十・勇者の手
王とか重鎮連中の残念っぷりはもはや仕様かと。
「ぬはははは!面白い!実に面白い!」
王の執務室にラミレス卿の豪快な笑い声が響き渡る。
「つまりカケル殿は、このくそ坊主共が馬鹿な真似をしおったらぶん殴りに行き、このお嬢さん方がやり過ぎているようならば尻をひっぱたきに行けと、そう申されるのですな?」
「はっはっは!そう!その通りだ爺さん」
『カケル殿?』
『カケル?』
ラミレス卿ならば本当にやりかねない為、王達は青ざめ、ゼナとシュリナは尻の辺りを押さえて後ずさる。
「ふむ。そしてこれより、この国の膿を表のものも裏のものも取り除かれるおつもりであると」
獰猛な笑みを浮かべるラミレス卿に、カケルも剣呑な気配でにやりと笑う。
「ああ」
「ぬふふ、この老骨めも血がたぎりますな!この大仕事、儂にも一枚噛ませて頂きたい!」
「是非もなし、だな。此方からもお願いしたいくらいだ。実際、警吏府の皆には実務面でも迷惑をかけることになるしな」
「なんのなんの!その程度。ちいとばかり大規模ではありますが、職務の内ですわい。普段から柔な鍛え方はしておりませんでな、気になさらず、存分に暴れるが宜しい」
「おい爺。カケル殿には随分と丁寧だな」
自分達に対する態度とはあまりにも差があるため、ヘイル卿がラミレス卿にくって かかる。
「喝!カケル殿がこの国に降臨なされてより、わずかな間にどれ程の偉業を成してこられたか!貴様らならば十二分に承知しておろうが!敬服に値するものぞ。第一貴様が今将軍なんぞとふんぞり返っていられるのは誰のお陰か!儂は儂なりの礼をもって接しておるだけじゃ!だぁっとれくそ坊主!」
「むぐ…!」
ぐうの音も出ずに押し黙るヘイル卿。
(会ってみてわかった。この御仁、この若さでなんと深みのある眼差しであることか…。儂が後二十歳も若ければ、メルシエとロナのように共に旅に出たいんじゃがな…)
ラミレス卿はこの出会いに感謝していた。
勇者召喚などという他力本願なものを、ラミレス卿は意味嫌っていた。各国は召喚した勇者を体よく兵器として利用し、自国の利益を貪り、勇者本人には適度に贅を与え巧みに国政から遠ざける。歴代の勇者も程度の差はあれ、それに大して疑問を抱くこともなく唯々諾々と従い、この世界での生を全うしてきたらしい。
(力あれども、なんとも下らぬ生よ。しかし…)
カケルは違った。降臨するなりあちこちを見て廻り、かなりの間登城もせずに諸侯をやきもきさせ、登城するやいなや王妃の派閥の頂点を再起不能に追い込んだ。その後も王都で冒険者として短期間でめきめきと頭角を現し、さらに極めつけはあの邪竜ダイラムの討滅である。
ラミレス卿はカケルが何かを成す度に快哉を叫び、その行動を知り得る限りで注視していたが、王やヘイル卿からの声がかりで職務に復帰し、とある部下からもたらされたカケルの風俗街と貧民街での活動を聞き及び、畏敬の念すら抱くようになったのである。
(カケル殿こそが…)
「爺さん?」
想いにふけっていたラミレス卿は、カケルの呼び掛けに我に返る。
「…む?なんですかなカケル殿?」
「いや、どっちがいいかなと思って。表の膿と裏の膿、しっかり繋がっちゃっててさ」
「然り、下衆は下衆と手を組んでこの国を食い物にしておるようで」
税の中抜きに、存在しない税の捏造、密売、人身売買、暗殺、煽動。
表の傲慢強欲貴族と裏社会の顔役共は切っても切れぬ関係にある。
「後で全部渡しちまうけど、必要っぽい証拠はほぼ手に入れた。後はいかに誤差無く迅速に、完璧に潰すかだ。この件、最後の締めは複数展開で一気にけりを着けたい」
『なんと!?』
これにはラミレス卿だけでなく、王、ヘイル卿、ディーキンス卿も瞠目する。
「いや、あのダイラムさんはほんといい時に来てくれたよ。未曾有の大災害ってことでね?全員隙だらけ。めぼしいところを有り難く色々調べさせてもらったら、いや出るわ出るわ、大漁だったよ?」
「ありゃあ笑いが止まらなかったねぇ」
「おたおた逃げ惑ってる間にしっかり裏が取れたよね」
「普段は強面ぶってんのにな」
「いささか人の道に悖るとは思いましたが…」
「…悪事を暴くため。問題ない」
「楽勝だったですニャ!」
「貴族っつってもま、人の子だわな」
「…滑稽」
『……………』
