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Domestic Cat  作者: 野波香乃
2/2

後編

これにて完結です。


自分の隣に眠る人が居る。

信じがたい光景を目にした後、しばらく本心していた私。

でも今日は平日で、大学の講義が入っていて、こうして放心している場合ではない。

当然だけど、時間は私のためには待ってくれるはずもなく、こうしている間にも秒針が一秒を過ぎていく。

隣で未だ眠っている人を起こさないように慎重かつ慌てて支度をしたあと、鍵をポストに入れておいてくれるように書いた置手紙と鍵を部屋に残して私は大学に行き、すべての予定を終えた今やっと家まで帰って来たのだった。


「おかえり。」

玄関を開けると同時に聞こえた声。

びっくりした。


「何でまだ居るんですか?」

てっきり帰ったとばかり思っていたのに。


「お腹減ってて。昨日の夜からなにも食ってないしさ。ということで遥ちゃん、エサくれない?」

「エサって…。」

もしかして、この人昨日私がネコに似てるっていったこと根に持ってるとか?


「ネコじゃないんですから、その言い方は…。」

「でもネコに似てるんだろ。」

なんで一瞬でも先輩に似てるなんて思ったんだろう。

この人は先輩になんか全然似てない。


「遥ちゃんさぁ、もしかして忘れた?昨日俺に言ったこと。」

「ネコに似てるって言ったことですか?」

一人で飲んでるこの人を見て、ネコに似てるって思わず言ってしまったことだろうか?

それよりもお酒飲みすぎたのかも。今度から気をつけなくては。


「やっぱり覚えてないか。ここまで送った帰り、帰ろうとした俺のシャツを遥ちゃんが放してくれなくてさ。おまけに、『帰らないで。』って言われちゃ、帰れないでしょ。」

昨日の遥ちゃんは可愛かったのになんて言っている、目の前の人。

本当に私がそんなこと言ったの?本当に覚えてない。

でももしこの人が言ったことが本当だったとしたら。

なんてこと言っちゃってるのよ、昨日の私。


「すみません。それから送っていただきありがとうございました。でも一つ言わせてもらうなら、酔っ払いの戯言なんて相手にせず、なに言われても帰ればいいじゃないですか?」

というより普通帰るんじゃないの?

送ってもらったことは感謝するけど、普通帰るよね。

たとえば、よくある定番だと。

酔いつぶれた女性をベッドまで運んで、鍵をかけた後、鍵のついてないポストだと防犯上問題があるから、その鍵をマンションのドアの新聞入れから投げ入れるんじゃないの?

