大胆不敵のアンブローズ
庭園の壁に貼り付けられた足元にまで伸びる巨大な窓の外を、ローレリーヌやカティアと一緒に3人で眺める。
ちなみにブルノとドミニクは庭園の外の扉の前で立っている。
「マリアンヌ様、あれを見てください!なんて綺麗なんでしょう!」
珍しくテンションのあがったローレリーヌが指差す方向を見ると、外を泳ぐ魚と目が合う。
「本当に、信じられない光景ね」
アンブローズ卿とともにノルマルクの軍港から出立した私たちは、海の中を船に乗ってアンスバッハへと進む。
飛空挺と同じ変わった流線型のデザインの船に驚くばかりか、海の中に沈んだときは焦った。
本来であれば海底は暗く何も見えないそうだが、この壁にかけられた魔法により周囲が見えやすいようにされている。
「中々にいいだろう、海の中というのも」
知った声に振り向くと、外で護衛していたブルノがアンブローズ卿を伴い、その後ろには大きい箱を両手で抱えるメイドが続く。
「ごきげんようアンブローズ卿、快適な船旅に感謝いたします」
みなを代表して礼を言う、船酔いもしない快適な船旅なんて想定外もいいところだ。
「気にしなくていい、それよりも今日は君に贈り物を持ってきた」
アンブローズ卿の後ろにいたメイドが、大きな箱をテーブルの上に置き蓋を持ち上げる。
その中に入っていた物を見て私は訝しむ。
「その事についても問題はない」
アンブローズ卿が視線を庭園の入り口に向けると、スカートタイプの軍服に良く似た衣装の上にローブを着た私と変わらぬ歳の少女が現れる。
私は彼女を知っている、金と銀のオッドアイ、私が会いたがっていた強者の1人、確かベルトーゼ様がアリスと呼んでいた少女だ。
「ついでに、君が以前から知りたがっていた事の1つについて答えようか」
◇
贅を尽くしたきらびやかな大広間の中で、着飾った貴族たちが談笑を交わす。
その片隅で、体格の良い男がグラスに注がれたワインを搔っ食らう。
「この情勢でパーティーとは本物の馬鹿なのか、それとも何か切り札があるのか、まぁ、前者だろうな」
目の前の現実が見えていない者達に対して、男は侮蔑の視線を向ける。
「いや、もしかしたら後者かもしれませんよキルステン伯爵」
キルステンと呼ばれた男が振り返ると、おかっぱ頭の青年がにこやかに微笑む。
「ローマイヤー伯爵、それは本当か?」
空になったグラスを顔の前で傾けながらキルステンはローマイヤーを睨みつける。
「希望的観測です、何事も夢を持つことはいいことですよ」
ローマイヤーは両手の掌を上に向けおどける。
「ハッ!藁をもすがるとはこの事か、昔ある貴族が風前の灯とはこのような光景の事だといったがまさにそれだ」
キルステンは空いたグラスを給仕に押し付けると、ふて腐れるように壁際にもたれかかった。
すると大広間につながる奥の扉が開き、後継者問題にゆれるアンスバッハの皇子や皇女達が顔を揃える。
気がついた貴族達は跪き、それぞれの支持する後継者候補に忠誠を示す。
それを見て、宰相の男が前に出ると手を挙げ貴族達に顔を上げるように促した。
「今日集まってもらったのは他でもない、知っての通りアンスバッハは先日後継者候補の1人であった元第三皇女レティシアが単独で暴走し、我が国に多数の不利益をもたらせた」
宰相が皇族を呼び捨てにし、元皇女と言ったことに周囲がざわつく。
つまり今回の出来事、全ての罪をレティシアに負わせ、切り捨てたという事だ。
宰相は再び手を挙げ周囲を宥める。
「我々はこの事を重く受け止め、みなで話し合った、その結果、ここに後継者問題が解決した事を君たちに報告したい」
その言葉に一部の貴族を除く大多数の貴族達は再びざわつく。
