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翡翠の星屑  作者: 季月 ハイネ
五章 アルティナ王国Ⅱ
97/207

97,射し込む光に影帯びて


 良く晴れた日だった。

 真っ青な空が遥か頭上に広がり、風もない穏やかな日だった。

 影のない屋外では、数歩歩いただけで額から汗がにじみ出てくるほどに。それでも心地のいい、どこか遠くへ出かけたくなるような日で。

 久しぶりだった。敵ばかりの王宮内で気を抜いている余裕などなく、数少ないよりどころとなっていた彼女からの呼び出しは。

 だから心のどこかが緩んでいて、いつも張っていた緊張の糸すら置き忘れてしまっていたのだ。


「どうしたんだ? 何か用事でも――」

「お願い、シェリック」


 顧みたレーシェに笑みの片鱗すらなく、真顔の彼女が頭を下げてきて。

 思い当たる節はない。頼みごとをしてばかりなのは自分の方だ。その度に彼女は快く引き受けてくれて。彼女からこんなに真剣に願われたことなんて、一度もなかった。


「レーシェ?」


 困惑が口からこぼれる。


「お願いシェリック。できるなら、もう一度だけでいいから」

「待って、何の話?」


 レーシェがこれほどまでに必死なのも、シェリックに懇願してくる理由も、わからない。


「あなたなら、知っていると聞いたわ」

「何を……?」


 上げられた顔。真正面から捉えられた視線。

 それ以上利けなくなった口は、彼女の真剣さに気圧されたからではない。


「亡くなった人と、会える術を」


 合わさった瞳の奥。抑揚のない声音。秘められた感情に気づいてしまった。

 いつも助けられていた。押しつぶされてもおかしくないほどの重圧を軽減してくれたのは、彼女だった。

 どうして彼女が知っている。どうして彼女は自分が知っているのだと。

 疑問をはさむ間もなく彼女に圧倒され、その瞳に捕らわれ、逃げることすら敵わずに。

 いつかは報いるのだと決めていた。彼女から頼まれたのならば、どんなことでも受けようと。

 だから。

 たとえ無謀だと言われようと、禁じられた術であろうと、それが世の理に抵触するのだとしても。


 何とかしたかった。彼女のためなら、どんなことでもしたかった。

 彼女のために、どうしても叶えたくて。

 自分は。



  **



 エリウスに――死者に会いたい。

 想像していた、まさにそのとおり。シェリックはセーミャの願いを、ただ黙って受け止めた。

 セーミャが一心不乱に歩いていた森の中。あの頃と重なった光景があっただけでなく、上空を眺めていたシェリックの目に、飛び込んできたものがあった。

 アルティナには王宮を囲む十二の塔と、その他にふたつの塔が存在する。王宮の背を守るようにそびえるふたつの塔のうちひとつは、占星術師が星の観測を行う際に使用している。シェリックにとっては馴染み深い塔だ。

 シェリックが木立の合間から見たのは、その観測塔だった。星を見るための場所で、六年前に禁術を行った――

 セーミャが目指していたのも、恐らくは観測塔だ。シェリックに勘づかせるため。六年前の禁術を、シェリックに思い起こさせるために。


「どうしてそれを願う?」


 決して冗談や夢見心地で話しているわけではないことはわかっている。でなければ、こんな場所までシェリックを連れてこない。はっきりとした意志で、セーミャはシェリックに願っている。


「どうして、とは?」

「別にさしたる意味はない。聞きたいだけだ。あんたの理由を」


 とぼけたつもりはない。セーミャがどこまで知っているのか、何を知らないのか。


「話したいんです。ずっと言えなかったこと、伝えられなかったことを」


 誰だって、願うだろう。

 身近な人がある日突然亡くなってしまって、その人に伝えられなかった本音に後悔して。変わらないその日常が、近くにいてくれた日々が幸せだったのだと、かけがえのないものだったのだと。その人がいなくなって、初めて思い知らされる。

 当たり前すぎて気づかない。大切で、大事で、替えなど効かない宝物。


「シェリック殿でしたらご存知でしょう? 亡くなった方を呼び出す術を」


 立派な宝石ではないかもしれない。見目汚くて、路傍の石のように打ち捨てられていて、誰からも見向きもされないがらくたかもしれない。ふとした気まぐれに拾い上げられ、磨かれて初めて石本来の色に気づくような、そんなものかもしれない。

