一・王都の風俗街にて
「あの…念のために確認させて頂きますが、本当によろしいのですか?」
冒険者ギルド、パンディード王都キャメロン支部の受付嬢の一人テイトは困惑の最中にあった。
昼過ぎにふらりと現れた黒髪黒目の青年の新規登録がことの発端。
青年が問題なのではない。青年の後に新規登録を申し出た二人の人物が問題だった。
「構いません。お気になさらず、手続きをお願いしたい」
「同じく。気にしないで」
無表情で直立している白銀の鎧を纏った赤髪に長身の女性は、今年の王都の騎士試験を次席で突破した話題の新星にして副将軍ヘイル卿の愛娘、メルシエ。
もう一方、濃紺のローブに身を包んでいる灰髪のやや小柄な女性は王都の魔術研究院の難関試験を首席で突破した才媛にして王城筆頭魔術師ディーキンス卿の愛娘、ロナ。
パンディードの次代を担うであろう話題の二人が何故冒険者なぞになろうとしているのか。あり得ない。テイトは一受付嬢が背負うには重すぎる空気に倒れそうになりながらも、染み付いた業務用の笑顔を何とか崩さずにすんでいた。若干ひきつり気味なのはご愛嬌というものだ。
「命令とはいえ、ほんとに無理することないぞ?二人とも。てか、今まで積み上げたものを捨てることもなかろうに」
横合いからのほほんとした声がかかる。先程手続きを済ませた黒髪黒目の青年だ。 してみると、彼が原因で二人は冒険者登録をするということなのだろうか?テイトは取り立てて特徴のない青年に訝しげに視線を送る。細身の身体に洗いざらしの木綿の衣服。冒険者になろうというのに武器ひとつ帯びず、鎧も纏わず、荷袋さえ持っていない。そこらの街人となんら変わらない凡庸な男で、どう見てもこの有名人二人に影響力のある人物には見えないのだ。
「命は確かに受けました。が、それは望んでのことなのです、カケル殿」
相変わらずの無表情でメルシエ。
「同じく。貴方は実に興味深い」
眠たげな半眼で淡々とロナ。
「まぁ、好きにするさ」
この三人の経緯を何も知らないテイトには理解不能のやりとりだ。
確かカケルという名のその青年は、苦笑いを浮かべながら初級冒険者の依頼掲示板に向かって歩いていく。
いくら考えたところで答えなど得られそうもない。開き直ったテイトは努めて事務的に手続きを済ませ、二人にギルドの登録証を手渡した。二人はしげしげと己の登録証を眺めている。薄手の金属製の小さな板に所属ギルド、名前、階級が刻印されているだけのシンプルなものだ。
「あ、すいません、この依頼、受けたいんですけどね」
そこにカケルが戻ってきた。テイトの目の前に一枚の依頼内容の書き付けが差し出される。
「あ、はい。確認いたしま………はぅあ!?」
書き付けに目を落としたテイトはその目を驚愕に見開く。次いで勢いよく顔を上げカケルを凝視。
「依頼主とつい最近知り合う機会があってね。預けモノもあるし、どのみちソレを引き取りがてら会いに行くつもりだったんだ。ついでに依頼を受ければ報酬も貰えて一石二鳥。希望人数も若干名と書いてあるし、その二人がついて来たとしても特に問題はない」
問題大ありだ!テイトは目眩がしてきた。
テイトの表情に興味をひかれたメルシエとロナは書き付けを除きこむ。
依頼主 夢猫館主ゼナ
依頼内容 用心棒及び雑役
期間 三の月から六の月まで
報酬 日払い一銀貨 有事に成功報酬あり
募集人員 若干名
「………」
「………」
メルシエとロナはお互いに目線を交わす。依頼主の欄にそこはかとなく嫌な気配がするのは気のせいではないだろう。
「この…夢猫館というのはどういう…?」
意を決したメルシエの問いに、テイトは眉根を寄せて答える。
「………娼館です」
メルシエの頬の筋肉が少しだけひきつり、ロナは片眉を少しだけ跳ね上げた。
★
王都の風俗街は第二城壁の北西側に位置する。ファーンベルドでは魔界と呼ばれる地が大陸の北方にあるが故に、北は穢れた方角とされ、貴族や大商人といった所謂富裕層が方角的に最も遠い南側の土地を独占し、中層階級の民が東西の土地に、そして下層階級の民が北側に住むのが暗黙の了解となっている。
娼館夢猫館は西の平民街の北の端に程近い場所にある。メルシエとロナを連れたカケルは、昼過ぎにふらりとそこに現れた。
「カケル!カケルじゃないか!」
