十六・悪党の切り札
年度末の作業で忙殺されております。
落ち着くまではさらに不定期に…。
「おっさん、先に最後の仕上げといこうぜ?」
「そうだな」
短いやりとりの後、地下への入り口辺りに立ったトレホが呼吸を整え、左の義腕に気を練り送りこむ。
紫光を発し始めた義腕を力の限りに振りかぶったトレホが、気合いと共に渾身の一撃を大地に放った。
「ぬうぅりゃぁっ!」
端から見ているぶんには滑稽な様である。義腕の拳が撃ち込まれた箇所は別に破壊されたわけでもない。
だが。
「!?…な、なんだ?何をしやがった!?」
突如として大地が揺れ始めた。
周辺の瓦礫の平地のそこかしこから土煙が噴き出し、揺れも激しく、そして地の底から這い上がってくるかのような破砕音が断続的に近付いてくる。
「これにて任務完了だ」
この揺れにも、娘を抱いたまま微動だにしないカケルが、場違いに朗らかな笑みでそう告げた瞬間、背後の広範囲に渡る地面が爆砕し、陥没していく。
ドラゴも、ドルフも、マルコも、その光景にただ呆けるのみである。
その横をすり抜けながら、カケルとトレホがゼナとシュリナに歩み寄る。
「俺とおっさんの受け持ちはこれで終わったぞ。それから、この娘な、どうやら二人にとって大切な幼馴染みらしいが、再会の喜びは後にとっとこうや。まだ、全部おわっちゃいないんだからな」
ゼナとシュリナはほんの僅かに逡巡する様子を見せたが、少し窶れてはいるものの、カケルの腕の中で安らかな寝息をたてている幼馴染みに安堵の溜め息を漏らす。
カケルの言う通り、自分達にはまだやらなければならないことが残っているのだ。ここで昔日の情に流されて目的を見失うようでは、風俗街や貧民街の仲間たちに顔向けが出来ない。
瞬時に思考を切り換えた二人はドレスの裾を翻しながら、それぞれに得物を構え直し、残る顔役達に相対した。
「…なぁマルコ、ドルフ。俺はここまで好き放題に虚仮にされたのは初めてだ」
妙な猫なで声で話しかけてくるドラゴの様子を多少訝しく思いながらも、ゼナとシュリナを警戒するマルコとドルフは、視線を二人から外すことなく応じる。
「そうだな」
「俺もだ」
その答えに満足そうに微笑むドラゴは、懐からそっと取り出した何かを手の内に隠して二人に歩み寄っていく。
「我々が喪ったものに相応の何かを連中から奪わねば、収まりがつかない。そうだろう?」
「………」
「………」
一体何が言いたいと言うのか、少しの苛立ちが沸き上がるのをマルコもドルフも感じていたが、既にゼナとシュリナの得物が届く間合いに踏み込まれてしまっている。迂闊に意識を散らすことは出来ない。
そして、それはドラゴも承知の上なのである。
「この憤り、なまなかなことでは晴れんよ。折角の愉快な策も、無粋な横槍が入って台無しになったしなぁ。糞共の命をもって購ってもらうのは当然のことだとしても、ただ殺すのでは趣に欠けるというものだ」
段々と冗長になるドラゴの語りに、ドルフがたしなめるように呟く。
「ふざけるのはよせドラゴ。奴らの得物がいつでも俺達を襲える間合いなんだぞ…!」
怒気の籠められたドルフの言葉にもドラゴは動じない。
「焦るな、ドルフ。俺が何の意味もなくこんな話しをしているとでも思っているのか?」
芝居がかった仕草で肩を竦めながら、ドラゴが嫌らしく口角を吊り上げる。
「勿体ぶるなドラゴ。何か策があるんだな?」
あくまでゼナとシュリナから視線を外さずに、マルコが問う。
我が意を得たり、とドラゴがにたりと微笑みながら、マルコとドラゴの背後に立った。
「その通りだ、マルコ。ただ、少しばかり二人にも手伝ってもらわねばならんがな?」
圧倒的に不利な状況下において、この悪魔の囁きはマルコとドルフの心を捉えた。
「………何をすればいい」