 答えずにいたシェリックへと、セーミャは焦れたように口を開いた。


「知らないとは言わせません。六年前、その禁術を犯して、最果ての牢屋に投獄されたのは、他でもないあなたです!」

「……ああ」


 どこかほの暗い、怪しい光を秘めて。狂いそうなほどの思いをシェリックへとぶつけてきた。

 流れた歳月は六年ばかり。まさかもう一度、あの禁術を望まれるとは思ってもみなかった。


「でしたら――」

「結論から言わせてもらう」


 セーミャの続きを遮り、シェリックは答えを述べた。


「無理だ」


 セーミャだからではない。レーシェではないから、という理由でもない。セーミャの意志も決意も、しかと聞いた。セーミャが禁術に縋りたくなったのも、わかっているつもりだ。

 それでもシェリックは、そう言わざるを得なかった。セーミャが悪いわけではない。できるか、否か。この話はそれ以前の問題だ。

 禁術がなぜ禁じられているのか、なぜそれを求めてはいけないのか、行ってはならないのか。今よりもずっと幼かったシェリックは、当時それがわからなかった。


「やり方は知っている。今も覚えているし、できないこともない。六年経った知識でも褪せないのが不思議なくらいだ」


 賢人とともに継いだ禁断の術。決して行ってはならないと、シェリックはその忠告を無視して求めてしまった。

 苦労して集めた材料、膨大な文献を漁り、断片を繋ぎ合わせて形にしてしまった禁術。人の目を盗んで準備を整え、リディオルにも話さなかったそれは、レーシェと二人だけの秘密の術だった。

 術の完成を願い、心待ちにしていた彼女の横顔は今でも鮮やかに甦る。躍る心が目をくらませ、逸る気持ちが警告にふたをして。

 止めることだってできた。諦めてしまえば良かった。もしもあのとき中断していたなら、その先に待つ結末を知ることもなかった。


「なら、どうしてです? あなたは六年前、亡くなった人を呼び出して――」

「呼び出せていない」


 声すら出せなかったのだろう。セーミャのわずかに見開かれた目が、シェリックを映す。

 禁術は行った。けれど、それだけだ。

 レーシェの願いは叶わず、それどころか重傷まで負わせてしまった。禁術を行使した罪でシェリックは投獄され、成果など何も出せずに終わった――それが六年前の真実だ。


「成功しなかったからだ。やったところで意味がない」

「そんな……」


 六年前のあのとき、禁術を行う前に試してみたことがひとつあった。シェリックは、禁術の結果を占じてみたのだ。ところが何度試してみても答えは同じ。禁術が成功する確率は、万にひとつもないのだと。その占いは教えてくれた。

 けれど、どうしても話せなかった。期待と希望に胸を高鳴らせていたレーシェには、何も言えなかった。


「だから、諦めてほしい。仮にあの術を行ったところで、必ずしも成功するわけではない。前回失敗したから今回は成功するなんて希望的観測は、抱くべきじゃない」


 禁術は行ってはならない。一度は希望を抱かせておいて、それを粉々に打ち砕いてくれるのだから。禁じられた術に希望を見出してはならない。シェリックにそう、教えてくれた。

 話の内容に想像がついて、聞いてやるなんて言っておきながら。


「人は亡くなればそれまでだ。空に還る死者を邪魔してはならない。それが、この世の理だ」


 シェリックは正論で対峙する。感情に負けてしまった六年前と、同じ轍は踏まない。


「……わかりました」


 項垂れていたセーミャがそう答える。

 これで、いい。禁術など、望んではならない。人の愚かさを目の当たりにさせるから。見たくもなかった部分を、突きつけてくるから。


「――でも、可能性がまったくないわけではないんですよね?」


 考え込んでいたセーミャが顔を上げる。彼女は、何を、言うつもりだ。


「なら、それに賭けてみてはいけませんか?」


 探しだしたひとつの光明。つかんだなら離さないとでもいうように。


「教えてください」


 ――ねえ、シェリック。

 よぎる影がある。あの日止められなかった面影が甦る。

 やめてほしい。もう、これ以上――


「あなたに迷惑はかけません。これっきりにします。ですので、その禁術のやり方を、わたしに教えてください」


 一歩も引かないセーミャに息を呑む。つかんだ希望を放す気などないのだと、その瞳が物語る。意志を曲げない強さに。

 ――だったら私に教えて。私一人でやるわ。あなたに迷惑はかけない。

 セーミャの容貌に似ている要素などない。彼女の娘は、セーミャではない。それなのに、シェリックに向けられている眼差しは、いつかのレーシェと同じだ。引くことも諦めることもしない、眼前に掲げられた希望に追い縋って。

 その希望は唯一無二だと。砕かれたなら、他には何もないのだと。

 希望が失われたなら? あとには何が残る?

 シェリックは決めたことがある。この先、誰がどんな状況で語ろうとも、禁術は二度と行わないと。繰り返さないと決めたのだ。六年前の悲劇を起こしてはならないと。


「――断る」


 それでも、人の抱いた希望をくじくのが、こんなに辛いとは思わなかった。



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