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翡翠の星屑  作者: 季月 ハイネ
四章 アルティナ王国
78/207

78,交わす盟約、月下にて


 こちこちこちと。

 時を刻む音だけが大きく聞こえてくる。開いていた書籍から顔を上げると、日付が変わったばかりの時計と目が合った。ここに戻ってきてからひと刻ほど経っただろうか。移した目の先、そこには穏やかな表情で眠るユノがいた。

 師がここを出る少し前に寝ついたというユノは、発見されたあの時よりも顔に赤みが戻ってきた気がする。彼の腕に繋がっている点滴の量はそれほど減ってはいない。夕刻に繋げたばかりだから、減ろうはずもないのだけれど。

 セーミャと師以外、他の人たちは誰もいない。夜も遅いからと、師が帰らせたのである。セーミャが師とともにここに残っているのは、無理を押しとおしてしまったからだ。

 師がリディオルを運んで行った先は、治療室ではなく、奥の昼寝室。ユノを慮ったのか、他の治療師見習いたちに配慮したのか、それともリディオルに気を遣ったのか――

 ともあれ、あまり大っぴらにしたくないことはわかる。賢人が倒れたなんて知られたら、上を下への大騒ぎになるだろう。

 倒れていたリディオルを発見したのはセーミャだ。だからこそ見届ける必要があるとか、そういう責任感ではない。師がどのような判断を下すのかはわからないけれど、症状がわかったならそれを解消しなければならない。一見落ち着いてはいるユノだって予断は許さない情勢だろうし、それを一人でこなすのは大変だろうと思ったのだ。

 師に頼み込んで置いてもらったものの、常にやることがあるわけではない。師がリディオルを看ている今の時間は、なんとなく手持ち無沙汰になってしまっているのである。

 ただ待つだけなのも落ち着かなかったので、本棚にあった適当な医学書を開いてはみたものの、ただ文字を追っているだけで全然頭に入ってこない。こんなことなら、開かない方が良かったかもしれない。

 昼寝室だと公言してはばからない、治療室の奥にある部屋。今はリディオルを寝かせ、セーミャの師が彼の様子を看ているその部屋。ここまでなかなか出てこないということは、それほどまでに深刻な症状なのだろうか。

 取手が音を立てて動き、室内にこもっていた師がのっそり現れたのはちょうどその時だった。

「――お師匠様! リディオル殿は……」

「うん。過労だね」

 あまりにもさらっと言うものだから、一瞬反応が出てこなかった。

「……過労? 過労って、過労ですか?」

「そう。ちゃんと休めば回復するのに、働きすぎなんだよ。アルティナに戻ってきてからも動いてばっかだったでしょ、この人」

「た、多分」

 セーミャには曖昧な返事で頷くしかできない。セーミャが出かけていた際、帰りの船で一緒にはなったけれど、王宮に戻ってきてからリディオルの姿を見かけてはいなかったのだ。だからリディオルの状態や体調がどうかなんて、知りもしなかった。

「だからたいしたことないよ。一日、二日寝てれば治るし。なんなら五日くらい寝かせておいてもいいんじゃない?」

「引き留めすぎるとユノ殿が心配しそうですよ……でも、良かったです」

 転がった灯り。割れた硝子。血の気の失せた顔。

 師の持ってきた灯りで改めて見えた光景に、最悪の想像をするなという方が無理だった。師が来るより前に息があるのを確認していなければ、亡くなっていると信じてしまっただろう。

 それでも賢人が倒れたという事態だ。明日には王宮で騒がれることは想像がついてしまう。

「あとは僕が看ておくから、君は寝ておいで」

「でも、他のみなさんいないですし、お師匠様一人では大変でしょう?」

「君まで倒れたら元も子もないでしょう。そうでなくても、今日だけで色々起きてるんだから。疲れてないわけがない。ほら、寝てきなよ」

 師が指し示したのは、昼寝室とは反対の方向。治療室を出たそちらの方向には、泊まり込む時用の寝室がある。王宮から町まで帰るにも距離があるからと、これも師が作らせたのだったか。