派手な紅いドレスを見事に着こなし、ゆるやかに波打つ漆黒の長髪を揺らしながら、白磁の肌の妙齢の美女が、カケルに歩み寄る。
「よ、ミストレス。約束通りまた寄らしてもらったぜ?また暫くやっかいになるよ」
カケルがギルドからの紹介状を見せると、ミストレスと呼ばれた夢猫館の主ゼナは破顔する。
「は!依頼を受けた冒険者がカケルだったのかい!こりゃいいね、アンタなら文句のつけようがないよ」
カケルをゼナの艶のある肢体が柔らかく包み込む。
「カケルさん!戻られたんですか!」
カケル達がいる夢猫館の吹き抜けのエントランスホールに若い男の嬉しげな声が響き渡る。メルシエとロナが声の主を探すと、二階の手摺から身を乗り出すように階下を覗いているモップを担いだ逞しい体つきの茶髪の青年が満面の笑みを浮かべていた。
「よお、ティム。傷はすっかり癒えたみたいだな」
階段を駆け降りてきた青年ティムと、ゼナの包容を解いたカケルががっちりと握手を交わす。
「…カケルだって…?」
「カケルだ!」
「おい、カケルだよ!」
「カケルが戻ってきた!」
青年の大声を聞き咎めた館の娼婦や従業員達がそこかしこから飛び出して来てわらわらと集まり、エントランスホールがたちまち賑やかになっていく。
全く事情のわからないメルシエとロナは人の輪から外れたところで呆然としている他はない。
「…それで?貴族の御嬢さん達はなんでまたカケルと一緒なんだい?アイツ確か王城に連れていかれたはずだろ?勇者様だとかなんとかで」
いつの間にか二人の傍らにいるゼナが、視線は人の輪の中心にいるカケルに向けながら問う。
メルシエは王城でカケルが何をしたのか淡々と語り始めた。ロナは腕組みをしているために盛り上げられて量感を増しているゼナの双丘と自分のそれとをチラチラと見比べて「まだ育つ、まだ育つ、大丈夫、大丈夫」とぶつぶつ怪しく呟いている。
「…ぷっ…くくっ…ふはっ、あははははは!あはははははははは!」
メルシエが変わらず無表情で淡々と語り終えるや、ゼナは最初きょとんとさせていた顔を次第に俯け、次いで吹き出し、さらには堪えきれずに大声で腹を捩りながら笑いだしてしまった。カケルや夢猫館の人々は何事かとゼナを見る。
「き、聞いとくれよみんな、この馬鹿よりにもよって王城でさ…」
ゼナが込み上げる笑いを堪えながらメルシエから聞いた話を伝えるにつれ、胆の座っている夢猫館の人々は皆が皆、ゼナと同じ様に吹き出し、弾けたように全員で笑いだした。
「あははははカケル最高~!」
「ひ、ひー、腹が、腹が痛ぇ 」
「訳わかんねぇよカケル!なにやってんだあはははははは!」
カケルは苦笑いを浮かべながら頬をポリポリかいているだけだ。
「よし!客にゃぁ悪いが今日は臨時休業だ!我等が英雄の御帰還だからねぇ、いっちょ派手に騒ぐとしようじゃないか。ゴレン!ギムウッドの良いのがまだ残ってたろう、アレを開けな!アタシの奢りだ、今日は遠慮なしにその腕振るいな!」
夢猫館の料理長ゴレンが、無言で隆々と盛り上がった右の二の腕の力瘤をバシンと叩くと、遅れてゼナの言葉を理解した残りの連中が歓声を上げる。エントランスホールはちょっとしたお祭り騒ぎだ。
「わかったら仕度にかかりな!楽しい夜程短いもんだからね」
威勢のいい返事を返して皆それぞれに散っていく。ゼナを中心に家族のように仲の良いこの館の住人達は、細かい指示などせずとも自分の役割を心得、的確に動くのだ。
「いいのか?ミストレス」
「構いやしないよ、アンタはこの館の…いや、この風俗街の恩人なんだ。アタシ達ぁまだその恩に少しも報いちゃいないからね」
「んなもん気にしなくてもいいんだがなぁ…」
「そうもいかないさ」
「そういうもんか?」
「そういうもんだよ」
並び立ちながら横目で視線を絡ませるカケルとゼナ。穏やかで、少し艶のある空気にメルシエとロナは完全に置いてきぼりである。
風俗街で何があったのか、この夢猫館の人々とカケルとの間に何があったのか、好奇心が膨らみ聞いてはみたいのだが、所詮二人は部外者であり遠慮してしまう。
「カケルさん」
宴の仕度に向かったはずのティムが戻ってきた。その顔には少しの不安が張り付いている。
「どうした、ティム」
「いや、さっきの、痛快な話ではあったんですが…やはり相手が相手ですから、少し心配になりまして。自警団の連中にも繋ぎを取って警戒を強化した方が良いのではと」
