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翡翠の星屑  作者: 季月 ハイネ
四章 アルティナ王国
57/207

57,しのんだ追想は遠く、届かず


 一人になると、懐かしいことばかり浮かんでくる。

 漂ってくるのは甘く温かい太陽の香り。見覚えのある景色の中に、幼かった自分の幻すら見えてくるから不思議だ。時を経ても変わらない友に、知り得たのはあの頃から変化した状況に、思いもかけなかった情報に。


「――十年、経ったか」


 改めて換算してみても、気づけばそんなに経過したのらしい。初めてここにやってきてから、もうそれほど経ったのだ。かつて身のほど知らずだった自分も、少しは『大人』というものに近づけたのだろうか。それに関しては、是、とも否、とも言い難い。

 というのも、何をもってして大人であると言えるのかわからないからだ。いつまでが子どもで、いつからが大人になるのか。明確でない境界線が、今のシェリックに問いかける。計れない物差しを使って形だけ無理やりはめ込むような、そんな横暴さがそこにはある。

 ふと思い出して、服の隠しから石を引っ張り出した。

 ――なんか、シェリックみたいな石だね。

 夜みたいだと称して、ラスターは笑ったのだ。石を透かして眺め、きれいだとも言って。そんな眺め方、シェリックには到底浮かばなかった。忘れないようずっと首からかけていたのに、いつの間にかしまい込むだけになっていた。そこにあることすら忘れるほどに、馴染んでしまった。時折思い出しては、こうして思いを馳せる。ここにあるのだと言い聞かせるように。

 この石を初めに見たとき、自分は何と感じたろう。石よりも他のことが衝撃的すぎて、正直あまり覚えていない。

 仕方ないだろう。あんなことを言われては、他の何もが吹っ飛んでしまう。石の感想は覚えていなくても、それ以外のことは鮮明に蘇ってくるのだから、それで許してほしい。今この場にはいない人物に請えたなら良かったのに。


 顔を判別しにくくなった夕闇を背にした部屋の中。この石は、ある人の手ずから渡された。

 もう何年前になるのだろう。十年と、少し。シェリックが王宮に来る、ほんの少し前のこと。正確に覚えているのはそのくらいだ。それだけの年月が経っても、この石は変わらずここにある。形は変わらず、なくなりもせず、ここにある。石についているひもは、もらったあのときよりも短くなってしまったけれど。

 きっと許してくれるだろう。短くした経緯を伝えたなら。手を差し出さなければ、どうしてそうしなかったのだと咎められるに違いない。

 この世に生を受けたときに贈られるこの石は、星命石と呼ばれる。それが自分みたいだと褒められるとは。そして未だこうして自分の手元にあるなんて――なんて皮肉だろう。

 うっすらと笑みが浮かぶ。


「──俺の星命石じゃ、ないんだけどな」


 おまえに預けると言われ、その辺にあった鍵を投げるかのように、造作なく放られた。それが星命石であると、大事な意味合いを持つのだと知ったのは、その人がいなくなってからだった。

 シェリック自身の星命石は存在しない。預けると言われたこの石も当然、シェリックのものになったわけではない。シェリックが持っているのは空っぽの器と、生きるためにと借りた名だけ。

 感謝はしている。いつか返すのだと言う目的が生まれた。悪友ができた。石が渡されなければ、占星術師になってもいなかった。輝石の島に足を踏み入れる機会もなく、彼女と会うことすら――

