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翡翠の星屑  作者: 季月 ハイネ
五章 アルティナ王国Ⅱ
89/207

89,こみ上げたのは引けぬわけ


「……」


 また、だ。

感じ続けていた視線にいたたまれなくなって顔を上げるも、ラスターが目を合わせるより早く逸らされてしまう。仕方なく元の、葉を細かくく作業に戻ろうとするも、ちらちらとラスターに向けられる意識に、どうあっても気づいてしまう。

 ――集中できない。

 そのまま声に出す勇気はなく、頭に思い浮かべるだけにする。

 やってきたキーシャにレーシェが連れ去られてから半刻ほど。その間ラスターは、ずっと身の置き場のない状態だった。

 薬室にいるのは、ラスターを除くと全部で三人。ひそひそと交わされる会話がないだけいいものの、こうもじろじろと見られては落ち着かない。それも、こちらが対応しようとすると避けられてしまう。気にされているといえばそうだけど、友好的かと聞かれるとかけ離れている。

 誰が話しかけてくるわけでもないし、直接的に何かされているわけでもないけれど、居心地はとても悪い。三方向から向けられる視線は、まるで針のむしろの中にでもいるようだ。


 昨日今日と、思い返せばずっとレーシェとともにいたのだ。自己紹介はしたものの、それ以外ではレーシェが話しかけてくれていたから、あまり気にせずいられた。

 それが、レーシェが離れた途端にこの有様だ。

 歓迎はされていない雰囲気。肌を刺すような視線の中では、一挙手一投足、挙動のひとつですら緊張してしまう。いつも見られ、注目されているのだという意識が消えない。むずむずする。

 仲良くなるとはいかずとも、話せたらいいのに。その糸口すら見出せなかった。


「――ねえ」


 上げた顔が、一人の女性を捉える。三人の中でも、特に強く思えていた視線の主。ラスターが先ほどから感じていたのは、この女性からのものだった。

 ラスターよりは年上で、恐らくはセーミャよりも年下だろう。後頭部の低い位置で結われた金の髪は、室内の灯りでも鮮やかに映える。

 笑えばとても可愛いだろうに。今は眉尻がつり上がり、口が真一文字に引き結ばれ、笑うことすら忘れてしまったと言わんばかりだ。腕組みをし、にこりともしない目でラスターをにらみつけてくる。初めて話しかけられたことと、決して友好的ではないその様子に、ラスターはたじろいだ。


「聞いてるの?」

「……ボク?」

「あんた以外に誰がいるのよ」


 そうは言われても、こちらが接点を作ろうとしたら目を逸らされてしまったのだ。話すことすら拒まれているのではないかと思っていたから、ラスターにわざわざ話しかけてくるなんて、思わないではないか。どうして突然。

 彼女はふた言口にしたきり、何も言わずにラスターをじとじとと見下ろしてくる。値踏みでもされているかのようだ。何か用事があって、ラスターに声をかけてきたのだと思ったのだけれど。


「ええと、ボクに何か――」

「認めないから」

「え?」


 訊き返した目の前に、彼女の右手がずいと差し出される。突きつけられた人差し指に当惑していると、彼女はもう一度繰り返した。


「あんたが賢人だなんて、あたしは絶対に認めないから」


 まっすぐに。明確な敵意を持って示された、ラスターへの宣戦布告だった。

 あ然としているラスターを置いてきぼりにして、彼女は去っていく。肩を怒らせて元の場所へと戻り、近づいてほしくない様子を醸し出して。広げたままの書物に目を落とし、読むというにはずいぶん速い速度で書面をめくっていく。再びラスターを眺めるなんてことはない。ただひたすら、彼女は彼女の仕事に没頭している。そんな彼女の一連の動作を眺めていたラスターは、ようやく我に返った。

 手がけていたこと。挽き途中の青い葉は、まだまだたくさんある。葉が山ほど盛られたかごの底に出会うのに、もう少しかかるだろう。

 残りの量を片づけてしまわないと。

 止めていた右手をなんとなく動かし始めて、力を入れて葉を粉々にする。乾燥した葉は挽く度に小さくなっていく。風圧で飛ばされた少量がラスターの手にかかり、卓にも散った。もったいない。


 ――認めないから。あんたが賢人だなんて。

 どうしてだろう。他の二人はどうかわからないけれど、少なくとも彼女から向けられていたのは敵意だと知れた。

 人を指で示してはいけない。人はものではないし、その人に指示を出す立場でもなければ、とても失礼な行為に当たるからだ。彼女は知らないのだろうか。

 認めないと言われても、どうしたらいいのだろう。ラスターはどうなるのだろう。この賢人の地位から降ろされることになるのだろうか。それでは、おとりになった意味は。

 ラスターだって、何の理由もなしに賢人になると決めたのではない。けがを負ったユノ。殺されてしまったエリウス。そのいずれかがラスターだった未来だってあったのだ。ラスターではなく、シェリックだった可能性だって――