ティムは元は王都の下級警吏であり、王妃やその血縁に連なる将軍や宰相の意を受け、配下の連中が行った傍若無人な仕業の数々を全てではないが承知している。故にカケルやその縁に連なる者達への際限無き報復を恐れているのだ。
ゼナもその辺りは懸念している。
「アンタのことだから無策で暴れた訳じゃないんだろうけどさ、そこんところはどうなんだい?」
経緯を語る時以外は口を開かなかったメルシエが、一歩進み出てカケルに言う。
「カケル殿、我等の受けた命にも、王妃派の報復より御身をお護りすることが含まれております。この御仁の意をお汲み取り頂いた方が宜しいかと」
ロナもコクコクと頷いている。
「あ~、皆が心配なのはわかるが、“あの三人には”今後は何も出来ないよ」
相変わらずの飄々とした態度でカケルは呑気にそう答える。
「配下の連中が勝手に何やら仕掛けてきたら話は別だが、それは個々にぶっ潰しちまえばいい。だが、あの三人を後ろ楯には出来ない。そうなるようにちょいとばかりお呪いをしてあるんだ」
ゼナ、ティム、メルシエ、ロナはうろんげにカケルを見る。カケルの言っていることの意味がわからない。
「お呪い…ですか?」
「そ。お呪いだ」
カケルは悪戯っ子のようにニヤリと笑った。
★
その頃、王城の奥では騒ぎが起きていた。王妃、将軍、宰相が原因不明の病に倒れたのである。
「どういう事なのだ、ベントン」
自らの執務室に侍医を呼び寄せた王は、何が起きたのかを問い質す。
「は。傷を負われた将軍閣下と宰相閣下に治癒術を施しました後、お見舞いに参られました王妃様が人払いをお命じになりました。お三方はそこで何やらお話をなさっておいでのようでしたが、暫くしますと苦し気な声で宰相閣下が人をお呼びに。駆けつけましたところお三方は胸を掻き毟るように苦しんでおられ、今は多少落ち着いてはおりますが、時折激しい痛みに襲われるようにございます」
「…ふむ。で、そちの見立ては?三人とも勇者殿との件を除けば健康そのものだったはずだが」
「しかり。病の気配など全くございませんでした。痛みの原因は私めの知る限りの“病”に当てはまるものはございませぬ。しかしながら」
ベントンは一旦ここで言葉を切る。その額には少しずつ汗が浮かんできている。
「痛みに苦しむ際のお三方の胸肌には全く同じ呪文字のようなものが浮かび上がっておりました。書き写させましたものをこれに」
ベントンの差し出す紙片を側近を経由して受け取った王は、その文字を訝しく思いながら見つめる。
「これは…いずこの文字か…?」
傍らに立つ王城筆頭魔術師ディーキンス卿に尋ねるも、ディーキンス卿は溜め息をつき首を振る。
「陛下、それはファーンベルドに存在する如何なる文字とも異なった体系にございます。恐らくは…」
「勇者殿…か」
「は。その可能性が最も高いかと」
空恐ろしいものを感じつつ、沈黙が王の執務室を満たす。
「…その通り」
『………!!』
突如響き渡った女性の声に一同が一瞬硬直する。
「それはカケルが施した呪法の証」
「上か!」
これまで一言も発せずに王の傍らにあった副将軍ヘイル卿が小剣の柄に手をかけ叫ぶ。
執務室の天井近くの壁面に設けられた、空気を取り込むための小窓の枠にそれは腰掛けて一同を見下ろしていた。
「人鳥族…か?一体どうやってこんなところまで…」
カケルのいた世界とこの世界ファーンベルドとが大きく異なる点の一つが、獣人、人獣の存在である。
単に人族と呼ばれるのが、もっとも数の多い種族で、神が己の姿を模してこの世界に生み出したと云われている。
獣人は人族とほぼ同じ外見ながら、所々に獣の特徴を宿している種族だ。それは耳であったり、しっぽといった部分で、加えて宿している獣の特徴的な能力を、獣それそのもの程ではないが受け継いでいる。犬系の獣人ならば人族より嗅覚が優れていたりする、といった具合だ。
人獣は逆に顔以外は獣とほぼ同じ外見ながら、人族のように二足歩行が可能で人語を解する知能を持った種族だ。獣人よりも獣の能力が高く、身体の大きさも元となる獣の大きさに準じている。
今、小窓の所で座っているのは人鳥族の女性のようだ。
「害意はない。そちらに降りても…?」
