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翡翠の星屑  作者: 季月 ハイネ
四章 アルティナ王国
58/207

58,守りたいのはささやかな


「先ほどはすいませんでした」


 リディオルにけしかけられ、シェリックの元へとやってきたユノ。彼は、シェリックがリディオルの元を訪ねた際に、シェリックの行く手を遮った少年だった。


「まさか賢人の一人だったとは知らずに、失礼な態度を取ってしまって……」

「いや、気にしないでくれ」


 毅然として、動じていない様子はどこへやら。そういえばリディオルが姿を見せたときにもうろたえていたのだったか。思いもしない展開には弱いのかもしれない。

 緊張、というよりもしおれた顔を見せられては、こちらも苦笑するしかない。まるで怒られにきているかのような様子だが、怒るつもりもいじめるつもりもない。彼に護衛をしてもらうだけだ。


「ここしばらくは不穏な事件も多いと聞いているし、警戒して当然だろう。長らく空けていた俺に見覚えがないのも仕方ない。戻ってきたばかりで、顔もあまり知られていないしな」


 覚えている者もそれほどいないのではないだろうか。あの事件からどんな評価がされているのかは知らないが、悪評ばかりが一人歩きしているのは想像がつく。噂で囁かれているシェリックは、さてどんな悪漢になっているのか。素知らぬ顔をして聞いてみたい気もする。


「……本当にすいません」

「そんなにかしこまられても俺が困る」

「……ええと」


 気持ちを和らげようとしたのだが、余計に困ってしまったらしい。さて、どうしたらいいものか。


「シェリック=エトワールだ。君を、なんと呼んだらいい?」

「ユノと呼んでください。ユノ=トルキアと言います」

「そうか」


 額にかかる薄茶の髪の奥。そこから覗く瞳はまだあどけない。


「ユノはいつからここに?」

「四年ほど前からです。話はもらっていたのですけど、年が足りなくて……。許可が出てから、すぐこちらに呼ばれました」

「……四年?」

「はい、そうです」


 思わず足を止める。失礼だとは思うも、ユノを凝視してしまった。


「もしかして、今十九歳なのか?」

「よく言われます――見えないですよね、この顔じゃ」


 言われ慣れているのだろう。困り顔で笑う彼は、どう見てもラスターと同じくらいにしか見えない。十五歳か、その前後ではないかと思ってしまった。実際の年齢を聞いても半信半疑である。

 王宮に働く者として認められるには、その人が持つ実績の他に年齢制限がある。それが十五歳だ。例え見習いでもその齢を越えていなければ、誰であろうと王宮で勤めることはできない。

 リディオルが彼を天才少年と言っていたのはこれが理由か。年齢だけを考えるなら、少年よりも青年と称した方が正しいだろうか。彼を見ていると少年と呼んだ方がしっくりきてしまうけれど、さすがに面と向かっては言えない。


「苦労してそうだな」


 言いかけた言葉を呑み込んで、感想を口にした。


「それなりにです。ただ、ナクル殿を見ていると憧れてしまいますね。大人びていますし、オレのひとつ年上とは思えないです」


 いつか、あんな風に――そんな心の声が聞こえた気がした。

 目標を持つのはいいことだ。暗闇の中、道を照らす光のように、明確な先を教えてくれる。目的地すらわからずに進んでいては、立ち止まったとき途方に暮れてしまう。


「オレ、ナクル殿のようになりたいです。もっと、色々なことを学んで」

「リディオルではなくてか?」

「……あの人は凄いですけど、ああはなりたくはないかなと思いまして」


 忖度のない、正直な随感に吹き出す。


「いえ、尊敬していないわけではないんですよ! オレたちが力を合わせてようやく苦労してできたことを、あの人は一人で簡単にやってのけてしまいますし、名ばかりの賢人ではないことも知っています。でも、ただ……」


 シェリックは、にごされた言葉に頷く。ユノが名言を避けた先は、シェリックも常々感じていることだ。


「あいつは適当で自分勝手だからな。良くも悪くも」

「そうなんですよ……」


 リディオルは自分のやりたいことしかしない。何を考えているのかもさっぱりとわからないけれど、きっと彼なりの信念があるのだ。彼が操る風のように、自由で、気ままに、あるがままに。気まぐれな性分と似合いの能力を駆使しながら。


