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翡翠の星屑  作者: 季月 ハイネ
四章 アルティナ王国
73/207

73,風が運んだ君の声


 聞こえてきた軽い音に、リディオルは何気なく首をめぐらせた。音の正体を探して部屋を見渡し、やがて床に落ちた塊にたどり着く。


「――あ?」


 その目が細くなったのがわかった。

 近寄って見れば、そこに落ちていたのは洋灯だった。拾い上げた洋灯に、見たところ壊れた気配はない。ユノが試作品だと見せてくれたものだ。

 リディオルが作成を急がせたのはこれとは別の、しかし同じもの。あとは今日届く納品の分を使って完成品を作り、それを試せばしまいだと説明していただろうか。だから別に、これが壊れてもそう困ることはないのだけれど――かがんだままで逡巡しゅんじゅんする。

 割れはせずとも、ひびの入った硝子。取れてしまった取手の部品が部屋の隅に転がっている。どうしてこうひと手間ふた手間増えるのか。面倒ではあったけれども、そのままにしたなら今度はユノにわめかれるに違いない。

 製作から何からユノに頼んだのは他でもない自分だ。ここでユノのやる気を削ぐわけにはいかない。直せるなら直しておけばいいだけの話だ。直せないのならまとめて卓の端にでも置いておこうと決め、立ち上がりかけたその一瞬だった。


「――っ、」


 くらりと傾いだ視界があって、とっさに膝を突く。そのおかげで真正面から無様に倒れるなどという失態からは免れた。

 一、二――

 十まで数えてから目を開いた。立ち上がり、踏みしめた足に平衡感覚が戻ったのを確かめる。


「……冗談じゃねぇわ」


 吐いた悪態を聞く者は、幸いなことに自分以外誰もいない。体勢を立て直したリディオルは、改めて洋灯に手を伸ばすのだった。



  **



 息を呑んだその気配が果たして誰のものだったか。ラスターには、周りの様子なんて気にしていられなかった。じっと見返してくる母親の両目から目を離せなかったこともあるし、ラスターもまたそこから目を離したくなかった。

 話ひとつ、行動ひとつ。その目線も、呼吸ですらも。

 何かひとつでも逸脱してしまったら本当のことを逃してしまう。そうして逃してしまったら最後、二度とそれを手に入れることは叶わない気がしてしまっていて。

 答えを聞いてもなお、理由が欲しくて視線だけは外さなかった。

 それでも、母親がその当時何を思ってそんなことをしたのか、ラスターには想像もつかない。ただなんとなくだなんて、決してそんな理由ではないはずだ。


「――毒?」


 その緊張感が破られたのは、シェリックの上げた疑問だった。


「そっか、君は知らないんだっけ。有名なこの話」


 決して穏やかではない単語がそこにあるのに、うろたえているのはシェリックとセーミャの二人だけだ。当事者である母親が知っているのはもちろんだけれど、遠くこの地でも他に知っている人がいるとは思っていなかった。


「有名、なんですか……?」

「そう。僕たち、賢人の間ではね」


 恐る恐るといった調子で尋ねるセーミャへ、エリウスはこともなげに返す。


「賢人になるために故郷の村を犠牲にしたって話。ことがことで、君を賢人にするか相当波紋を呼んだって聞いたよ。毒使いの魔女って、確かそう呼ばれてたっけ」

「あら嫌だ。そんな恥ずかしい名前なんて出さないでくださる?」


 なんでもない、それこそ世間話のような気安さで語るエリウスと、それに軽口で応じる母親と。話されている内容の重々しさはどこへ行ったのやらと、訊きたくなるほどに。


「私はどうしてもここに来なければならなかったの。何を捨てたとしても」


 捨てる。何を。

 ラスターは訊きたかったことをぐっと呑み込む。


「……村を、犠牲にしても?」

「ええ。そうでもしないと私の力を示せなかった。私の、薬師としての力をね」


 母親はどこまでも真剣で、揺るがない意志で話してくる。だから、ラスターも言うことができた。


「間違ってるよ」


 母親がいなくなったあの日。母親に言いたくて、でも言えなくて、口を閉ざしてしまったことを。


「お母さんは間違ってる。薬師は毒も扱うケド、絶対に、人を不幸にする使い方はしちゃいけないんだ。そんなコトはボクだってわかるよ、お母さんが知らないはずがない!」


 勢いのままに立ち上がる。泣いていたことも忘れて、母親に食ってかかった。


「お母さんはボクの憧れだった。尊敬もしてた。いなくなる前に、もっともっとたくさんのコトを教わっておけば良かったって思った。ケド、ボクが目指してる薬師はそんな人じゃない!」


 正しいか、正しくないか。世間の一般に当てはめなくたってわかる。母親がしたことは間違っているのだと。人を不幸に陥れることは、してはならないと。

 ラスターからの言葉を聞いても、母親はどこまでも冷静だった。


「――覚えておきなさい。何かを成し遂げるためには、犠牲にしなければならないことだって、あるのだということを。それが物なのか、人なのか、もっと別の何かなのか――それはその人にしかわからないわ」

