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翡翠の星屑  作者: 季月 ハイネ
四章 アルティナ王国
60/207

60,こぼれたのはたったひと言


 決めた心は、しかし部屋を出た途端に重くなる。

 ラスターの笑顔を守るために、王宮から遠ざける。あの子が、これ以上シェリックのことで悩まなくて済むように。

 目を開けても閉じても思い起こされるのは、ラスターの顔だ。

 今までありがとう、と。

 終始笑っていた彼女が、どうして泣きそうだと感じてしまったのか──いや、そうではない。シェリックは気づかないふりをしたかっただけだ。別れを告げたら、太陽のように笑う顔を曇らせてしまうと、知っていたからだ。ひと雨来そうな天気みたいに、硬い表情をさせてしまうと。

 自分は最善の策を取ったのだと諭して、その実、思い込みたいだけだ。簡単だけれど、胸の中に響いている痛みが止むことはないだろう──本当はそれが最善でも最良でもないのだとわかっているのだから。他に方法はないのかと、シェリックの奥底でささやき続ける声がある限り、苛まれ続けるのだ。

 仕方がない。なすすべがない。どうしようもない──本当に?

 シェリックは考えることをあと回しにした。逃げるわけではない。ないがしろにしているつもりもない。そちらを考えるより先に、解決しなければならないことがある。

 ──早急に会いに行かれることをお勧めしますわ。

 そう、まずは、長らく目を背けていたことから取りかかろうじゃないか。



  **



「嬢ちゃん?」


 どこかで聞いたことのある声がした。膝につけていた顔を上げると、ラスターを覗き込むリディオルと目が合った。


「こんなところでどうしたよ?」

「ここ……」


 目を擦って辺りを見回す。目を開けても薄暗い。夢の中に迷い込んでるのか。

 昼間と言うよりも夜に近い夕方の時刻。ラスターの視界を覆いつくした草花は、夕闇の中にあっても鮮やかだ。というのも、石畳に沿って配置されたいくつもの灯りが、それらをほのかに照らしているからである。ただの装飾品かと思っていたのに。暗くなったら灯りになるだなんて、アルティナはおしゃれだ。

 嗅ぎ慣れない香りがラスターをせっつかす。断じて、夢の中ではないと。

 つん、とした匂いがラスターの意識を引っ張る。種類ごとに区画でまとめられ、整然とし過ぎているかと思えばそうでもなく、色合いはばらばらだ。薬草図鑑から植物を引っ張り出して植えたら、こんな庭ができるのだろうか。淡い光が教えてくれる。

 明るさこそ違うものの、ラスターがひと目見て惹かれた薬草園がそこにあった。図鑑の中身を全部持ってきたような、多種多様なだけではなく、きちんと整理されているところにも感動して──違う。そう思ったのは今より前だ。


「そろそろ冷えるぞ──って、おいおい、もう冷えてんじゃねぇか。どんだけここにいたんだよ」


 首に触れたリディオルの手が思いがけず温かくて、ラスターは冷えているのだと知る。

 薬草園の一角、灯りから隠れるようにいた位置。安眠効果がある紫花の隣。うっかり眠ってしまったのは、この花が持つ効果も手伝ったのだろう。ここにいる理由を、ラスターはぼんやりと思い出した。

 話をしたあと、人に会いに行ってくると言い残したシェリックは、部屋を出て行った。置いてけぼりの部屋にいたくなくて、何も考えたくなくて、ラスターも同じように部屋から出たのだ。ふらふらとさ迷って、懐かしい香りに誘われて──その近くで座っていたら、いつの間にか眠ってしまっていたようである。

 リディオルはそんなときに通りがかったのだろう。


「ごめん、なさい。懐かしい香りがして……」

「ここにいる分にはいいけどよ、いてもあんまり居心地は良くねぇぞ。外だし、さみぃし、よくここににいられたもんだよ」

「……そう、かな」


 暗くなっていたことにも気づかなかった。沈んだ気持ちがラスターの視界に地面を映す。照らされなかった地面は、ラスターの心と同じ色をしている。


「さっきもここにいましたけど、花が好きなんですか?」


 リディオルとは違う声がした。ラスターは緩慢な動作で首を動かす。もう一人いたのか。

 ラスターが見上げたその人は、見覚えのある顔をしていた。

 見覚えはあるのに、名前も記憶も曖昧だ。たどっていた心当たりが、明るかったこの場所を思い出した。


「あ。あのときの」


 突きつけられた杖先。ラスターを睨みつけた目。ここで何をしているのかと尋ねてきた少年だ。


「いくら温かくても、夜は冷えますよ」


 語気鋭く迫ってきた気配はどこへ行ってしまったのか。気遣うような声音とかけられた外套がいとうに戸惑うも、不意に寒気を覚えてされるがままになった。

 ──温かい。

 身体の前で合わせると、より風が遮断される。むき出しだった腕が寒くなくなり、しかけた身震いはどこかへと消えてしまった。今まで感じてすらいなかったのに、ラスターはこんなにも冷えていたのか。


