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翡翠の星屑  作者: 季月 ハイネ
四章 アルティナ王国
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70,黒き始標は密やかに


 外へと出たラスターたちがたどったのは、まるで森のような場所。一本道ではあるけれど、それがなければどこをどう通っているのかわからなくなりそうだ。

 森に慣れ親しんではいても、ここはラスターの故郷ではない。いくら同じ『森』だと言われても、場所が違うのであれば、それは全く別のものだ。


「森なんてあったんだ」


 ただの木立にしては規模が大きい。ラスターの故郷ではないけれど、それでも十分、森と呼べるのではないだろうか。


「先代の王が造らせたんだ。ここにいても、緑が見たいってな」

「緑……」


 それにしては広くないだろうか。アルティナの人たちの発想力は、時に桁違いに思えてならない。

 森も確かに緑ではある。薬草園も緑だけれど、それだけでは足りないのだろうか。それとも、ラスターとは感覚が異なるのだろうか。


「気分転換したくなった時にはここに来るといい。リディオルのいる塔と近いのが難点だけどな」

「そんなコト言ったら可哀想だよ」

「どこがだ。会いたくもない時に限ってあいつは無駄に顔を見せてくる。いい迷惑なんだよ、こっちは」

「暇……とか?」

「暇つぶしの相手をしてやるほどお人よしじゃない」


 取りつく島もないシェリックへと話しかけるのをやめ、ラスターは息を吸った。

 建物の中にいるよりずっと落ち着くのは、この森の中にいるからだろうか。だとしたら、先代の王様が造ったのも無駄ではなかったかもしれない。こういった需要があると思われたからこそ、造ったのかもしれないのだし。

