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翡翠の星屑  作者: 季月 ハイネ
五章 アルティナ王国Ⅱ
91/207

91,偶然、あるいは必然と


「――誰か、いるんですか?」


 ユノは、覗き込んでいた森へと問いかけた。見回して音の出どころになりそうな何かや誰かを探しても、その気配は見つからない。

 待てど暮らせど、返事ひとつ寄越されなかった。


「気のせいかな……」


 声が聞こえた気がしたのだ。絶対とは言い難いけれど、素通りするには気がかりになるほどの。

 塔の目と鼻の先にある森の外れ。ユノは恐る恐る足を踏み入れる。ひと目をはばかるにはちょうどいいと、リディオルが冗談混じりに話していたこの場所。

 通りがかるだけならとにかく、この森を目的地としてやってくる人はあまりいない。それこそ考えごとをしたいときや、誰にも邪魔されずに一人になりたいときだろうか。

 あるいはリディオルが言っていたように大っぴらには話しづらいことを話しに来る人だったり、緑が恋しくなる人だったり――後者はいないか。さすがに。

 やはり空耳だったのだろう。目と首と、めぐらせた範囲には誰の姿も見当たらない。きっと風の音でも拾ったのだ。それが人の声に聞こえたに違いない。あまり寄り道をしていられないし、早く塔に戻らなければ。


「またリディオル殿に言われるし」


 そうだ。ユノとて、言われたくて言われているわけではないのだ。それなのにリディオルときたら言いたいことを言いたいだけ言ってくれるものだから、うんざりしてしまう。

 納得をして、結論づけて、戻りかけた足に待ったをかけた。

 じっと息を殺して、耳を研ぎ澄ませる。狩人になったかのように。

 今度こそ聞き間違いではない。誰かの声が、確かに聞こえた。

 向かいかけた方向に修正をし、ユノは微かな声を頼りに歩き回る。数歩歩いては立ち止まり、聞こえてくる声がどの方向からか確認して。

 その声がはっきり言葉として聞こえてきた頃、ユノはようやくその人を見つけた。

 木立の間から見えたのは二人。背格好と声からして、どちらも男性だ。声がある程度まで聞こえていても、この位置からではあまりよく見えない。足音を忍ばせ、もう少し近づいてみようと試みた。やがて見えたのは鉱石学者見習いフィノ。それと――

 ――エリウス殿?

 フィノと向かい合っていたのは、治療師のエリウスだった。

 珍しい組み合わせに興味が湧いて、木陰に隠れながらこっそりと覗く。幸い、ユノには気づいていない様子だ。何を話しているのだろう。


「――あの子は気づくよ、いずれ」

「そう、でしょうね……元より、それは承知しております」

「じゃあ、君がそこまで目をかけるのはどうして? 君は知ってたんじゃないの? 君の故郷が失われたのは、シェリック=エトワールのせいだってことに」


 言葉もなく。フィノに浮かべられた苦しそうな横顔に、目が離せなくなった。

 二人はいったい、何の話をしている……?

 聞いてはいけない。これ以上、聞いてはならない。ユノの心の中から、訴えかける声があった。


「君がしたいのは、彼に対する復讐?」

「……ご冗談を」


 かすれた声で返事するフィノが、エリウスから顔を背ける。その目がこちらを捉えようとしたのに気づいて、ユノはほとんど反射的に顔を引っ込める。背中を木にぴったりとつけて、あちらから見えないようにしゃがみ込んで。

 音は聞こえなかっただろうか。ユノがここにいると、気づかれなかっただろうか。


「それじゃあ前に話してた、たった一人の家族を守るため?」


 ユノは後悔した。ここにいてはならない。この話を聞いてはならない。早く、ここから去らなければ。

 そう思うのに、立ち上がれない。耳もふさげない。目も閉じられない。口を押さえる両手が動かなくて。


「そういう献身的なところ、変わらないよね。君は」


 聞いてはならないことを聞いてしまった。ユノがここにいたと、話を聞いてしまったと、彼らに知られてはならない。

 エリウスは息を吐く。感情に乏しいその声で、ひと言つぶやいて。


「――泣けるね」


 心臓がうるさい。ユノの全身で鳴り響いている。あちらまで聞こえないのが嘘だと思うほどに。

 ユノは口を引き結び、必死に息を押し殺す。ここにいることを彼らに悟られてはならないと、森の一部になるよう努めるのに精一杯で。

 そうして二人の気配が遠ざかるまで、ユノはその場から動けずにいた。

 二人が去ってからしばらくの間も、動けはしなかった。



  **



「はい」


 戻ってきたナキ――ではなく、一緒に出ていった男性から手渡されたのは、一枚の紙だった。

 ふたつに折りたたまれた、何の変哲もない白い紙。ラスターは受け取った紙と差し出していた男性とを見比べる。


「えっと……?」


 意図がわからず、男性へと答えを求めた。


「治療室から追加の仕事だよ」

「賢人様にお仕事よ。さっさと持っていったら?」


 男性に続いて遠くから飛んできたのは、棘のあるひと言。


「うん」


 グレイから話を聞いたからだろうか。ナキの刺々しさは変わらないけれど、腹が立つ気持ちにはならなかったのは。


「――何よ?」

「ううん。何でもない」


 ラスターは今度こそ彼女から目を離し、そこに走り書きされた文字を眺めた。

 ざっと書かれた用途と、追加して申し訳ない旨と、至急ではないにしろ急ぎの用であること。その内容は。


「解熱剤……?」


 昨日レーシェがいくつか作っていたのを見た。もしや、あれが全てなくなったということだろうか。頼まれたからにはもちろん作るけれど、それにしては消費が早い気がする。


「なるべく早くにって。できそう?」


 にらめっこしていた紙面から顔を上げる。


「うん、大丈夫。あなたは……」


 ここにいる三人の中で、まだグレイの名しか教えてもらっていない。訊いてみてもいいだろうか。彼は答えてくれるだろうか。


「ああ、僕はファイクだ。あっちはナキ」

「え」


 続いた言葉に、ラスターは目を見張った。


「ファイク! 余計なこと言わないでくれる!?」

「す、すみません」


 間髪入れずに飛んできた怒声へと、ファイクは首をすくめる。

 まさかファイクから教えてもらえるとは思っていなかった。ナキにしても予想外のことだったろうに。怒鳴られたファイクに同情しつつ、ラスターは右手を差し出す。


「ボクはラスター。よろしくお願いします」

「う、うん。よろしく」


 逸らされた視線。背けられた顔と、慌てて離れていく様子。返されなかった右手を引っ込め、代わりに左手をにぎる。

 ラスターは解熱剤を作る準備をする。

 仕方ないことなのだ。レーシェの娘ではあっても、新参者にすぎなくて、それが突然賢人になったのだから。

 敵対心がなくても、ファイクもラスターを認めてはいない。だから、彼の態度は当然のことなのだ。グレイの話してくれたとおり、そう簡単に認められるわけがない。

 ――アルティナは実力が全てだ。

 それなら、ラスターも彼らに実力を示せばいいのだ。ナキに、グレイに、ファイクに。三人が納得して、三人に認めさせるだけの力を見せればいいだけだ。

 ここにいるための方法は教えてもらった。ならば、ラスターはそれをすればいいのだ。

 ――よし。

 気合を入れて、解熱剤の材料を取りに行く。早く作って届けに行こう。ラスターの薬を待っている人が、そこにいるのだから。




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