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勇者出奔す  作者: 達磨
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序・王城謁見の間にて

「断る」


 短くも破壊力抜群の言葉が王宮の謁見の間に響き渡った。

 少しの静寂の後、居並ぶ諸侯の内の誰かの囁きを皮切りに、にわかにざわめきがその場を支配していく。


「…今、なんと申された?勇者殿」


 謁見の間の中央、作法も何も無く毛足の長い真っ赤な絨毯の上にどかりと胡座をかいて座る青年は、口の端を僅かに持ち上げた人を小馬鹿にしたような笑みを浮かべている。そこには今問いを投げ掛けた王妃に対する敬意など微塵も感じられない。


「断る、と言った」


 聞き間違いではなかった。王妃の仮面の微笑が皹が入ったようにひきつる。


「何故?と問うてもよいかな?カケル殿」


 謁見の間で始まった予定調和のこの茶番劇において、今まで一言も発言せずにいた物静かな王が、この時初めてその口を開いた。

 カケルと呼ばれた青年はピクリと片眉を跳ね上げ、王と王妃の差異に口許を少し綻ばせた。


「確かに俺は、俺の世界の俺の国の神々の要請を受けてこの世界…確かファーンベルドと言ったか?…に送られた。この世界の助けになるようにと」


 カケルのその言葉に王妃が気色ばむ。


「それが分かっていながら何故じゃ!そちはファーンベルドを救うべく異界より召喚された勇者ぞ!何故に魔国の王の倒滅を拒む!何故その唯一の務めを拒むか!」


 激した感情のままにわめき散らす王妃を見ても、カケルの態度は揺るがない。胡座をかいた膝に肘をつけ、頬杖をつきながらゆっくりと落ち着いて口を開く。


「あんた達の言うその“魔国の王とやらをぶちのめすこと”と、“ファーンベルドという世界の助けになること”が、何で同じ意味になるんだよ?」


「…な、何?」


 そのカケルの問いかけに、諸侯は全く理解出来ない者と、完全ではないものの理解の色を示す者とに分かれた。

 王妃を始めとする前者は混乱を表情に浮かべ、王を始めとする後者は興味をひかれたような表情になる。

 カケルは諸侯の反応の違いを目の端に捉えながら再び口を開く。


「例えば、召喚の遺跡からここまでの道中、徴税官の横暴に虐げられる村人を見た。王都に向かう隊商の中で年端もいかない子供らが虐げられるのを見た。街で貧民窟を見た。異種族だというだけで虐げられる者を見た。正しいことを成そうとしている暑苦しいまでに熱意に溢れた若い警吏が、同じ警吏に殺されかけるのを見た。そして今、目の前で、大国の圧力に膝を折らざるを得ずに、思うように動けねぇ王様を、役人を、軍人を、見た」


 カケルはここで一息置く。

 王妃とその派閥にあるものは僅かに震え、この勇者に危険な何かを感じ始めた。

 王とその派閥にあるものもまた僅かに震え、悔恨と己の不甲斐なさとに歯噛みし握りこむ指に力がこもった。


「虐げられる連中にとっちゃ、明日をも知れない連中にとっちゃ、自分達の生活を、命を脅かすものが魔物だろうと人だろうと大した違いは無いんじゃねーのか?魔国の王とその軍勢を退けたとして、助かるのが下の者を虐げるだけの、異界人に責任丸投げするだけのクズだけだってんなら、俺が異世界くんだりまで連れて来られて命を掛ける価値なんざ何処にあんだよ?」


 王妃はぶるぶると震えだした。

 なんということか!本国アスラテスの王である父により、この小国パンディードに半ば追い出されるようにして嫁がされた自分に訪れた起死回生の好機、そのはずだった勇者召喚。本来、勇者召喚の地として選ばれた国はその勇者が死ぬまで絶大な権力を有する。歴代、一軍に匹敵する圧倒的なまでの勇者の武力を、時の為政者達は巧みに利用することで己の身に傷ひとつ負うことなく魔国との争いに打ち勝ち、他国よりも優位な立場で繁栄してきた。

