氷上のセフィリア
シュタイアーマルクで戦闘が行われている最中、ジルベール軍は、漁夫の利を得ようと手薄になっていたオスマルクに向けて進軍を開始していた。
「この先の湖を抜ければ、オスマルク領だ、気を抜くなよ!」
指揮官は号令をかけ、部隊を引き締める。
山岳地帯のオスマルクを攻めるには、基本的には山間部を進まなければならない。
ただ、この湖があるルートを通れば簡単にオスマルクの首都ザーレに抜けることができる。
「今のところは順調だな」
指揮官は地図と照らし合わせて作戦の進展具合を確認する。
アンスバッハを裏切った数名の貴族は、ジルベールに今回のシュタイアーマルク侵攻計画を手土産にしていた。
計画を知ったジルベールは、手薄になるであろうオスマルクに侵攻のために船を用意。
ジルベール軍はギュスターブ軍の動きに合わせて、川を伝ってオスマルクの領内へと迫っていた。
「隊長!湖の上に人が!」
船の先端から遠見の魔法道具で前方を確認していた兵士が声をあげる。
「気にするな、そのまま突っ込め、例の化け物はシュタイアーマルクだ、恐れることはない」
指揮官には、この戦場にフランセットがいないのを事前に伝えられている。
既にフランセットの超長距離からの高火力による狙撃は警戒されており、彼女がノルマルク方面から動かなかった事で計画は実行に移された。
しかし、その油断が命取りになる。
アルムシュヴァリエに搭乗した騎士達は、目の前の敵に向かって魔法を詠唱を開始しようとしていた。
その瞬間、聞きなれないような高音が湖の上に響き渡る。
「なんだこの音は!?」
慌てた兵士たちは周りからの反響する音に周囲を見渡す。
まるで自然からの警告音のように、異様な高音とともに船の進行スピードが急激に落ちていく。
「さ、寒い」
1人の兵士が寒さに震える自分の指先に気づく。
先ほどまで湖だった場所が徐々に凍りつき、急停止した船の上で兵士たちはふらつく。
「隊長!アルムシュヴァリエが動きません」
魔法の詠唱を開始しようとしていた騎士の1人が、なんとか動かそうともがく。
「あ、足が!俺の足がぁっ!」
叫び声をあげた兵士の方を見ると、足首から先がなく痛みで地面をのたうつ。
その兵士の視線の先には、足首から先の部分が船の甲板に固定されて凍りついている。
「これは一体!?」
指揮官は自分の足元を見ると、自らの体も足元から徐々に凍ってる事に気づく。
かろうじて動く腕をあげ、遠見の魔法道具で、湖の上に立っている人物を確かめる。
それが、彼にとって最後に見た風景だった。
◇
全てが凍りついた湖に静粛が訪れる。
凍てついた湖に突き立てた異形の剣を1人の女性が引き抜く。
その剣は独特で、2つの剣の柄頭が鎖でつながっており、剣身は氷の魔法によって作り出されていた。
「さすが、セフィ」
氷の上を艶やかなエメラルドグリーンの髪が彩る。
「早かったわねスイ、そっちはもう終わったのかしら?」
セフィことセフィリアは、青い色素の入ったアッシュブロンドのロングヘアーの毛先を指で弄る。
女性らしい黒のリボンタイがついた白いフリルシャツの上に、軍人の着る無骨な黒いコートを羽織り頭の上には軍帽を被る。
そのアンバランスな組み合わせを、彼女の整った美しさが中和する。
「退屈な相手、それ以外は問題ない」
スイは不満そうに武器をカチンと鳴らす。
彼女の今回の任務は、オスマルクから手引きする者たちと斥候部隊を始末することだった。
「貴女を退屈にさせない人間なんているのかしら」
セフィリアはやれやれとため息をつく。
彼女はスイ達の取りまとめ役のような者であり、彼女達の主君の不在時は彼女が決定権を持っている。
任務ではバランスのいいフランセット、エレオノーラ、スイ、アリスの4人とセットを組むことが多く、お互いに気心の知れた相手であった。
「私を負かせた貴女が言うのか?」
スイは首を傾ける。
「今は勝ってても、貴女戦う度に強くなるもの、模擬戦といえど二度とやりたくないわ」
同じ主人に使える騎士の中でも、1対1の近接戦闘ではセフィリアとスイは上位3名に入る強さを誇る。
「残念」
目を細め残念がる彼女の後方から、彼女たちの部下の騎士達が現れる。
「お疲れ様です、ディストリアス卿」
現れた騎士の1人が、周囲を確認しセフィリアに労いの言葉をかける。
「それより、さっさと終わらせるわよ」
魔法を維持し続けるセフィリアは、騎士達に与えれれた任務を促す。
騎士は振り返り、周囲の部下たちに指示を下す。
「お前たち、予定通り船に乗り込め、死体は気にするな」
駆けつけた騎士達は、次々と無傷で手に入れた氷上の船に乗り込む。
「どうやらあっちも終わったようね」
騎士たちから視線をそらしたセフィは、もう1人の仲間に視線を向ける。
北側から一匹の白いライオンが現れ、氷の上を優雅に歩く。
「僕が最後だったかな」
白いライオンは形状を変化させると、氷の上にプラチナブロンドの1人の美しい青年が現れる。
銀の装飾が施された黒の軍服を着崩し、180cmをゆうに超える身長はこの3人の中でも一番高い。
貴族でありながら、獣人族の血が混じった彼は、彼の主人と出会うまでその事を隠し続けていた。
「ユージーン、そっちは大丈夫だったかしら?」
ユージーンに与えられた任部は、少数で山岳部を抜けるジルベール軍の別働隊を討伐する事だった。
「ああ、ちなみにこっちにもスイのお眼鏡に適う奴はいなかったよ」
ユージーンがフッと笑うと、スイは残念そうに両手を上げる。
「よし、じゃあ私達は撤退するわよ」
セフィは、騎士達にあとは任せると言い残し、湖の外に向かって足を向ける。
3人が凍てついた湖を抜けたところで、“パチン”とセフィリアが指を鳴らすと、湖はいつもの姿を取り戻し、その上に船が漂う。
すでに心臓の動きを停止した敵の兵士たちは、その場に崩れ落ちるように倒れる。
アルムシュヴァリエに騎乗した兵士たちも機体の中で息絶えており、彼女たちは何の損害もなく、無償で船やアルムシュヴァリエを手に入れた。