 こういった有事の際にはよく使われる。今日も、他の治療師見習いのうち何人かは使っているはずだ。

「帰れとはおっしゃらないんですね?」

「今から女性を一人で帰すなんて、そんな危ないことは言わないよ。それに帰れって言ったところで帰る気ないでしょ、君」

「ばれていましたか」

「当たり前。言わない代わりに寝ておいでよ」

 三回目。

 そこまで言われてしまったら、動かざるを得ない。こうなってしまったら、師は何が何でもセーミャを寝室に追いやろうとするのだ。ならば、セーミャが折れるしかない。

「わかりました。お二人のこと、お願いします」

「うん。ちゃんと看ておくよ」

 セーミャも頑固なところはある。自覚はしている。けれどそれでも、師ほどではないと思うのだ。セーミャの頑固なところは、きっとこの人譲りだろう。変な部分まで似てしまったのは仕方ないことかもしれない。師の技を、師の教えを学んでいたら、その性質まで似てしまうのだから。

「ではすいません。お先に失礼します」

 持ってきていた書籍を元の位置に戻し、自分の鞄を手に取る。雨に濡れても、へたれてしまったり壊れてしまうことのなかった、セーミャのお気に入りの鞄だ。

「うん、お疲れ様。おやすみ」

「はい、おやすみなさい」

 そうして、セーミャは治療室から退出したのだ。


  **


 遠ざかっていく足音が完全に聞こえなくなったのを確認し、窓際にある寝台のひとつに近づく。そこで眠る少年は熟睡していて、起きる気配もない。

 セーミャも気にかけている素振りは見せていたけれど、命に関わるものではないとあれだけ口を酸っぱくして話したから大丈夫だろう。ただ痕は残るに違いない。衣服で隠れる箇所であるとは言え。

 音もなく歩いて奥の部屋へと向かい、そこで眠るもう一人を見やる。開けた扉を静かに閉め、寝台の傍へと立つ。差し込む月明りに照らされ、エリウスが見下ろしたその表情の、青白いこと。

「――それで? こんなになるまで、君、何してたの?」

エリウスは彼へと問いかけた。

「時間はあげたんだから、さすがにもう起きてるでしょ。なんなら瞳孔どうこう確認してあげようか?」

 外から入る月明りだけでは表情が判別できない。目蓋が開いたのかどうかさえも。けれどそこで微かに上がったのは、笑い声だったと知れる。

「……それも、治療の一環ですかねぇ、エリウス殿」

「単なる確認だよ。訊きたいこともあったしね」

 いつもと何ら変わらない彼の口調。しかししゃがれ、その語調は常と比べると弱々しい。

 セーミャに過労と告げたのは嘘ではない。驚異的な回復力を褒めるべきか、寝ているべきだといさめるべきか。起こしてしまったのはエリウスだというのに。

 治療師として言わせてもらうなら、後者が圧倒的に正しい。正否だけで判断を下すなら、これからエリウスが彼と話をしようとしていることは、確実に正しくない側に入る。

「君があの人の命で動いてるのは知ってるけど、そうまでするのはどうしてかなと思って。君、面倒くさがりなところ、僕と似てるから」

「……あんた、さぼりたいだけじゃないんですか」

 喉の奥で笑いながら、リディオルは失礼なことを言ってくる。その笑い方にも力がない。いつもの余裕はどこにいったのかと、そう思うほどには。

「話せるよね?」

「……こちとら一応、病人ですがね?」

「軽口叩けるなら大丈夫でしょ」

 リディオルの戯れ言を即座に切り捨てる。それ以上の有無は言わせずに。

「……あんたにゃ知られてるだろうとは思いましたが……やらなきゃなんねぇんですよ、俺は。動けない、あの人の代わりに」

 それを聞いてため息をこぼす。言葉は悲観的であっても、リディオルが気負っている様子などないことに気づいてはいる。ただ、予想外だっただけだ。

「君が自己犠牲をうたうとは思わなかったかな」

「そんな崇高なもん、抱えちゃいないですよ……俺は、無駄なことは一切やらない主義なんでね」

「君が倒れたことは無駄じゃないの?」

「……言ってくれますね。こっちは好きで倒れたわけじゃないんですけど」

 こぼされた大きなため息。これ以上は止めた方がいい。リディオルの体力が限界だろう。

「――ねえ、リディオル」

「なんです……?」

 だから最後に、伝えたいことを話すと決める。確信があった。リディオルならば、エリウスの望んだとおりにことを成してくれるだろうと。

「ひとつ、お願いがあるんだけど。いいかな」

 いぶかしげながら、リディオルは目だけで問いかけてくる。エリウスは、それを口にした。


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