誰もが慌てふためくあの騒動の中で、カケルとその一党はどうやら火事場荒らしの真似事をして証拠をかき集めていたらしい。まごうことなき犯罪なのだが、カケル達に悪びれた様子はない。
「あの、カケル殿?幾ら何でもですな…」
躊躇いがちにカケルに声をかけるディーキンス卿。
「ん?そこはほら、この国にも諜報の組織くらいあるでしょ?」
「は?あ、はぁ、それは勿論」
「なら、その人達の手柄ってことでいいんじゃないかな?」
「ぬはははは!坊主共!それで良いではないか!儂は有り難く頂戴する!」
豪快に笑い飛ばすラミレス卿に、引き吊った苦笑いを浮かべる重鎮三人衆。
「あ~、善きに計らえ」
がっくりと王は項垂れた。その顔には深い諦感が表れている。
「で、だ。話が元に戻るんだが、爺さんはどっちがいい?表の膿と裏の膿と。好きな方を選びなよ」
カケルの問いに、ラミレス卿の獰猛な笑みに次第に酷薄さが加わっていく。
「ぬぅふっふっふ。これでも貴族の端くれではありますからな、糞貴族共の始末はお委せ頂きたい」
「そか。そっちにはメルシエとロナを付けるつもりだ。“面倒を見てやって”くれると嬉しい」
「承った。“いい経験”になるでしょうな」
「頼むよ」
ラミレス卿が、言外に含めた意図を汲み取ってくれている気配に、カケルは破顔する。
「フェリエ!」
「は!」
空気と化していた孫娘を呼んだラミレス卿は、厳しい顔つきで命ずる。
「よいか、カケル殿達が裏の膿共を駆逐する間、貴様は配下と共にその助けとなり、無辜の民に累が及ばぬよう尽力せよ」
「委細承知!」
「カケル殿、不肖の孫ではありますが、そこそこには使えまする。何かと官憲の手が必要なこともございましょう。何卒、お役立て下され」
「助かるよ。よろしくな、フェリエ」
「は!」
直立不動の姿勢で敬礼するフェリエに若干苦笑いしながら、カケルは札を取り出す。
「さて、約束の土産だな。王様達にはそれぞれ合わせて用意したんだが…爺さんとフェリエの得物は?」
「…?儂は斧槍ですが…」
「私は短槍ですね」
二人の返答にカケルは札を額にあて考える。
「色々造ったからなぁ…確か…お!あった!よし!」
カケルが札を一振りすると、白塗りの武具が三つ、銀の武具が二つ、執務室の床に転がった。
「収納の魔術か!?」
無造作なカケルの術に驚くディーキンス卿。
「王様にはこの王笏だ」
「…ふむ」
「メルシエの親父さんにはこの大剣」
「ぬぅ!?」
「ロナの親父さんにはこの指環」
「………」
「在り合わせで悪いが、爺さんにはこの斧槍」
「…ほお!?」
「フェリエはこの短槍を使ってくれ」
「忝なく」
「これは他の皆にも説明したが…」
武具の説明をし始めるカケル。ちなみにこの後、ダイラムの防具も贈っている。
一頻り武具と防具の説明を終え、“大掃除”の打ち合わせを終えたところで、王がカケルに尋ねた。
「………カケル殿、何故だ?何故ここまでして下さるのだ?」
「んん?質問の意味がわからないんだが?」
「カケル殿は我らと袂を別たれたのだと思っていたのだが…」
カケルは訝しげな顔になる。
「あれ?最初に言わなかったっけ?俺はこの世界を救うように俺の世界の神々に依頼されたんだって」
「…確かに」
「王族貴族の言いなりになって戦の道具になることは断固拒否させてもらうし、俺の行動を縛り付けようとするなら、それには真っ向から抗わせてもらう。だが、そうでないならば、俺は俺に出来る範囲でこの世界での務めは果たすつもりでいるだけだぜ?」
『……………』
「何の因果か知らねえが馬鹿みたいにでかい力も貰っちまったし、色々と教わりもした。生意気で騒々しいが、明るくて楽しい従者も付けて貰ったしな」
メルシエとロナの側にいるキリ、チキ、キツに向かって朗らかに笑うカケル。
「か、カケルがなんか優しいですニャ!」
「こいつはあの竜なんざ目じゃねぇ天変地異の前触れだぜ!」
「…不気味」
「お前らな…」
従者の反応に半眼でじと目になるカケル。ゼナとシュリナが思わず吹き出している。
「…まぁいい。とにかくだ!さっき王様の机の天板を国に例えたが、俺にとって例えるならばその天板はこのファーンベルドの世界そのものなんだ。しかも俺は王様と違って縛られちゃいない、何処にだって行ける。どこでだってこの“手”を振るえる」