「頑張れよ」

「はい!」


 元気のいい返事に、シェリックは目を細めた。真っ直ぐで、まぶしい。

 戻ってきた部屋の前、そこに人影があるのを見た。懲りずにまたリディオルが来たのかと疑ったのも仕方ない。けれどもそこにいたのは、想像とは違った人物だった。


「おかえりなさいましたか」

「ナクル?」


 隣にいたユノが姿勢を正すのを、視界の端で捉える。


「どうかしたのか?」


 護衛のナクルがキーシャの傍を離れている。何か、起きたのか。


「いえ、つい先ほどラスター殿を送って来まして、あなたの帰りをお待ちしていただけです」

「……悪い」


 問題が起きたのではないと聞いてひと安心するも、罪悪感に苛まれた。

 ラスターを探しに行かなければならないと思っていたのだが、まさかそんなことになっていたとは。


「いえ、たまたまお会いしただけですので。そちらのユノ殿は──」


 シェリックとユノと。ナクルの目が一往復し、彼の引き締まっていた面持ちから、ふっと力が抜ける。


「シェリック殿の護衛ですか?」

「はい、リディオル殿に代わって、務めさせていただきました。力不足だったかもしれませんが……」

「だ、そうですが?」


 ナクルは、シェリックにちらりと視線を寄越す。微かに持ち上がった口の端に、意味ありげな目線に、悪戯めいた光が見えた気がした。ならばこちらもそれに乗ろうではないか。


「そんなことはない。道中、話し相手になってくれてありがたかった」


 落ち込んだり、明るくなったり、しかめっ面をしたかと思えば顔を輝かせたり。ユノは次々と表情が変わって忙しない。その様子が、シェリックに誰かを彷彿ほうふつとさせた。


「シェリック殿も戻っていらしたことですし、私もそろそろお嬢様の元へ戻ります。ユノ殿は、いかがされますか?」

「オレ――いえ、私も戻ります。役目は終わったみたいなので」

「そうですか」


 傍で眺めていると兄弟のようなやり取りだ。ユノはよく懐いているようだし、ナクルも面倒見がいいし。兄弟のいないシェリックには想像で語るしかないが、きっとこんな感じなのだろう。


「それではシェリック殿、私どもはこれで」

「ああ、ありがとう」

「失礼します」


 二人並んで去っていく後ろ姿がなんとも微笑ましく思えて、会話する様を見守る。そうして二人が見えなくなるまで見送ってしまった。

 ――さて。

 扉を前に、逡巡しゅんじゅんする。

 本題はここからだ。

 シェリック一人が呼び出されたなら、詳細はラスターまで届いていないだろう。

 意向を確認したかっただけなのか、忠告のつもりか──あくまでもシェリックに告げたもので、かつシャレルの独断で提案が出されているだけ。ならば、まだこちらも手の打ちようがある。聞かなかったことにするのも一手、シェリックの自己判断を下すのもまた一手だ。

 ラスターに話すのが一番無難ではあるが、話したら話したで一も二もなく賛成するかもしれない。それとも遠慮して断るか――ラスターなら前者のような気もする。

 人質としての扱いであっても、アルティナは環境としては悪くない。悪くないどころか、最高水準のものを提供できるのではないだろうかと自負している。設備は整っているし、腕利きの者たちが集まっており、使う素材に至ってはありとあらゆるものがそろっている。万が一必要なものが足りなかったとしても、周辺から取り寄せられるくらいには利便性がある。

 だからといって、それが全てではない。ラスターの目的は王宮で過ごすことではないからだ。

 シェリックがラスターと出会って三年あまり。どうしても見つけたいと、探し出したいという強い意志がなければ、そんな長い期間ずっと探し続けることは難しい。だからなおさら、ここでラスターを留めるわけにはいかない。


 輝石の島にいたときからだ。いや、ラスターの気持ちを聞いたのが輝石の島だっただけで、もしかしたら船にいたときからかもしれない。

 ――戻ってくるコトになったきっかけは、ボクのせいで――っ

 巻き込んだのはシェリックなのに、ラスターのせいではないと言っても、それを頑として認めない。ラスターは自分のせいだと、今もまだそう思い込んでいる。何がそこまでラスターを思い詰めさせているのだろう。シェリックに迷惑をかけたと思っているからか。

 迷惑などと笑止千万。迷惑を被ったどころか、こちらが助けられてばかりだというのに。

 アルティナにこれ以上ラスターを使わせないためにも、ここから解放しなければならない。それが、牢屋ろうやからシェリックを連れ出してくれた彼女にできる恩返しだ。

 決めた心をしまい込み、表面に出さないよう努めて扉を開く。ラスターと話をしなければと。


「ラスター――」

「あ、おかえりー」


 どこか気の抜けた声を開いた途端、決していた心がどこかに消えた。

 てっきり沈んでいると思っていた。ナクルと会ったことで、少し気持ちを軽くしていてくれたらいいとも思っていた。これは、どういった変化だ。


「……どうしたんだそれは」


 ラスターが両手に抱えている大量の草花の束を見て、言おうとしていた言葉すらも全て吹き飛んだ。卓に置かれた量はラスターがぎりぎり持てるくらい。どこからそんなものを持ってきたのだ。


「これ? ナクルに頼んでわけてもらったんだ。ここ、外が薬草園になってて、ボクの村では見かけない草とかあったから、ついつい気になっちゃって。だって、本でしか見たコトない薬草とかあるんだよ? 薬草図鑑がそのまま現実になったみたい。実物見たのも初めてだったから――シェリック?」