ドルフの応じる言葉に、これ以上ない程に口角を歪に吊り上げたドラゴは、両手をそろりと動かす。
「…何、簡単なことさ。ドルフ、お前の躯を依り代に」
「ぐっ!?」
「…マルコ、お前の血を贄として差し出せばいいだけさ」
「かひゅ!?」
ドラゴは、これまでのゆったりとした動作が嘘であるかのように、ドルフの延髄の辺りに禍々しい血の色をした宝玉のついた短剣を突き立て、鋭利な片刃のナイフでマルコの首筋を掻き斬った。
マルコの首筋から溢れ出る鮮血がドラゴとドルフを濡らしていく。
「き…さま………」
首筋を押さえるも、流れ出る血は止まらず、マルコは次第に顔面を蒼白にしながら、無念の内に崩折れた。
「…ぐがぁ!?ドラゴぉっ?貴様…!俺に俺に何をしたぁ!?やめろ!俺の中に入ってくるなぁ!ちくしょう!ドラゴぉ…やめろやめろ嫌だぁ出て行けいけいけいけげげがががっ……!!」
頭を抱えながらのたうちまわるドルフの躯中に太く歪な血管が浮き出始める。
「なんだ?何が始まるってんだい!?」
「くそが…どうせろくでもないことに決まってる」
突然の凶事に、ゼナもシュリナも狼狽えざるをえない。
そこへ、血に染まった顔を愉しげに歪めたドラゴの哄笑が響き渡った。
「くはははははははは!!誉めてやるぞお前ら!この俺にこの切り札まで使わせたんだからな!こいつはな、正真正銘の“失われた文明の遺物”“人魔の短剣”だ。この宝玉に俺の血を覚えさせ、こうして依り代と贄の血を与えることで、俺の意のままに動く化物を手に入れることが出来るんだよ。くは、くはーはっはっはぁ!!さぁ精々抗って見せてくれ!人為らざる者相手になぁ!」
ドラゴが語る間に、ドルフは“ドルフだったもの”になってしまっていた。肌は赤黒く変色し、躯も倍以上に膨れ上がっている。両耳の上部に湾曲した角が生え、犬歯は牙へと変じ、爪が鋭く尖り凶器と化す。
俯かせていた顔を上げ、閉じられていた瞼がゆっくりと持ち上げられ、紅い瞳がドラゴを捉えた。
「…ふむ、此度の召喚主は貴様か?」
意外にも理性的な声音で、人外の巨漢がドラゴに問う。
「そうだ。血の契約に基づき、まずはそこにいる連中を殺せ」
「………」
巨漢はちらりとゼナとシュリナを見やると、小さく溜め息をついた。
「貴様…あのようなか弱き娘達を屠るために我を喚んだのか?」
「…何?」
まさか口答えされるとは思っていなかったドラゴは、訝しげに巨漢を睨む。
「………まぁ、仕方あるまい。契約は契約…か」
巨漢はひどく億劫そうにゼナとシュリナに向き直ると、目を細めながら語りかけてきた。
「赦せ、娘達よ。これも我の囚われし契約が故。本意ではないが、その命、貰い受けねばならぬ」
圧倒的なその存在感に射すくめられていたゼナとシュリナは動けない。
「そうだ、殺せ。絶望と恐怖の内にな」
背後で吠えるドラゴを蔑むような瞳で一瞥すると、巨漢はゼナとシュリナに歩み寄っていく。
「悪い、少し待って貰ってもいいか?」
ふらりと。
二人の美女と、野獣のような巨漢の間に割って入るカケル。何故かその瞳は輝いている。
「何かな?異界の男よ」
「…!?それがわかるのか?…面白いな。いやはや、あんたは一体どういう存在なんだ?出会って僅かな時しか経っちゃいないが、どうにも、そこの下衆にかしずくような漢には見えなくてね」
ぴきり。
ひきつった笑顔のドラゴのこめかみ辺りに青筋が浮かび上がった。
巨漢はその気配を察して牙を剥き出して愉しげに笑う。
「ふはは!楽しき漢よ。ぬしらにとって我のこの姿は異形であろうに。我を喚び出したあの男ですら発している畏怖の念がぬしには見えぬ。久しく無かったことだ」
「見たことの無いものを拝める楽しさがあるからな、怖さなんて吹き飛んじまったよ」
カケルのその言葉に巨漢は目を見開き、次いで先程の比ではなく豪快に笑い出した。
