66,願いか謀り、据えたのは
「すべてが建前じゃねぇよ。嬢ちゃんの実力を認めたのはシャレル様だしな」
向けられた敵意をものともせずにリディオルは言う。
「今俺らが対策してるのは主に警備の強化だ。単独行動をしない、見回りを常日頃よりも増やす、目が行き届かないところは魔術師が担当する。それでも何か起きた時に備えて、ユノに洋灯を試作させた」
「今まで灯りはなかったの?」
口に出してから、いやそれはないと否定する。
あちこちで見かけた照明器具はきれいではあったけれど、最近設置されたような気配ではなかったと思うのだ。
「いんや?」
返事をしながらリディオルはそこから移動する。
「ユノが試作したのはただの灯りじゃねぇよ。何かが起きたら、灯りを壊して他の誰かに伝えられる。防犯灯みたいな――いや、伝達灯だな。実装するにはもうちょいかかるが」
リディオルは入口の扉の前で足を止める。何事かと見守っていたラスターたちをよそに、無造作に置かれていた洋灯をひょいと手に取った。
それをこちらまで持ってくると、リディオルはラスターの目の前へと置いたのだ。硝子の容器の中、そこにある灯は点いていない。
「嬢ちゃんにやるよ。お近づきの印に――ま、つっても試作品だけどな」
受け取ってもいいのだろうか。
「ありが――」
「賢人になってもらう嬢ちゃんには必要だろ?」
伸ばしかけていた手を止め、そこに立つリディオルを見上げた。
「そんなわけで嬢ちゃん、あんたにゃ賢人になってもらいたい。もちろんこの灯りだけで守るって意味じゃねぇからな。これはあくまで伝達手段のひとつだ。近くに人がいない、声を出せない、動けない。状況はいくらでも考えつけるが、実際何が起きるかわからねぇしな」
真剣な眼差しがラスターに注がれる。
「何の後ろ盾もない状態でここにいるよりは、ずっと安全だと言えるぜ?」
「リディオル! 強制はしないと――!」
抗議しかけたキーシャを制し、リディオルはその片手を下ろした。
「賢人が殺されたって話はさっきのとおりだ。解決するために、嬢ちゃんには囮になってもらいたい。なに、嬢ちゃんの身の安全は俺らが全力で守る。指一本だって触れさせやしねぇよ」
「それでも危険なことに変わりはないだろう。守ると言っても、完全に無事にとは無理だ」
「俺は嬢ちゃんに聞いてる」
シェリックの言い分を跳ねのけ、リディオルはなおも問いかけてくる。
「このままだと俺もシェリックも危ないかもしれん。――どうだい? 解決する手助けだと思って、賢人になっちゃくれねぇか?」
「――リディ、それは脅しのつもりか」
低い声音がリディオルへと立ち向かう。
「まさか。俺は自分の案をそのまま話しただけだぜ? 脅しなんて心外だな」
「何が話だ。こいつを脅して、無理やり従わせようとしているだけだろう!」
輝石の島で見た光景が思い出される。
シェリックに怒られたこと、フィノと対峙していたシェリックのこと。それのどちらとも違う様子に、ラスターの知らないシェリックがここにもいたのだと知った。
「話していたおまえの対策がそれだというなら――」
「――シェリック」
激高しかけていたシェリックの裾を引く。
そんなつもりはなかったのに、ラスターのひと言でその場にいる全員の視線を集めてしまった。
「……なんだ」
思わずのけ反ってしまい、シェリックの問いかけで我に返る。みんなの顔を順に見渡して、最後にシェリックへと行き着いた。その困ったような、怒ったような、何とも言い難い感情を宿した顔に尋ねる。
「ボクの話を、してもいいかな」
ラスターにはずっと、考えていることがあった。
アルティナへ来たこと。シェリックに言われたこと。リディオルから聞いたこと。受け取ったもの。それから、シェリックに話さなければならないこと。
「ボクは人を探してたんだ」
ひとつひとつ考えながら、言葉を選んでいく。
