プロローグ 襲撃の朝に
ロワーヌ大陸の南方に位置する辺境の村で、今日、一人の女の子が生まれた。
大陸歴1789年、世界の6割を占める大国ヴェルニエはクーデターの最中であったが、弟であるジルベールによって王ギヨームが殺害され、奇しくも彼女の誕生と同じ日に政変を迎えた。
◇
「.....ハァ、旦那、ちょっとは落ち着いてくださいよ」
身の丈160cmほどのずんぐりむっくりな体型の中年の男が、扉の前で右往左往するアッシュブロンドの髪に藍色の瞳の青年に声をかける。
「わかってる.....わかってるけどさぁ、ブルノだってさっきからずっと貧乏ゆすりしてるじゃないか」
ブルノと呼ばれた男性はチリチリパーマのかかった赤い髪を掻く。
「.....俺の貧乏ゆすりはいつものことですよ」
いつも剣呑な目をしているブルノも、この時ばかりはそわそわしていた。
「いや、明らかにいつもより...」
青年がそう言いかけた時、扉の向こう側から赤子の泣き声が聞こえた。
”おぎゃあーっ、おぎゃあーっ“
顔を見合わせ、目をパチクリとさせた二人は慌てて扉を開ける。
「「う、生まれたか!?」」
その瞬間、2人の頭が中年の女性に叩かれる。
「あんた達、大の大人がちょっとはおとなしく待っとけないのかい!」
2人はバツの悪そうな顔をしつつ、叩かれた頭をさする。
「「そ、そうは言っても.....」」
言い訳を始める大の大人に雷が落ちる。
「そうもクソもないよ、全くあんた達はいい年して.....ミゲル、あんたは父親になるんだから、そんなんじゃいつかアデル様に愛想尽かされるよ、ブルノも、そんなんだからその年でまだ独り身なんだよ!」
説教をはじめそうな勢いの中年女性をブルノに押し付けつつ、周囲をかいくぐり、ミゲルと呼ばれた青年は愛する妻、プラチナブロンドの髪に翠色の瞳を持つアーデルハイトと、生まれたばかりの二人の娘のもとに駆けつける。
「やぁ、アデル、よく頑張ったね」
ミゲルは妻の頭を撫で微笑む。
「ええ、ミゲル、見て、私たちの娘よ」
アデルは娘の方に視線を向ける。
「あぁ、君にそっくりなプラチナブロンドの綺麗な髪だ」
ミゲルは生まれたばかりの子供を抱き、妻の側に娘の顔を近づける。
「瞳は珍しい青と緑のマジョーラカラーよ、精霊に愛されてるのね」
感情や日の当たり方により、色が変化するこの瞳はとても珍しい。
「将来はきっと君に似て美人になるぞ」
ミゲルは将来の娘の姿を想像して目を輝かせる。
「ふふ.....ねえ、ところでこの子の名前は何ていうの?」
これまで2人で話し合い、いくつかの候補を出し合ったが、アデルは最後の選択をミゲルに委ねていた。
「マリアンヌだ、女の子ならマリアンヌだと決めていた」
2人の祖母からマリーとアンナの部分を取ってマリアンヌ、安直だがいい名前だと思った。
「マリアンヌ.....いい名前ね、よろしくねマリアンヌ」
アーデルハイトが娘に微笑むと、“パンパン”と手を叩く音が聞こえ振り向く。
「はいはい、ミゲルもブルノも出て行った出て行った!少しは出産直後のアデル様のことを気遣いな、ひとまずゆっくりと休む事が重要だよ、回復魔術とポーションで夜には動けるように体力も戻るから、話をするならその時にしな!」
中年の女性に退出を促され、2人はそれに従う。
「ああ、そうだなわかった、あとは任せる、ありがとう」
ミゲルは中年の女性に礼を言う。
「はいよ」
家を出たブルノとミゲルの二人は空を見上げる。
時刻はまだ朝方だ、外では鳥の鳴き声が聞こえる
「ブルノ、すまないが、この手紙を隣町で出して来てくれないか」
ミゲルは懐から一通の手紙を差し出す。
「へい旦那、レオポルド様にですね」
ミゲルは無言で頷く。
「じゃあひとっ走り行ってくるんで、夕方に戻る時には、頼みますよ」
そう言ってブルノはぐいっと酒を飲む仕草をする。
「ああ、わかってる、こんな最中だが今日は宴会だ、浴びるほど飲むぞ!」
ミゲルは、くいっと手でなにかを飲む動きをする。
「へっ、期待してますからね」
ブルノは鼻をこすると、踵を返す。
