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翡翠の星屑  作者: 季月 ハイネ
一章 港町ルパ
6/207

6,求めた標、先の道


 二人が見合ったままだったのは、きっと時間にしてほんのわずかに過ぎなかったのだろう。目を逸らしたのは男の方が先だった。


「ただの子どもねえ……」


 今度は胡乱うろんな眼差しが注がれる。


「えっ、見えない? びっくりするくらいの超優良児だよ?」


 胸を張って偉そうに反らしてみるも、男の目はますます細くなるだけだった。


「優良児ねえ……」


 ついでとばかりに追い打ちをかけてくるものだから、ラスターはむっとして言い返す。


「なにその疑いの眼差し」


 大変な心外である。なかなかに失礼ではないか。


「本当の優良児は自分からそんなこと言わないんだよ。あくまでも客観的につけられる呼び名だ。覚えておきな」


 ラスターはぽんっと手を合わせる。


「あ、そっか。それは盲点」


 なるほど、自分で名乗ってはいけないこともあるのか。ひとつ勉強になった。


「おまえさん、賢いんだか馬鹿なんだかわかんねえ奴だな」

「えー、酷い」


 はあ、と大きなため息をついた男は、ちょっと待ってろと言い残してどこかへ去ってしまう。

 何かあったのだろうか。

 気にはなるものの、それよりもパンが美味しいことに心を奪われてしまう。冷めてはせっかくの美味しさも半減してしまうだろう。残りわずかな量ではあったけれど、遠慮なく頬張ることにした。

 もぐもぐもぐ。

 美味しい。

 食べきってしまったらあとは余韻に浸るだけだ。美味しかった。小さな幸せだ。


 ──そう、幸せだ。幸せな気分を存分に味わえてほっこりする。輝石の島へたどり着けたなら今以上の幸せをつかめることができるのだろうか。

 ラスターには想像もつかない。

 幸せとはなんだろう。どんなことを指して幸せと呼ぶのだろうか。人によってそれは異なるし、度合いも違ってくる。ラスターの幸せはなんだと考え、すぐに浮かんできたのは祖母の笑顔だった。

 幸せの反対が悲しみなら、祖母を悲しませたくないラスターの望みと合致している。これもひとつの幸せだと呼べるのだろうか。

 ラスターの目的はあくまでも人探しだ。探し当てるために、命まで賭ける旅路を行くなんていうのは馬鹿なのかもしれない。

 探し人である母親がそこにいる確証はないし、そもそもたどり着けるのかもわからない。そして、話を聞いた限りではたどり着けない可能性の方が高い。仮定と願望とがごちゃ混ぜになっていて、本来の目的が見失われそうになっている。そんなのはいけない。

 ガタン、と聞こえてきた音に注目すると、左端にいた男性と女性が立ち上がっていた。荷物を持ったところを推測するに、彼らも帰るのだろう。


「ごちそうさまでした」

「どうも」


 なんとなしに二人のうしろ姿を目で追う。出口の向こうへ消えてしまうまで。

 多くの人が幸せを求めて旅立ち、そして誰一人帰ってこなかった。そう言われている。

 ラスターたちがルパに来るよりも前のこと。

 『知っています?』なんて、そう前置きされて語られたのは物語などではない、紛れもない現実の話だった。そんなのはありもしない夢や幻想の類いだと、到底信じがたいと笑い飛ばされていたのだ。けれども、ラスターたちも同じように鼻で笑うことは、どうしてもできなかった。

 誰一人として──本当に?

 そのときのラスターは焦っていたのかもしれない。手がかりが失われて、たどる当てもなくて、眉唾物まゆつばものでもすがりたくなるほどに。

 いや、そうでないと信じたいから向かうのか。

 ラスターの母親だったら、きっとどこかで進路をそちらに向けていたはずだ。彼女は目新しいもの、噂や流行物には目がなかったのだから。 


「おまえさん、一体何しに行くんだ?」


 いつの間にか男がこちらに戻ってきていた。彼はどこに、とは言わなかったけれど、きっと輝石の島を指しているのだろう。


「あ、ごちそうさま」

「おうよ」


 手を合わせて食後の挨拶をし、改めて考えてみる。


「何って言われてもなあ……」


 ラスターは頬をかく。さて、どう話したらいいものか。

 迷っているのを話しにくいと捉えたのか、男は大仰に肩をすくめたのである。


「おいおい、好奇心だけで行くなら止めておきな。死にに行くようなもんだ」


 さらには眉根を寄せて言われてしまった。


「んーと……なんとなくそこに決まったって感じかな」

「あのなあ──」

「人を探してるんだ」


 男が言いかけたことを遮る。そこから先は言わせない。


「真新しいものが好きで、噂だったらその元までたどり着かないと気が済まないっていう困った人」

「死にに行くわけじゃないんだな?」

「もちろん」


 ラスターがしっかりと頷いてみせると、男は朗らかに笑った。


「そうか」

「うん。──そうだ。これ、いくら?」


 持ち上げた器の中にはまだ少量が残っている。パンも美味しかったし、それなりに良い値段でもおかしくないと思ったのだ。

 ──が、しかし。


「いらねえよ」

「え? いいの? だって、パンまでもらったのに……」


 聞き返すと、男は嘘でないと頷いた。


「おお、餞別せんべつだ。今回はタダにしてやる」


 彼の気前の良さに、ラスターの顔がぱっと輝く。


「やった! ありがと!」

「いいってことよ。ただし、次に来たときはちゃんと払えよ? 飲み物は銅貨五枚、パンはふたつで八枚だ」

「ん。わかった」


 残りを一気に飲み干し、足元に投げていた荷物を持って席を立った。

 男と話しながら周りに聞き耳を立てていたが、漁師たちの話題の中には役に立ちそうな情報はあまりなかった。実を言うと、聞き耳を立てるまでもなく、話が聞こえてきたのだが。

