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翡翠の星屑  作者: 季月 ハイネ
四章 アルティナ王国
68/207

68,青き祈りを空に込め


 ――ああ、まずい。

 朦朧もうろうとする意識の中、それを感じたのは膝から崩れ落ちたあとだった。遅すぎるだのあとの祭りだの、叱咤しったする幻聴まで聞こえてきたから手に負えない。

 取り落とした洋灯が、がしゃんと音を立てて転がっていく。よろけた際、壁にぶつからなかっただけましかと見当違いな感想を抱いた。

 先の音で確実に硝子は割れただろう。灯されていた火も見えなくなったから、恐らくは消えてしまった。

 収められていた硝子から解放され、意気揚々と転がっていった本体を目で追う余裕すらなく、閉じた目の裏側にいくつもの顔が浮かんできて――それらの幻を追い払い、目を凝らした。

 まだ駄目だ。ここで落ちるわけにはいかない。薄れつつあるのは確信している。それでも、握った手からこぼれようとしているわずかな残滓ざんしを必死に繋ぎ止めた。

 伝えなければならない。

 話したいことも、それこそ山のようにある。一刻だけでは足りないくらいの量が。

 足りない。時間も惜しい。話さなければ。

 自分の意思とはまるで反対に首すら回せない。暗がりの中でこれは夢なのか現実なのか、その感覚すら曖昧になってくる。

 こんなところで寝ている場合ではないのに。さっきは開いた瞳さえも徐々に開かなくなって、完全に覆われてしまう前に、思考だけは回転させようと努める。

 ――君が考える、最悪の事態は何?

 それはもう二度と起こしてはならないこと。失わせてはならない人のこと。

 知らせなければ。届けなければ。守らなければ。そのために、自分は――


 保っていた意識が失われ、やがて指先も動かなくなる。

 そんな様子を、壊れた灯りだけがじっと見つめていた。



  **



 賢人になると決めて、一夜が明けて。その日は、とても空の高い日だった。

 吸い込まれそうなほど深みを帯びた真っ青な空に、王宮の白が良く映える。まぶしさに手をかざしていると、「ラスター」なんて呼ばれる声がした。


「なに?」


 振り返ったそこにいたのは、真っ黒な外衣に身を包んだシェリックだった。リディオルや、フィノと同じ。昼の真っただ中では目立つけれど、暗闇には簡単に溶け込んでしまいそうな漆黒。


「口上を述べる」

「こうじょう……?」

「ああ。たいしたことじゃないんだが」


 聞き慣れない単語だ。

 前置きをしたシェリックは、それがどんなものか教えてくれた。


「いわば、賢人になることを認めるための文言、みたいなもんだな。選ぶのは前任者であっても、他の賢人でもいい。ただ、口上を述べるのは賢人を選任した人ではなく、それ以外の人でなければならない。公正を期するための制度とは言われているが、要は周りが認めるかどうかだ」

「ふうん……」


 その人が決めたとしても、周囲の人間が納得しなければ取り下げることもできるということか。それは、つまり。


「……面倒くさそうだケド、賢人が二人以上結託したら、簡単にできちゃうってコトだよね」


 そう、まさに今回のように。果たしてそれでいいのだろうか。


「まあな。他の賢人が認めなければ、賢人に就いたあともその地位から降ろすことができる。ひと筋縄じゃいかないんだよ」


 新参者のラスターにはわからない。

 けれど、説明だけを聞くなら、賢人の入れ替わりは多そうだ。たとえばある賢人に、他に気にくわない賢人がいたとして、その人を降ろすことだってできるのだろう。

 それを考えたなら、ラスターだっていつこの地位から外されるか、わかったものではない。

 始まってもないことを今から気にしても仕方ないことだけど。


「――薬師、ラスター=セドラ」


 朗々と響いたシェリックの声に、自然と背筋が伸びる。

 ラスター以外には五人。そこにいる全員が見守る中、シェリックは口上を述べたのである。


「占星術師シェリック=エトワールの名において、ただ今より賢人となることを認める」


 特に何が変わるわけでもない。薬師と名乗ることを許可されて、ようやく認められたような気がした――それがたとえ、嘘偽りの身分であったとしても。


「つ、謹んで、承ります」


 かみそうになる言葉をなんとか堪えて、ラスターは答える。こう答えるのだと、事前にシェリックから教わっていたとおりの言葉を。


「じゃ、嬢ちゃんにこれを渡さないとな」

「? 何これ――あ」


 リディオルから渡されたのは一枚のカード。そこにはラスターの名と、薬師の文字が書かれ、裏返したそこには蒼穹そうきゅうの空と銀竜――アルティナの紋章があった。


「身分証ってやつだな。星命石と一緒に、肌身離さず持っておくんだぜ?」

「うん、ありがとう」

「おまえ、いつの間にそんなものを」


 シェリックに問われ、リディオルはしたり顔で答えた。


「ふふん。うちの見習いが本気を出したからな。これぐらいはお安いご用だ」

「……おかげさまで寝不足ですけどね」


 リディオルの横、ひと際眠そうにしていたユノがあくびをかみ殺す。右手で隠された顔にはその影響か、うっすらと涙がにじんでいた。


「お疲れさん」

「本当ですよ。昨日の今日で作るなんて……リディオル殿が言わなければ、もっと余裕をもって取りかかれたんですけど」

「早い方がいいだろ?」

「いつも無茶が過ぎるんですよ」


 ラスターの手の中にあるカードは、以前リディオルからもらったものと少しもそん色がない。ユノがひと晩でこれを作ったのだったら、相当大変だったのだろう。それはユノの様子からも察することができた。


