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翡翠の星屑  作者: 季月 ハイネ
四章 アルティナ王国
56/207

56,繋いだ言葉と約束を


「――シャレル様、今、なんと」


 聞き返しても、視線の先にいる女性は微笑むだけである。

 先ほど来たときに彼女の傍に控えていた姿はなく、今ここにいるのは二人だけ。扉前で別れたフィノは、この場にはいない。

 不用心だとは思っても、女性がそれを望んだのだろう。従者ナクルにさえも、聞かせたくはないのだと。


「ですから今申したとおりです、シェリック殿。あなたに賢人の地位へと戻っていただくのと同時に、ラスター殿にひとつの場所をお渡ししたいと。それだけですよ。キーシャの友人、薬師の見習い、占星術師の補佐――何でも構いません。浮かぶ肩書きはいくつもありますでしょう」

「そういうことではありません。なぜ私だけでなく、彼女もここに? あなたが望まれたのが地位についた私ならば、彼女は関係ないでしょう」


シェリックの心中に狼狽ろうばいの感情が吹き荒れる。

 なぜ? ラスターがキーシャを助けたから、その恩に報いようとして? ――いや、この人に限ってそれはあり得ない。そんな簡単な理由などでは、決してない。

 そうだとわからないように歯がみする。

 これでは、ラスターをここから出すことなど叶わなくなってしまう。


「ラスター殿の力を見込んでのことです。あの知識と技術、見習いでも十分ふさわしいと思いますよ?」

「本人の承諾もなしにことを進めるのは、あまり賛成致しかねますが」


 それも、作為的にシェリックだけに話をするなんて、頷けるわけがない。


「それに、なんの後ろ盾もなく王宮ここに留めておくことがどれほど危険か、あなたならおわかりになりますでしょう?」

「脅しのつもりですか、それは」


 人質として連れてきておきながら、彼女の立場を気にかける。拘束されていないだけましだと、そう思わせたいのか。それとも、アルティナの所有物だと見せつけて、シェリックの安易な希望すら封じようというのか。


「とんでもない。事実を述べただけです」


 取り澄ましたその顔の裏で何を企んでいるのか、推し量れはしない。

 彼女とはどこまで行っても平行線で終わりそうだ。ラスターをアルティナに関わらせたくないのが本音なのに、ここまで来てしまったらあとに引けない。中枢に深く入り込んでしまったら、そこから抜け出すには膨大な労力が必要になる。


「なら私だけお戻しください。彼女は私につき合わせていただけです。王宮とは何の関係ありません。明日にでも故郷に帰してやってください」


 ――それでも、関わることなしにできるというのなら、シェリックはそうしたい。

 母親の行方を追っていたラスターには申し訳ないが、故郷に帰ってもらうのが彼女のためだ。ラスターを、アルティナに渡すつもりはない。


「本当に?」

「ええ」

「シェリック殿、本当に? ラスター殿は何も関係ないとおっしゃるのですか?」

「ですから、そうだと――」


 言いかけて口を閉ざす。今、何か、声の調子が変わっただろうか。笑みはそのままで、それなのにひんやりと寒気を感じたような気がした。


「あなたと出会った時点で、関係なくはないでしょう?」

「――っ、それが理由になりはしないでしょう!」


 荒げてしまった声で非難する。

 ラスターと出会ったのは偶然だ。シェリックとラスターはアルティナとは何も関係のないところで出くわした、ただの囚人と少女だった。それ以外の、何ものでもなかったのだ。


「あなたは……使われるおつもりですか、ラスターを」

「そんな人聞きの悪いことを申したつもりはありませんわ。もしラスター殿が聞き入れてくださるなら、協力していただきたいと思っただけです」


 読めない表情で彼女は微笑む。何を考え、どうしたいのか――彼女の思いどおりに全てを巻き込もうとするその思考が、見て取れる。たおやかで、上品で、そんな外見に似合わず、底知れない考えをめぐらせていて。

 シェリックが今願うのはただひとつ。ラスターがアルティナの手駒とされる、その事態だけは避けなくてはならない。


「――少し、時間をいただけますか」


 絞り出した答えは、是とも否とも言えないものだった。


「ええ。構いません。考える時間は必要でしょう。あなたも、ラスター殿も。けれど、どうか決断はお早めに。ラスター殿の立場が悪くなる前にお願いしますわ」

「ええ、そのつもりです」

「――ときにシェリック殿」

「――は」


 返事になるまでに至らない。疑問と、警戒心とがない交ぜになった。


「レーシェ殿にはお目にかかりまして?」


 まさかその名を聞くとは思わなかった。耳にするだけで胸が痛む。彼女は無事だとわかっていても、なお。

 存命中だと聞いたのはつい先ほどで、間を置かずこちらに呼ばれたのだ。そんな中で会いに行く方が難しい――なんて、言い訳ばかりが頭に浮かんでくる。

 本音を言うなら、今すぐにでも駆けていって、彼女の姿をこの目で確かめたい。


「いえ、まだですが……何か」


 会いに行く決心がついていない。いくつもの理由を探して彼女から遠ざかっているのはそのせいだ。


「では、早急に会いに行かれることを勧めますわ。それが、あなたのためになるでしょう」

「承知しました」


 ――贖罪しょくざいを、しなければならない。あんなことになってしまった彼女へ。手向けるつもりでいた花はこの手にないけれど、代わりの言葉はいくらでも紡げる――きっと。