初めはアルティナに来る予定なんてなかった。母親を見つけるために当てもなく探しまわって。そうして輝石の島の噂を耳にして、彼女ならきっとそこへたどり着くだろうと目星をつけて。目的地が輝石の島になったのは必然的なことだった。
「輝石の島っていう噂を聞いて、その人ならきっとそこにいるかもしれないって思って。だけどその人はそこにはいなくて」
輝石の島に向かうよう誘導されたこと。それが実はアルティナのしかけた罠だと気づけなかったのは、こちらの落ち度でもある。初めて噂を聞いたところから始まっていたのか、それともリディオルと出くわしたところから始まっていたのか――それは定かではない。
船の中でキーシャに出会ったのは偶然だった。島への道はリディオルの仕業だったけれど、その出会いまで嘘にはしたくない。
思い返してみても、大変な目に遭った道のりだった。そのどこにも探し人は見つからずにいて。では、ラスターの探している母親はどこに行ったのだろう。
「それからシェリックとフィノに連れられてアルティナに来て」
途絶えてしまった手がかりに焦燥を抱いていないと言ったら嘘だ。次の当てなんて見つけている余裕もなく、目まぐるしく動いていた事態に追いつくのが精いっぱいだった。そうしてここまで来て、ラスターの今がある。
「――シェリック言ったよね。ボクが旅を続けたいなら、ここから出してやるって」
俺の成したいことのひとつだと、シェリックはそう語った。
「ああ、その話だが――」
「いらない」
シェリックの続きをばっさりと切り捨てる。
「お母さんを探したいって言ったケド、ここから出ていかない。ボクはアルティナに残るよ」
見上げたシェリックの面食らった表情。珍しいものが見られたなんて、心のどこかで感想を抱いた。
「わけを、聞いてもいいか?」
「言わないと駄目?」
「ああ」
リディオルには話せた。けれどいざ本人を目の前にすると、とても気恥ずかしさを覚えてしまう。うまく説明できるだろうか。
「おまえが元々の目的を変えるほどだ、よほどのものだろう?」
「そんなんじゃないよ」
そう、本当に重大なものではないのだ。
「探してる人をまだ見つけていないし、ボクの旅は終わってない。ここに残るって言っても、目的は変わらないよ。でも、今のシェリックを一人にしちゃいけないと思ったから」
「――は?」
気の抜けた返事がシェリックからこぼされた。
最果ての牢屋で出会って。それからここまでともに旅をしてきて。
家族ではない。元来の友人でもない。親族の繋がりもなければ、師弟の関係でもない。恋人なんてのも違うし、ただの旅の連れだ。お互いに語れる関係はそれだけ。
今ラスターとシェリックを繋ぐ関係はとても希薄だ。何かきっかけでもあれば――それこそ一度離れでもすれば、容易く途切れてしまうほどに。
「俺……?」
「うん」
ラスターは首を縦に振った。
「シェリックはボクのコトは助けてくれたのに、自分のコトになると関わらせないように遠ざけようとしてる。そんなのずるいじゃん。だから今度は、ボクの番だ」
絶句しているシェリックに、ラスターは告げる。ラスター自身が決めたことを。
「邪魔かもしれないし、迷惑になっちゃうかもしれない。だけどボクは、シェリックを助けたい。今まで助けてもらった分、今度はボクがシェリックを助ける番だ。シェリックの傍で、力になるよ」
「……とんだ殺し文句だな、それは」
右手で顔を覆い隠し、深々とため息を吐いたかと思えば、呻くようにそんな評価をしてくれたのである。
「おまえならころっと騙されてくれそうだもんな。弱ぇだろ、そういうの」
「うるせえよ」
右手を取り払った顔でにらみつけるも、腕組みしたリディオルには堪えておらず。そんな様子をキーシャたちは茶を飲みながら静観していて。
「だってシェリック、適当でしょ?」
「どういう感想だそれは……」
