二・預けたモノ
「おんや~?何やら中が騒がしいですニャ?」
「だね。なんだろ?」
人猫族と人兎族の女の子二人連れが、頭に乗っけた野菜満載の大きな籠の影から目の前の扉を見上げる。
「ただいま」
「あ、キツおかえり」
そこに人鳥族の女の子が降りてくる。
「カケルのお使いは何だったですニャ?わざわざ念話で頼んできてたですニャ」
「伝言」
「はぁ?あん畜生めは相変わらずアタシらの扱い軽いな !」
「まったくですニャ!仮にも神の眷族たる私達が異世界くんだりまで分体を飛ばすハメになるわ、その身を獣にやつすことになるわ、下界人ごときにこき使われるわ、散々なのですニャ!それもこれもみ~んなカケルが悪いんですニャ~!!」
「キリ、やっぱあん畜生には一発お見舞いしてやらにゃなるまいよ」
「ですニャ!」
「………二人とも、懲りない」
「キツは悔しくないですニャ?」
「私はその点については諦めた。無理、無茶、無駄」
メラメラと闘志を燃やす人猫族と人兎族の子に比べ、人鳥族の子は妙に達観してしまっている。
「おっとそれはさておき、チキ、早くこの野菜届けないとゴレンのおいちゃん困らせちゃうですニャ!」
「いけね、そだった。早くいこうキリ、キツ」
三人は仲良く扉を潜る。娼館夢猫館の通用口の扉を。
★
「しかし、貴族の嬢ちゃん達にゃちょいときつくないかね?」
宴の支度が整うまでの間に依頼内容について確認しておくことにしたカケル達とゼナは、夢猫館の応接室にいた。
「ん?きついって何が?」
心底わからないといった様子のカケルにゼナは苦笑する。
「自分からその貴族の生活を捨てて俺に付き従うと決めたのなら、ある程度の覚悟はあるんだろ?」
カケルは自分の背後に並んで立っているメルシエとロナにその意志を問う。
「は」
「…それなりに」
相変わらず淡々とメルシエ、相変わらず眠たげに半眼のロナ。
「なら問題ない。ま、恐らくは他の人にやってもらえてたであろう色んなことを、実際に自分でやることになるだけだ。いい社会勉強になるだろ」
「ちょいと調べてみたら二人とも一応この国のお偉いさんの娘さんなんだろ?…アンタはぶれないねぇ。まぁ、それがカケルか」
「隙ありですニャ~!」
突如として応接室の扉が開き、白い影が二つ凄まじい速度でカケル目掛けて襲いかかった。即座に反応し剣を抜こうとしたメルシエと術式を紡ごうとしたロナを、二人の間に割って入ったカケルが制し、片足で謎の襲撃者を軽く蹴り飛ばす。
「まだまだ甘いぞ?キリ、チキ」
「うにゅ~、初撃で仕損じたですニャ!」
「まだだ、まだ終わらんよ!」
闖入者は、どちらも真っ白な人猫族と人兎族の女の子だった。先程夢猫館に帰ってきたキリとチキである。さらに、開け放たれた扉を後から入ってきたこれまた真っ白な人鳥族の女の子がぱたりと閉める。
「!!」
「?」
突然現れた人獣族の娘達を見た瞬間、あれ程に無表情で淡々としていたメルシエが、口を半開きにしてわなわなと震えだした。ロナはロナで最後に入ってきた人鳥族の娘が妙に気になり、見つめている。
「か、か、か、カケル殿?こ、この娘達は…?」
「あ?あぁ、俺の世界の神様が、俺がこっち来る時に付けてくれた従者だけど…」
メルシエの鼻息が徐々に荒くなってきている。突然の狂態にカケルも若干引き気味だ。
「なんと…愛らしい…」
両手をわきわきとさせながら、ふらふらとにじり寄るメルシエに本能的に危険を感じ取り後ずさるキリとチキ。
「な、なんですニャ?この鎧女」
「ヤバイにおいがぷんぷんするぞ!逃げろキリ!」
「…ふふ、怖がらなくても大丈夫です。私はあなた達を愛でたいだけ…!」
もはや完全に逝ってしまった表情でくすくすと笑いながら、先程のキリとチキの襲撃など児戯と思える程の速度で間合いを詰めようとするメルシエ。キリとチキは必死に逃げ惑っている。
一方、ロナとキツは先程からお互い黙してじっと見つめあったままだ。何やら精神的に共感し、相通ずる何かがあるらしい。
「………」
「………」
「………」
「………」
「………」
「………」
「……私達は」
「……お友達」
『……永に』
余人には全く理解できない境地で結論を得た二人は固い握手を交わした。
「こんのぉ~!いい加減諦めるですニャ!鎧女!」
「しつこすぎるぞ!」
「ふふふ、大人しく愛でられるのです」
メルシエ・キリ・チキの三人は相変わらずおいかけっこに夢中である。
カケルとゼナは介入する余地も無く、呆けたように立ち竦むのみ。
「………カケル」
「………なんだミストレス」
「なんなんだいこれは?」
「知らん、俺に聞くな」
カケルはガリガリと頭を掻き、ゼナは深い溜め息をついた。
★
夢猫館のエントランスホールは即席の宴会場と化していた。料理長ゴレン謹製の美味に舌鼓を打ち、極上の酒で喉と心を潤す。
「そういやぁ、あの三人は役に立ってるか?」
宴が少し落ち着きを見せた頃、カケルがゼナに問う。
「ん?あぁ、騒がしい連中だが何だかんだちょこまかと良く働いてくれてるよ。ゴレンのヤツがあの娘らを妙に気に入ったみたいでね、最近は大概厨房周りで働いてる」
「へぇ?ゴレンがか」