「──薬師になりたいんだ、ボク」


 それは、ラスターの口からぽつりと出てきた。


「薬は作れるケド、薬師になれる方法がわからなくて。お母さんが薬師だから、お母さんなら薬師のなり方を知ってると思って、ずっと探してて。キーシャとは船の中で知り合って、ここに来てキーシャがいたのにはびっくりして。ここまで来たのは、シェリックが──」


 言いかけた言葉に制止をかける。そうではない。

 あれは、シェリックを王宮に戻すために、ラスターが人質にされたのだ。あのときラスターが傍にいなければ、こうしてアルティナまで来ることはなかったのに。こんな脅しに使われることなんてこともなかったのに。

 どうしてシェリックは、誰も彼も遠ざけようとしているのだろう。突き放すように。まるで、一人になることを望んでいるように。

 ラスターが王宮から離れればきっと、シェリックも同じようにここから離れられるのではないかと思っていた。でも違った。ラスターの役割は、シェリックが王宮に戻ってくるまでだったのだ。シェリックが戻ってきたから、ラスターはお役御免なのだ。もう、ラスターは必要などではないのだ。


「あの?」


 ──嫌だ。

 やっぱり嫌だ。そんなのは駄目だ。

 戻りたくない場所に戻されて、強制的に押し込められるなんて。

 例え、シェリックがそれを許容したのだとしても、ラスターは認めたくない。


「ま、ここに来たのは嬢ちゃんの意志じゃねぇわな」


 さらりと。何事もなかったかのように、リディオルは言った。


「えっ」


 少年の顔がぐるりと回り、驚いた顔でリディオルを捉える。


「そうだケド……そうさせたのはリディオルのくせに」

「まぁな──フィノから聞いた。嬢ちゃん、島で見破ったんだってな。立派立派」


 目を白黒させてラスターとリディオルを見やる少年を端に映し、ラスターはその場に立ち上がる。ずり落ちかけた外套を手で押さえて。


「今後の参考のために聞かせてくれるかい? 嬢ちゃん、どこであれが作りものだと気ぃついたんだ?」

「教えない」

「つれねぇなぁ」


 灯りのおかげで、二人の顔がよく見える。見上げたままでは、影になっていたわかりづらかったのだ。

 ここだけやけに明るいと思っていたのは、どうやら錯覚ではなかったようだ。外灯が照らす灯りの他に、少年が持つ小さな灯りがある。光源がふたつもあるなら、明るさにも納得がいく。

 立ったことで気づく。少年はラスターと同じくらいの背だ。傍らにいるリディオルはラスターたちよりもずっと高い。顔は似ていないけれど、なんだか二人は兄弟みたいだ。

 リディオルが羽織るのは、夜に紛れる真っ黒な外套。シェリックが確か、アルティナの制服だと言っていただろうか。ラスターに貸したことで詰め襟の上衣だけの簡素な格好になった少年は、呆然とラスターを見ている。

 穏やかだ。和やかで、静かで、ゆったりとしていて、早回しされていた時間が突然動きを遅くしたような気分だ。

 上空の星は見えない。まだ明るいことと、外灯があるために、それらよりも遠い場所で光る星を覆い隠してしまっているからだ。

 星──占星術師。

 シェリックは星を見上げて、何を考えるのだろう。星を占う人。星に何が書いてあるのだろう。どんなことを読み解くのだろう。ラスターが聞いたなら、教えてくれるだろうか。人の運命を、行く末を、星が知っているのならば。


「──で。おい、ユノ。いつまでほうけてやがる」


 ラスターは見た。頬を突いてきたリディオルの指を、少年が邪険に払うところを。


「ちょっと、ああ、もう、うっとうしいのでやめてください! 呆けてませんよ、オレが考えていたことと違っていたのでちょっと驚いていただけです──って、だから、ちょっと……突くのやめてくださいって!」


 顔を真っ赤にして抗議する少年を見て、ついつい笑みがこぼれてしまった。兄弟げんかのようなやり取りに、いいなあと思う。ラスターにも兄や弟、姉や妹がいたならこんなやり取りをしていたのだろうか、なんて。