「ふはははははは!囚われた魂となりてより、これ程愉快な想いは初めてだ!………そうさな、我のことを語ってもよいが、ひとつだけ確かめたいことがある。よいか?」
カケルに否やはない。微笑みながら頷いた。
「先程も述べたが、契約は契約だ。囚われの身たる我はそれに従い、喚び出したあの男の命により、ぬしらを屠らねばならぬ。語りおうたところで、友となれるわけでなし、互いに命を賭して闘うが運命よ。その覚悟、ありや、なしや?」
不敵に。
ただ不敵にカケルは声無く笑い、行動をもって答えとする。
『顕〈drive〉現、神〈kamui〉威』
その身を異形に転じたカケルの発する武威に、巨漢が震えた。恐怖からではない、喜びからだ。
「おお…!!嬉しいぞ!最早永に喪われたと思いし心の奥底より湧き出でしこの猛り…! よかろう、我はかつて神に弓引きし元魔の一族、その戦部が一人、我が名はハースト!」
「…神に…この世界の神に戦いを挑んだのかい?」
「そうだ。かつて、あまりに傲慢な神のやり様に魔に生きる者達全てが憤り、一矢報いんと戦いを挑んだのだ。産まれ出でた時より、虐げられる者として神に烙印を捺されていたが故の理不尽に耐えかねてな。しかし、結果は惨憺たる有り様よ。無様に敗れた挙げ句に、我は神の寵愛を受けし人共に隷属を強いる魔道具に封じられた」
「…えげつない真似しやがるな、ただ殺すより質が悪い」
「敗れしものの末路よ」
二者の異形が和やかに語り合う様はなかなかに珍妙な光景であり、ゼナやシュリナは毒気を抜かれ、一旦トレホが控えている場所まで下がった。
「色々と規格外な奴だとはわかっちゃいるんだが、すげぇな、カケルは」
疲れたような顔で呟くトレホに、二人も頷く他はない。
召喚主であるドラゴの苛立ちも頂点に達したようだ。普段のどこか泰然とした部分は鳴りを潜め、醜く歪んだ顔が怒気を発している。
「何をしている化物、さっさとそいつらをぶち殺せ…!」
ちらり。
カケルとハーストが、まるで示しあわせたかのように同時にドラゴを一瞥する。
「…全く…無粋な」
「ま、胆の小せぇ小悪党ってなあんなもんだろ」
皮肉げに笑う二人は、纏う雰囲気を一変させると、互いに構えをとる。
「ああ、そちらに名乗って貰ってたのに、俺の方がまだだったな。俺の名はカケル。お察しの通り、異世界から迷いこんだしがない旅人だ」
「ふふ、存分に死合おうぞ!カケルよ!」
「応!」
朗らかに微笑みながら、両者が神速の踏み込みから激しく激突した。
★
「うわ熱っ!なんだよ!?そんな技を隠してやがったのか!」
紅蓮の焔を纏った巨大な拳がカケルを襲う。
寸でのところでかわしたカケルは一旦距離を取る。
「ふはは!然り!焔は我が友よ!まさか再びこの技を使わねばならぬ相手と死合えるとはな、楽しい!実に楽しいぞ!カケルよ!」
再び間合いを詰めてきたハーストが次々と繰り出す焔の拳を、カケルはかわす、かわす、かわす。
「やられっぱなしってのは悔しいからな、俺の芸もちっとは披露するとしようか!」
「ぬう!?」
カケルはハーストの拳をかわし様に、神威の姿に転身する際の構えを取った。紫光がカケルの躯を包み込む。
『招来〈overdrive〉顕現、火之迦〈kagutsuchi〉具土神』
紫光が爆散した。中から顕れたのは、ハーストの拳と同じく紅蓮の焔を全身に纏った異形。神威の際には白かった部分が紅に染まり、焔を模した紋章のようなものが額に浮き出ている。
「ふはは!我の焔に、水や氷で抗うのではなく、同じ焔で抗うか!つくづく楽しき漢よ!」
「お気に召して頂いたみたいでなによりだ!さぁ、俺の焔が勝るかあんたの焔が勝るか!いくぜぇ!ハースト!」
「我が力の全てをもって応えよう!来い!カケルよ!」
『オオオオオオオオオっ!!』