 どこそこの船が大漁だったこと、かつて遠出したときに出くわした時化しけの苦労、次の漁のこと。もしラスターが彼らと同じ漁師だったなら、有意義な情報だったかもしれないが。


「ごちそーさま。また来るね」

「おう。待ってるぜ」


 そのまま出ていこうとしたら、カウンター越しに腕をつかまれる。たたらを踏んで恨めしげに振り返った。


「なに?」

「ひとつ良いことを教えてやるよ」


 痛くはないが、びくともしない。


「良いコト?」


 繰り返して尋ねると、男はこうささやいた。


「輝石の島に向かうなら、この港から出てる、アルティナ行きの船を探せ。誰一人生きては戻ってこなかったと言われちゃいるが、ありゃ嘘だ」

「──えっ」


 それは、思いがけない情報だった。


「いるの? 行って、帰ってきた人」


 やはり、誰一人ではなかった。戻ってきた人もいたのだ。


「ああ。俺の知る限り、輝石の島から戻ってきた奴が一人いる。そいつからならもっと話が聞けるんじゃねえか? まだこの町にいたはずだ」

「その人って、どんな人なの?」

「王国から来た奴だ。優男だったな」

「王国って、アルティナ?」


 思い浮かんだのは、話でしか知らない場所。まだ見たことがないそこは、海の向こうの大きな国。


「そうだ。名は確か──」


 不意に、つかんでいた腕が放される。

 どうしてと思う間もなく、声は後ろから聞こえてきた。


「よう旦那ぁ! 今日も来てやったぜぇ!」

「ああ、おまえらまだくたばってなかったのか」

「っかー、やぁっと戻ってこれたと思ったらこれだよ。旦那のその文句、懐かしいねぇ!」

「はいはいうるせえうるせえ、とっとと座ってやがれ」


 どうやら新しい客が来たらしい。彼らも、既に店にいる他の者たちに負けず劣らず、賑やかだ。


「邪魔だよね。ごめん、ボク出る──」

「フィノを探せ」


 ぼそりと耳に届き、ラスターは目を見張る。


「どうせ行くなら、おまえさんも生きて戻ってこいよ」

「フィノ、だね。うん、ありがとう」


 元より、死ぬつもりはさらさらない。噂の真偽を知るために、母親を探すために、ラスターは向かうのだ。


「戻ってきたら、またここに来るよ。美味しかったし」


 男は白い歯をむき出しにして笑った。


「嬉しいこと言ってくれるね。待ってるぜ」

「うん、それじゃあ」


 約束をし、ラスターは入ったときと同じように扉を押して外に出た。初めて見たのだがこの扉、どちらからでも押して開けられるのが面白い。


「わっ!」


 一歩出た途端、風にあおられる。

 店内の楽しそうな様子は、外に出てもまだ追いかけてくる。ここまで届くのは、この扉の構造もあるだろう。扉の上下に空いた隙間から、漏れているのだ。

 海から吹いてくる風は、朝よりも少しばかり暖かい。しかし暖かいと感じたのは店を出たすぐあとだけで、外の海風は相変わらず冷たい。温かい飲み物を飲んでいたおかげか、身体はぽかぽかと暖まり、しばらくの間気持ち良いとさえも思えたのだ。

 心地よくはあったけれど、念のため外套を羽織っておく。


「アルティナ王国と、フィノ」


 馴染みの薄い名前を、口に出してつぶやいてみる。ふたつの名を、どちらも忘れないように。

 輝石の島から戻ってきた人物が一人いると、ひげ面の店員は言っていた。真偽のほどがわからない話だが、フィノという人からなんらかの情報が聞けることに間違いはないのではないか。

 ラスターは今まで一度も他の大陸へ渡ったことはない。ルパに来たこともそうだし、海を見たのも初めてだ。隣国ならともかく、今いるこの共和国ですら、まだまだ知らないことが多い。

 ずっとここにいただけでは、これから先のことも何ひとつ見えてこないだろう。知らないことばかりだ。その分新しく知っていけて楽しい。

 ラスターは腕を真っ直ぐに伸ばしてみる。開いた手の向こう側、太陽を浴びた海がきらきらと光っている。


「きれい」


 この海の先に、アルティナ王国も輝石の島もある。どのくらい遠いのだろう。あっという間に着いてしまうのか、何日もかけて行くのだろうか。遥か遠くの地に思いを馳せる。

 水平線の先にある別の場所。

 昔はこの国の他には何もないのだと思っていた。自分の足で向かえる場所が全てで、馬車を使うことも、船を使うことも知らなかった、今よりもっともっと小さかったあの頃。どちらも乗ったことはないけれど、今ではそういう移動手段もあると知っている。

 船で、別の国へ。そんなことを、考えもしなかった。

 移り変わる時代とその中で培われた技術の積み重ねが、人々を海の向こうへと送り出した。

 輝石の島はどんなところなのだろう。ルパよりも広いのだろうか? 見たことがないものがあって、聞いたことがないものもあって、ラスターの知らないものがきっと山ほどあるのだろう。未知の場所へ向けていた逸る気持ちを抑え、手を下ろしてそこから離れる。


 またあとで、ここに来たい。この港にやって来るのだ。絶対に。

 そうして今のラスターに教えてあげたい。輝石の島はどんな場所だったのかを。きっと素敵な出会いとなるに違いない。

 そう、今度この景色を見るときは、シェリックも一緒であるように願って。



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