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翡翠の星屑  作者: 季月 ハイネ
五章 アルティナ王国Ⅱ
88/207

88,再会は幾度と知れずに


「お疲れのようですね」


 シェリックにそんな声が聞こえてきたのは、自室から治療室へ向かうその道中でのことだった。

 硝子のない窓から吹き抜けていく風がひんやりとしていて、目を覚ますにはもってこいだ。その快適さに浸りすぎて、ここではないどこかへ思考が飛んでいたらしい。それが自分にかけられたものだと気づくのに、一拍も二拍も遅れてしまった。

 反応の遅いシェリックに焦れた素振りもなく、フィノは待ってくれていた。


「そうか?」

「そういう無自覚な答えはやめてください。あなたまで倒れないようにしてくださいね」


 仰々しいと一笑に付しかけた矢先で友人の顔が浮かんだ。フィノの気づかいは決して誇張ではないからだ。

 リディオルが何をして、結果、過労で倒れたのかはわからない。常に何でもないように言いくるめて、のらりくらりとしては本心をつかませずにいる。心配すらもかけさせまいとする態度はいっそ見事だと拍手を送りたいが、目の当たりにさせられる側としては全然褒められた姿勢ではない。

 そうとも、彼よりは全然ましだ。シェリックとて聞かれたくないことも話したくないこともあるけれど、あそこまで徹底してはいない。知られたら困るというより戸惑いはするだろうが、それも含めて今のシェリックがあるのだから。

 第一、シェリックが最も話したくなかったことなど、ラスターには既に知られてしまったのだし。

 だから、全部踏まえた上でシェリックは答える。


「それはない」


 リディオルほどの無茶も、ラスターほどの無謀もしはしない。


くま


 フィノが自身の目を示し、指摘する。


「遅くまで何かされていたのでしょう? 見る者が見ればわかりますよ」


 笑みの奥に気がかりな様子が見受けられて、ごまかしが効かないことを悟った。やはり、リディオルほどうまくいきはしない。

 ラスターといい、レーシェといい、フィノといい。シェリックの周りには人の気に聡い者が多い。どうしてこう、気づかなくていいところまで気づいてくれるのか。これでは、へたなことができないではないか。


「……星を見ていただけだ。たいしたことはしていない」

「星を?」


 浮かべていた疑問を、フィノはすぐに氷解させる。


「――失礼しました。シェリック殿は占星術師でしたね」

「ああ。別に星自体を見なくてもできるといえばできるんだが……」


 さて、占星術師でないフィノに、どう説明したらいいだろう。困ったときによぎるのは、いつもたった一人。シェリックがまだその人を知らずに、その人から教わった言葉の数々だ。


「戻ったばかりで、星を見る余裕がなかったからな。今ここから見える星について確認したかったのがひとつ。時と季節、場所、様々な要因でもって見えてくる星は違う。だから新しく見える星と、消えた星と、それも確認しておきたかった」


 アルティナ王国とラディラ共和国。二国は海に阻まれているため、地続きではない。とはいえ、アルティナからふたつ離れた他の国と比べると、ずっと近い。いくら距離が近くても、アルティナとラディラの港町、ルパでは見える星やその位置はわずかに異なる。誤差に近い差異だろうけれど、占星術師にとっては死活問題だ。


「占星術師は未来が見えると。そう伺ったことがあります」

「悪いが期待されるほどはっきりとはわからない。仮に占じたとしても、いつそれが起こるかすらも曖昧だ。占星術師は、間違っても預言者じゃない」


 先の見えないことに不安を抱える必要なんてないだろう。未来なんてものは、そもそも誰にとってもわからないのだから。あらかじめわかるものがいたなら、それこそ占星術師などではなく、預言者か占者の類だ。


「あなたの未来は見えなかったのですか?」

「興味ない。知りすぎてはいけないことだってあるが、それより俺は未来なんて知らないままでいいと思っている。どうしてそんなに知りたがるのか、不思議なくらいだ」


 何年、何十年先。自分が殺されてしまう未来が見えたとしよう。ではそれが本当にやってくるまで、怯えて悲観して、あるいは自棄になって、それまでを過ごさなくてはならないのか。そんなのはごめん被りたい。

 未来に待つのが悪い結末ばかりではないけれど、良い結末ばかりだとも限らない。ならば知らない方が、見えない方が、わからない方がいいのではないか。


「現状が少しでも変わればいいと、あるいは変わってほしいと、希望を抱くのではないでしょうか」

「現実逃避だろう、それは」


 もしくは単なる理想論であり、他力本願な願望だ。そんなのは、目の前の現実から目を背けたいだけだ。


「そんなに先のことを考えるなら、今変わればいいだろう。人は変われる。変われないと思い込んでいるから変われないんだ。望む未来がほしいというなら、今何をすべきか、その結果どうなるか、大まかな想像はつくだろう」

「そうですね。けれど、そうする強さのない方が、あなたに望みを叶えてもらいに来るのかもしれません。人は何も、強い方ばかりではないでしょう。未来を知りたいと、知ることで安心したいと思う方もいらっしゃるでしょうし」


 フィノの言葉に、ふっと笑みがこぼれる。


「一理あるが、望む未来ではないかもしれないぞ? 今より悪くなっていたら?」

「それでも、今よりまだしも救われると思う人がいるのかもしれません。それが希望となることだってあります」


 目の前しか見えていなくて、他の世界なんて知らなくて。それが広がって見えたとき、今まで自分がいた世界は狭かったのだと知ることができる。ひとつだけしか見えていなかったなら、気づくことすらできない。

 人の感情がそこに入ってくるから難しい。自分の感情と他人の感情と。それらに流されず、俯瞰ふかんして、客観的に眺めて、初めて見えてくるのだ。


「あなたも、憧れたのではないですか? 先の見えない今ではなくて、どんな変化を遂げたとしても、変わる未来を見たいと思ったのではないですか? 占星術師なら、それが可能ですから」


 通りすぎた風を見送ると、仰いだ太陽が雲に隠れた。

 影の落ちてきた廊下で、シェリックは首を振る。


「ないな――悪いが」


 幼いシェリックが抱いた憧れはそうではない。憧れなかったのではなく、全く別のもの。フィノのいう、占星術師になりたいという願望ではなかった。

 今、賢人を目指している全ての見習いには申し訳ないと思っている。シェリックは初めから賢人を目指していたわけではない。なりゆきとして賢人になっただけだ。賢人に、占星術師に――シェリック=エトワールに、なりたくてなったわけではない。

 あのとき断っていたなら、ここに来なければ。もしもという未来が様々な形で浮かんでは消えていく。考えたところでどうにもならない。その選択肢を塗りつぶして、今の自分がここにいるのだから。


「ならば、どうしてここにいらしたのです。なぜ、占星術師として、あなたが……」


 押し殺された感情。とがめられたようなその一端が鼓膜に触れ、真正面からフィノを見返す。何かを堪えるような顔でこちらを見るフィノと、目が合った。

 どうして――そんなの、シェリックが訊きたい。どうしてフィノがそんな疑問を抱くのか。なぜフィノはそんなに、思いつめた表情でシェリックを見ているのだ。

 シェリックがフィノに何をした?

 ルパで、輝石の島で、アルティナで。それともシェリックの記憶にないところで、何かしたのだろうか。


「――教えてください、ディア」


 覚えのない謂れをかき消して、そのひと言が全てを奪い去った。



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