82,夢であればと請うほどに
訪れた治療室で見舞いに来た旨を伝えると、そこにいた見習いたちには一様に慌てられてしまった。
ここにも賢人の一人はいるだろうに。シェリックがそれを告げると、「先生は別なんですよ」と返される。そうやって区分けせずともシェリックも同じ賢人なのだが――見習いの者からすると、ひとくくりにはできないようだ。普段接しているかそうでないかの差もあるのだろう。
おっかなびっくりとした態度で応じられ、ふとした悪戯心が湧いた。背を向けられた時に肩でも叩こうとして――上げかけた手を下ろす。別に見習いたちをからかうためにここまで来たのではないし、自分より率先してそれをやりそうな旧友の顔が浮かんでしまったのだ。
そう、本来の目的は見舞いだ。シェリックがからかうべきは治療師見習いたちではなく、ここに運び込まれたという魔術師だ。
「――シェリック殿?」
ついと呼ばれた名前。横を向けば、驚いた様子のユノと目が合った。
周りは白い布で囲まれ、ユノがいる寝台を遮断している。簡易的な病室といったところか。寝台から身を起こし、その肩には白衣がかけられている。白衣の下から覗いている包帯が、同じ白でも痛々しく見えた。
「どうしてここに――って、そうか、リディオル殿ですよね。オレも少し前に聞いて」
「――待て、待て。そのままでいい、そこにいてくれて構わないから」
話しつつ布団の中から出て来ようとするものだから、さすがに押しとどめた。
「けがをしている人に無理はさせたくない」
「でも、調子はいいですから。痛みもないですし」
「……やめておけ」
負傷した側の肩を回そうとしたユノに待ったをかけ、親指で治療室の入り口を示す。
「俺があいつらににらまれる」
ユノの位置からは見えないかもしれないが、先ほどから興味深そうに眺められているのだ。ここでユノの傷を悪化させたとなれば、治療室から追い出されるどころか、二度とここには近づけなくなるかもしれない。
それ自体は別にいいし、元より王宮での心象が悪いことは百も承知している。ただ、これ以上下降させて、王宮内で動きにくくなることは避けたい。
「す、すいません……気づかないで」
素直にシェリックの言を受け入れ、ユノは寝台から下ろしかけていた足を元に戻す。そうして改めて、深々と頭を下げてきた。
「――昨日はとんだご迷惑をおかけしてしまって、本当にすいませんでした」
そう言われても、自分はただ手を貸しただけだ。ユノに頭を下げられることをした覚えなど、こちらにはないのだけれど。
「礼を言われることはあっても、謝罪をされるようなことをした覚えはないぞ。たいしたことでもないから、あまり気に病むな」
答える代わりに、ユノから笑みがこぼれた。息を吐くかのように、一瞬よぎる。痛みを堪えるような、今にも消えてしまいそうなその表情に、シェリックは寝台の脇へとしゃがみ込んだ。
「――俺で良ければ、話を聞くぞ? あいつじゃなくて悪いが」
この魔術師の師弟は、どうも背負い込みすぎるきらいがありそうだ。ユノばかりではなく、リディオルも。本人たちは否定するかもしれないが、シェリックには似た者同士に思えてならないのだ。
ユノは小さく、ありがとうございます、と返してきた。
「いえ、セーミャ殿も、ルース殿も、シェリック殿と同じことを言うので、なんか、余計に申し訳なくなってしまって……駄目ですね、オレ。リディオル殿も倒れたって聞いてから、焦ってる自覚はあるんですけど……」
「無理もない。俺だって驚いた」
セーミャから聞いて、耳を疑った。あのリディオルが倒れた? それも過労で?
何かの間違いで、誰かと勘違いしているのではないかと思いさえもした。
「こんな大変なときに、オレだけここにいていいのかって。ルース殿は自分のことに専念するべきだって、リディオル殿のことまで考える余裕はないんだから仕方ないって、言ってくださったんですけど……」
気にするなと言う方が難しいのだろう。運び込まれたリディオルの姿が見えないとはいえ、忙しく立ち回っている治療師見習いたちからなんとなくうかがえる。隔離されて一部しか見えていないのなら、なおさらその様子が目についてしまう。
もらった優しさが、かけられた親切が、渡されたその分だけユノを苦しめているのかもしれない。それなら優しさなど出さなければ、救われるのだろうか。
「なら、もらった分だけ返せばいいだろう」
――答えは否だ。
どんなに心苦しい気持ちがあって、うしろめたく思われていても、大変な状況がそこにあるのなら、手助けしてやりたいではないか。
一人きりで乗り越えなければならないかもしれない。けれど、何も全部そうしなければならないわけではない。
「受け取るだけで申し訳ないと思うなら、いつかユノが手を貸してやればいいだけの話だ。今でなくてもいいし、それは別に俺でなくでもいい。人と人との繋がりは、そうやって続いていくものだろう? 俺は、そう教えられた」
シェリックとて、見返りや報酬を求めて手を差し伸べたわけではない。シェリックに返ってこずとも、ユノがまた別の誰かに手を差し伸べて、その人を助けてあげられたのなら、それでいいではないか。
「……立派な人だったんですね。その、シェリック殿に教えた方は」
「どうかな」
自由な人だった。王宮に縛られながらも、自由に生きる人だった。やりたいことをやり、知りたいことを知り、言いたいことを遠慮なく口にする人だった。
あの人が世間一般で言われる『立派な人』に当たるのかはわからない。それでも、少なくともシェリックにとっては立派だと、すごいと思える人だった。あの人なしに今の自分はないのだと、そう断言できるほどには。