「……だったらそんなもの、ボクはいらないよ。代償が必要だなんて、そんなの嫌だ」

「ま、そうでしょうね」


 あっさりとラスターの言い分を認め、母親は椅子に深く沈み込む。それを見て、ラスターもすとんと腰を下ろした。先ほど漂わせていた緊迫感が嘘だったかのように、母親は涼しい顔で言うのだ。

「でもいつかは直面する時がくるかもしれない」

 母親は言う。口をつぐんだラスターへと。


「私は可能性の話をしているだけ。来るかもしれない。でも来ないかもしれない。来ないならば、それに越したことはない。この世界には、不条理があふれているのよ。すべて思ったとおりにことが進むとは限らない。そうしたいなら、そうしたいなりの準備を整えなければならない。もしかしたら、それこそが代償だと呼ばれるのかもしれないわね」


 犠牲であれ代償であれ、よくない想像ばかりが浮かんでくる。


「だから、今のあなたには到底無理な話だわ」


 ラスターへと笑いかけ、母親は言葉を連ねるのだ。


「代償を払いたくないと言うのなら、それもひとつの方法でしょう。そうしたければ、そうできる方法を探せばいい。それでいいのよ。答えなんて、ひとつだけとは限らないんだから。それに、あなた――」


 続く言葉に何を言おうとしていたのか。それを聞くより早く、シェリックが立ち上がっていた。一点を見据えて、視線を動かそうとしない。


「シェリック殿? どうかなさいました?」

「――邪魔するぜ」


 シェリックが答えるより早く、そちらから声がした。開いた扉から現れたのは、リディオルだ。


「……おまえな、ことあるごとに風を送ってくるのはよせ。用があるなら、今みたいに直接くればいいだろ」


 苦情を述べながら、シェリックはリディオルの元へと向かう。きっと、ラスターの知らないところで何度もそれをされたのだろう。シェリックの反応に想像がつき、笑いかけてあれ、と思う。

 なんだかリディオルの表情が浮かない。いつもみたいにシェリックやラスターを茶化すことなく、ぼんやりと考えごとをしている。


「あー……やっぱり届いてんのか」


 その一人ごとがラスターにまで届いたのなら、当然のごとくシェリックにも聞こえているはずだ。

 シェリックの文句に応じることもなく、誰の姿も映さずに、どこか別のものに思いを馳せているようにも見えた。


「何かあったのか?」


 要領を得ない返答に、シェリックが怪訝けげんに問う。


「いや、たいしたことじゃねぇんだが。どこかでユノ見なかったか?」

「ユノ? いや?」


 思わずラスターもセーミャと顔を見合わせ、お互いに首を振り合った。


「いいえ、ここにはいらしてないです」

「ボクも見てないよ」

「そうか。そちらは?」


 リディオルの問いかけに、しかし芳しい答えはなかった。


「知らないわ」

「残念だけど、僕もわからない」


 ユノもリディオルも、ラスターが口上をもらって別れてから、それ以来だ。そのあとはシェリックに連れられてエリウスやセーミャ、母親と一緒にここにいたし、それ以外には誰にも会ってはいない。


「どうかなさったんです?」

「あのあと別れてから戻ってこねぇんだよ。納品されてんのに肝心のユノは姿見せねぇし、愚痴と文句は言ってもあいつが放棄するわけねぇし、それと――」


 開きかけた口から言葉は出てこず、代わりにリディオルは首を横に振る。


「いや、それはいいか。どっかで見かけたら教えてくんねぇ?」

「ああ、それは構わないが……」

「頼んだぜ。それじゃ」

「――ねえ、それ、探しに行った方がいいんじゃないかな」


 部屋から出ようとしたリディオルを止めたのは、エリウスのひと言だった。


「どういう風の吹き回しです? エリウス殿」

「別に? 幸いここには人がいるし、みんなで探せば早いんじゃないかなと思っただけだよ」


 早々とエリウスが腰を上げたのを見て、母親が感嘆の声を上げた。


「ずぼらなあなたにしては珍しいことじゃありません?」

「僕だってたまには頑張るよ」

「あら、それは失礼いたしましたわ」


 交わされていく会話に目を動かし、耳を傾けては聞き取る。


「まったくね。ほら、行くなら早く行こうか。――行く場所に心当たりは?」

「そこはもうひと通り見て回りましたよ」

「じゃあ、手当たり次第探すしかないかな」


 エリウスは通りすがりざまにシェリックの肩を叩いて、リディオルと話しながらすたすたと出て行ってしまう。


「えっ、待ってください、お師匠様!」

「忙しないわね」


 セーミャが追いかけて、レーシェがそこに続いた。みんな行ってしまう。とどまっていては遅れてしまうだろう。既に出遅れてしまっていることだし。ラスターは慌てて腰を浮かして走り寄る。彼らを見送ったままで立ち尽くしている、シェリックのところへ。


「シェリック、ボクたちも――」


 隣を見上げて、促しかけた言葉を引っ込めた。


「シェリック?」

「――あ、ああ」


 呼びかけても反応が鈍い。


「ユノ、探しに行こう」

「そうだな」


 ちゃんと目が合わさり、ラスターに応じるのはいつものシェリックだ。鈍かった反応なんてなかったかのように。

 シェリックに呼びかけて、初めに見えた表情。

 信じがたいものでも見たあの顔は、ラスターの見間違いだったのだろうか。


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