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翡翠の星屑  作者: 季月 ハイネ
五章 アルティナ王国Ⅱ
81/207

81,駆られた思いに名づけるなら


 見得を切るのは性分ではない。はったりをきかせることはあっても、そんな虚栄を見せたところで、何も変わりはしないからだ。

 面倒なことであれば避けて通りたいし、自分から首を突っ込むなんて以ての外だ。誰が好きで、また好んで、そんなことをやりたいと思うのか。

 ──ひとつ、お願いがあるんだけど。いいかな。

 だから彼にそれを言われたとき、リディオルの答えはひとつしかなかった。

 決して是とは言わず、彼の頼みごとに頷きもしなかった。だというのに、彼は勝手に話を進めて、こちらの言葉など聞きもせずに強引に押しつけてきて、リディオルにここへ留まるよう強要した。

 リディオルには大人しくしているように言い残したくせに、普段は怠けてばかりの彼が動いて。止めようとしたその矢先、逆に押しとどめられ、こちらはとくに抵抗できず眠りに落ちたというのに。

 寝起きとは思えないほどよく頭が回ってくれる。寝ぼける暇などないのだと、身体さえも瞬時に理解してくれている。いや、眠れたからこそ、か。ありがたくも、腹立たしいことこの上なく。


 あれはいつのことだ。開けた目に飛び込んできたのは、窓から漏れる光。早ければ昨夜。確信は持てない。今はいつだ。あれからどのくらい経っているのだ。

 視界を遮断し、風に命じる。感じることすらままならなかった気配があちこちへ飛んでいくのがわかり、少しは回復しているのだと知る。強引にでも眠らされたせいか。真に不本意ながら。

 そうして彼を見つけ、そこにいた誰かの悲鳴が聞こえ、割れそうな頭の痛みと引き換えに景色がかき消えた。


「──っ……」


 額へと当てた手が、そこに浮かんだ脂汗に触れる。まだ完全に回復したとは言えない。それでも辛うじて風を操れ、目的の場所まで飛ばすことができた。知りたかったことを知れた、それだけでも十分だ。例えそれが、決して望みはしなかった結果でも。

 ──君に任せるから。

 開けられなくなった瞳の奥で、彼の言葉が甦る。

 大人しくしていてくれれば、動かないでいてくれれば良かったのだ。そうすれば、あんな頼みごとをされることもなかった。リディオルに向けられた言葉だって、最後なんかになりはしなかったのに。

 ふらつく頭を手で押さえたまま、足を床に下ろす。確かめた平衡感覚はまだ危うい。寝台に、卓に、椅子に。伝いながらたどり着いた彼の机上に、紙が置かれていた。

 ──頼んだよ。

 彼がリディオルに押しつけた、一端が。


「……馬鹿ですよ、あんた」


 片手で顔を覆う。

 彼へ叩きつけて返したい衝動を堪え、うまくいかなかった欠片を噛み潰す。苦い味しか広がらないと知っている。

 倒れている場合ではなかった。常時であれば、力づくにでも従わせられただろう。ここから出て行こうとしていた彼を留まらせ、行かせない選択肢を選べただろう。

 リディオルにしかできなかったのだ。あの場に、最も近い位置にいたのはリディオルただ一人だけだったのだから。

 悔やんでも悔やみきれない。どれほど後悔しようと、一番文句を言いたい彼はもういない。引き留めるどころか何もできず、全て終わったことだけがわかって、そのあとをリディオルに託した彼は、もう。

 だから面倒ごとは嫌いなのだ。背負うものが大きすぎて、自分を縛りつけるから。とても大きな損失と治しきれないくらいの爪痕を残すから。

 できないことはできない。己の能力を超えたことを成そうとすると、どこかで無理が生じてしまう。あのとき引き留められてさえいれば、こんな事態になんて──


「──何が賢人だ」


 悔やめば悔やむほど、無力さを思い知る。



  **



「どきなさい!」


 立ち尽くす二人の前へと割って入り、レーシェはなおも鋭く命じる。


「ラスター、セーミャをここから離して!」


 ラスターの返事を聞くよりも早く、レーシェはエリウスの前で膝を突き、彼の状態を確認し始める。その手が濡れるのも構わず、彼の手首を取って。

 脈はあるのだろうか。彼の息は。命は。

 じんわりとにじんだ血の跡と、その中心に突き刺さる小さな刀。無事だと、大丈夫だと思いたいのに、それを許してくれない光景がそこにある。何よりも明白に、最悪の事態が起きたことを告げている。

 無事ではない。大丈夫でもない。それでも認めたくない。今ここでは認めてはならないと、そう思うラスターがいる。だって、ここにはセーミャがいる。


「……セーミャ、離れていよう」


 ラスターが腕を引こうとした途端、ふらついたセーミャが膝から崩れ落ちた。動かないエリウスを見つめたまま。

 もっと、取り乱すかと思ったのだ。エリウスを見つけて叫んだセーミャは、号泣して、取りすがって、ラスターが必死に押さえなければならないくらい動転するのではないかと思っていたのだ。

 ところが、セーミャは悲鳴を上げてから、それ以来何も言わない。人形みたいに止まったまま、呆然と目の前の光景を映していた。ぞっとするほど静かで、何かひと言でも喋ったなら、すぐにでも壊れてしまいそうで。

 セーミャの口が微かに動いたのを見て、ラスターは耳を澄ませる。ただじっと、セーミャの言葉を待った。


「──嘘ですよね」


 かすれた声が聞こえてきた。一度引き結ばれたセーミャの唇が、抑えきれず震えている。エリウスの口元に手をかざし、首筋に手を当て、順に確かめていくレーシェを見ながら。レーシェのされるがままになっている、彼を見ながら。


「昨日までお話ししていました。倒れていたリディオル殿を運んでくださって、夜が遅いからあとは僕が看ておくからって、わたしに寝ておいでって」


 セーミャは、ひとつひとつ思い出すように話していく。ラスターは何も言えず、セーミャの横にしゃがんで彼女の手を握った。信じられないほど冷えた温度が、ラスターの心臓をぎゅっとつかむ。伝わればいい。ラスターの温度が、セーミャに。少しでも温かくなればいい。届いてほしい。

 だからそんな、今にも張り裂けてしまいそうな声音をしないでほしい。

 乾いた笑みが見えたのは、そんなときだった。


「だって、まだ数刻前ですよ? おやすみなさいってお師匠様に言ってから。まだ、そんなに経っていないじゃないですか」


 誰に聞かせるものでもないだろう。レーシェでも、隣にいるラスターにあてた言葉でもなく。これはきっと、セーミャの独白にすぎない。

 ラスターだって嘘だと思いたい。セーミャはそれ以上に信じたくなくて、受け入れたくなくて、認めたくなくて、口にしているのだ。思いつくまま、昨日のことを。彼女の師と交わしたであろう会話を。

 それが最後になるなんて、微塵も思わなかっただろうに。


「……手遅れだわ。残念だけど」


 エリウスの容態を調べていたレーシェが、首を横に振る。決定的なひと言とともに。


「──おーい、悲鳴が聞こえたけど、どうかし……っ!?」


 集まりだした人たちを目にして、レーシェはため息を吐きながら立ち上がった。


「……騒ぎになるわね」


 頷き、ラスターは問いかける。


「セーミャ、立てる?」


 何も答えず、動きもしない。ラスターはセーミャの腕を引いて立ち上がらせた。

 セーミャは視線を地面に落とし、虚ろな表情でつぶやいたのだ。ラスターに聞こえるか聞こえないかの、とても小さな声で。


「──お師匠様」


 と。



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