立ち上がるシェリックへと、ユノは感謝の言葉を述べてくる。負い目に思われるより、そちらの方がよほどいい。
ユノと一旦別れて、そうしてやってきた奥の部屋。本来の目的地に着いたものの、取手を回す手にためらいが生じる。
――お師匠様が過労だとおっしゃっていました。
言いたい文句はそれこそ山のように積もっている。ならばその全てを愚痴に出しても、リディオルに言い返しなどできやしないだろう。
決めた心で扉を開き、こざっぱりとしたその部屋の奥で、ひとつの寝台が目についた。果たして旧友はそこにおり、彼にかけられていた布団が規則正しく上下している。まったく、なんて無茶をするのだ。シェリックは入ってきた扉を閉める。
腕で覆われた表情は見えず、起きているのかどうかわからない。動いたあとがあることから、一度は目が覚めたのだろう。
それにしては、気配が希薄で――
「リディ?」
試しに呼びかけてみるも、反応はない。起きてはいないのだろうか。一度出直してくるべきか――しばらく間が空いてから、緩慢な動作で腕がずらされた。
「……なんだ、おまえか」
常より覇気に欠けた答えに、さすがのシェリックも眉根が寄る。セーミャから過労だとは聞いた。シェリックが見る限り、リディオルのこの疲労困憊な様子は、どうもそれだけではなさそうだ。
「なんだじゃねえよ。具合は?」
端的に尋ねると、「……よくはねぇな」とのこと。
「……ま、寝てりゃ回復すんだろ。気を遣われるほどのもんじゃねぇよ」
「普段を見てると、弱ってるところが想像つかないんだよ。おまえは特に。少しは大人しくしてろ。そろそろ人として疑われるぞ」
「人として、ね……ま、おまえが血相変えてやってくる姿も、滅多に見られるもんじゃねぇからな」
「一応心配してるんだよ、こっちは」
今回倒れたことだって、前日ユノが襲われたことへの後悔や、心労があったのかもしれない。表面上にはっきりとは見えないから、シェリックには推測の域でしか語れないけれど。
「そりゃありがとさん――そろそろ俺に構ってる場合じゃなくなるぜ」
リディオルは笑みを消し、どこか別の、遠くの方を眺めながら言った。去来しているのは何か。もしやそれは、シェリックと今話してきたばかりの、ユノのことだろうか。
「ユノなら心配はいらない。だから、おまえはおまえで――」
「そうじゃねぇ」
リディオルから間髪入れず明言される。いやに強く。続きを待って耳を澄ませるも、リディオルはそれ以上口にしようとはしない。
「じきにわかるだろ」
それはどういう意味だと問おうとしたその時だった。
「――たっ、大変です! エリウス殿が……!」
手前の部屋へと、誰かが飛び込んできた気配。その誰かの大声だけが、いやにはっきり響いて。
「エリウス殿が、亡くなったと……!」
**
「――そう、わかりました。ご苦労様です」
「失礼します」
そこから足早に退出したナクルは、たった今シャレルに報告した内容を反芻して目を伏せた。
――エリウス殿が、何者かに殺されました。
率直に伝えると、シャレルは悲しげな表情になり、ただ肯定の返事をしたのだ。
ラスターとユノ、二人を囮にすると決め、それを実行したのはまだ昨日のこと。ユノが怪我を負ったのも昨日で、リディオルが倒れたのも昨夜。さらに挙げるなら、エリウスが亡くなったのも恐らくは昨夜だろう。
いくらなんでも早すぎる。
どこからか対策が漏れたのか、誰かが既に知っていたのか。だとしても、賢人を定めたラスターではなく、ユノが襲われたのはどうしてなのか。
リディオルは確かに、ユノを囮に使うとは言った。だが、言い換えればそれだけだ。ラスターと違って、賢人に仕立て上げたわけではない。ならば、なぜ――
「――ナクル!」
耳慣れた声に名を呼ばれ、考えごとから頭をもたげる。裾を翻し、前方から息せき切ってやってくるキーシャが見えた。
「はしたないですよ、お嬢様」
「そんなことを言っている場合!? エリウス殿が亡くなったと聞いたわ!」
沈痛な面持ちでキーシャが口にしたのは、ナクルが報告したばかりの事柄だった。
「どなたからお聞きに?」
「レーシェよ」
名前を聞いて、わずかなりとも苦い顔になるのを感じた。
――よりにもよって。
「ご心配なさらないでください」
言いたくなった言葉をぐっとこらえ、代わりにそう告げる。
「真偽のほどはのちほど確認します。一度、執務室まで戻りましょう。概要を確かめるより、御身の安全が最優先です」
もの言いたげな視線がナクルに注がれる。
「何か?」
「勝手に動くなと、聞こえたわよ?」
「そう申したおつもりですが?」
何食わぬ顔で答えると、キーシャの口は横に引き結ばれる。その反応に、ナクルはおやと目を見張る。文句のひとつでも返ってくると思っていたのに。来ないのなら、それはそれで好都合。
見習いも含め。魔術師の二人が動けない状態なのだ。警護に当たる役職は他にあるとは言え、王宮内は常よりも手薄になっていることを頭に入れておかなければならない。
場合によっては、キーシャを王宮から王城に戻らせた方が安全だろうけれど――果たして、その案を受けてくれるだろうか。
ナクルの想像の中で、キーシャは首を横に振った。自分だけ安全な場所に逃げるなんて――そんなことまで言いそうだ。
「戻りましょう、キーシャ様」
「あとで、レーシェに話を聞きに行くわ」
ナクルが引かなかったように、キーシャも語気を強める。こればかりは譲れないとでも言うかのように。強まった語調がそう訴えていて。
「……かしこまりました。お供致します」
神妙に頷き、きびすを返したキーシャのあとへと続いた。




