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翡翠の星屑  作者: 季月 ハイネ
五章 アルティナ王国Ⅱ
99/207

99,願いは彼をかき消して


 セーミャがシェリックに連れられて治療室の前まで戻ってくると、部屋の中からいつになくにぎやかな声が漏れていた。湿っぽい雰囲気ばかりに覆われていた昨日とは違って、湧いては収まる笑い声すら聞こえてきた。


「にぎやかだな」

「そうですね」


 昨日の今日であの空気を一掃するなんて――抱きかけた謎は、ほんの一瞬ばかりだった。そうか。魔術師のリディオルと見習いのユノ。いつもここにはいない人物がいるのだった。

 もし見習いたちだけだったなら、あの重い空気を払拭できなかったかもしれない。現時点でここに部外者がいることと、変えてもらった空気とに複雑な思いを抱きながら、セーミャは治療室へと続く扉を開いた。


「ただいま戻りました」

「あら、おかえりなさい」


 予想からななめ上の応答をされ、セーミャは室内に入りかけていた足をぴたりと止めた。


「レーシェ殿? どうかされたんですか?」


 元賢人とはいえ、変わらず薬師である彼女の持ち場はここではない。たまに見かける姿ではあるし、別に珍しくもなかったけれど。


「あなたに――いえ、治療師見習いに話したいことがあって。ちょっといいかしら」

「はい、構いませんけど……」


 ちらりと室内をうかがう。レーシェの他に、そこにはリディオルとルース、治療師見習いが三人、セーミャのうしろにはシェリックもいる。


「席を外そうか?」

「いいえ、問題ないわ。聞かれて困る話でもないから」


 シェリックの申し出に首を振り、レーシェはルースの目の前へと移動する。見習い全員に話があるにしては、ずいぶんおかしなところへ行くものだ。レーシェの意図がわからず、セーミャは彼女の挙動を見守った。


「なんですか。俺、ここでつるし上げられるんですか?」

「さらし者かしらね」

「うわー、嫌ですね」


 交わされた朗らかな会話。レーシェの握られていた右手がルースの眼前で開かれた途端、彼の表情が一変した。しまわれた笑み。引き結ばれた口。息をすることすら忘れたように、ルースはただじっと視線を注いでいた。

 やがて彼の目がレーシェの手と顔とを行き来し、かすれた笑みがこぼされた。


「……冗談ですよね?」

「残念ながら」


 軽口で流そうとした場が、重みをもってそこに沈む。決して強い語調ではなかった。微笑さえ浮かべられていたのに、それが余計に重圧を与えてくる。

 誰も何も言わず、レーシェの次の言葉を待っていた。


「これより述べることは、シャレル=ソフィア=セルティナ王妃の命によるものである。治療師見習いルース=フォルティス。前賢人エリウス=ハイレンの遺志と現賢人二名の推薦により、治療師の地位を授ける」


 ひと息で言いきると、レーシェはルースに問いかける。右手は開いたそのままに。


「――とはいえ、受諾するのも拒否するのもそれは自由よ。これは強制ではないし、あなたの意思は尊重します。その上で尋ねるわ。ルース、あなたにこの話を受ける気はあるかしら?」


 二の句を継げなくなったのはルースだけではない。そこにいた誰もが声を発せず、目の前の光景に固唾を呑んで見入られていた。当事者であるルースはと言えば、言葉にならない呻きを漏らしながら頭をかいていた。

 賢人になるのは見習いたちの最終目標だ。名誉であり、名声を得たということでもあり、よほどの理由でもなければ拒否するなんてまずないだろう。セーミャだってうらやましいと思うし、ルースほどの人なら納得がいく。人選が間違っていると抗議したいわけではない。どうしてこんなに早くとも思うけれど、それはいち見習いが気にするべき事柄でもない。