思いも寄らなかったと顔に書いてある。
「人のコト気遣うくせに、自分のコトだと適当になるじゃん。食事の時だって俺の分はいいからボクに食べろって言うし、船から落ちた時だってボクのコトまで助けてくれたし」
「あれは二人とも運が良かっただけだ。リディオルの術もあったからな」
「そうそう――って、気づくなよ。こっそりが信条だってのに」
「今考えるとだ。そうでなければおかしいんだよ」
「ここに来る時だって」
両手を握りしめる。思い返すと、悔しくて堪らない。
「ボクがいなければ、シェリックがここに戻ってくるコトもなかった。そうだよね?」
シェリックがラスターの表情を見て、何を思ったのかわからない。痛いくらいの沈黙のあと、シェリックはこう切り出した。
「――何度も言うが、あれはおまえのせいじゃない。たまたま俺と一緒にいたところを、こいつが利用しただけだ。おまえがいようがいなかろうが、遅かれ早かれ俺はここに戻されてたんだよ。リディが迎えに来たのが証拠だ」
「でも、知っちゃったから」
何も知らずにいたら、きっとシェリックに言われた時にここから出してもらっていた。けれど今は違う。ラスターは、知ってしまったから。
「このまま知らん顔してここから出るなんてできないよ。知っちゃったら、放ってなんておけないもん。だから、ボクはここに残るよ。もう止めても無駄だからね?」
念押ししておくのも忘れない。
「それと、リディオル」
「なんだい?」
シェリックが諦め状態に入ったところで、リディオルへと目標を変える。今しかないと。
「その話、受けるよ」
そうして、先ほどの話への返事をした。
「お、本当か? それはありがたいねぇ」
「――待て、それとこれとは話が違う!」
声の大きさに驚いていると、右肩をがしっとつかまれる。シェリックの方向へと半強制的に向かされ、その勢いに負けないよう真っ直ぐに見つめる。
「おまえ、ことの重大さがわかってるのか? 命を狙われるんだぞ? 二度とここから外に出られない可能性だってあるんだぞ!」
「良くないよ」
答えたなら、毒気の抜かれた顔がそこにあった。そんなのはラスターだって嫌だ。
「良くないし、嫌だよ。ボクだって殺されたくはないし。でも」
息を吸い込む。きっかけはリディオルがくれたのだ。
「守ってくれるって、リディオルが言ったから。だから、怖くないよ」
――本当は、ラスターだって怖い。賢人と名乗ったことで、いつ襲われるかわからない。無事では済まない事態にだって直面するかもしれない。
それでもシェリックがいてくれる。声の届くところに、手の届くところにいてくれる。離れ離れじゃない。だから、大丈夫だって思えるのだ。
シェリックは肩を怒らせ、何か言いたい様子ではあるけれど、結局なにも言葉にできずに歯がみする。目元を隠し、ラスターの言い分を認めたくない気持ちはありありと伝わってくる。申し訳なく思うけど、ラスターだって引く気はさらさらない。
「諦めろ、おまえの負けだ」
「……誰のせいだと」
「ごめん」
言いたいことを全て押し殺し、奈落の底から響いてきそうな声を発したシェリックに、そう言わざるを得なかった。
「ごめんシェリック、勝手に決めて」
「そっちじゃない。それはいい。おまえが決めたことにいまさらどうこう言うつもりはない。そっちじゃなくてだな……」
シェリックは困り顔で、首の後ろをかく。
「リディオルの件まで受諾するとは思わなかったんだよ。……まったく、なんでこう首を突っ込みたがるんだか……」
諦め混じりにつぶやいたシェリックへと笑う。そんなの、答えはひとつしかないではないか。
「助けてもらったし。それにそれだけじゃなくて、困ってる人がいるなら、できるコトをしたいじゃん」
それで状況が良くなるなら、願ったり叶ったりだ。ラスターは何も、できないことをするつもりではないのだから。