数ヶ月にわたった後継者問題は混迷を極め、内乱も辞さない状況であった。
「第四皇子カール・フォン・アンスバッハが皇帝位を継ぐ事で全員が承認した」
まだ5歳にも満たない若い皇子が宰相の隣に並び立つ。
それを見たキルステンは舌打ちをする。
これは明らかに茶番だ、恐らく宰相が後見人になるのだろうが、他の後継者も納得している事からそれぞれになんらかの見返りがあることは想像に難しくない。
妾の子供であり後ろ盾のいないカールに一旦主権を与え、傀儡政権の重要ポストを全員で分け合いお互いを牽制しつつ、ヴェルニエとのいざこざを片付けてから引きずり下ろすか殺害すればいい、そういう腹づもりだろう。
「正式な式典、それに伴う組閣は後ほど行うが、まずは我らが新しき皇帝に乾杯しようではないか」
給仕達は会場にいる全員に新しいグラスを手渡す。
キルステンも渋々と新しいグラスを受け取ると、隣のローマイヤーは困った人だという表情を見せる。
そして、全員にグラスが行き渡ろうとしたその時、大広間の正面にある大扉が開く。
現れた男女のうちの1人、挑発するような真紅のドレスとまるでエメラルドのような美しい瞳に、会場の男たちは目を奪われる。
年齢は20歳前後だろうか、周りの男には目もくれない彼女に対して、男たちがすがりつくような視線を絡ませ、通り過ぎていく彼女の後ろ姿に息を飲む。
フルアップされた美しいプラチナブロンドの髪は、背中の空いたオフショルダーのドレスを際立たせ、風を切るドレスの裾からはハイヒールの真紅の靴底が時折垣間見え艶かしい。
しかし、敢えて首回りに装飾品をつけず化粧を抑える事で、顔の造形の美しさ、瞳や髪の綺麗さ、胸元や背中の首のラインがすっきりとし、その艶かしさが下品にならない所にセンスの良さをうかがわせる。
そんな最中、ふと我に帰る事ができた1人の男性は、他の女性に目を奪われたことで自分の連れてきた妻が不機嫌になってないかと確認すると、彼女を含め周りの女性陣もまた頬を赤らめ先程まで自分が見ていた方向に視線を向けていた。
視線の先に見えるタキシードの男性は、ジャケットの肩のラインや、2ボタンのVゾーンからも鍛えられ引き締まった体が見て取れる。
顔の半分は眼帯によって隠されているがその顔は整っており、上質なビロードのような紫の瞳と、夜を運んでくるような黒い髪に、女性陣は畏敬の念を抱く。
シャツすらも髪色と同じ黒で全身統一された中、胸元のタイにつけられた紫に翠が混ざり合うタンザナイトのブローチの美しさがより一層際立つ。
一見して大胆な服装の2人だが、宝飾品はさることながら、衣装や靴に使われた革や生地の質の良さや、ウォーキングの所作の美しさからは上流階級のエッセンスが感じ取れる。
貴族、キルステンやローマイヤー、宰相や皇族、新しい皇帝カール、彼らを守らなければいけない兵士や騎士達、平常心でいなければならない給仕達でさえ。その異質さに支配され動けない。
だが、貴族の1人が持っていたグラスを床に落として割ったことで静粛が破られる。
「どこの貴族だアレは?」
1人の貴族が声をあげると、周りの者達も口々に喋り出す。
あの美しい令嬢はどこの娘だ?、それよりも、あの殿方は誰なのかしらと、ざわつく貴族達をよそに、我に返った宰相が声を荒げる。
「誰だ、貴様達は!」
男は宰相の言葉を無視し、一歩前に出るとカールへと視線を向けた。
「アンスバッハの新しき皇帝カールよ、私の名はルシエル・ウェヌス・アンブローズ、本日は貴方の国をいただきに参りました」
大胆不敵に笑みをこぼすルシエルの後ろで、女性はその手にグングニルを呼び出した。