 それに、懐かしい。

 シェリックと出会った最果ての牢屋。その周囲に広がっていた森を思い出すのだ。生い茂る木々に、地面を覆い隠していた草花に、時折目を細めさせる木漏れ日に。

 ラスターがうるさがられるくらいに話しかけて、返ってくる反応に興味津々になって、さらに話しかけて。そうして二人で歩いたものだった。

 シェリックの受け答えは、初めの頃よりずっと増えた。ラスターをからかうようにすらなったのだから、あの時とは全然違う。

 一緒にいて、今まで見たことのないシェリックの一面を見つけたりして。

 ――決めたのはおまえなんだから、したいとおりにすればいい。

 笑いかけてくれたあの表情がいつになく優しかったから、ついつい思い出してしまう。

 火照った頬を片手であおぎ、ラスターがついてくると信じて疑われていないその背中をじっと見つめる。歩幅にして一歩、それだけの距離。

 頬が熱くなったのは、慣れないことをしたせいだ。賢人になることを承諾したせいだ。外の風が少ないし、歩き続けたから、こんなにも暑いのだ。


「ねえ、シェリック。治療師ってどんな人なの?」


 考えごとから離れようと、シェリックに話しかける。


「あー……ひと言で言うなら変人だな」

「変な人?」


 治療師で変人。どうにもふたつを結びつけた人物像がうまく思い浮かばないのは、ラスターの想像力がないせいか。


「大らかな人なんだけどな、何と言うか……まあ、独特な人だな」

「ふうん……?」


 言葉を濁されたような気がしなくもない。ラスターは首を傾げつつも、頷いておくことにした。一体どんな人なのだろう。変人と称されるくらいだ、相当変わった人なのだろう。

 鎮まりつつある頬を、風がさわりとなでていく。涼しくて、気持ちがいい。ラスターを追い越し、シェリックをも追い抜かした風は、いち早く森を出ていく。

 前へ、前へ。ここよりも先へ。出口を越えたその向こうへ。

 そう誘っているかのように。


「――シェリック殿?」


 柔らかな女性の声。めぐらせた首が行き着いたのは、追った風の先。森の出口のさらに向こう。

 歩み寄ってきた女性の顔が徐々に晴れやかになっていく。それもそのはず。治療師を知らないラスターにも、その人には見覚えがあったからだ。


「セーミャ!」

「ラスターも! ご無事でしたか!」


 互いに手を取り、再会を喜びあう。キーシャに続き、まさかここでセーミャとも再会できるとは思わなかった。

 ――でも、そうか。セーミャは。

 初めて会った時に治療師見習いだと名乗っていた。王宮仕えだったのは嬉しい誤算だ。

 ラスターから離れ、セーミャはシェリックを見上げる。どこか悲しげな顔をして。


「やはり、シェリック殿がシェリック=エトワール殿だったんですね」

「悪い噂でしか聞いていないだろう」

「そんなことないですよ。少なくともレーシェ殿とお師匠様は、あなたのことを心配しておりました」


 返答に窮したシェリックが言葉を詰まらせる。

 シェリックは王宮に着く前、ラスターに言ったのだ。

 アルティナで俺を待つのは歓迎じゃない。それどころか、ラスターにまでその火の粉が降りかかる恐れがあると。そんなことはないと、ラスターは返したのだ。

 ほら、やっぱり。あの時否定したとおりだ。シェリックのことを待ってくれていた人だっていたのだ。


「――そうか」


 目を伏せて、シェリックは答える。その表情は読み取れなかったし、シェリックが何を思って答えたのかもわからない。けれどラスターは、ほんのちょっぴり嬉しかった。

 シェリックの帰りを待っている人がいて、シェリックを心配してくれていた人がいて、嬉しいと思ったのだ。


「ここで、その……妙な噂もたくさん耳にはしましたけれど、あなたがその言葉どおりの方だとはどうしても思えなくて」

「人は見かけによらないというからな。表面上だけでは推し量れない。今だって、こいつを脅しているかもしれないぞ?」


 ラスターを親指で示すなり、シェリックはしれっと口にした。

 それを見たセーミャは困ったように笑う。


「極悪非道な方でしたら、初めからそんなことを言うはずがありません」

「どうしてそれがわかる?」


 あんまりだ。なんて意地の悪い質問をしているのだろう。

 抗議しようとしたラスターより早く、セーミャは言ったのである。


「だって、あなたのことを話している時のラスター、とても楽しそうでしたから」


 シェリックからとうとう言葉が出てこなくなる。セーミャはラスターへと目くばせをし、もう一度シェリックに視線を戻すと朗らかに笑ったのだ。


「脅されているなら、そんな風に語ることもないでしょう? ですからわたしは、ラスターやお師匠様を信じることにしたんです」


 語られていた評判ではなく、与太話でも、流れていた噂でもなく。

 セーミャはきっと、信じられる人を信じたのだ。


「――ありがとう」


 信じられていた中にラスターがいるのだと知って、気づいたらひと言こぼれていた。


「いいえ、お礼を言われるようなことではありません。わたしが勝手にそう決めただけです」


 周囲に流されず、自分の意思をとおす。それは決して、容易ではないだろう。

 セーミャはすごい。単純にそう感じた。


「それで、本日はどのようなご用件です? キーシャ様から、シェリック殿がお師匠様に会いに来られると伺ったのですけど」

「ああ、こいつがついさっき賢人になったからな。それのあいさつ回りだ」

「――え」


 今までの表情とは打って変わり、不思議そうな、と言うよりは怪訝けげんな眼差しが注がれる。


「ラスターが……?」

「うん」


 セーミャに見えるように。ラスターが目の前で掲げたそれは、リディオルからもらったばかりのあのカードだ。


「ラスター=セドラです。治療師の方に会いに来ました」


 王宮では身分証になるのだと、星命石と一緒に肌身離さず持っておくのだと、そう言われた。

 セーミャに見せたのは、先ほどシェリックと決めていたことだった。最初に示しておくことで、一種の牽制になる。同時にラスターの名を知らしめておくいい機会だと、シェリックは話してくれた。ため息混じりで、実に嫌そうに。