カケルは右手を顔の前に持っていき、拳に握る。
「この俺の“勇者の手”、今までの勇者共みたいに、たかが一つの国だけに使わせるわけにゃいかねぇんだよ」
にやり。
カケルの不敵な笑みに、男は不覚にも見とれ、女はただ見惚れた。
「とはいえ、あっちこっちに行くなら、一度立ち寄ったとこは、俺がいなくなっても暫くはもってもらわなきゃ安心して他に行くなんてできないだろ?しかもこの国は俺にとって異世界最初の国で、大切な知り合いもかなりできた。何か愛着も湧いてきちゃってるしな。念入りに手を入れておきたいじゃないか」
さらりと、いつもの飄々としたカケルに戻る。
「ま、そんなわけで、色々とお節介を焼いてるわけだ。こんなとこで、答えになってる?」
「…十分に」
王は羨望に若干の嫉妬を込めてカケルを見つめる。この男のように生きられたら…そう思わずにはいられない。
だが、それは叶わぬ願いだ。王は軽く首を振り、気持ちを切り替えた。
「お言葉に甘えるとしよう。此度は存分に思う処を成されよ。後の面倒はお気になさらず。ここまでして頂いているのだ、その程度は引き受けさせて頂きたい」
「ああ、お願いする。ほんじゃま、そろそろお暇するよ。行こうか、皆」
カケルを先頭に、一行は賑やかに執務室を後にした。
★
カケル達が去った後の執務室。居残っていたラミレス卿が感慨深く言葉を吐き出す。
「大当たりを引き当てたな、我が国は」
王も朗らかに笑う。
「…ええ。彼が旅立った後、諸国の連中は我が国を嘲笑うでしょう。“勇者に見棄てられた国”だと」
ヘイル卿が鼻で笑い飛ばす。
「ふん、好きに言わせておけば良い」
ディーキンス卿が愉しげに笑う。
「彼が去った後、精々努めねばなりませんな。我らも、この国の民も全てが胸を張れるように」
“勇者に見棄てられた国”ではなく、“勇者に頼る必要がない国”なのだと。旅に疲れた勇者が心と躯を休めることが出来る“勇者の帰る国”なのだと。
そう、この国の誰もが胸を張って言えるように。
『……………』
王らは無言で笑みを交わし合う。
「………ところでカケル殿から譲り受けた武具なのだが…」
突如として、相好を崩したラミレス卿が自分の物となった斧槍を取り出す。
「凄まじい業物じゃ!しかも面白い機能がわんさかと…」
「どれもこれも間違いなく“失われた文明の遺物”級の逸品ですな」
「しかもその内に話したりするようになるんだろう?伝説の神剣もかくや、だな。帝国にだってこんな武具はないぞ?」
全員がいそいそと、カケルに渡された取扱いが書き込まれた羊皮紙を読み耽りながら、室内で影響の無い範囲内で色々と試し始めた。
「おお!見ろ!精力を流し込むと光の刃が出現するぞ!」
目をきらきらと輝かせながら、王が王笏の機能のひとつ“光刃”を発動させて喜んでいる。
「ぬあ?なんだその仕掛け!いいな、ちょっと貸せ、キャメロン!」
「何を言っている?自分のを試せ自分のを!」
「俺のは威力がありすぎて此処じゃ試せねぇんだよ!」
うずうずと大剣を玩ぶヘイル卿。
「儂の指環もちと厳しいな」
「儂の斧槍もじゃ。思い切りこいつを振り回してみたいんじゃがなぁ…」
王はダイラムの素材で出来たマントと鎧を手にし、これにも御満悦である。
「このダイラムの防具も得難い貴重品だな」
「ダイラムの素材であるのに加えて、此方も色々と仕掛けが施されているとか…」
『……………』
「キャメロン、確か王族専用のだだっ広い修練場があったな。魔術で外壁などが強化されている」
『…!!』
ラミレス卿の悪戯っぽい笑みに、他三名もにやりと笑う。
「皆、参るぞ」
『お供つかまつります!陛下!』
慌ただしく従卒を呼びつけ、四人で実に楽しげに修練場に向かう様を、見かけた皆が皆、不思議そうに眺めている。
「ぬはははは!凄いなこの鎧は!下手な武具では傷ひとつつかぬぞ!」
「うおおお!一振りで百人は凪ぎ払えるぞこりゃ!」
「儂の魔術が驚きの威力に!」
「ははははは!最早これは王笏ではないぞぉ!」
その日、王族専用修練場には、むさ苦しい男共の楽しげな笑い声が夜遅くまで響き渡っていたという。
何か色々と台無しではあるが、男というものは、幾つになろうと、どんな立場であろうと、例え世界が変われど、こんなものなのである。