 名乗りもせず、理由すらなしに。勝手なことを言われて、ただ事実だけを否定される謂れなどないはずだ。いくらラスターの存在が気にくわないのだとしても。

 呑気に葉を挽いている場合ではない。ラスターは椅子を引いて立ち上がる。

 他の二人の興味ありげな注目を浴びながら、ラスターは彼女の傍らに立った。先ほどの彼女がラスターの元まで来たように。

 気配に気づいた彼女がちらと目を向けてくるも、それだけだ。ラスターがやってきたことを気にした素振りはそれ以上なく、ただ気配を感じたから確認したのだと、その態度は物語る。


「何か用?」


 視線も合わせず、彼女は片手間に尋ねてくる。


「ひとつ、訊きたいコトがあって」

「なあに?」


 おざなりな返事。さしたる問題はなくて、話しかけられたから仕方なく、聞くだけ聞いてあげると。そういったような態度だった。


「あなたは賢人なの?」

「――はあ?」


 語尾を上げ、少々いらだった様子で尋ねてくる。今度はしっかりと、ラスターをその目に映して。


「あんた、賢人の意味わかってる? 薬師で賢人になれるのは一人しかいないんだけど? 今あんたが賢人だっていうんなら、賢人はあんたでしょ? ――あたしは認めないけど」


 あくまでもラスターを認めないと言い張り、彼女は突き放したもの言いで応じる。取り合う気もない彼女を、なぜだかとても冷静に眺めているラスターがいた。


「じゃあ、賢人じゃないんだよね」

「だからそう言ってるでしょう!? 察しなさいよ!」


 怒髪天をくかのごとく、彼女は卓を叩いて立ち上がる。


「なんなのあんた。それをあたしに言って、優越感に浸りたいの? レーシェ様の娘だからって、シャレル様に評価されたからって、それだけで易々と賢人になれたからって……! あんたが大きな顔したって、あたしは従わないからね! あんたが賢人だなんて、絶対に――!」

「でも、事実だ」


 癇癪かんしゃくを起こしかけた彼女へ、ラスターは静かに言う。言葉を遮られ、彼女を歯ぎしりをした。


「あなたが賢人じゃないなら、どんなにボクを認められなくたって、賢人を降ろすことはできないよね」

「……そうね。だから?」


 刺々しくそっけない答え。外される視線。ラスターの奥底から、ふつふつとこみ上げてくる感情がある。これはなんだろう。


「あなたが認めなくても、ボクは賢人だ。ボクだって、ただなんとなく賢人になるってコトを決めたわけじゃない。他の人に認めてもらえたのは嬉しいケド、賢人になったのはそれだけの理由じゃないよ」

「ああ、そう」


 外されてから、一度も寄越そうとされない目。言いたいことだけ言って、ラスターの言葉には耳も貸してくれない。


「ボクが気にくわないなら、それでいいよ。でも、ボクが賢人になるって決めた理由も知らないで、認めたくないなんて、言われたくない!」


 瞬間、盛大な音が鳴った。


「あんたの理由なんて知ったこっちゃないわよ、こっちは!」


 力任せに閉じられた書物が、沈黙を強いられる。彼女の手で押さえつけられ、開くことも拒まれて。


「いつか絶対認めさせてみせるから」

「……何があっても認めないわ。あんたなんか」


 うなり声にも似た低い声音。ラスターが反論したおかげで、険しかった彼女の顔に凄みが増す。それを真っ向から受け止め、彼女をにらみ返した。

 怯えるよりも、正面から相対したかった。逃げたくない。彼女が引かないなら、ラスターだって引かない。一歩も譲りたくない。

 もしかしたらこの先、彼女とは決して相いれることはないかもしれない。水と油のように、互いに譲り合うことでさえも許されない雰囲気があって。仮に妥協したとして、お互いに納得できるだろうか。たとえそうだとしても、ラスターは引きたくなかった。

 それは山より大きくて、渡ってきた海より広い。かけてしまった迷惑と心配は、容易に返せる量ではない。だからといって理由も背景も語るつもりはない。今話したところで、一蹴されるのが関の山だ。

 だって、決めたのだ。

 探していた母親をあと回しにしても、シェリックの助けとなるのだと。

 それが今のラスターの、最も譲れないことなのだと。



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