 ――あんた、本当になんてものを残してくれたんだ。

 本来の持ち主へと訴える。答えることはないと知っていながら、そうせずにはいられなかった。

 文句にも似た、ただの愚痴。高望みしていいなら、直接言いたかった。なぜここにはいないのだと、ぶつける矛先のない苛立ちが湧き上がってくる。

 傍にいたときにはとりたてて思いもしなかった。いないだけで、言いたい言葉が際限なく溜まっていく。

 もしも今シェリックの眼前に現れたなら、開口一番何を言ってやろうか。募りすぎた思いが言葉にならない可能性も少なくない。


「珍しいもんを見てんな。てっきり、その辺に捨ててるんじゃねぇかと思ってたぜ?」


 待ち望んでいたその人の代わりとばかりに。やってきた声にはもう驚かないことにした。


「捨てられるわけがないだろう」


 こっそり尾行でもしていたのではないか。疑いたくなる悪友に、ため息混じりの返事をする。

 アルティナという名があれば彼の姿もそこにある、と思うことにしておこう。どこにでも彼はいるのだ、と思うことにもした。いちいち驚いていたらこちらの身が持たない。

 本人に話したところで、今さら何をと言われるのが目に見えている。ならば、確認を取ることすら馬鹿馬鹿しい。


「戻ってきたくなかったんだろ? 石がなければ、戻ってこなくても良くなっただろうに。おまえともあろう奴が詰めが甘いねぇ」

「それは戻ってこれなくなる、の間違いだ。そうじゃない」


 それとはまた話が違う。込められている意味も違う。


「あくまでもこの石は預かっただけだ。俺はあの人から星命石として受け取ってはいない。代わりになる石がないから、俺の星命石として代用させてもらっている」


 それ以上でもそれ以下でもない。


「預かってる間だけでも、おまえの星命石だと認めちまえばいいだろうが。あの人はそんなことで怒ったりはしねぇだろ」

「本物にするつもりはない。これは、一時的に俺の手元にあるだけだ。いずれは返す」


 そう、いつかは返すのだ。シェリックは、元の持ち主に返却するまでの僅かな期間、あの人の代わりをしているだけなのだから。

 返せるものならば、すぐにでも。あの人に突き返して、こんな大事なものを簡単に渡すなと、文句を言ってやりたい。ああ、言いたい言葉がまたひとつ増えてしまった。


「頑固な奴だなぁ。捨てちまえば、身分も全て返上できんじゃねぇの?」


 今なら、まだ。

 聞こえなかった台詞が頭の中でささやく。甘美な誘惑にも似ていて、従ってしまいたくなる。それでもシェリックは首を横へと振った。


「――できない相談だな」


 賢人は、次へと継いでいかなければならない。途絶えることなく、繋がなければならない。それが、賢人という名を与えられた者に課せられた使命だ。

 けれども、シェリックは何もそのことを言っているのではない。

 シェリックに石を託してきたのがあの人だったから、星命石は大切なものだから、シェリックは肌身離さず持っているだけだ。これを失くすとはつまり、恩人の大切なものを失くすのと同義なのだ。そんなこと、怖くてできやしない。シェリックには到底不可能だ。それに。


「どうしておまえが言う。俺に戻れと言っていたのは他でもないおまえだろう」


 言ったのも迎えに来たのも、どちらも彼だったと記憶している。言葉と行動に潜む矛盾が、リディオルの意図をに注意しろと警告してくる。


「なーに、ただの親切心だよ」


 シェリックは眉をひそめる。リディオルのひと言を、どうしてありのままに受け取れようか。疑心だけが大きくなる。

 まるで一貫しない主張。リディオルが何をしたいのかがわからない。こちらを迷わせる心づもりなのか、それとも、シェリックと話す度に彼の中で変化したというのか。

 ――それはないな。

 こちらに何もつかませない態度でいても、彼の中では何かを決めて動いている。一番奥底に秘めたまま、それだけを決して裏切らずにいるのがリディオルという人となりだ。

 そして決めたことを覆さなければならない事態に陥ったなら、彼は全力で抵抗するのだろう。


「おまえも暇人だな」

「暇じゃねぇよ。忙しいの、俺は」


 言うほど忙しそうに見えないのだが。まったくもって。


「俺に構っている余裕なんてないんじゃないのか?」

「目を光らせておかないと、まーた変なこと考え始めるからな。暴走しないように見張ってやってんだよ――あのときみたいに」


 意味ありげにつけ加えられたひと言。それがいつの頃を指すのか、わからないシェリックではない。それを明確に言いはしないが。


「余計な世話をどうも。――それで、そちらは?」


 リディオルの横を示す。先ほどから緊張した面持ちで気まずそうにしている少年は、シェリックをちらと見たあと、おずおずとリディオルを見上げた。見間違いでなければ、シェリックが少し前に出くわした少年だ。

 ――止まれ!

 あのときシェリックを鋭く止めた覇気はなく、向けられていた敵意もない。彼はただただ年相応な顔をして、居心地悪そうにそこにいた。

 賢人が二人――そう考えるならば、居づらいのも無理はない。そんな想像もできるが、どうして彼がここにいるのか。


「うちの天才少年様で、ユノだ。俺の代わりの護衛だよ」

「護衛? 供はいらないと言ったろうが」

「いいからつけとけ。近頃は物騒だからな、一人じゃ危ねぇだろ。ついでにこいつと話でもしてやってくれよ」


 それでようやく気づいた。少年が決まり悪そうにしている、そのわけに。

 ――別にこちらは構わないのに。

 そう口にしたところで、リディオルに押しきられるのが目に見えている。わざわざ『護衛』と言い張ったのは、少年に配慮したためか。ならばシェリックも、彼の思いを汲んであげるべきだろう。年長者なりに。


「――わかった、お願いしよう」

「だそうだ。頼んだぞ、ユノ」

「はっ、はい!」


 上擦った声が返事をする。


「ごゆっくり」


 後方から茶化すリディオルに、少年の肩がわずかに跳ねる。そこまで張りつめずともいいものを――それを知りつつ、リディオルはわざとやっているとみた。

 リディオルと一緒にいたということは、恐らくは魔術師の見習いだ。少年の苦労を慮りつつ、シェリックは彼を伴って歩くことにした。



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