74,赤の邂逅訪れて
ユノが戻ってこない――
リディオルからもたらされたのは、ユノの行方を問うものだった。
最後に見かけた姿を思い出す。ひと晩では大変だったろうに、ラスターにカードをこしらえてくれて。リディオルに腕を引かれたユノへ頑張ってねと伝えたら、手を振り返してくれて。あれはまだ数刻前の出来事だ。半日すら経っていない。
ユノに、何かあったのだろうか。そうでなければ、戻ってこないなんてことはない――はずだ。ユノの人となりを詳しくは知らないけれど、ほんの数回会ったラスターにもわかることはある。手がけていることを途中で放り出したりはしない人だと、それくらいはラスターにだってわかるのだ。
――餌はひとつじゃねぇしな。
からかうように告げたリディオルの言葉が浮かんで、ぎくりとする。ラスターは、あくまで囮にされるために賢人になった。人質としてここに連れてこられたけれど、賢人になることを決めたのはラスターの意志だ。そして、その囮はラスターだけではなかった。リディオルが話していたもう一人――ユノ。
ユノの身に何が起きたというのだろう。
ユノは賢人ではない。あくまでも見習いで、リディオルもそうだと認めていた。ユノを据えるという意味はわからない。それでも、何らかの方法で囮としたのだろう。
いなくなったユノはどこに行ったのか。何のために姿を消したのか。あるいは、戻ってこられなくなった事情でもあるのか。
まさか。まさか――
浮かんだ予感に首を振る。そんなこと、あるはずがない。そんなのは嫌だ。
悪い方向へと思考がめぐり、心臓が変な音を立てる。
それとも、本当に――
唐突に背中を叩かれ、ラスターは飛び上がった。横を見れば、そこにいたセーミャがぱちくりと目を瞬かせ、ラスターへと微笑む。
「早くユノ殿を見つけましょう、ラスター」
「……うん」
不安が的中しなければいい。まだ、何か起きたと決まったわけではないのだ。セーミャの言うとおり、とにかくユノを見つけないと。
リディオルがやってきて、あれからラスターたちは三つにわかれてユノを捜し回っている。見つけ次第、リディオルが飛ばしている風で他の人にも知らせられる。そういう手はずだ。
エリウスはレーシェと、リディオルは一人で、ラスターはシェリック、セーミャとともにこうしてユノを捜し歩いている。と言っても、ラスターは王宮の中で迷える自信があるから、シェリックやセーミャについていくだけだ。迷わないように、遅れないように、置いて行かれないように、けれども目を皿にすることも忘れない。シェリックやセーミャが見えないところを見ようと、目を凝らしながら二人についていく。
「セーミャは心当たり、ある?」
当てもなく歩き続けるよりは、少しでも可能性の高いところへ向かった方がいいのではないだろうか。途端にセーミャは考え込み始める。
「ユノ殿の心当たり……うーん、塔以外だとわかりませんね。シェリック殿はいかがですか?」
「俺もわからないな。王宮の外には出ていないと言っていたが」
三人で初めに向かったのが、王宮の入り口でもある門だ。昨日と同じ門番が二人いて、彼らは恐縮しながら教えてくれた。いわく、ユノは門を通っていないと。たとえ顔を隠していたとしても、ユノと同じくらいの背丈の人は通っていないと念押しまでされてしまった。そこまで把握されているなら、ユノが外に出た様子はないだろう。
「出かけていたら門の方が気づきますから。姿を見ていないとおっしゃっていましたし、やはり王宮のどこかですね」
セーミャとシェリックの二人がわからないのであれば、王宮の場所がいまいち把握しきていないラスターにはもっとわからない。ラスターにもわかる数少ない場所は、シャレルと謁見したところと、ナクルに案内された部屋、口上を受けた広間に、治療室に、それから――
「――ねえ、薬草のところは?」
ラスターの頭をかすめたのは、ユノと初めて出くわした花畑だった。
「薬草園? なんでまた?」
振り返り問いかけてきたシェリックへと、曖昧に頷く。
「なんとなく、としか言えないんだケド……ユノと会ったのが、あそこだったから……」
ラスターがユノと遭遇したのは、今朝を除けば二度。一度目はナクルが、二度目はリディオルがそこにいて。どちらも同じ場所でのことだった。
「なら、行ってみるか。当てもないし、もしいなかったら、他の場所を探せばいいだろ」
「そうですね」
決められた目的地に疑問点が浮かんでくる。
「でも、どうして薬草園にいたのかな」
向かうことに異論はない。それでも何か変だ。おかしいのは何だろう。
ラスターはひとつひとつ、言葉にして確かめる。
「ボクとかセーミャなら薬を使うからいてもおかしくないケド、ユノって魔術師見習いだよね。何か用事あったのかな……」
「ああ、それでしたら別におかしくはないですよ」
秘密のことを語るように、セーミャは悪戯めいた顔をして教えてくれた。
「あそこの灯り、全部ユノ殿が作ったんです」
「え」
「ですので、ラスターにお会いした時は、整備や修理にいらしていたのではないでしょうか」
ただの飾りだと思って、初めは気にも留めていなかった。それが外灯だと知ったのは、暗くなってからだった。明るすぎず、ほのかに揺らめいた灯りがきれいで、ぼんやりとすごいなあなんて思ったのだ。
あの灯りを、すべてユノが?