前に見たドラマとかはそうだった気がする。

幸い家のポストはダイヤル式の鍵が着いてるからポストに入れてくださいって頼んだんだけど。


「でも、女の子から誘われて断ったら失礼でしょ。遥ちゃん知ってる?据え膳食わぬは男の恥って。」

なっ、なにを言い出すのだろうこの人は。

そりゃあ、女の人が勇気を出して男の人を誘ってるのに、それを無下に断るのは気の毒ってゆうか、女の人の気持ち考えろって思うけど。

ってそうじゃない。

今は私とこの人の話で。


「私とあなたの間にはなにもありません。誤解されるようなこと言わないでください。」

「なんで何もなかったって言えるの?」

「実際何もなかったじゃないですか。」

朝起きたとき、たしかに目の前の人と一緒の布団で寝てたけど、それだけ。

お互いに服も着てたし、どこも乱れてなかった。


「本当に言い切れる?もしかしたら俺遥ちゃんにばれないようにキスしたかもしれないよ。それでも俺のこと信用してるって言い切れる?」

「それは…。」

そう言われて、一瞬言いよどんでしまう。

この人の言うとおり。

私と目の前の人は昨日会ったばかりで、私はこの人のこと何も知らない。

信用できる点なんてわからないのに。

それでも、目の前の人が私を真っ直ぐ見る瞳は、明るいところで見せるネコの目そっくりだと思った。

ネコの目って明るいところとか、強気な姿勢なときって細くなるらしい。

この人が私を見る瞳はそれを彷彿させる。

それだけで私目の前の人を信用しようと思った。


「私、あなたのこと信用します。」

「理由聞いてもいい?」

「私あなたのことネコに似てるっていいましたけど、今改めて似てるって思いました。だってあなたの私を見る目がネコの目そっくりなんです。知ってますか?ネコっの目って明るい場所と強気な姿勢のときは瞳が細くなるんです。だからあなたの私を見る目にウソなんて感じません。」

だから信じますと言い切った私に、目の前の人は一瞬驚いた顔をしたあと。


「あーあ、遥ちゃんには敵わないな。」

そう言って笑った。



「ということで、私とあなたは昨日初めて会ったばかりで、ましてや、私とあなたの間には何もなかった。それでいいですね。」

「そうだけど。でもほら猫にしては飼い主の言うことを忠実に守ったと思わない?」

「思いません。じゃなくて、あなたは人間です。それから私はあなたの様なネコなんて飼ってませんし、

ましてやあなたの飼い主でもなんでもありません。あなたと私は昨日たまたま会ったばかりの、全くもって赤の他人です。」

疲れる。

この人のこと、ネコに似てるって思ったし、言いもしたけど、本物のネコの方がもっとクールかも。


「そこまで言い切らなくても。添い寝までした中なのに。」

「勝手に人の布団に入って寝ないで下さい。」

「それって、最初に聞けばOKってこと?」

「ありえません。」

「遥ちゃんのけち。」


ホント疲れた。

こうなったらさっさとご飯食べてお引取り願おう。

普通に帰ってって言っても帰ってくれそうにない。


「わかりました。今からご飯作りますから食べたら帰ってくださいね。」

「遥、俺カレー食べたいんだけど。」

いきなり呼び捨て!

今までの会話のどこにそうなるポイントがあったの?

聞きたいけど、聞きたくない。

この人と話してると、ペースが乱される。

全国のネコを飼ってる人たち、こんなにネコって大変なんですか!?

なんて聞きたくなるのはどうして。

そんでもって、ネコのくせに我がまま言うな。


「ネコはそんなこと言いません。」

「さっき遥が言ったじゃん、俺は人間だって。」

まったく、あぁ言えばこう言う。


「揚げ足取らないでください。」



カレーか。

材料あったかなぁ。

この人の言うことに付き合う義理はない。

ただ、カレーだと今から作っても時間かからないし、冷凍もできるから一人暮らしにはピッタリなだけ。

『早く作って、早く食べて帰って欲しいだけなんだから。』


しかたなく。

本当にしかたなくカレーを作りながらフト思った。


『この人の名前なんだっけ?』

集まってすぐに皆で一通り紹介したけど、この人の髪の毛ばかりを目で追ってた私は忘れたというより聞いてなかった。


「すみません、名前なんでしたっけ?」

「キャットネーム?」

ふざけてるのか?

根に持ってるのか?

どっち?


「違います。あなたの名前です。」

「自己紹介紹介したのに忘れた?俺の名前は尚。」

そのあと聞いてもないのに、尚は漢字でどう書くかを説明をしていたのをムシして私はカレーを作っていた。






「ごちそうさまでした。遥の作ったカレー上手かった。」

「それはどうも。」

カレーなんて誰が作ってもおいしいとは思うけど。

喜んでもらえて、褒められたらうれしいし、悪い気はしない。

特に、一人暮らしだと自分で作って食べるだけだから。

こんな風にこの家で誰かとご飯を食べるのは久しぶりだった。


「褒めてもこれ以上は何も出ませんよ。」

一応クギだけは射しておく。

 