「そうやって子ども扱いしないでくださいと、何度言ったらわかるんですか!」

「悪い悪い、いつまでも小さいところに頭があるもんだからつい、な」

「つい、じゃないです! つい、じゃ! っていうか頬突くとか、背、関係ないじゃないですか!」

「意表を突きたいときだってあるんだよ」

「なんでそううまいこと言ったみたいな顔してるんですか! 意表を突きたいとか、そんな多様性はいりません! どの道、オレにとっては迷惑なので止めてください!」


 二人の応酬を眺めながら、ラスターはぽつりと告げた。


「ユノって言うんだね」


 少年ははた、と動きを止め、慌ててこちらに頭を下げてくる。


「すいません、名乗りもしないで! オレはユノ──ユノ=トルキアと言います」


 ちらりとリディオルを眺めやると、にやついた顔と目が合う。ユノから一歩離れたところを見ると、会話に参戦するつもりはないらしい。リディオルの気持ちを代弁するならば、任せたと言ったところだろうか。ありがたいような、ありがたくないような。

 よくわからない気持ちを抱きつつ、ラスターはユノへと向き直った。


「ボクはラスター。ラスター=セドラ。よろしく、でいいのかな?」

「いいんじゃないでしょうか。こちらこそ、よろしくお願いします」


 二人で握手を交わし、へらりと笑い合う。

 リディオルが小さい小さいと連呼しているも、ユノの背はラスターより高い。それほど小さくはないと思うけれど、ユノにとっては死活問題なのだろう。特に、背の高い人が傍にいるなら、なおさら。

 背の高い人と言えば。ラスターの脳裏にシェリックも浮かんできた。

 ユノが悪いのではない。決して低いわけでもない。二人が高すぎなのだ。

 もしかして、ユノはずっとリディオルと一緒にいるのだろうか。それは大変だ。いつも一緒にいるということは、それはつまり、いかなるときも比べられるということだ。

 少しばかり、ユノが可哀想に思えてきた。


「ラスター殿、昼間は大変失礼しました。ここでは見慣れない方だったとはいえ、客人につえを向けることなんて──」

「ちょ、ちょっと待って」

「? はい?」


 どうしてだろう。ユノがきょとんとする。


「ボク、殿、とか呼ばれる立場じゃないから! 普通に呼んでくれると嬉しいんだケド……駄目かな。呼び捨てで、全然構わないから」


 フィノに呼ばれたときはなんとも思わなかったのに。ユノに呼ばれると、なぜだかとてもむずがゆい。面映ゆさすらせり上がってきて、いたたまれなくなるのだ。

 ぽかんと口を開いたユノは、そのまま言葉を失くす。


「……リディオル殿」


 ユノの低い声がリディオルをいさめる。笑いたくて仕方ないのを必死で堪えているリディオルは、ユノの変化に堪えた様子などなく、ついには声を上げて笑い出したのだ。


「言いたいことはよくわかる。だから似てるって言ったろ? はー、笑った笑った」

「別に、リディオルを笑わせたくて話してたんじゃないんだケド」


 ラスターは譲られたから話したのだ。参加しなかったのはリディオルではないか。傍観していたリディオルを笑わせるつもりなんて、毛頭なかった。


「不可抗力だわな──そうだ、嬢ちゃん」

「なに?」


 不可抗力なんて、と言いかけて、口をつぐむ。動くものがあれば、つい目で追ってしまうのは人の性だ。リディオルが差し出してきた両手の平を見下ろす。


「返すぜ」

「何も──っ!?」


 何もない。

 リディオルを見上げたほんの一瞬あとだった。ただ差し出されただけの彼の手の中に、見慣れたものが現れたのは。思わずリディオルとそれを見比べる。

 どうしてリディオルが。どうしてこれがここに。いつ、どこで、どうやって。

 聞きたいことが山のように出てくるも、ひとつとして言葉にならなかった。あるはずのないものが現れれば、誰だって同じことを思うだろう。


「本当はここに着いたときに渡そうと思ってたんだけどな。遅くなってすまねぇ」


 リディオルの手ずから渡されたのは、一本のこん。ラスターが棒と呼んでいた、旅の片割れだ。甲板でリディオルに答えを告げるときには、お守りがわりに携えていた。

輝石の島で目覚めて、ラスターの手から失われていると気づくまでは。


「海で失くしたと思ってた……」


 泉の中に落としたなら、金の素材か銀の素材か問われるらしい。金でも銀でもなく、新品ですらない。けれど、ラスターとともに歩いてきた、大事な相棒だった。


「見つけたのはたまたまだ」

「ありがとう……」

「礼を言われるほどじゃねぇよ」


 受け取った棒の重さが心地よくて、しっくりと馴染む感覚が懐かしくて、思わず額を当てる。たったひと言、口からこぼれた。

 ──おかえり、と。



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