「ああ待ってくれ、それと、中央の情報が知りたい、内戦の続く首都圏から遠く離れたここら辺はまだ平和だが、クーデターが長引けばここらの治安もどうなるか。場合によってはレオポルド様にアデルとマリアンヌを預けることも考えてる、その判断のためにも情報が欲しい」
わかってますよと言葉を返したブルノは厩舎へと向かった。
◇
馬を走らせ、目的地である隣町にたどり着いた頃にはちょうど昼ごろ、手紙の配達を依頼し終えたブルノは、酒場の前に立っていた。
この酒場は昼には大衆食堂として昼食を提供している人気店で、客層も衛兵から傭兵、商人に技師、一般人と幅広い層の人間がご贔屓にしている、ブルノも街に来るときはこの店を贔屓にしてた一人である。
扉をくぐると多くの人がいたがいつもより3割ほど人数が少ない、カウンターに座ったブルノはウェイトレスに手早くメニューを注文する。
「なあ、聞いたか?山の向こう側で小競り合いがあったらしい」
ブルノは、カウンターに座る2人組の男の話に耳を傾ける。
「ああ、幸いにも近くにいた騎士団によっておさまったが、クーデターが長引けばどうなることか、王は民のことを考えてくださる良い王様だけども、強欲な貴族や商人からの反発が強かったからな、弟のジルベール様はそれをうまく利用した」
ブルノのテーブルに運ばれてきた食事に手をつける。
「ジルベール様には有能な副官がいるそうだな、先代の陛下の宰相だったルーベルト様が現陛下の傍におられればよかったが.....このままなら近い将来ジルベール様のクーデターは成功なされるだろう」
どうも、王の軍勢は旗色が悪いらしい、ルーベルト様は宰相としても有能だったが、それ以上に軍師として有能で先王と多くの戦功を挙げられた、ルーベルト教本と呼ばれる指南書があるように彼の戦略と戦術は他国にまで広められ、指揮を執る者達のお手本となっている、彼が今の王国に残っていればジルベールのクーデターは成功しなかったであろうとブルノも考えた。
その時、扉が開き銀の甲冑をつけグレーのマントを羽織った身なりの整った騎士の団体客が入ってくる、その中に見知った顔がおりブルノは目を見開いた。
相手もブルノに気づいたようで、手を振り近づいてくる。
「よぉ、久しぶりだなブルノ.....元気だったか?」
ブルノは久しぶりにであう戦友に少し戸惑う。
「.....なんで、てめえがこんな辺鄙な所にいやがる、フェリクス」
フェリクスと呼ばれた青い瞳に黒髪オールバックの身の丈190cmはありそうな筋骨隆々の美丈夫は、ブルノと同じ髭面だが彼と違ってその髭は綺麗に切り揃えられ、その佇まいからも騎士然とした清潔さが感じられた、二人はは同じ30歳だが、老けて見えるブルノは20代の時点でよく30後半に見られていた。
「ここに騎士崩れのゴロツキどもが流れ着いたと聞いてな、兵の足りてないここの領主の依頼で隣領のレオポルド様が兵を派遣されたんだよ」
カウンターの隣席に座ったフェリクスは、手早くウェイトレスにメニューを注文する。
「それにしたってこの情勢下で副団長のお前がくることはねえだろうよ」
ブルノは悪態をつきつつ食事を突く。
「この情勢下だからこそだ、先日も山の向こうで小競り合いがあった、ここが荒れれば次は隣のシュタイアーマルクだ、それに、レオポルド様はアーデルハイト様のことをずっと追ってらっしゃった」
フェリクスはカウンターに出された水を飲み喉を潤す。
「.....んなこったろうと思ってたよ、あのジジイ全部お見通しかよ」
ブルノはそう呟き、再び悪態をつきつつもその表情はどこか嬉しげだった。
「で、後ろのガキどももお前の部下か?」
後ろのテーブルに向けてブルノは親指を指す。
「ああ、黒髪の男がドミニク、茶髪の男がマティアス、赤髪の女がカティアだ、3人とも年は15、この年齢あたりから対人戦の実戦を経験させておいた方が良いからな、今回はちょうど良かったというべきか、俺もお前もそうだったろ」
食事をとりながらお互い会話を進めると、先程名前を出された3人以外にもフェリクスは部下を連れており、ここで食事しているもの以外を含めて、全部で30人ほどの大所帯で行動しているようだ。
ブルノはアデルに子が生まれたことを伝えるとフェリクスも喜び、食事が終わり一層昔話に花を咲かせようとすると、一人の兵士が扉を開けフェリクスの元へやってくる。
