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翡翠の星屑  作者: 季月 ハイネ
四章 アルティナ王国
55/207

55,誰何の声が呼び止めて


 浸る感傷はほんの少し。留まりたがった余韻を引き剥がし、意識を目の前へと戻すことに努めた。


「話を戻すが」


 今は浸っている場合ではない。現状を確認するのが先だ。リディオルは口の端を持ち上げるだけで何も言わず、シェリックが何か発するのを待ってくれていた。律儀なことだ。時間をくれたのには感謝したい。


「亡くなったのは誰だ?」


 三人と聞いた。シェリックがいなかった間に変わっていなければ、それなりに親しかった者もいるかもしれない。

 けれどもリディオルはここにいて、レーシェは存命中だと聞いた。賢人同士、横の関わりは薄いが、それでも顔を見知っている程度にはわかる。それに、似たような役割を持つ者たちは決して結びつきがないわけではない。

 シェリックが牢から出てきたように、この六年の間で、皆何かしらの変化はあっただろう。


「初めにレマイル、次にシーズ、最後にニーザだ。賢人以外に共通点なんか何もねぇ。ただひとつ、レマイルがレーシェと親しかった」


 眉を寄せる。それだけの情報では、関連性があるのかどうかわからない。


「今、そこの席は?」

「全部空席だ――ああ、次期鉱石学者って言われてる奴はいるか」


『賢人』というその地位が空いたら、もしくは空くより前に、次の者へと継がなければならない。それが彼らに課せられている決まりごとだ。

 ――彼らに。

 まるで他人事のように考えてしまい、シェリックは自嘲する。もう彼らに、ではない。シェリックを含む自分たちに、だ。


「おまえも知ってる奴だよ」


 目線だけで問いかけると、リディオルは「聞いて驚くなよ?」なんて言いながら、面白そうに教えてくれた。


「フィノだ」

「フィノ?」


 確かにどこかで聞いたことのある名だ。顔を知り、人もある程度知っている。けれども、シェリックが驚いたのはその部分ではない。

 ――鉱石学者?


「あいつ、魔術師の見習いじゃなかったのか?」

「は? なんでそんな誤解を――ああ、そういうことか」


 名前を聞いて思い出したのは、輝石の島で見た、彼の操っていた土塊だ。あれは誰にでもできはしない。魔術を扱う素質がない限り、あんな芸当は不可能だ。占星術師の名を冠するシェリックにだって、できやしない。


「才能はあるんだけどな、興味ないんだと」

「……他の奴が聞いたら羨みそうな言葉だな」

「まったくだ」


 アルティナでは血筋や家柄ではなく能力や実力に重きを置いているため、もめごとも絶えない。それがつかみ合いにまで発展しないのは、王族がどうにかしているからだろう。こういったことへの解決は、人の器量がものを言う。上に立つ者も、従う者も。


「――こちらにおりましたか」


 木漏れ日を受けてそこに現れたのは、今まさに話題に上がっていた人物だった。


「せっかくの友人との談話を邪魔するつもりか?」


 からかい混じりに告げるリディオルへと、フィノは微笑んでみせる。


「邪魔の入らない環境をご希望でしたら、こんな人通りのある場所ではなく、もっと人の寄りつかない場所を選ぶでしょうに。見つからずに済ませる方法はいくらでもあるでしょう。あなたならば」

「人のいない暗がりで密会するとは、よからぬ企みを持っている奴だけだぜ? 俺は善良な人間なんでね」

「真に善良な人間は、友人を海に落としたりしないと思いますが?」


 ため息を交えながら話すフィノに、リディオルが一瞬だけ応えに窮する。


「そろいもそろってそういう奴らだよ、おまえらは……」

「おや、私以外に誰かおりましたか?」


 苦笑を浮かべながら訊いてくるフィノへと、リディオルは心の底から嫌そうに答えたのである。


「ナクルといい勝負だっつってんだよ」

「っはは、確かに」


 堪えきれずに吹き出してしまう。リディオルに対する適当さは、称賛に価するかもしれない。それを言われている本人に告げたらきっと、唾棄されるだろうけれど。

 勢い余って笑ってしまったことで、リディオルから一度ねめつけられる。明後日の方向へと視線を飛ばしつつ、そこから逃れた。飛び火するのはごめんだ。


「フィノ。おまえ、年々あいつに似てきてねぇか?」

「それは買いかぶりすぎです。ナクル殿には到底及びませんよ」

「あんなところまで到達しなくていい。できればそのままでいろよ」

「それはそれで複雑な心境ですね。ナクル殿からもそうですし、まだまだ学びたいことはたくさんありますので」

「おーおー、向上心は高いようで何よりだ――それで、何か用事あったんじゃねぇの? こんなところで道草食ってていいのかよ」

「たまには寄り道も必要ですよ。――シェリック殿、シャレル様がお呼びです」


 口を挟んでもとばっちりが及ぶだけだろうと何も言わずにいたら、やにわに名を呼ばれてぎょっとした。


「俺が?」


 てっきりリディオルへの用事だろうと高をくくっていた。


「ええ」


 そう言われても、すぐに思い浮かぶ用件はない。連れもここにいないことだし、すぐさま応じるわけにはいかない。


「ラスターを探さないとか……」

「ほらな、すぐに追いかけねぇからだよ」

「いえ、お二人一緒ではなく、あなたお一人だけ呼んでくるようにとの仰せです」


 それはまた不思議な招集である。けれど、思い返してみればそうか。元よりアルティナにいたのはシェリックだけ。その自分一人に用事があるとなれば、まず疑いようもなく賢人の荷関することだろう。