時刻は8:45分。

食器を提げて、洗い終わる頃には九時過ぎ。

そのころには、帰ってもらおう。

そう思っていたのに。

やけに静だなって思って、戻ると。


「寝てる。」

そう、目の前の人はネコのように丸くなって寝ている。


「起きてください。」

揺さぶっても起きない。


『しかたがない。明日には。』

クローゼットから出してきたブランケットをかけて、尚の近くに座る。


『先輩とよく似た髪の色。』

そう思うと触ってみたくなって、その髪に手を伸ばしていた。

触れるととサラサラしていて手から滑り落ちる。


『キレイ。』

尚の髪はやっぱり三毛ネコの毛並みのようで、染められているはずなのにきれいだった。

次の瞬間我に返り、自分が今取った行動が信じられなかった。

気づいたら髪を触ったり、早く帰ってもらいたいって思っているのに、ブランケットをかけている私。

だからって、寝てる人を前にブランケット一つ掛けてあげないほど心の狭い人間じゃない。

『風邪引いたらかわいそうだから。』

そうこれは動物愛護精神と同じ。

目の前に怪我をしていて動けない動物がいたら、動物病院に連れて行こうって思う気持ちと一緒。




あなたはマイペースなネコのようでいて、絶妙な手練手管で簡単に私の心の隙間に入りこむ人なら、私は逃げ足だけは速い、臆病な人間。

自分の心に生じ始めた気持ちを振り切るように、私は尚に背を向けてこの部屋をあとにした。







「遥、こっちこっち。」

カフェの店内で優ちゃんを探していると、先に優ちゃんが私に気づいて、手を振ってくれる。

優ちゃんと会うのはあの飲み会以来で、大学の帰りに優ちゃんと会う約束をしていた。



「遥、あのあと大丈夫だった。」

「初めてお酒飲んで、初めて二日酔いを経験したよ。でも薬飲んだらすぐ直ったけど。」

本当はあのまま二時間目の授業を自主休講しようなんて思ったけど、隣で寝ている人を見たらそんな考えも一瞬で飛んでいった。

それから急いで大学に行く用意をして大学に向かったわけだけど、頭痛は一向におさまりそうにない。

それで、駅前の薬局で二日酔いの薬を買って飲んだというわけ。


「そうじゃなくて。あのとき、遥けっこう酔ってたでしょ。それなのに、ナオさんと一緒に帰ったみたいだから心配してたの。」

「なっ、なんで心配って?」

「なんでって、あのまま遥がナオさんにお持ち帰りされちゃうんじゃないかって心配してたんだから。」


あぁ、そっちの心配か。

心配してくれるのは嬉しいけど、まさか自分が痴態を繰り広げたあげく、あのまま家に居ついたとは言えない。


『優ちゃんごめん。』と、心の中で謝っておく。


あのあと何度も尚には自分の家に帰ってくれるように言ってるのに、なぜか帰ろうとしない尚。

それでもって、なぜか強く拒否できない私。

これじゃあ野良ネコにエサをあげて、いつ居てしまったのと同じかも。


『野良ネコをかわいそうと思うのと同じ。』

愛ネコ家とかじゃないけど、動物を愛護する気持ちがないわけじゃない。

それと同じ。

記憶のない金曜の夜から今日の火曜の朝までなんだかんだと一緒に過ごしている。

もちろん怪しいことは何一つとしてない。

そこだけは、大きく主張できる。


「だっ、大丈夫。なにもなかったから。酔ってた私を心配して家まで送ってくれたみたい。ほら、連絡先とかもしらないしね。」

これはウソじゃない。

本当に尚の連絡先とか詳しいことなんて何も知らない。

そう何も知らない。

知ってるのは、名前と年齢とどこの大学に通ってるかってことくらい。

それだって、飲み会で自己紹介してたときに、聞いたからってだけ。


「ならいいけど。あの人ね別に悪い人ではないらしいけど、遥が言ってたみたいにネコそっくりだなって思ってね。」

「どう言うこと?」

「ほらネコって飼い猫も野良猫も関係なく色々な所ウロウロしたりするでしょ。そういうところが似てて、ナオさんも渡り歩いてるんだって、知り合いの家って言うか女の人の家を。」

「それって女癖が悪いってこと?」

「そこまではわかんないけど、よく女の人のうちでご飯食べてるらしいよ。」

あの飲み会の参加者の一人がそう言っていたと話す優ちゃん。


尚が家に居るのもご飯のためだけってこと?