二人の発した気合いと闘気が絡まりあい、膨張し、弾ける刻が迫る。
「おうりゃぁっ!!」
「ぬうんっ!!」
極限まで練り上げられた魔素を用いたハーストの焔は黄金色に輝き、対して同じく極限まで練り上げられた気を用いたカケルの焔はやや青みを帯びた眩き白。
互いの振るう拳に纏われた焔が触れ合う刹那、猛烈な熱波が周辺に撒き散らされる。
(おお…なんと美しき焔か…)
撃ち合った瞬間にハーストは己の敗北を確信した。拮抗は瞬く間に、カケルの白焔がハーストを包む。
「見事だ…カケルよ」
既に依り代たるドルフの肉体は消失し、ハーストは魂の残滓のみの存在となっていた。それも、末端部分から光の粒子と化し、徐々に消えていきつつある。
カケルはそんなハーストを、やけに仏頂面で眺めていた。
「どうした?勝者の面構えではないな?」
「いや、わかっちゃいるんだが、惜しいと思ってさ、こんな形で会うのが」
「ふはは、それもまた運命よ」
「まったくままならねぇもんだ」
「………カケルよ、最後に尋ねてもよいか?」
「なんなりと」
「絶大なるその力で、ぬしはこの世界で何を成すつもりなのだ?」
「ん?とりあえずは旅だな、この世界を巡り歩く。んで、この手で“拾えるもの”があれば拾う」
「………ふむ」
「でだな…」
唐突に悪戯小僧の微笑みを浮かべながらカケルが小声で何事かをハーストに囁いた。
ハーストはそれを聞いてこれ以上ない程に目を見開き、次いで豪快に笑った。
「ふはははは!ずるいぞカケル!そのような話を聞いては、このまま消え去るのが惜しくなってしまうではないか!全く残念だ!もはや何も思い残すことは無いと思うたに、その様を見ずに消えねばならんのがな!」
愉しげなハーストを、カケルは少しだけ哀しみの籠った瞳で見つめ、だがすぐに朗らかに、そして不敵に笑う。
「ま、あんた達の分まできっちり割り増しでやっとくよ」
「応、是非もない。この魂朽ちる今、ぬしと死合い、語ろうたことが何よりの土産よ。先に逝った同胞共に語って聞かせよう」
ハーストに残された時間が尽きようとしていた。今や背後が透けて見える程に希薄な存在でしかない。
「…ふむ。名残惜しいが、別れの刻のようだ」
「………」
寂寥の想いを心の奥底に押し込めて、カケルは朗らかに微笑む。辛気臭いのは性に合わない。
それはハーストも同様なのか、彼も実に男臭いいい微笑みを浮かべていた。
「…さらばだ、カケル」
「…じゃあな、ハースト」
別れの言葉を交わした後、ハーストは完全に光の粒子と化し、虚空へと消えていった。
カケルは、暫くそのままそこに佇んでいた。
★
(役に立たない化物め…。手に入れるのに随分と労苦を費やしたのだがな…)
カケルとハーストの派手な闘いのどさくさに紛れて、ドラゴはその闘いの流れの中で派生する幾つかの選択肢の、最も忌避したかったものを選らばざるをえなかった。すなわち、逃亡である。
暗黒街にその身を堕として後、常に勝ち続けてきたドラゴにとって、ここまで明確、完全な敗北は初めてであった。
(…ふん、今回は仕方あるまい。“あれ”は異常だ、色々な意味でな)
過去の情報から、異世界から召喚された勇者の存在についてはドラゴなりに把握していたつもりであったが、今代のそれはドラゴの思惑の常に外側にいた。
(能力についてもそうだが、ここまで“裏側”に食い込んできた奴は初めてだろう…)
瓦礫の陰に上手く身を潜めながら移動する。そこらを走り回っている警吏達の数も相当なものであり、逃走は遅々として進まない。
もう少しで、秘密裏に設けた街の外に出るための地下道の入口に到達する、その時に、ドラゴは今、もっとも聞きたくない声を聞いた。
「往生際が悪かないか?ドラゴ」
天を仰ぎ、ゆっくりと声の主へと振り返る。