「ありがとう、ユノ」


 こんなきれいなものをひと晩で作るなんて。感謝の言葉しか浮かんでこない。ラスターと同じくらいの歳だろうに、どうしてこんなことができるのだろう。

 反応がなくなったユノを見やる。ユノは口を半開きにしたまま、そこに何か珍妙なものでもあるかのようにラスターを見ていたのだ。


「こんなのが作れるなんて、ユノはすごいね」

「いえ、別に。たいしたことじゃないですし……急ごしらえのものですから、そんなにできは良くないですし」


 虚を突かれたような顔をして、ユノはもごもごと返事をする。そんなに変なことを言ったつもりはないし、十分たいしたことだと思うのに。


「――はい、これにて無事に終了だわ」


 キーシャの手元からぱん、と小気味いい音が鳴った。それを合図にしてか、キーシャはすうと息を吸い込む。


「やることはたくさんあるんだから、はいさっさと取りかかる!」


 張り上げた声は決して大きくはなかったけれど、高い天井に反響して、そこにほどよく響き渡った。


「なんですか、そのぞんざいな解散の仕方は」

「誰かのひと声が必要だと思ったのだけれど、違ったかしら?」


 苦笑するリディオルへと、キーシャは小首を傾げてみせる。


「いえいえ、丁度いい頃合いで驚いただけですよ」

「嘘ばかり。適当な言葉でごまかすのはあなたの得意技でしょうに」

「勘弁してくださいよ、キーシャ様」


 澄まし声で告げるキーシャへと、リディオルは両手を挙げて降参の意を示した。


「そうです、キーシャ様。ただでさえ時間が惜しいのですから」


 会話に入ってきたナクルへ頷き、キーシャはこちらを向いた。


「ラスター、あなたに紹介したい人がいます」

「? うん」


 誰だろう。


「ということなのでシェリック、案内をお願いしてもいいかしら?」

「ああ。どこへ?」

「治療師のところへ」

「――治療師?」


 肯定の返事をしかけたシェリックだったが、その口から出てきたのは疑問の言葉だった。


「エリウス殿か?」

「ええ。行ってみればわかるわ。先方には話を通しているから」

「わかった」

「――さーて」


 そんなことを言いながら、リディオルはユノの腕をひょいとつかんだ。


「なんですか、この手」

「やることもなすこともいっぱいあるなぁ、ユノ」

「……そうですね?」

「これから忙しくなるねぇ。ああ、大変だ。――ってなわけで嬢ちゃん、シェリック、またな。キーシャ様、我々はここで失礼します」

「ええ」

「う、うん」


 キーシャにぞんざいと言ったくせに、リディオルの退出もなかなか適当なものだと思うのだけれど。意味合いが違うのだろうか。


「ちょっと、リディオル殿、自分で歩けますから! この手放してくださいって!」


 問答無用で連行され、あわてふためきながら文字どおり引きずられていくユノを見送る。


「頑張ってねユノ! それと、ありがとう!」

「――あ、はい!」


 飛ばした声が届いたようで、ユノがラスターへと手を振るのがわかった。


「私たちもこの辺で失礼するわね。行くわよ、ナクル」

「承知しました。お二人とも、それでは」

「ああ」


 そうして、その場にはラスターとシェリックの二人だけが残される。ここにいた半分以上の人間がいなくなってしまったから、一気に静かになってしまった。


「みんな忙しいんだね」

「そうだな。ほら、俺たちも行こう。あいつらほどじゃないが、やることはある」

「はーい」

「迷うことはないだろうが、遅れずについてこいよ」

「うん」


 答えると、なぜかシェリックに苦笑された。ラスターは目だけで問いかける。


「おまえ、よそ見ばかりするもんな」

「そんなコト――」


 言いかけた反論をいったん閉じる。

 初めてアルティナの街を歩いた時のこと。ついていくのが精一杯だったのに、それでも気になってしまって。あの時ラスターはきょろきょろと見渡しながら歩いたのだ。何度人にぶつかって、またぶつかりそうになったか覚えていない。


「……あるかもしれないケド。だって、見たコトないものとかたくさんあるし、気になっちゃうよ」


 どちらも両手で数えきれないほどはあったと思う。その全部を見ないようにするなんて、無理難題だ。


「――わかった」


 吐かれたのは諦めだろうか。謝りかけた言葉を呑み込む。また頬をつねられては堪らない。


「うん……今は治療師って人のところに行かないとだもんね」

「ああ。目には入るだろうしな、見るなとは言わない。あとで王宮の中を案内してやるから、それまで我慢できるか?」


 ラスターはシェリックを仰いだ。


「――うん」


 妥協と許容と。

 それだけでも、ラスターの消沈しかけた気分を上昇させるには十分だった。


「うん、大丈夫!」


 あきれられたかもしれないけれど、拒絶ではない。シェリックが聞き入れてくれたことに、知らず知らず心が躍った。

 先導するシェリックのあとを追いかけて、ラスターもそこから出る。

 そこにいた皆が立ち去って、久しぶりに二人だけになって。

 なんだか新しい旅の始まりみたいで、ちょっぴりわくわくした。



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