「いや……」


 嬉しそうに語るラスターを前にして、脱力感が一気に襲ってきた。

 確かに建物の周りには薬草園なるものが広がっているし、薬を扱うラスターが興味を示さないわけがない。それにしても、である。

 アルティナから出ることを望んでいない。そう叫ばれて部屋を飛び出された身としては、非常に複雑な思いがよぎるというか、なんというか。

 不安で揺れていたラスターの瞳から目を逸らして、ただ自分の決意を彼女に告げて。あのとき部屋から出ていったのはラスターだったが、先に逃げたのはシェリックの方だ。


「――シェリック、はいっ」


 差し出されたものを反射的に受け取る。渡された硝子ガラスの器を凝視してから顔を上げれば、はにかみながら笑うラスターがそこにいた。

 器と、ラスターと。

 二度ほど往復したところで問いかける。


「……なんだこれは」

「ボクの特効薬湯? 色々混ぜて試してみたんだ」


 大変いい笑顔で答えてくれたのはいいが、器の中身は爽やかさとはほど遠い色をしていた。どす黒い緑色で、そこからなんともいえない草の香りが漂ってくる。

 これを、飲めと。

 なんの嫌がらせだろうか。

 そのきらきらとした、何かを期待するような顔で、こちらを見るのはやめてほしい。


「味はそんなに苦くないよ? ほら、シェリックずっと難しい顔してたじゃん。疲労回復に効果ある薬草とか混ぜたから、ちょっとは良くなるかなーなんて思って――あ、でも勝手にごめん。いらなかったら捨てちゃっていいから」

「おまえな……」


 あっけらかんとつけ加えられたひと言に、シェリックは器を見下ろす。

 わざわざシェリックのために作ってくれた、それはありがたい。色と匂いを考えなければ、心底感謝する。けれど、どんなことでも限度はあるだろう。

 悩み抜いた末、もらうことにする。


「じゃあ、ありがたく」

「どうぞ!」


 不安にさせてしまった前科持ちとしては、飲むしかないではないか。

 掲げた器の縁を口につけ、中身を一気に飲み干した。大したことはないと、思ったのも一瞬だけ。なんの苦行かと思うほどに、シェリックの口内で独特な味を披露してくれた。


「……苦い」

「えー……これでもだいぶ薄めたのに」


 どうやら元の味は想像を絶するほど苦いらしい。良薬は口に苦いものであるらしいのだが、これもなかなかだ。


「やっぱりクゥートは難しいな……」


 まあ、それでも自分のために作ってくれたのだからと、礼を言いかけた口を閉ざす。

 ラスターが考え込むようにつぶやいたひと言。ガローではなく、クゥート。待て、クゥートと言うのは確か苦い方の薬湯ではなかったか。


「……おまえな、人を実験台にするな」

「あ、ばれた」


 やはり嫌がらせか、そうでなければ先ほどの意趣返しか。

 それでも身体に良いというのは本当だろう。ラスターが持っていた薬草に見覚えがあるし、あれは確か治療師も使っていた類だ。例え、味がどんなに苦かろうとも。


「これでも酸味は抜いたんだよ。シェリック、苦手だって言ってたから」

「苦かったけどな」

「だって、調整難しいんだもん。ボクいつもガロー作ってるし」

「だったらそっちを作ったらどうだ」

「たまには作りたいじゃん。作っても飲んでくれる人、シェリックくらいしか思いつかなかったし」

「あのな、被害に遭うこちらの身にもなれ」

「大丈夫だよ。ボク、昔もっと苦いの飲んだコトあるし」


 へへ、と照れた笑いをこぼしたあと、ラスターは言ったのだ。


「――うん、でも、ごめん」


 殊勝な態度で言われても、実験台にされる方は堪ったものではないのだが。


「さっきも。思いっきり悪口言っちゃった」


 落としかけたため息をこらえ、代わりにラスターの頭をくしゃりとなでる。まだ苦味は消えないけれど、ラスターはシェリックの心配をしてくれていたのだ。――心配、させてしまった。自分のことだけでも手一杯だろうに。


「驚きはしたが気にしてない。俺も、おまえの気持ちを考えていなかったな。悪かった。それと薬湯も……まあ、ありがとうな」

「うん、どういたしまして!」


 一転して見せた屈託のない笑顔に、シェリックもつられて苦笑する。

 ころころと変わるどんな表情より、ラスターには笑顔が似合う。

 ――ああ、そうか。

 結論はすとんと落ちてきた。

 この笑顔を、曇らせたくないのだ。太陽に似たラスターを、守りたいのだ。


「ラスター」


 呼ばれたラスターは目を瞬かせる。


「なに?」


 乗せていた手を離し、上向いた彼女から一歩下がった。


「おまえは、母親を探したいんだよな?」

「うん」


 ラスターは、一片のためらいもなく頷く。

 連れてきたのはシェリックであって、巻き込んだのもシェリックだ。

 伝えなければならない。そして、問わなければ。彼女の意志がどこにあるのかを。一番の望みがなんなのかを。


「これからどうしたい?」


 進む道は、決められているわけではない。未来はいつでも変えられる。変えたいと思うその心があるのならば、選択肢はいくつも挙げられる。


「ボクは――」


 そうして、彼女の出した答えは。




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