「……セーミャ?」


 なかなか返ってこない反応にびくびくしながら問いかける。セーミャははっと我に返ったように、ラスターと目を合わせた。


「ああ、すいません……受継じゅけいなんて、初めて見たものですから」


 驚いた、にしては少し様子がおかしい。どこか戸惑っているような、怯えているような、それでいてためらっているような。


「セーミャはいつからここへ?」

「三年ほど前からです。それより以前はアルティナとは別の、離れた場所におりまして……あの、シェリック殿」

「何か?」


 言うべきか言わざるべきか。迷っていたセーミャが意を決してシェリックへと問いかける。


「レーシェ殿は、今……?」


 それはラスターの知らぬ人。名前ばかりを何度も聞いているのに、実際の姿はまだ見たことがない。シェリックは短く「ああ」と答えた。


「心配しなくてもあの人は存命中だ。今回の受継は、事件のせいじゃない。それは安心してほしい」

「そうでしたか……なら、良かったです」


 シェリックから答えを聞いたセーミャは、心底ほっとした表情を見せる。


「ご存知でしょうが、わたしはセーミャ。治療師エリウス殿の元で、見習いとして働いております」

「ああ、こちらも改めて名乗ろう。占星術師、シェリック=エトワールだ」


 交わした握手が離され、セーミャはそっと目を逸らした。


「会いに来ていただいたのに、大変申し訳ないのですが……」

「あの人はまた放浪してるのか?」

「いえ、キーシャ様からお話も来ておりましたし、今日と言う今日はいてくださるように言い含めてあります。それは、いいのですが……」


 ラスターは首を傾げる。キーシャが話は通してあると言っていた。懸念することは何もないと思えるのだけれど。


「案内をお願いしてもいいか?」

「……ええ、かしこまりました」


 だというのに、セーミャのこの憔悴しょうすいぶりはどうしたというのだろう。明るかった顔が、どんどん沈んでいく。


「どうぞ、わたしについてきてください……」


 とうとう悲壮感すら漂い始めたセーミャの背中を見て、思わずシェリックと顔を見合わせた。


「どうかしたのかな?」

「まあ、大方予想はついたが」

「なに?」

「行けばわかるだろ、嫌でも」


 あきれ混じりの返答に首をひねる。もう一度シェリックを見上げるも、教えてくれそうな気配はない。訊きたいことはもうひとつあったのに――今は何を言っても答えてくれなそうだ。



  **



「今日中とか、あの人は本当何を考えているんだか……」


 言い渡された言葉を呪いのようにつぶやく。かけられた期待の大きさに、言われたその意味に、ユノは複雑な心境で歩いていた。リディオルから無茶ぶりを申しつけられるのは今に始まったことではない。これまでにも何度もあったし、その度にユノはこなしてきた。それに対しての自負も多少はある。

 わからないわけではない。期待されているのはわかる。急ぎの用だということもわかる。それにしても限度があると思うのだ。

 毎回その限界とやらを引き上げられている気がしていて、そろそろ許容範囲を超えられてしまうのではないかとひやひやしている。


「半日足らずしかないし、納品だってちゃんと届いたわけじゃないし……それに、オレの手は二本しかないんですよ」


 口にしてみて、どれもこれも言い訳めいた言葉ばかりだと気づいてしまう。最初の頃に出されていた指令は、今では軽々とこなせるのだろう。というより、昨今の頼まれごとに比べればだいぶましだと思えるのだ。あの頃はまだ良かった。

 ユノに限らず、人間の手は二本しかない。他の人と比べたら小さな両手。見下ろして、息を吐いて、ユノは思う。ちゃんと成長できているのだろうか。成果となれているのだろうか。

 天才だと、最年少だと持てはやされて、その呼称に見合った働きができているのだろうか。言われたらやるだけだ。こなしてしまえばいいのだ。

 ユノだって、思うところがないわけではない。期待に添えた働きはしたい。望まれたのなら、それに適った結果で返したい。それでも思ってしまうのだ。早く、皆のようになれたらいいのに。


「……」


 そこで足を止めたのは、不安に思って進みたくなくなったとか、そういうわけではない。今、何か物音がしなかっただろうか。


「――空耳?」


 それならばいいけれど、もしそうでないならば。

 近頃は物騒な事件が多いと聞く。賢人が殺されるなんて前代未聞だ。次は誰に及ぶのかもわからない。もし、今聞いた音が助けを呼ぶ声だったなら?

 嘆いている場合ではない。


「誰か、いるんですか?」


 ユノは試しに問いかけてみる。

 しばらくして、返ってきた答えは――


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