ただ事ではない様子に「どうした?」と、フェリクスは声をかける。
「はっ、先程、山菜採りに出ていた町民が帰り道の山の麓の森の中で複数の≪アルムシュヴァリエ≫を積載した荷車が、ここを大きく迂回して奥に行くのを見たそうです」
それを聞いたブルノは驚き席から立ち上がる。
≪アルムシュヴァリエ≫とは騎乗型の二足歩行の魔導兵器で、騎乗者の魔力を増幅させ大型の魔道具を使うことで、大型の魔物を討伐する時や、軍事での優位性を持つために開発された軍事兵器である。
もっとも開発されて100年経った今どこの国もアルムシュヴァリエを保持し、その長所も欠点も詳らかになっている。
上位の魔術師であれば、魔法障壁と装甲を破壊できるだけの威力の魔法で押し勝つことができ、熟練の騎士であれば、機動性と小回りで懐に入り込み、装甲の薄い接合部などを狙うなりして破壊することも可能である。
多少力不足でも人数を増やして手数を増やすなり、一端の戦士であれば生身でも対応可能なのである。
だからこそ、彼らは正式な訓練を受けた騎士がいるフェリクスらが訪れたこの街を避けたのだ。
フェリクスらの姿を相手から見れば、彼らが騎士であるのは一目瞭然、ましてや彼らの羽織る家紋の入ったグレーのマントを知っているならなおさらだ。
おそらくそれを斥候が確認したのか、どこかで情報を得たのだろう。
ここを迂回し山の中へ行くとなると連中は向こう側に行くのが目的だろうが、その間にはミゲルやアデル、マリアンヌらが住む村がある。
村に対応できるだけの能力を持った戦士はミゲルとアデルの二人だけで、しかもアデルは病み上がりで全力には程遠い。
ブルノはそれらを一瞬で理解しフェリクスを見ると、フェリクスも頷き立ち上がる。
「俺たちも村に行く、案内を頼めるか?」
ブルノは頼むと頷き、二人は急いで店を出る。
それを見た後ろの3人と他の騎士達も慌てて店を出る。
◇
時刻は夕刻、外は宴の準備で騒がしく、すでに酒を飲み顔を赤らめる村人もいた。
“コンコン”と扉を叩き、確認を取ってからミゲルは部屋に入る。
「やあ、目が覚めたかな?」
ミゲルがそう言うと、着替え中だった妻は微笑む。
「体調はどう?」
ミゲルは妻に尋ねる。
「大丈夫よ、もう動いても良いって」
いつもと変わらぬ笑顔でアデルは微笑む。
「ポーションや回復魔法で回復したとしても無理しちゃダメだよ」
それでも心配なミゲルは、アデルを気遣う。
「ところで、ブルノはどうしたの?」
ミゲルは、ブルノが手紙を届けるために隣町に言った事を伝える。
「そう、お父様に手紙を送ったのね」
アデルは伏し目がちにそう答える。
ミゲルは妻に、場合によってはレオポルドの元へ二人を預ける事を説明し、アデルも了承した。
沈黙するアデルにミゲルはそっと抱きつき、彼女の背中に手を回し大丈夫だとポンポンと優しく背を叩く。
そんな甘い雰囲気が漂って来た中、それをぶち壊すように“バンッ”と大きな音を立てて扉が開く。
中に入って来た若い男が息を切らせてミゲルの方に顔を向ける、尋常じゃない雰囲気に驚いたミゲルは、ノックもなしに扉を開けたことに対して注意するのもやめて入って来た男に事情を聞く。
「緊急事態か?」
「山の麓の森林の中に武装した連中が30人ほど確認できました、おそらく山の向こう側を目指してるのだと思いますが、その経路でここにくる可能性が高いと思われます、隊列の中にアルムシュヴァリエが3機確認できました、俺はまだ広場に出てない他の家の連中にも声をかけて広場に人を集めます」
そう言うと男は外に出て、次の家へと向かった。
ミゲルとアデルは一瞬で状況を理解し顔を強張らせると、すぐに武器を取り戦闘の準備を始めた。
生まれたばかりのマリアンヌは、何も知らず何もわからず、二人の隣でただ穏やかに眠っていた。
主要人物
マリアンヌ・・・主人公
ミゲル・・・父
アーデルハイト・・・母、愛称はアデル
レオポルド・・・母方の祖父、シュタイアーマルク辺境伯
ブルノ・・・元シュタイアーマルク領の騎士
フェリクス・・・シュタイアーマルク領の騎士、副団長