小さなパン屋のカフェにて
彼とはカフェが併設されてるベーカリーショップで会った。
そこのパン屋は近所の駅前にあって、私が大好きなたっぷりの生クリームがのった紅茶と、林檎のフィリングとチーズクリームが入ったパンが食べられる。
休みの前日、週に一度は必ず行っていたけど、私が行くときはその店は混雑していて、煙草も吸わないのに喫煙スペースに追い遣れらていた。
飲み物のテイクアウトを始めればいいのにと内心思いながら、渋々喫煙スペースで肩身の狭い思いをしながらパンに齧りついていた私は、いつからだったか、よく同じテーブルの並びに背の高い男の人が居るのに気付いた。
最初は綺麗な顔立ちだから、モデルさんかと思った。でも二度目に見かけたときはスーツ姿だった。
家が近いのか夜に会うことが多く、毎回、青いパッケージの煙草を吸っていて、飲み物はコーヒー、チョコチップスコーンかクロワッサンを必ず食べてる。
ある日、レジで後に居た妊婦さんに席を譲り、喫煙スペースで小さくなって紅茶を飲み始めた私の隣に彼は座ってきた。
「貰うよ」
彼は私の席のテーブルから灰皿を自分のテーブルへ移した。
たまたま店員が置き忘れたらしく、彼の席に置いてなかったのだ。
初めて聞いた彼の声は、低いけどよく通る声だった。
何故、近くの灰皿置き場でなく、私のテーブルから取るのか他のお客が気になったようで、視線を感じて私は縮こまった。
つまり何度か同じ並びに居合わせた彼は、私が煙草を吸わないのをお見通しだった。
だって席が開いてないんだから仕方ないじゃないと思いながら紅茶を啜る。
いつもの青いパッケージの煙草に火を点けて、彼は薄く笑っているようだった。
「ごめん、使う?」
視線が合って彼が灰皿を差し出してきた。
四角い黒ぶち眼鏡の奥の瞳が意地悪そうだ。ハンサムだけど、意地悪そうな人だなと感じた事があるのを思い出す。
「けっこうです。使いません」
腹が立って周りのことなんて気にせず言い切ってそっぽを向いた。少しでも格好良い人だと思った自分が愚かだった。
やっぱり人間は見た目だけじゃ駄目なんだ。彼のことを心の中で罵倒しながら早くパンを食べて帰ろうと思っていた。
彼が隣で笑いを押し殺している。
むっとして睨みつけると笑顔の彼と目が合って毒気を抜かれたようになった。明らかに自分よりも年上の人なのに、笑った顔が、子供みたいに無邪気に見えた。
「ごめん、別に意地悪したくてしたわけじゃないんだよ。本当だよ」
絶対に嘘だって分かったのに、なんとなく頷いてしまった。よくここで一緒になるよね? と尋ねられてそこでも頷いてしまっていた。
「この辺に住んでるの?」
「いいえ、違います」
何故かそこだけは返事をしてはいけない気がして、私は嘘をついていた。
彼がつまらなそうにふーんと言った。近くだって言えば話が弾んだんだろうか。さっきの笑顔をもう一度見てみたい気がして、僅かに後悔した。
「あなたは?」
話題が途切れてしまいそうになって私は尋ね返した。
「俺は家が近くなんだ」
「当たりだ」
「うん? 何が?」
家が近くで帰り道なのかなと予想していた私は思わず呟いてしまっていた。同じ街に住んでいることが、何故か嬉しかった。誤魔化し笑いを浮かべる。
「いえ、スーツを着てることがあったからそうなのかなって」
正直に伝えると、彼は切れ長の目をまた意地悪そうに細めた。
「君は俺の事けっこう気にして見てたんだね」
「えっそんなこと」
そんなつもりはなかった私は逆に驚いていた。彼がにっこりと笑う。
「俺、ここにスーツ着て来たのって一回だけだよ」
一瞬、そうだったかと思いそうになったけど、何回か見たことがあるのに気付いてからかっているのかと勘ぐった。
「嘘つきなんですね、だって何回か見たことあ」
見たことがあると言いかけた私を満足そうに彼が笑って頷いた。
「うん、そう、嘘。何回かある。流石だね」
そんなに見ていたつもりがなかった私は、恥ずかしくなって真っ赤になっていた。
俯いた私の顔を横から彼が覗き込もうとして来る。
「いや、止めて下さい。もう話しかけてこないで」
混乱していた私は小さく言った。
「そう? じゃあ、今日は止めておくよ」
本当にその日、それ以上彼が話しかけてくることは無かった。