 王妃は勇者召喚の地にパンディードが選ばれたとの神託を受けたと聞いた時、小躍りして喜んだ。母国の力を背景にこの小国を掌握しつつあった矢先にもたらされた朗報は、王妃の飽くなき権勢欲の炎をさらに燃え上がらせた。 自分を疎み、国から追い出した父に、父に手を貸した連中に一泡ふかすことが出来る。その時を夢想し、自らを慰めながら歓喜に震える夜を過ごしてきたのだ、だのに。


「とりあえず、俺はあんたらの言いなりになって、あんたらに都合よく、よく知りもしない連中との命掛けの戦の矢面に立つなんて馬鹿な真似するつもりはさらさら無いってこと」


「ならば!そちはこの世界で何をするというのじゃ!我らの意に沿わぬならば!我らの庇護も得られぬのだぞ!」


 もはや、己の野望の潰えるを悟りつつあった王妃は、その憤りをカケルにぶつけ始める。


「ん~?そうだな…まずは日銭を稼ぐかな?教えてもらったぜ?各ギルドはどの国にも属さない、王候貴族だろうが不可侵の組織なんだろ?」


「ぬぐ…!」


「んで、ある程度金が貯まったら旅に出る。このファーンベルドって世界を見て廻る」


 カケルは心底楽しみだと言わんばかりの表情である。王妃とその派閥の連中の忌々し気な、憎しみのこめられた視線にもどこ吹く風だ。


「魔国にも行ってみるつもりだ。あんたらが言うように非道な連中なのか否か、俺はこの目で確かめたい」


「なんと…!」


 王は瞠目する。


「どれだけかかるかはわかんないけどさ、そうしてこの世界をつぶさに見て廻って、俺なりに結論を出すつもりだ」


 ここで、カケルはのんびりと立ち上がる。背筋を伸ばし、真っ直ぐに視線を玉座に向けた時、カケルの雰囲気が一変し、強大な威圧感を纏う。


「あんたら側の国々のお偉い方々が立派な連中なら、魔国の連中とやりあうこともあるだろう。逆に、「こりゃ魔国の連中の方がましだな」と思えば、連中の味方してあんたらの敵に回ることもあるだろうなぁ」


「………な!?」


 諸侯は戦慄する。勇者が敵対し、その刃を自分達に向けるなど、悪夢以外のなにものでもない。


「はたまたどっちも大して変わらねぇってんなら、勝手にぶつかり合ってもらって残った方を潰す。ま、どうなるにせよ、それが“この世界の助けになる”ならの話だがな」

「……………」


 もはや言葉も無い。浮かぶ脂汗を拭うことも出来ず、奇妙なうめき声があちこちであがっている。

 なんなのだこれは?誰もがこの様な展開は予想だにしていなかった。目の前の青年が勇者などではなく、底の知れない化け物のように見え始めてくる。


「じゃあな、言いたいことも言ったし、俺はもう行くよ」


 何の躊躇いもなくくるりと背を向け、謁見の間から立ち去ろうとするカケル。王も、王妃も、居並ぶ諸侯も、皆呆けたように去り行くその姿を見送るのみ…かと思われた。


「待て待て待てぃ!貴様ぁ!こ、こんな…こんな無茶苦茶な話があるか!貴様は勇者なのだ!我らのために!忌々しき魔国の魔手を弾く盾となり!きゃつらめを穿つ剣となる!神がそう定めた存在なのだぞ!貴様は!貴様はただ!大人しく我らに従っていればよいのだぁ!」


 でっぷりと肥った身体を包む無駄に豪奢な鎧をガシャガシャと鳴らしながら、唾をあちこちに飛ばしわめき散らしだしたのは、王妃の派閥に属する大将軍だ。その顔は真っ赤に染まり、額に浮き出た血管がピクピクと脈うっている。


「衛兵!勇者とて構わぬ!そやつめを捕らえよ!役に立たぬならば、先程までの無礼な振る舞いは不敬の重罪!もはやそやつは只の罪人ぞ!そうじゃ!獄に押し込めば頭も冷え、己が役目を思い出すかもしれぬ!ええぃ何を愚図ついておるか!早ようそやつを捕らえぬかぁ!」