「…十分だろう、ここまでやれば。完敗だよ、ゼナ、俺のな」
「はん!だから見逃せってか?あんたを」
ドラゴは会話をしながら周囲の気配を探る。目の前のゼナ以外に気配は感じられなかった。
抜け道はここだけではない。手分けして追ったために戦力を分散してくれたのは行幸だと、ドラゴはほくそ笑んだ。
「今更俺一人を殺しても何も得るものなどないだろう?さすがにもう王都に戻るつもりはないぞ」
得物を確めながら、ドラゴは卑屈に笑ってみせる。
「そうでもないよドラゴ。あんたの息の根をここで止めときゃ、その分だけ泣くはめになる女子供を減らせるじゃないか。見せ物として魔物や獣と無理矢理戦わされる
連中も減らせる」
ゼナは巧みに自分の優位な間合いを保ちながら、次第に瞳に宿す光を強くしていく。逃がすつもりなどないし、この男相手に油断するつもりもない。
涼やかな音と共に、ゼナの剣が刃の鞭に変ずる。
「……………」
ドラゴの額に汗が伝う。うかつには動けない。
「時間をかければ不利になるのはあんただよドラゴ。他の抜け道に向かった連中も、あんたがいないとわかりゃ他をあたるだろうからね。こちらの味方が増えるだけのことさ。ああ因みに、あんたの部下は警吏に捕縛されてるか、抵抗して死んでるかのどちらかだと思うよ?」
そう。ゼナを排除しなければ、ドラゴの退路は開けない。
「………くはは、この俺がなぁ…」
自嘲気味な笑みを漏らし、ドラゴがうなだれる。
「あんた、リックマンを殺した時に何て言った?あの言葉を吐いた以上は当然自分も覚悟はしてんだろ?肚ぁくくりな」
ゼナが目を細め、より剣呑な気配を纏い得物を構える。
「…言ってくれるなぁ?ゼナ。娼婦ごときがこの王都の裏を牛耳ることができると、本気で考えているのか?」
負け惜しみでしかない言葉を吐き、ドラゴは自身の得物である短剣を構える。
劇毒を塗布してあるその短剣は、かすり傷でも負わせることができれば相手の命を奪うことが叶う。
だが、現状、短剣の刃が届く間合いにドラゴが踏み込むことを、ゼナは許しはしまい。
「勘違いするな、ドラゴ。あんたらの後釜に座ろうなんざ、考えちゃいないさ」
半身で短剣を前に出して構えているドラゴは、死角になる側の手で小瓶を取り出し握りこむ。
「ほお…?まぁ、俺の物でなくなる街のことなど、どうでもいいが…な!」
ドラゴが小瓶を素早く投擲、小瓶に施された術式が起動し爆ぜて、刺激物が混ぜこまれた粉塵が飛散する。
距離を取り、粉塵を吸い込まないように気を付けながら、短剣を構え直し、いつでも飛び込めるように下肢に力を溜めるドラゴ。
「………なんなんだそれは」
粉塵が収まり、ゼナの姿を見出だしたドラゴは、愕然と立ち竦んだ。
「悪足掻きは終わったかい?」
視覚で捉えることが可能なほどに、ゼナの周囲に不自然に旋風が渦巻いていた。それがドラゴの目論見を弾き飛ばしてしまったのだろう。
「…それも、あいつの力か?」
「ま、そうだね。贈られた、あたしが今身に纏っているこのドレスの力さ」
「どこまでも忌々しい。思えば、全てはあの男から始まっている訳か。侮っていたよ、俺の人生において最大の過ち…づぁ!?」
刃の鞭が鋭く閃き、ドラゴの手から短剣が弾かれた。それを皮切りに、手足に刃の鞭が襲い掛かり、抵抗と、逃走の力が削ぎ落とされる。
呻きながらその場に跪くドラゴ。
「か…は、容赦…無いな…」
苦く笑い、ゼナを仰ぎ見るドラゴ。
「終わりだ、ドラゴ」
ゼナの瞳には一切の躊躇いが無い。ドラゴは己の最期を知った。
ドラゴにとってゼナは、少々目端の利く、只の金蔓の娼婦でしかなかった。
今、最期の時に初めて、人としてのゼナを真正面からドラゴは見た。
凜と艶が共存する漆黒の髪とドレスの美女を、ドラゴはただ、美しいと思う。
そしてそれが、ドラゴの最後の思考となった。