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翡翠の星屑  作者: 季月 ハイネ
四章 アルティナ王国
77/207

77,ひと休みは暗がりで


 もぞもぞもぞ。

 寝返りを繰り返しても、頭がずり落ちない枕を使うのは初めてだ。なんとなく収まりが悪くて、反対側にごろんと寝転がる――そうして体勢を変えたのはこれで何度目だろう。

 ちょうど窓から差し込まれる明かりが目に入り、ラスターは首だけ動かしてそちらを眺める。ラスターがいた村と比べると星があまり見えない。上空には雲もあって、空のあちこちを覆い隠しているせいかもしれない。

 全身をめぐる鼓動の音を聞き、ぱっちりとえてしまった目で、天井の一点を見上げた。今まで見たことのある寝室の、どこよりも高い天井。ラスターの元を去ってから、ここでずっと、母親は暮らしてきたのだろうか。


 ――せっかく会えたんだから、久しぶりに一緒に寝ましょ。

 そんなことを言ってラスターを強引に引っ張り、母親は自室へと連れてきたのだ。

 思い出すのは昼間のこと。母親と再会して、ずっと聞きたかったことを教えてもらって、リディオルがやってきて、それから――

 ラスターは半身を起こし、雲に半分隠れてしまった月を仰ぐ。雲間から覗く月は白く、地上の光に劣らず明るい。

 ユノは大丈夫だろうか。


 ――私たちは薬を作るのが仕事。それ以外のことで気を揉んでもどうしようもないでしょう。そういうことは専門の人に任せればいいの。腕利きの治療師がここにいるんだから、あとはなんとかしてくれるわ。

 薬を作る母親を手伝って、完成したそれを治療師の元へと届けて。その時にユノやセーミャの姿は見えなかったけれど、きっとなんとかしてくれたのだろう。どんな処置がなされたのかはわからないから、ラスターには想像することしかできない。

 ユノの負った熱傷は数刻で完治する傷ではないだろうし、同様に短時間で良くなる傷でもないだろう。だったら、信じて待つだけだ。また薬が必要になったら、ラスターたちはそれを作ればいいのだ。母親の言うように、できないことまで気に病んでも仕方ないのだから。

 それでも心配に思うかどうかというのは別ものだ。ラスターの頭から、あの時見えてしまった傷の様子が離れない。肌があれだけ変色していた熱傷だ。もし治ったとしても、ユノの左腕が元のように動くかどうか。


「――眠れない?」


 声のした方へ向くと、隣の布団から顔を出していた母親と目が合った気がした。母親も眠れなかったのだろうか。それとも、ラスターの気配で起こしてしまっただろうか。


「うん……ちょっと」


 よぎってしまうのだ。眠ろうとして目を閉じると、どうしたって浮かんできてしまう。目に焼きついた光景が、なかなか離れてくれない。


「ユノは大丈夫よ。エリウス殿がついているんだから。ああ見えて腕はいいのよ」

「うん……」


 優れた技量を持つ治療師だから。心配いらないから。大丈夫だから。

 何度言われても、巣食う不安が消えることはない。治療師であるエリウスの腕を疑うつもりではないけれど、安心できないのだ。見てしまった衝撃が大きすぎたからだろうか。それとも、ユノの傷を見た母親やエリウスの反応が神妙だったからだろうか。


「しょうがないわねえ……」


 のそりと身を起こした母親が、驚くラスターへと笑いかける。暗がりの中で、そんな気配がした。


「どうせ眠れないなら、ちょっと待ってなさい。お母さんがいいもの作ってあげるわ」

「……いいもの?」

「秘密よ」


 含み笑いで答える母親に、湧いてきたのは楽しみとは真逆の感情だった。嫌な予感がしたのも無理はない。母親がいいものというと、たいていこちらにとってはあまりよくないものだったりするのだ。ラスターの経験と記憶から、疑うなという方が難しい。