「――すごい」
ただただ、そのひと言に尽きた。
「でしょう? もともと手先が器用みたいで、ああいうことができるみたいですよ、ユノ殿は」
ラスターもカードをもらった覚えがある。あの時もすごいと思ったけれど、話を聞いてさらにすごいと思った。単なる飾りではなくて、有用な灯りで。あれを全て、ユノが作っただなんて。
ユノを見つけたら伝えよう。本当にすごいと。そんなに素敵なものが、ラスターの手元にもあるのだ。
ユノはどこにいるのだろう。言いたいことがたくさんあってわくわくしてきた。
何から話そう。なんと言おう。返ってくる答えはそっけないものかもしれないけれど、それでも伝えたい。
「――ユノ!」
上がった呼び声にはっと意識を戻される。見つかったのか、ユノが。
言おうとしたいくつもの言葉が喉元まで出かかり、それを見たラスターは口を閉ざした。
「ユノ、殿……?」
ラスターの隣で、セーミャがためらいがちに呼びかける。
シェリックが駆け寄った前方、それは薬草園の端。壁に背を預け、左肩を押さえた状態で、力なく座るユノがそこにいた。太陽から隠れるように、人目をはばかる位置で。
名を呼ばれたユノは、ゆっくりと頭をもたげる。動かすのも億劫そうで、背中がざわっとした。
「シェリック殿……それに、みなさんも……」
「左肩、でいいですか? 痛みは?」
ユノの前で膝を折り、背負っていた荷を下ろしながらセーミャが確認をしていく。
「痛みは、それほどないです。たいしたことはないと思います」
「それを判断するのはわたしたちの仕事です」
「そう、ですよね……」
声にも笑う表情にも、やはりどこか力がない。ラスターを誰何したあの時の覇気は、今のユノからはどこにも感じられない。地面に投げ出されたユノの左腕は動くのだろうか。
「すいません……いっつ……!」
「折れてはいないと思いますが、とりあえず応急処置をします。肩を見せていただいてもよろしいですか?」
「う……はい」
押さえていた手を離し、右手だけで上衣を脱ごうとするユノに、シェリックが横から手を添える。
「代わる。脱がすぞ」
「はい、お願いします……」
苦戦していたユノからそれを引き継ぎ、左肩には極力触れないように脱がせていく。
顔をしかめ、歯を食いしばるユノが右を向く。大丈夫なのだろうかとセーミャの影から覗き込み、ラスターはそっとユノをうかがった。
「――っ、ひっ……」
上げかけた声を手で押さえ、そこから一歩後ずさる。とん、とぶつかったのが誰かを知るよりも早く、ラスターの肩はその人に支えられた。
「酷いわね」
いつの間に着いたのか。つぶやいた母親へ、出てこなかった言葉の代わりに首肯する。ラスターの後ろから、きっと同じものを見たのだろう。
露わになったユノの左肩。血こそ出てはいなかったけれど、他の肌と比べて明らかに変色していた。皮膚よりも白くなった肌。あれは――
「――セーミャ、待って。触らないで」
その声は、ラスターたちのうしろからやってきた。
「お師匠様?」
決して速くはない歩調。それでもラスターと顔を合わせた時より緊張感をはらんでいるような気配があって、ラスターはその人の動向を見守る。エリウスはセーミャの隣でかがむと、じっとユノを見つめた。
「痛みはないって言ったよね」
「はい。それほどないです」
「それ、ちょっとまずいかも」
「賛成だわ」
レーシェも同意を示したことで、セーミャはエリウスへと尋ねる。
「……危ない状態ですか?」
「んー、これくらいなら命に関わるものじゃないかな」
「そうですか……」
目に見えてほっとしたセーミャへ、エリウスはさらに告げる。
「ただ、このまま放置してたらまずいね。程度はわからないけど、相当深そうだ」
「――はい」
一度は安堵した顔を引き締め、その場をエリウスに譲る。エリウスは顎に手を添え、考えることひと呼吸。
「背負うのは厳しいかな。シェリック、君、腕力ある?」
「ええ、それなりには」
「じゃあユノをお願い。連れてきてくれる?」
「わかりました」
二人の間で手短に交わされる。それが終わり、ユノの右手側へとしゃがみ込むシェリックへと、ユノは慌てて声を上げた。
「あ、歩けます、大丈夫です! どこまで行けば――」
「けが人はおとなしく運ばれてて。これ以上悪化させたいなら話は別だけど」
ぴしゃりと断られ、ユノが誰の目にも明らかにうなだれる。
「だそうだ。諦めろ」
「……わかりました。ご迷惑おかけします」
「気にするな」
「セーミャ、先に戻って浴室準備しててくれる? あと毛布」
てきぱきと、それでいて有無を言わせない指示がセーミャに飛ばされる。
「浴室……?」
「うん、沸かさないでね。毛布は使ってないやつ出しておいて」
「あっ、はい!」
いち早く駆け出していくセーミャを背に、エリウスはセーミャが下ろしていた荷物を「よいしょ」と肩にかける。その脇には、ユノを横抱きにしたシェリックがいて。
「レーシェ、薬お願いしていい? 熱傷の」
「ええ、すぐに。ラスター、手伝ってちょうだい」
エリウスの指示をぼうぜんと聞くだけだったラスターは、あたふたと返事をする。
「う、うん」
熱傷――つまりは、火傷だ。酷い状態なのはうかがえたけれど、治療師がいるなら大丈夫だろう。セーミャと、彼女の師匠ならきっと治してくれるはずだ。
連れられて行くユノを見送り、ラスターはレーシェのあとを追いかける。
ユノが悪いわけではない。何が起きたのかは知らないけれど、きっとユノのせいなどではない。そう信じたい。
それでも、思わずにはいられない。
――どうして、こんなことに。
誰に訊いたところで答えられない問いを、ラスターは繰り返し浮かべずにはいられなかった。