「ゴレンは料理の腕は確かだが、口下手で人付き合いも苦手だ。ところが、何でだか知らないが あの娘らはゴレンの言いたいことやりたいことを察しててきぱき動いちまう。ゴレンもそんなあの娘らを気に入って菓子なんぞを作ってやったりしてるみたいだ」
ちなみにキリとチキは結局メルシエに捕まり、思う存分“愛でられた”ようで、今は諦めたのか満面の笑みのメルシエに抱き抱えられてぐったりとしていた。キツは小柄ながら健啖家であるらしいロナと一緒に、仲良く口の中を一杯にしながら咀嚼に勤しんでいる。
「高慢ちきな毒舌も慣れれば可愛いもんでね、アンタがあの娘らを連れてっちまうと寂しがるヤツも多いだろうね」
「ふふ…そうか」
「いつまでいてくれるんだい?」
「依頼の期間まではいるさ。それまでにやりかけの“掃除”は全て済ませておくつもりだ。ここは異世界から来た俺が最初に落ち着けた大事な場所だ。安心できるように なってから旅に出たい」
「………ずっといてくれるとは言ってくれないんだねぇ、やっぱり」
「………すまん」
「いいさ、その代わり…」
ゼナが艶めいた瞳を潤ませながらカケルにしなだれかかろうとした時、エントランスホールの扉が威勢よく押し開けられた。
「くぉらゼナぁっ!!カケルが帰ってきてんだろ!なんでアタシに一言………ああっ!?」
「…ちっ!相変わらず間の悪い…」
「おいぃ…ゼナさんよぉ?抜け駆けたぁやってくれるねぇ?」
「何の用だい?シュリナ」
純白のタイトなドレスに入った大胆なスリットから生足が大きく覗くのも気にせず、ずかずかとエントランスホールに入って来るのは、ゼナとは対象的に白銀の長髪に浅黒い肌のこれまた妙齢の美女である。カケルや夢猫館の面々は肩をすくめやれやれと苦笑いだ。
彼女は夢猫館の向かい側に居を構える娼館幻夜館の主であり、風俗街をめぐる一件でゼナと同様カケルと知り合った。
この二人、同じ貧民街の出で、互いに無駄に張り合いつつも自分の娼館を構えるまでにのしあがったのである。
「おらぁ!どきな!」
「ぶわっ!?」
シュリナが徐にゼナを突き飛ばし、そのままの勢いでカケルにしなだれかかる。
「ねぇ~んカケルぅ。こんなアバズレんとこじゃなくてアタシんところに来なよ~。カケルにならアタシ…」
「…んなにすんだこのアマぁ!!」
「げふっ!?」
ゼナがシュリナを蹴り飛ばす。
「…ったいじゃないのさ!!」
「づっ!?」
シュリナがゼナをひっぱたく。
「…こんのぉ!!」
「べ!?」
ゼナの返しの一発。
「これが風俗街の人気を二分する娼婦かと思うとなぁ…いやはや」
張り手の応酬を始めた二人からこそこそ離れながらカケルがひとりごちる。
「喧嘩するほど仲がいいとか言いますけど、どうなんですかねぇ…」
ティムが頬をかきながら、乾いた笑いを漏らす。
夢猫館の他の面々などは、今回はどちらが勝つのかと賭けを始める始末。女同士の仁義なき戦いに呆然とするメルシエの懐から抜け出したキリとチキが、掛け金を回収して廻ってたりする。キツは木板に墨で賭けの倍率を書き込んでいた。
「シュリナ、やっぱりアンタとはきっちりケリをつけるべきだねぇ…?」
「望むとこだよゼナぁ。どっちが上なのかはっきりさせようじゃないのさ…」
鼻を付き合わせて睨み合っていた両者は、ぐりんと首を回してカケルに視線を固定する。
「……………は?」
足を踏み鳴らしながら大股でカケルに歩み寄った二人は両側からガッシリとカケルの腕を掴むと、ずりずりと引き摺りながら奥へと向かう。
「待て待て待て、意味がわからん。これは何のマネだ?」
「このボケアマよりアタシの方が何倍もいいって教えてあげるよ、カケル」
「大丈夫よカケル。こんなアバズレ忘れちゃうくらいすごいことしてあげるから」
二人の凄絶なまでの笑顔に血の気が引くカケル。
「おいおいおい!“夢魔”と“吸精鬼”の相手とか冗談じゃねぇぞ?」
風俗街で畏怖と共に語られる“夢魔”のゼナと“吸精鬼”シュリナの伝説。この二人が本気になるとどんなに屈強で“アチラ”に自信のある男であろうと、泣いて赦しを乞い干からびるまで搾り取られるという。
「……………」
助けを求めるように夢猫館の面々に視線を向けるも、女性陣は慌てて気まずさげに目を逸らし、男性陣は真っ青な顔で神に祈りを捧げている。ティムは「カケルさん、死なないで下さい…」などと何やら物騒なことを呟いている。ああなった以上彼等は二人を止める術など知らないのだ。
「……………」
メルシエとロナを見ると、二人とも意味がよく分かっていないようで、小首を傾げているだけ。
「……………」
最後に、一僂の望みをかけて従者達を見やるが、最前列に陣取っていた彼女達はカケルの視線が向いた瞬間、
キリが突き出した右拳の中指をおっ立て、
チキが親指をつきだした右拳で首を掻き切り、
キツが右拳の突き出した親指を勢いよく下に向けた。
とてもいい笑顔で。
「逝ってらっしゃいですニャ御主人様」
「お達者で~」
「涅槃が待ってる」
そして三人揃って白いハンカチをヒラヒラと振りだした。
「……………覚えてろよお前ら」
カケルの捨て台詞を最後に、奥への扉がぱたりと閉じた。