だから私が何度言っても帰らないの?


「遥は一人暮らしでしょ。だから心配してたんだけど。遥はしっかりしてるから心配要らなかったみたいね。」

「…うん、大丈夫。ありがとう優ちゃん。」


そのあと優ちゃんから二次会の様子なんかを聞いていた気がするのに、あまり覚えていない。

なんとか優ちゃんの話に相槌だけは打っていたと思う。

尚が家にいるのはご飯が目的なだけ。

そうだよね、それしかないよね。

私にとっての尚も迷い込んだ野良猫と同じ。

野良猫にとってエサをくれる人は貴重だよね。

だって、死活問題に繋がるもの。

それ以上でも、それ以下でもない。


この関係は、どこにも進めない。

野良ネコの飼い主にもなれなければ、野良ネコだってそれを望んでいるわけじゃない。

ただの愛ネコ家でいればよかったんだ。







「遥、一緒に風呂入ろう。」

「入りません。」

「ほら、テレビ見てみ。あのネコ飼い主にシャンプーしてもらってるだろ。」

だったらシャンプーでもなんでもしてくれる人のところにいけばいいのに。

そんな意地の悪いことを思ってしまう自分の心を抑えられない。


「あれは本物のネコだからです。」

「けち。遥、機嫌悪い?」

「普通です。」


昼間、優ちゃんから尚に関する話を聞いてからと言うもの私はどこかおかしい。

『なんでこんなにイライラするんだろう。』

自分でもよくわからないけど、今この人を見ているとイライラした気持ちを抑えられそうにない。

さっき心の中で思ったようなことを口に出してしまいそうだった。



「遥、今日は唐揚げにしない?」

「今日はネコの好きな鮭です。」

「じゃあ鮭は明日ってことで、今日は唐揚げで。」

「私は鮭が食べたいんです。」

イライラする。


「じゃあ俺は唐揚げがいい。」

「……。」

なに言ってるの、ネコは魚が好きなはずでしょ。


「肉、肉、肉。」

「だったら……もらえばいいでしょ。」

「遥?なんて言ったの?」

感情を抑えられそうになくて、気づいたら尚にイライラをぶちまけていた。


「そんなに肉がいいなら、から揚げでも、てんぷらでも何でも作ってくれる人のところに行けばいいでしょ。」

そうよ。最初からそうすればよかったのよ。

どうせあなたは野良ネコのようにエサをくれる人のところを渡り歩いてたんでしょ。

家に来る前も、その前も。

だったら。

「私じゃなくてもいいでしょ。ご飯作ってくれる人の所ならどこだってよかったんでしょ。だったら他探してください。みんなあなたの頼みなら断らないんじゃないですか?」


それだけ言うと堪らないたくなった私は、尚に背を向けるとベッドが置いてある隣の部屋に駆け込んで、

布団を頭から被った。

『最悪。』

途端に自己嫌悪に陥る。


『なんであんなこと言ってしまったんだろう。』

優ちゃんの話を聞いた後、無性にイライラして。

尚の顔をみたら余計にイライラが増して。

気づいたら優ちゃんから聞いたことを、ぶちまけていた。

結局、尚にイライラをぶつけてもすっきりするはずもなく、自己嫌悪で気持ちが晴れることはなかった。






眩しさで目が覚める。

あのあと泣き疲れて、眠ってしまったみたいだ。


『目が重い。ヒリヒリする。』

鏡を見ると、目が腫れていてそれが自己嫌悪と合わさって私を更に憂鬱な気分にさせた。


「尚?」

初めて名前を呼んだ。

ずっとなんて呼べばいいのかわからなくて、呼んだことがなかった。

本人が居ないところならこうやって気にせずに呼べるのに。

結局どこにも尚はいなかった。


「五千円?」

テーブルの上に置いてあった五千円を見つけたとき、尚が出ていったことを知った。

メモも何もなく突きつけられたお金は、これが私の現実であることだけを生々しく残していて。

尚との奇妙な同居を夢じゃないと証明するのはこの五千円しかない。

尚が使っていたブランケットはきれいに畳まれていて、手元に残った五千円は現実を理解するには残酷で、その二つは私にダブルパンチを与えるものとして、ここに存在するかのようだった。


「尚のばか。」

あなたはネコのようにしなやかな手練手管で私の心の隙間に入り込んできて、

それでいて、足跡さえ残さずにいとも簡単に私の元を去っていった。


居なくなった人を前に、遅すぎた思いは私の中で行き場を失った。





 




それからしばらくはもしかしてなんて淡い期待を抱いたりもした。

一日、二日、過ぎた日。

尚は本当に野良ネコだったんだと思って諦めようと思った。


『たった五日だったけど、ネコと過ごせて楽しかった。』

『野良猫にとっても新しい飼い主が見つかってよかったんだ。』


うるさいだけの飼い主なんかより、もっと良い飼い主を見つけたのだろうと。

そんな風に思うようになってから数日が経ったとき。


私のマンションの玄関横に座っていた人を見つけたとき、やっぱり猫は気まぐれなのだと思った。

聞きたいことも、言いたいこともたくさんあるのに、何を一番に口に出せばいいのかわからない。

目の前には五日ほど一緒に過ごして、そのあとはあっさり他の飼い主に懐いちゃうような白状ネコもとい、尚。


「ただいま。」

ただいまって、何?