 あくびをこぼしつつも、鼻歌を歌いながらどこかへ行ってしまう。そんな母親をあぜんと見送り、ラスターはもう一度眠ろうと布団の上に転がった。今のうちに眠ってしまえば、被害に遭うこともない。悪あがきしたところで、どうせ眠れないだろうとはわかっていたけれど、それでも。


 そうして浮かんできたのは、昨日キーシャから聞いた話だ。

 賢人が殺されてしまったこと。ラスターがおとりとして据えられたこと。ユノが襲われて、怪我を負わされたこと。

 ユノの怪我は、もしかしてその人の仕業なのだろうか。ユノは賢人の見習いだった。賢人とまるきり無関係ではない。それどころか、立ち場としては比較的近しい位置だ。

 リディオルはラスター以外にユノを囮として使うと話していた。囮とされて、もし本当に、そのとおりにユノが狙われたのだとしたら――

 ラスターは肌寒さを覚えて腕をさする。

 ――次は、自分かもしれない。


 ユノのことは心配だ。それ以上に怖いと感じてしまって、そう考えてしまった自分が申し訳なくなる。感情をすり替えたつもりはない。ユノが心配なのは嘘でも建前でもない。

 だけど、次に標的にされるかもしれない可能性があって、それを実感してしまったらもう駄目だった。いつかそう遠くないうち、我が身にも降りかかってくるかもしれない。

 ――でも。

 固く目を閉じる。

 言ってくれたのだ。リディオルが。ラスターを囮に据えて、その代わりに守ると。指一本だって触れさせないと。

 今思えばそれは、ラスターを安心させる嘘だったかもしれない。その気にさせるための建前だったのかもしれない。

 約束をくれたのだから、それに応えたい。そう考えるラスターは甘いのだろうか。シェリックの助けとなるために、ラスターが差し出せるものはそれしかなくて――


「はーい、お待たせー」


 戻ってきた母親の元気な声で我に返された。母親が持つふたつの器から、湯気がゆらゆらと立ち上っていた。それを見て身を起こす。


「熱いわよ」

「ありがと」


 渡された器を両手で受け取り、器に近づけた顔をしかめる。

 熱いとは確かに聞いたけれど、この熱さは予想以上だ。顔に浴びた熱気が強い。これは冷まさないことには飲めなさそうだと思い知る。


「アルティナの人はみんなお茶が好きなの?」


 キーシャの部屋で、治療室で。色々な人から出された茶を思い出す。


「さあ? まあ、私があちこちに広めたから、そのせいじゃない?」

「……そうなの?」

「何も薬を作るだけが薬師の仕事じゃないわよ。身体的だけでなく、精神的な薬も時には必要。なかなか気づきにくいのが難点だけどね」


 漂ってくる甘い香りに視線を落とす。ほのかに混じる酸味に、ほっこりと息を吐けるような、そんな香りだ。

 確かに、母親の言うとおりかもしれない、香りだけでも穏やかな気分になれる。

 息を吹きかけて冷ましながら、ラスターは思わず笑ってしまった。酸味があるなら、もしかしたらシェリックはこれを飲めないかもしれない。輝石の島でシェリックがすっぱいあめを口に入れた時、思いきり顔をしかめていたのを思い出したのだ。

「なあに? 思い出し笑いなんかしちゃって」

 寝台に腰をかけ、向かい合わせになった母親が尋ねてくる。


「うん、ちょっと。シェリック、これ飲めなさそうだなと思って」

「え、嘘。まだ食べられないの? 酸味のあるもの」

「駄目みたい」


 輝石の島にいた時に駄目だったから、恐らく今でも駄目だろう。人の味覚は、数日やそこらで変えられるようなものではないはずだ。


「昔からなのよ。と言っても私と出会った頃からだから……ざっと十年前くらい?」

「そうなんだ」


 母親は懐かしむように、笑みをこぼす。


「あの頃は本当に生意気でねー。笑わないわ、にこりともしないわ、いつも不機嫌そうだわで話しかけるのも苦労したわよ」


 ようやく飲めるようになった茶を口に含み、言葉と一緒に飲み込んだ。

 笑わない。にこりともしない。不機嫌そう。それは、誰が?