 紡いだところで、どれだけの謝罪を告げても足りないだろうけれど、伝えなければならない。


「シェリック殿」


 りんとした声。呼ばれたシェリックは、床に落としていた視線をゆっくりと上げる。


「あなたがアルティナを快く思っていないことは存じております。ラスター殿も、あなたとの交渉にするためだけに呼び寄せたつもりはありません。それだけはお伝えしますわ」

「そうですか」


 交渉するためだけにではない――では、交渉に使う気はあったのだ。他の意図だけでなく。


「お時間を取らせましたね。私からは以上ですわ」

「わかりました、ここで失礼致します」


 頭を下げ、くるりと背を向ける。終わった話にこれ以上語ることはなかった。

 後ろで彼女がどんな顔をしているのか、想像に難くない。いつものように、慈愛に満ちた眼差しを浮かべているのだろう。あの薄ら寒い気配とは違って。

 閉めた扉の前で、重い息がついつい口から落ちた。

 扉で隔てられているとはいえ、話し相手だった人はすぐ向こうにいる。それでも、これくらいは勘弁してくれないだろうか。


「お疲れ様でした」


 離れた位置に立っていたフィノが歩み寄ってくる。苦笑しているところを見ると、今の一連の動作は目撃されていたのだろう。


「立ち聞きか?」

「まさか。この部屋の会話が外まで聞こえないことは、あなたもご存知でしょう?」


 困ったような笑みに変わったフィノを見て、自分の失言に気づく。


「――悪い、今のはいらない発言だった」


 彼で憂さ晴らしをするつもりはなかった。


「では、聞かなかったことにしましょう。私の胸に秘めておきます」

「あとで語り草にするためにか?」

「とんでもない――けれど、何かの拍子にこぼれてしまう可能性は否定できないですが」

「必然性が高そうだな」

「そんなことはありませんよ」


 まだ、受け入れられていないのだ。戻るとは言ったものの、賢人の立場に戻った自分も、その周りに彼らがいることも。

 ろうに入れられていた三年間と、ラスターとともにいた三年間と――アルティナから離れていた六年間を埋めるには、時間が足りていない。慣れ親しんだ場所とは言え、ここにいた期間よりも、不在だった時期の方が長いシェリックにとっては。


「――フィノ」

「はい?」

「ラスターに会いに行ってやれないか? さっきおまえがここにいなかったことを、ずいぶん気にかけていたようだったから」


 それは、単なる思いつきに過ぎなかった。

 最初にここにやってきたとき、シェリックはラスターと二人でこの部屋に入った。出てきた時にフィノの姿が見えず、ラスターの落胆していた様が見て取れてしまった。

 そのあとに話した際も、ラスターはフィノの行方をしきりに気にしていた。フィノはシェリックとラスターを連れてくる役目を終えた。だから姿を見せない、そんなことを思い込んでいるのかもしれない。


「そうでしたか、それは申し訳ないことをしてしまいましたね……」


 フィノは口元を覆い隠し、悩んでいる素振りを見せる。

 その落胆していたラスターへと、追撃をかけてしまった自分に言えることではない。知った顔が少ない中で見知らぬにいるのは、大層心細いだろう。今なら、そう考えられる。

 ラスターの傍に、シェリックがいつでもいられるとは限らない。ならば、その役目を他の誰かに託してもいいのではないかと思ったのだ。

 ――もちろん、任せきりにするつもりはない。それでも妥協しようかという気持ちが浮かんできたのは、ラスターのせいだろうか。


「あの場に留まっても差し支えはなかったのですが……その、なんと言いますか……」


 返答に詰まるフィノなど珍しい。


「何かあったのか?」

「いえ、そうではありません。そういうわけでは、ないのですが……」


 言うべきか否か。迷っているフィノを待つ。そうして視線をさ迷わせていたフィノが、とても言いづらそうに答えたことには。


「……二人きりでお話ししたなら、ラスター殿を怖がらせてしまうかもしれないと思いまして」


 思いも寄らなかった返答にがく然とする。

 そういえば、フィノはラスターと二人きりになるのを避けているように見えた。一度王宮まで出かけたシェリックが戻ったとき、彼はラスターとは別の部屋にいたか。こさえていた飲み物を自分では持っていかず、シェリックに託しさえした。今思えば、あれはそういうことか。


「大丈夫だろ、あいつは。ああ見えて意外と強いぞ」


 くじけてもへこたれても、その度に顔を上げて、笑って。


「輝石の島でのことなら気に病むな。お前は上の命に従っただけだ。そうしなければならなかったんだろう? 結果的にラスターが倒れる事態にはなったが、その前からあいつの体調は芳しくなかったからな。全てがおまえのせいじゃない。おまえは最後にラスターをていてくれた。それで十分だ」


 輝石の島で起きたことが心残りだったのは、何もシェリックだけではない。フィノにも、悔やみきれないものがあったのだろう。

 だから、もうこれでしまいだ。互いに心残りばかりでは、許すこともできなくなってしまう。


「……わかりました、そうおっしゃるなら。あとでラスター殿の元までうかがいます」

「ああ。頼む」

「ええ、かしこまりました」


 ――フィノが全部悪いんじゃないよ。

 加担していたのは事実だけれど、その心まで同じだったかどうかなんてわからない。むしろ命を受けていた分、余計に悩んでいたのではないか。ラスターは恐らく、そう言いたかったのだろう。

 全てを疑ってかかったシェリックとは違って、ラスターは信じようとしたのだ。敵対していたフィノをも。

 ――敵わないな。

 彼女レーシェとはまた、別の意味で。


「私はこれで。シェリック殿、それではまた」


 フィノからかけられた言葉に目を見張った。


「――ああ、そのうちな」


 柔和な笑みを浮かべながら、フィノはそこから立ち去っていく。

 再びの約束がラスターにも交わされればいい。これきりなのは、やはり寂しいから。




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