さっきまでは何を言えばいいのかわからなかったのに、今度は口をついて出てきそうな言葉をたくさん飲み込んで、冷静になろうと、一番もっともらしい言葉を言う。


「なんでここに居るの?」

「なんでって、放浪が終わったからとか?」

「なに言ってるの?こんなときまでふざけないでよ。」

あっさりお金だけ置いて、自分の足跡も何も残さず出て行ったくせに。


「私のことなんて最初からなんとも思ってなかったんでしょ。だから簡単にいなくなったんでしょ。」

「遥はこんな話知ってる?犬は三日飼ったらその恩を三年忘れないけど、ネコは三年飼われた恩を三日で忘れるって話。」

「……。」

なんでそんなところまでマイペースなのよ。


「遥イワク俺はネコに似てるらしいけど。でも俺人間だから遥と過ごした五日間を忘れたわけじゃない。」

「だったらどうして何にも言わないで急に居なくなったりするの?それとも、もっと居心地のいい場所みつけたからとでも言うの?」


尚が居なくなった朝、テーブルに置かれたお金を見て、尚が出て行ったことを知ったとき、知ったのはそれだけじゃなかった。

落胆と後悔とズキズキとする胸の痛みを初めて知った。

先輩のときとは比べ物にならない痛み。


優ちゃんから尚に関する話を聞いて嫉妬して、頭の中は尚のことじゃなくて、醜い嫉妬心だらけで。

そんな自分に嫌気がさして、イライラした気持ちをそのままぶつけてしまった。

頭ではダメだとわかっていても、心が追いつかなくて。

目の前に残されたのは、五千円と後悔と尚のことが好きだと自覚した思いだけだった。



「急に居なくなったりしてごめん。でも『押してダメなら引いてみろ。』って言うだろう?」

「どういうこと?」

「恋愛のテクニックとでも言うのかな?つまり、俺は遥よりもずる賢くて、悪い大人代表みたいなものだから。」

「だから急にいなくなったの?」

「そういうこと。」

「だったら、もう何も言わずにいなくなったりしないで。先輩じゃなくて、尚が好き。尚に一緒にいてほしいって思ってる。迷惑?」

もう後悔したくない。

敵前逃亡もしない。

尚が好き。

それだけでいいんだってわかったから。

「迷惑なんかじゃない。むしろ、遥がこんな俺でもいいっていうなら俺は遥の前から居なくなったりしない。約束する。」

「ホント?」

「ホント。だから遥も、悪い大人に捕まったと思ってあきらめなさい。」

「悪いネコじゃなくて?」

「遥はネコがいいの?それともやっぱり先輩の方がいいとか?」

「どうして先輩のことを?」

まさかここで先輩の名前が出てくるとは思わなかったけど、尚が先輩のことを知っていたことにの驚いた。


