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翡翠の星屑  作者: 季月 ハイネ
四章 アルティナ王国
59/207

59,それが二人を分かつ道


 何度目かもわからないため息を呑み込んで、今まで取りかかっていた書類を卓の端へと寄せる。

 はかどり具合は上々。本日やると決めていた量は既にあらかた片がついたため、空が夕焼けに染まるまでにはすべて終わりそうだ。

 そのあとは何も予定がなかったはずだから、客人のところへ足を運んでもいいかもしれない。昼前に再会したときは挨拶をしただけで終わってしまったから、ちゃんと話せていなかったのだ。聞きたいことが山ほどある。それに、きっと面白い話も聞けるだろうし、同年代の話し相手なんて普段はそんなにいないので、考えるだけで楽しみだ。

 そう、だから、今一番の懸念事項はそんなことではない。


「ナクル」


 ため息の代わりに吐いた名前は、思いの外強い口調になってしまった。それでもその呼び方が正しかったと判断したのは、彼の注意をこちらに向かせることができたからだ。

 いつもの調子で呼んだのでは、きっとキーシャの方すら向いてくれなかっただろう。


「なんでしょう、キーシャ様」

「なんでしょう、じゃないわ」


 目元に力を入れ、き、と見据える。

 とぼけるつもりではないとわかっていても、何事もなかったように接されるのはなんとなく腹に据えかねていた。いつ指摘しようかと、頃合いを見計らっていたくらいだ。


「先からずっと上の空。あなたは気づいていないでしょうけど、ここに戻ってきてからずっとよ? 仕事も手につかなくなるほど気にかかるのなら、先にそちらを片づけてきてほしいわ」


 キーシャが看破できるくらいだ。ナクルは今、相当意識を持っていかれている。そのことにナクル自身が気づいていないのだというのなら、なおのこと。

 時間にしてほんの数秒。

 キーシャからの視線と言葉を受け、ナクルは観念したかのように嘆息した。


「……気づいておいででしたか」

「当たり前でしょう。あれだけわかりやすければね。普段の小言満載なあなたとは大違い――」

「キーシャ様」

「おっと」


 しまった、うっかり口が滑った。

 今度は半眼になってこちらを見やってくるナクルへと咳払いをし、キーシャは改めて言い直した。


「職務が滞るほどの気がかりがあるのなら、先になんとかしてきてちょうだい。誰かに話すだけでも気持ちは楽になるでしょう? 気もそぞろなままだと、周りの人たちにまで迷惑がかかってしまうわ」

「申し訳ありません。ですが、今はまだ言えません」


 なかなかどうして頑固だ。口を割らないだろうし、はぐらかされるのではないかとも思っていた。

 命令だと、ひと言告げてしまえばいい。キーシャが尋ねたなら、ナクルはきっと答えてくれる。けれど無理強いはしたくなかった。主人と従者であるとはいえ、その関係を利用したくはない。ナクルの意志を強要するためにある立場ではないのだ。


「わかった、聞かないわ」


 だから、キーシャは聞かない。その代わりに、別のことが知りたかった。


「でも、できるならひとつだけ教えてほしいの」

「私に答えられることでしたら」


 手強い。ここまで強固に守られてしまうと、答える気などないのではと疑ってしまうではないか。


「お母様は今、何をしようとしているの?」


 口をつぐんだナクルをひたと見据える。これは答えられる質問か、否か。少しも変わらないナクルから読み取ろうと探るも、鉄壁の無表情が待ち構える。

 立場を利用したくない。けれど、これだけは逃がすわけにいかない。


「答えなさい、ナクル」



  **



 ――これからどうしたい?


 シェリックが持つ器の中身は飲み干されて、わずかな量が底に溜まっている。どろどろで暗い緑色が、まるでラスターの心の中を示しているようだ。同族嫌悪とでも言おうか。

 ラスターは視線を引きはがした。

 問いかけられた意味の答えを探してシェリックを見るも、向けられた顔に答えは書いていない。当然だ。落書きでもしない限り、人の顔に文字はない。シェリックはただ、ラスターからの答えを待っている。

 シェリックはいつもそうだ。大事な判断は、いつもラスターに任せてくる。

 それは決してシェリックの意見を軽んじているという意味ではない。ラスターが迷ったときにはシェリックが提言してくれる。それでもシェリックは自らの意見ではなく、ラスターの意見に重きを置いてくれる。ラスターがこうしたいと言ったなら、そちらを優先してくれるのだ。

 輝石の島にたどり着いたことで、ラスターの目的は一旦失われている。ラスターの目的そのものが達成されたわけではないけれど、目的地には到達した。その結果、輝石の島に母親はいないとわかった。これからどうしたいかなんて聞かれても、ラスターのやりたいことはひとつだ。


「ボクは、アルティナでお母さんを探すよ。せっかくアルティナに来たんだし、ここで探すのもありかなって。おばあちゃんが待ってるし、ボクがお母さんに会いたいから。ここにいなかったら別の場所を探すし、今までと変わらないよ」


