は当主個人で契約を見直すことが許されている権利の一つである。
諦めたブルノは、ドミニクと一緒に同じ王都内の平民街の家を借り受けた。
ブルノはともかく、ドミニクが残ったのはびっくりしたが、私についてきた方が面白そうという理由はどうかと思う。
「2人とも相変わらず元気そうでしたよ、他のみなさんの話も聞いて参りました」
私は部屋へと帰り、ブルノから聞いたみんなの近況の話を聞く。
シュタイアーマルクの文官筆頭であったナタニエルは、辺境領返還と同時に東部へと引き抜かれたそうだ。
また、領地返上のために貴族が騎士団を持つことができなくなったため、フェリクスやマティアスも東軍へ向かったと聞いている。
カティアは最初ブルノ達とともにここに残ろうとしたが、東部の貴族が女性騎士を募集していたらしく、エドモンが勝手に推薦し採用された事でカティアは悩んだが、ドミニクが説得し結果的に東部へと赴く。
ソフィア先生は問題が発生したらしく里帰りしたまま帰って来れず、そのまま従者を解雇された。
今も、偶にブルノの元に手紙が届いていて、全ての用事が終わったらこちらに来る予定となっている。
ちなみに、何故私ではなくブルノのところに手紙が送られているかというと、私の所に手紙を出しても届かない場合や、盗み見られることがあった。
なので、手紙はこちらには直接送付せずにブルノを仲介し連絡をやり取りする事になっている。
「みんな元気そうにやってるようで何よりね」
現在の私は、継承権を捨てることができる12歳になる来月を心待ちにしている状況だ。
残念ながら、貴族である私が合法的に家を出る手段がこれしかない。
出奔した後はブルノやドミニクやローレリーヌと共に、シュタイアーマルクへと戻って商いを始めようと計画している。
アンブローズ大公に使えるたった一回のお願いを使えば、こんなに悩む必要もないのだけど、これは爵位を捨てた後でも使える保険だ。
非公式だが、お互いの立場状況に関係なく、という文言はそういう事だと思っている。
貴族を抜けた後、私が何の後ろ盾をもたない事を考えれば、ここで使うべきではないと考えた。
「さてと、そろそろ昼食ね、少し億劫だけど行ってくるわ、どうせあと少しだしね」
部屋を出てダイニングへと行くと、珍しくエドモンの家族はすでに全員揃っていた。
何か嫌味を言われるかと思ったが、彼らの表情から違和感を感じ警戒する。
「おめでとう、マリー!」
いきなりのエマの祝福にたじろぐ。
私はいったいどういう事かとエドモンの方に視線を向ける。
「喜びなさいマリー、12歳を迎えるに当たって君は東部のダルクール男爵へと嫁ぐ事となった」
やられた。
おそらく、その前に婚約を済ませるつもりだろう、そうなれば出奔するのは不可能だ。
この手を考えなかったわけではないが、私の立場ではこれを防ぐ手立てもない。
あとは婚約の時にぶち壊すかーー
「どうせ賢い君の事だ、婚約をぶち壊そうと考えていても無駄だよ、ダルクール男爵はねぇ、君のような年端も行かないような少女が好きでねえ、君の写真をみたら即決してくれたよ」
私は、笑みをうかべるエドモンやその家族に侮蔑の視線を向けた。
こうなると、合法じゃない手段でここを出るか、やはりアンブローズ大公を頼るか、そのどちらかしかないと腹を括る。
「おっと余計な事を考えないでくれよ、君の大事なローレリーヌがどうなってもいいのかな?」
目の前の下衆に対して、血が逆流していくのを感じる。
瞳の色はより深い青へと変わり、それに呼応したフェンリルの魔力が周囲の温度を下げていく。
急速に温度が下がった事と、魔力差によって気圧されたエドモン達は歯をガチガチさせ、震える我が身を抑える。
「やめろ!ここで私を殺したら、お前の仲間も全員罪人だぞ!!」
一度深呼吸した私は、感情を抑え溢れる魔力をその身に戻す。
私のせいでみんなを巻き込み、彼らの未来を潰すわけにはいかない。
元はと言えば、保険と言わずさっさとアンブローズ大公に縋らなかった私のミスだ。
「化け物が」
エドモンの家族達が、私に向けて恐怖の入りじまった目で睨みつける。
私は屋敷の警備兵に取り囲まれ、両手に魔法を押さえつけるための枷をつけられた。
「まぁいい、今からダルクール男爵との婚約のために東部に赴く、行くぞ」
首筋になにかの注射を打たれた私は、そこで意識を失った。