「飲み会の日、家まで送っていって、酔った遥が『帰らないで。』って言ってシャツを放さなかったことまでは話したよな。そのあと、遥をベッドに寝かせたら本当は帰ろうと思ってたんだ。そうしたら俺を見て『先輩。』って呼んでた。遥が酔ってることも寝ボケてることも、もちろん俺じゃないってわかってたけど、なんでかあの時は帰れなかった。」


ごめんと最後に尚は私に言った。

だけど、本当に謝るのは私だった。

尚に嫉妬して八つ当たりしたことも、先輩のことも。


「ごめんなさい。」

「遥?」

「友達から尚のこと聞いて嫉妬して八つ当たりしてしまったことも、先輩と間違ってしまったことも。」


「先輩はコンビニのバイト先の人なの。でも彼女がいることを知らなくて、私が勝手にあこがれて、勝手に失恋したの。」


本当はこれ以上言って尚に呆れられるのが恐かったけど、私は話していた。


「私敵前逃亡ばかりだった。自分が傷つくのが恐くて自分の気持ちを偽ってばかりで、自分の気持ちと素直に向き合おうともしなかった。」


先輩に対する思いを恋だと認められなかった。


「そんな時、あの飲み会で尚に出会って。きっかけは尚の髪の色が先輩に似ていたからだったの。でも尚と過ごした五日間はは楽しかった。そんなとき、尚が私の前から居なくなって、臆病な私はその思いに気づきたくなくて、自分を誤魔化そうとも思ったの。でもできなかった。」


「俺も一緒。遥にこれ以上拒否されるのが怖くて逃げ出したんだ。それから遥が友達に聞いたって話だけど、確かに俺はネコみたいにエサをくれる女のこの家を渡り歩いてた時期もある。俺さ家事が苦手で、自分でご飯作れないから。それで、コンビニとかの弁当も飽きてくると、女の子の家に行けば作ってくれたからさ。でも今はもうしてないから。」

「ホント?」

「ホント。だからこれからは俺がお腹減らしたら遥が俺のためにご飯作って。」

そう言うと尚はそっと私を抱きしめた。


「俺さぁ、ネコに似てたとしてもやっぱり人間でよかった。ネコはこうやって遥を抱きしめられないから。」



うん、私もそう思うよ。

尚はやっぱりネコに似てるって思うけど、ネコはこうやって抱きしめてはくれないもの。

私が欲しいのは気まぐれなネコじゃなくて、温かい手で私を抱きしめてくれる尚という存在。



「尚、散歩行こうよ。」

リードでも首輪でもなく、手をつないで。


手をつないで散歩をしながら、背の高い尚を見上げて私は尚に聞く。


ねぇ、尚は知ってる?

『ネコにまたたび』って言うけどね、あれって本当はさ、またたびに酔うネコがいるらしいよ。


私はまたたびなんて持ってないから、尚の好きなカレーを作って待ってるから。


だから覚悟しててね、尚。



最後まで読んでいただきありがとうございました。

次回作もお待ちしてます。

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