 ただ、あえて言わせてもらうのなら、ひとつだけ。

 セーミャの目が一点を捉えて離さない。レーシェが開いた右手のひら。そこに乗せられていたのは、ひとつの石だった。

 汚れひとつない、白い布の上。小指の先ほどの小さな球形の石が、微動だにせず乗っていた。淡い水色で飾りけのない素朴な石。あれは、まさか――


「――それ、今すぐ答えないといけませんか」

「今でなくても構わないわ。でも、そうね……明日までには色よい返事をもらえるとありがたいわね」

「そうやって誘導しないでくださいよ。――わかりました。明日までには、必ず」

「私のところか、シャレル様のところへ話に来てちょうだい」


 広げられていたレーシェの手が握りこまれる。白い布と、そこに乗せられていた石ごと、その手の中にしまわれてしまう。


「私からの用事は以上よ。邪魔したわね」

「――レーシェ殿!」


 あとくされのないように出て行こうとしたレーシェを、セーミャはとっさに呼び止めた。


「なにかしら?」


 どうして。なぜ。

 聞きたい思いだけが先行して、考えがまとまらない。確信すらなくて、似ているというただそれだけの理由だった。


「どうして、賢人ではなくなったあなたが、その知らせを……」


 ラスターが言っていた。セーミャと再会したあのとき、賢人になったのだと。


「たまたま私がそこにいただけよ。深い意味はないわ」


 違う。聞きたいのはそんなことではない。


「用事はもういいかしら?」

「――いいえ」


 まだ、何も済んでいない。何ひとつ、確かめられていない。


「レーシェ殿がその手にお持ちの石は、どなたのものですか?」

「これ?」


 レーシェはとても丁寧に、セーミャの目の前で右手を広げてくれた。

 水色の小さな石がはっきり見える。晴れた空を思わせる、淡い色。銀の金具に繋がれた耳飾り。大事な石だと聞いた。セーミャの記憶だとこれは、左耳につけられていたはずだ。


「星命石よ。前賢人、治療師エリウス=ハイレンの」


 ――やはり、そうなのか。

 叫びそうになった口を閉ざし、レーシェの手から奪い取ってしまいたい衝動をなんとか堪える。


「……わかりました、ありがとうございます」

「どういたしまして」


 セーミャの脇をすり抜け、去っていくレーシェの気配だけを捉える。セーミャは、下げた頭を上げることができなかった。

 あれは師の星命石だった。本物の。聞いたことがある。受継がなされるのなら、賢人が入れ替わるのなら、星命石もともに受け継がれるのだと。

 ルースが賢人となるのなら、きっとあの石が授けられるのだろう。今度は、ルースの手に。

 新しい賢人が決まったなら、古い賢人となった師は? 星命石も残されずに葬られて、跡形もなく消えてしまうのだ。初めから、誰も何も、そこにいなかったみたいに。


「いつの間にそんな話が出ていたんだ?」

「さっきだな。俺も初耳だったぜ」

「――セーミャさん」


 ルースの呼びかけだけ、いやにはっきりと聞こえてきた。セーミャは頭をもたげ、床に貼りついていた視線を引きはがす。

 セーミャのすぐ傍らに立つルースは、神妙な面持ちでいた。

 何をそんなにためらっているのだろう。レーシェの前で見せていた笑みも、冗談を言う口もそこにはなかった。

 ――ああ、きっと、セーミャはよほどひどい顔をしているのだ。受継の話を聞いて、師の星命石を見せられて、周りが見るに堪えない顔をしているのだ。

 セーミャはみぞおちに手を添え、力を込める。


「――おめでとうございます、ルース。受けたらいいと思いますよ。名誉ある地位じゃないですか。まさか蹴るなんて、しませんよね?」


 セーミャは語りかける。


「どうせ迷うまでもなく答えなんて出ているんでしょう? 頑張ってくださいね、ルース。困ったときにはわたしたちがついていますから」


 ルースの肩を叩き、激励を送って。


「ほら、どうしてそんなに辛気臭い顔なんてしてるんですか。大役を仰せつかったんですから、しゃきっとしないと!」


 目標が手の届く位置にあるのだ。一歩踏み出せばつかめるのなら、背中を押してあげるのが同僚としての役目だ。


「……ありがとう」


 苦しそうな、嬉しそうな、そんな表情でルースは繰り返した。


「ありがとう……セーミャさん」

「もう、しっかりしてくださいよ」


 セーミャは言葉を継ぐ。ルースが話を受けてくれるように。セーミャが応援するのは、嘘なんかではないのだと。

 それだけをひたすらに、ただ一心に考えて。



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