 いなかったら次へ。見つけるまで、どこまでも。


「そうか」


 本音も目的も違えない。

 きっぱりと告げたけれど、差し当たって先行きは真っ暗だ。次の目的地をどうしようか悩んでいるし、ありていに言うと手がかりはないに等しくて、途方に暮れている。故郷を出て、輝石の島にもおらず、ラスターの母親は一体どこにいるのやら。

 こうしてアルティナまで来たけれど、また手がかりを探すところから始めなければならない。徒労ばかりが降り積もって、振り出しに戻された気分だ。


「早く見つかるといいな」

「うん、そうだよね。だから――」


 シェリックも。

 そう言いかけて、ラスターは口をつぐんだ。


「……シェリック?」

「なんだ?」


 ラスターは呼びかける。合わさった目と、投げかけられた言葉。もう一度呼ぼうとして、呼べなかった名前。ぬぐえなかったちぐはぐな感じ。一緒にと言いかけて、どうしても口から出てこなかったひと言。


「――ううん、なんでもない」

「そうか?」


 近くにいるのに、なんだか距離が空いている。大声で呼ばないと気づいてもらえないような、ラスターではない誰かに意識を向けているような。

 まるで他人事のような受け答えに、ラスターは気づかされてしまった。

 ラスターの旅にはシェリックが必ずいることを、いつから当たり前として認識していたのだろう。ラスターはここに人質として連れてこられただけ。シェリックは脅しに従って戻らざるを得なかっただけだ。

 強要されたことだったとしても、シェリックの故郷はアルティナにある。シェリックは王宮で必要とされている。元の居場所に戻ったということは、シェリックは帰りついたということだ。それはつまり、ラスターはここで用済みで、戻ってきたシェリックがこれ以上ラスターの旅についてくる義理もない。

 思い込みが激しくて恥ずかしくなる。シェリックに出会うまでは一人だったのに、いつかはお互いに別れて繋がりが断たれるとわかっていたのに、今更一人になるのが怖いだなんて。

 見誤ってはいけない。シェリックは、ラスターに一緒にいただけだ。その最中にリディオルと遭遇し、望んでいなかった帰還を強いられただけだ。


「シェリックは、ここに残るんだよね?」


 うつむいたまま発した声はとてもか細くなり、ひどく情けなくなってしまった。


「ああ。どうやらアルティナはそれがお望みみたいだからな。俺がここにいると決めたんだ。誰にも文句は言わせない」


 固い決意を教えてくれる。ラスターにとっては、決別以外の何にも聞こえなかった。


「心配するな。おまえはなんとしてでも王宮から出してやるおまえが母親を探しに行けるように、俺が絶対になんとかしてやるからな」


 シェリックはどこまでも優しい。出られない心配なんて、初めからしていない。シェリックといたなら、きっとなんとかなると、ラスターは楽観的に考えていただけだ。だからこそ聞きたくなかった答えに、胸がぎゅっと締めつけられる。

 ここで困らせてはいけない。迷惑をかけてもいけない。ラスターに目指すところがあるように、シェリックにはシェリックの進む道があるのだから。


「――そっか」


 ――アルティナから解放してやる。

 ラスターはずっと勘違いをしていた。アルティナから解放されたあとも、シェリックがいてくれるのだと。一緒にラスターの母親を探してくれるのだと。

 それを考えていたのは、ラスターだけなのだ。

 ――俺を連れ出して、ここまで来てくれて、ありがとうな。感謝してる。

 あのとき言われたのは、別れの言葉だと思ってしまった。けれどそれは勘違いで、ラスターの早とちりだと安心していた。けれども、安心してしまったことこそが間違いだった。シェリックは王宮からラスターを出して、自分だけ王宮に残るつもりなのだ。シェリックはもう、決めてしまっていたのだ。

 ラスターは、後ろで組んだ両手を握りしめる。見えないように。見せないように。こみ上げてくる感情をこっそりと忍ばせて。


「シェリック」


 俯いたのを通り越して項垂れていた顔を上げ、シェリックへと笑いかける。頬も口もうまく動かなくて、とても不格好な笑みになってしまった。それでも──笑ってやる。笑うのだと言い聞かせる。


「今までありがとう。三年もつきあわせちゃって、ごめんね」


 震えないように左手を強く捕まえて。思い違えていたことに傷つくなと、ラスター自身を説き伏せて。


「気にしてない。それなりに楽しかった」

「ボクも」


 ラスターは笑顔で応じる。落ち込むな、傷つくな。笑うのだ。泣くな。決して、涙は見せるな。


「じゃあ、そのうちお別れだね。なんかずっと一緒だったから、変な気分だな」


 嘘偽りだらけの笑顔でも、作り笑いだったとしても、本物だと思えるように。笑って。


「ああ」


 だから。



 寂しいだなんて、絶対言わない。



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