鳥のように小首をかしげながら尋ねる姿はなかなかに愛らしいが、さりとて信用して良いものかはまた別の話である。
ヘイル卿は王を一瞥し判断を委ねる。
「構わぬ、降りて参られよ」
王の言葉を受けた人鳥族の女性は、手としても使える翼で羽ばたきながらゆっくりと降りてくる。
侍医のベントンは王の後ろに下がり、ヘイル卿とディーキンス卿は王を護るように左右に油断なく立つ。
やがて降り立った人鳥族が視線を王に向けると、ディーキンス卿が尋ねた。
「して、そなたは何者か」
せわしなく動く特徴がある人鳥族には珍しく、目の前の人鳥族は妙に落ち着いていて、感情の動きがその表情に現れない。
「カケルの従者キツ。好きでやってる訳じゃないけど」
何やら面倒くさそうなもの言いに一同は困惑する。
「キツ殿、先に申されていた“勇者殿の施した呪法とは?」
ディーキンス卿は涌き出た些細な疑問はとりあえず放っておき、懸念している王妃達の状態について話を進めることにした。
「他者に対して悪意や害意を向けると、命が蝕まれる」
「なんと!事象をそこまで指定できるのか!」
「本人が手を下すのはもちろんのこと、他人に命じたりすることも許されない。悪意害意を想うだけで痛みを発し、想い続る程に苦しみは増し、確実に死に到らしめる」
「………ありえぬ」
何十年もの間魔術の研鑽を重ね、ファーンベルドにおいて十指には入る魔術界の重鎮であるディーキンス卿ですら、そのような呪法など聞いたことがない。
「…これは事実。偽りだと思うならばこのまま放っておけばいい。カケルも私達も別に困りはしない」
『……………』
王をはじめとする四人は沈黙する。無表情に淡々と語るこの人鳥族の目には緊張も動揺も微塵も感じられず、自信に溢れている。
「何故、勇者殿は余にそれを伝えたのか…?」
「知らない。従者になってまだ短い。カケルのことはよくわからない」
「………そうか」
王は深く溜め息をつくと、執務机に乗り出していた己の身を椅子の背もたれに預け眼を閉じた。
「…これで用はすんだ。帰る」
唐突にそう言うと、キツは大きく羽ばたいて己の身体を浮かせ、あっという間に小窓から消えた。それを見送ったヘイル卿は、椅子に深く座り身じろぎもしない王に視線を移す。
「どうなさいます、陛下」
王は答えない。
『……………』
暫しの沈黙を打ち破ったのは、執務室の扉を控え目にノックする音だった。
「私が」
この中で一番位の低いベントンが扉に向かう。
「何か………………!!……そうか、下がって良い」
小声での扉ごしのやり取りを終えたベントンは、些か消沈した面持ちで王の前に戻る。
「陛下、将軍と宰相が相次いでみまかられましてございます。」
『!!』
「………妃は?」
「お二方の死に余程の衝撃を受けた御様子にて………」
「危ういか?」
「………は」
王は、長く、深い溜め息を吐き尽くした後、瞑目し天を仰ぐ。
残る三人はそんな王を見つめるのみ。
「………妃の、いや、トリシアの元へ参る。余が入った後は人払いをせよ。余人を交えず、二人きりで話したい」
ゆっくりと立ち上がり腹心達にそう伝える王。
「…ジャック、ライリー。俺もまた、人の子ではあったようだ」
まだ王となる前、竹馬の友として領土内を駆け回っていた頃の懐かしい呼び名で、ディーキンス卿とヘイル卿に己の心を吐露する。
「あれ程に忌々しいと、憎々しいと、想っていたはずだのになぁ…」
苦笑いを浮かべる王に、確かに昔日の面影を見出だした二人は、同じ様に苦く笑う。
「お前の好きにしろ、キャメロン」
「物好きなことだな。だが、お前はそれでいい」
扉に向かって歩み出していた王は、二人のかけがえの無い友の言葉に微笑む。
侍医ベントンはそんなやり取りに眼を優しく細めながら、何故かこの国の未来に明るさを見出だしていた。
王と王妃がその後何を話したのか知る者はいない。ただ、王妃はその後憑き物が落ちたように人柄ががらりと変わり、王を影から支え、遅まきながら世継ぎにも恵まれた。王都から貧民街が消える切っ掛けとなる護助組織の設立と維持に私財を擲ち、しかしながら民に負わせた傷は癒えぬものも残る故に、赦しと理解を得るまでに長い時を要したが、その晩年は賢妃と称えられるまでになったという。
後の王と王妃の経緯を伝え聞いたカケルは何も言わず、ただ、口の端を軽く持ち上げ、そっと呪法をほどいた。