 ゆらり。


 剣呑な光を瞳に宿し、カケルが振り向く。皮肉気な微笑をその顔に貼り付けて。


「ガタガタうるせぇぞ、キンキラキンの豚野郎」


 カケルから発する怒気に将軍はその肥体をぶるりと震わせる。


「てめぇからは“武人

の気配”ってやつが感じられねぇ。街の連中が噂してんぞ?そこの王妃様のコネか縁かでその立場にいるんだけのお飾り将軍だってな」

「……ぐぬっ、き、貴様ぁ…!」


「図星か?豚野郎。損な役割は下のもんに振って、手柄は全部自分のものにしてきたんだろ?たまには自分で働いてみたらどうなんだ、腰の剣が飾りじゃねぇんならな」


 言いながら、カケルはゆっくりと将軍に歩み寄る。


「どうした?部下に守ってもらわなけりゃ剣も抜けねぇか?丸腰の若僧がそんなに怖いのかよ?」


 赤黒く浮き出た血管がさらに太くなり、妙に将軍の目が座りだした。ぶるぶると身体全体が震えているのは、恐怖のためか、怒りのためか。


「ああ、そうか。多分動かない物か、無抵抗の者にしか剣を使ったことがないんだな?悪かったよ。じゃぁこうしたらどうだ?」


 そう言ってカケルは膝をつくと頭の後ろに両手を組んでみせる。

 あまりと言えばあまりの侮辱に周りの諸侯は顔を青ざめさせ、声も出ない。


「………よかろう」


 ガシャリ、と将軍が足を踏み出す。周りの制止の声も聞こえない。怒りが振り切れてむしろ血の気が引き、蒼白となった顔面に、そこだけはひどく血走った目が狂気を宿している。


「やめよ!ヘイデン!ならぬぞ!」


 王妃が叫ぶ。嫌な予感がするのだ。漸くここまで引き立てた腹違いながら可愛い弟の一人に、破滅的な結末が訪れる気がしてならない。


「………」


「ヘイデン!」


 だが、王妃の、姉の声も今の将軍には聞こえない。

 膝をつくカケルの眼前まで歩み寄った将軍はギラリと腰の剣を抜き、その首を撥ね飛ばさんと横凪ぎの一撃を放った。


「死ねぃ!やくたたずの勇者めが!」


 転瞬。


 凄まじい速度で跳ね上がったカケルの膝頭が将軍の手首を強かに打ち、剣を頭上に跳ね飛ばす。


「がっ…!?」


 痺れる様な手首の痛みに一瞬気を取られた将軍の腕をカケルが掴み取り、肩に担ぐようにして肘間接をへし折り様、細身の身体からは想像もつかない膂力で肥体の将軍を担ぎ上げると、躊躇いもなく放り投げた。


「ぎっ!?ぎぶぁぁぁっ!?」


「ひっ!?げぶふばぁっっっ!?」


 将軍が放り投げられたその先に居たのは、これまた王妃の派閥の宰相、王妃のもう一人の腹違いの弟だ。兄の将軍と違い、ガリガリの痩身の宰相は突然目の前に飛んできた兄を避けることも出来ず、哀れ鎧と肥体の重量に押し潰され、自身の骨が折れる鈍い音を感じながら白目を剥いて意識を手放した。将軍の方も投げられた際に折られた肘間接の痛みで既に意識を手放している。


「ヘイデン!ダフネン!…ひぃっ!?」


 弟達の安否を気遣い思わず腰を浮かしかけた王妃は、股の辺りに違和感を感じて視線を下に落とし、顔面蒼白となった。何故なら弟の剣が自分のドレスのスカートを玉座に縫い付け、股の間ギリギリのところに突き立っていたからだ。 カケルが跳ね飛んだ将軍の剣を投擲したのだ。

 股を温かい液体が濡らしていく中、王妃もまた、意識を手放した。


「他に何か話のあるヤツぁいるか?聞くぜ?」


 誰も、何も言葉を発しない。発することなど出来ない。


「…そうか。じゃ、今度こそお暇するぜ」


 カケルは朗らかな微笑みを浮かべながら、今度こそ謁見の間を出ていった。王城から出るまでにはまだひと悶着もふた悶着もあるのだろうが、今、謁見の間に残る王や諸侯は、取り敢えずの嵐が去ったことに安堵するのみであった。


 “勇者出奔す”


 この報がファーンベルドを駆け巡り、この世界に生きるあらゆる種族を揺るがすことになるのは、それ程遠くない時の内に。

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