「――シェリックが?」

「そう」


 別に、今もいつも笑顔でいるわけではない。母親が生意気だと称するシェリックと、ラスターが知る今のシェリックと、人物像があまり合致しないのだ。


「私の知ってる頃と比べて、ずいぶん柔らかくなったわ、あの子」

「ふーん……」


 想像もつかない。三年だけしかともにいなかったラスターには、比べられる要素を持っていないからだ。

 ラスターの知らないシェリックがここにいる。母親はそれを知っている。決して本人には聞けない。絶対に話したがらないからだ。旅をしていた間中、あれだけ昔のことには干渉しないと、お互いに決めていたのに。おかしなものだ。

 でも、今ならわかる。ひとつ知ると、もうひとつ知りたくなって、全部知りたくなってしまう。『どうして』や『なぜ』が浮かんでしまって、止まらなくなってしまう。

 もし今母親に聞いたなら、もっと教えてくれるだろうか。母親だけが知っているシェリックを。聞いてみたい好奇心が膨れ上がり、内なる声が押しとどめる。

 そうだ。やってはならない。それは裏切りだ。ラスターの意志とも反してしまう。

 ――待って! ごめん、それは聞きたくない。

 シェリックのことを教えてくれようとしたセーミャを止めたのは、他でもないラスターだ。ラスターは決めていたのだ。シェリックのいないところで、シェリックのことは勝手に聞かないと。訊きもしないのだと。もし聞かなければならなくなったなら、それは本人の口から聞くのだと。


「――ま、そんなわけで」


 ラスターの額に、母親の指が当てられる。


「今日はここまでよ。話し込みすぎると、夜が明けちゃうわ。それ飲んだら寝ること。いいわね?」

「はーい……わかった」


 心の内を見透かされたのか、母親に釘を刺されて苦笑いする。

 それに、ほんの少し、眠気がやってきたのだ。先ほどまで目が冴えていたことが嘘のように。


「ねえお母さん、これ、なに? 睡眠薬……?」


 聞きそびれてしまった器の中身。その正体は。


「まさか。ただの薬草茶よ。安眠効果のあるやつ。睡眠薬なんて使ったら、明日起きられないでしょ」


 その答えに、ラスターは吹き出してしまった。


「そうだね。昼まで寝ちゃいそう」

「でしょう? だからやめたのよ」


 母親の言う精神的な薬も必要とは、こういうものだろうか。不安や緊張、気がかりを軽くするような。

 ――ボクが目指してる薬師はそんな人じゃない!

 毒を流し、村を犠牲にし、ラスターたちを置いて出て行ってしまった母親。理由を教えてもらった今でも納得なんてできないし、理解したくない。それに、許せはしない。

 薬師が作る薬は、人を不幸にするものであってはならない。祖母の教えは、ラスターも正しいと思っている。

 そんなことをしたかと思えば、こうしてラスターに茶を淹れてくれる。


「先寝るわ。おやすみ、ラスター」

「うん、おやすみ」


 再びあくびをこぼしながら、母親は先に布団に潜り込んでしまう。ラスターはまだ中身の残っている器を脇の卓へと置き、母親と同じように布団に入る。

 薬師と呼ばれ、毒使いの魔女と呼ばれ、母親の本質はどちらなのだろう。

 シェリックだけではない。ラスターの知らない母親もここにいる。

 どれが本当のシェリックで、母親なのだろう。そこにはもっと、ラスターの知らない一面だってあるはずで――

 重くなった目蓋がやがて視界を閉ざし、ラスターを眠りの世界へと引き込んでいった。


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