「わかった、参じよう」

「どうぞこちらへ」


 続こうとして体勢を変えれば、何か言いたげなリディオルと目が合う。思案していた顔が、ふっと和らいだ。


「お供はいるか?」

「結構だ」


 何を言うのかと思えば。

 ふざけ調子に笑うリディオルから顔を背け、先に歩き始めるフィノのあとを追った。



  **



 綺麗な景色を見ると落ち着く。

 波立っていた心が穏やかになるのは、自分が小さな存在だと実感するからだろう。

 物事は時間をかけてゆっくりと変化する。永遠に同じものはこの世にない。そんな当たり前を、思い出させてくれる。

 手に取った蕾が花開くのはいつだろう。ラスターは、いつまでここにいられるのだろう。


「――おい、そこのおまえ」


 ラスターに声がかけられたのはそんなときだった。めぐらせた首がその姿を捉えるより早く、顔の前に杖の先が向けられる。面食らって視線を上げると、険しい表情をした少年がラスターをにらみつけていた。


「ここで何をしている。どうやってここまで入り込んだ」

「え、えっと……」


 しゃがんだままでいるのも話しづらかったのでそこに立ち上がる。

 入り込んだ、というよりは迷い込んだと言った方が正しい。それに、ラスターは連れられてきたのだ。どちらにせよ入り込んだわけではない。

 詰めていた息を吐き、吸って。置いたのはひと呼吸。


「花を見てた。向こうから来たんだケド、どう来たか覚えてなくて」


 来たと思われる方向を示すも、初めにいた場所からも動いてしまったから、今となっては合っているかどうかすら危うい。なにせ、ここまで無我夢中で駆けてきたのだ。どこをどう走ってきたか覚えていないし、シェリックがいる元の部屋に戻れるかも疑わしい。


「覚えてない……?」


 疑いの眼差しが強くなったのは、ラスターの気のせいではないと思われる。


「王宮には、フィノに連れてこられたんだケド……ええと」


 出てきたのは弁解とはほど遠いもの。ああでも目の前にいるこの少年はフィノを知らないかもしれない。そのことに思い当たったのが口に出してからで、どうしようかと思っていたら。


「――え」


 ラスターの返答を受けて、少年はわずかにたじろいだような、戸惑ったような反応を見せたのだ。

 厳しかった表情が一変する。ふと覗いた顔が、ラスターの脳裏に誰かをよぎらせて。

 この少年、誰かに――


「そうやって、軽々しく武器を向けて力を見せつけてはなりません。彼女、怯えているでしょう」


 その声はラスターの背後からやってきた。聞き覚えのある声だと思ったら。


「ナクル殿、どうしてこちらに……」

「ラスター殿を探しに参りました」

「あなた、さっきキーシャと一緒にいた」


 印象が強烈で覚えている。リディオルにあんな物言いをする人を、忘れるわけがない。

 そうだ。この人は、ナクルと呼ばれていた。


「なっ、キーシャ様を――!」


 両目をつり上げた少年を、ナクルが手で制する。それ以上、言わせないと。


「彼女はシャレル様の客人です。それ以上詮索するのであれば、私を通していただきます」

「いえ、結構です……失礼いたしました」


 引かれた杖は少年の手に下げられ、ラスターは胸をなで下ろす。剣ではなかったものの、敵意までそこに込められているようで落ち着かなかったのだ。刃でなくとも悪意は込められる。覚えておこう。


「今回は褒められたことではありませんでしたけれど、あなた方が用心してくださっているおかげで今日の王宮が守られております。ユノ殿、どうぞこれからもよろしくお願いします」

「いえ、私なんてとても……でも、ありがとうございます。失礼します」


 頭を下げ、少年は足早に去っていく。彼の姿が見えなくなったところで、「まったく……」なんてつぶやきが聞こえた。横を見ればナクルとばっちり目が合って、つかめない無表情についたじろいでしまった。リディオルと話していたときほど剣呑さはない。それでも急に向けられると、どうにも気構えしてしまう。何かしでかしてしまったのではないかと。


「ラスター殿、あなたもあなたです。シェリック殿の元を離れて、こんなところで一体何をしておいでです」

「……ごめんなさい。あんまりきれいだったから、つい」


 していたのは考えごとだったけれど、広がる景色に心奪われたのも事実だ。

 ──そうか。心配されていたのではなく、警戒をされていたのかもしれない。連れてこられた王宮から、一人こっそりと抜け出そうとしているのではないかと。


「つい、ではありません――しかし、お気持ちはわからないでもないですが」


 言葉を止めたナクルにつられて、ラスターも辺りを眺めやる。

 今ここで交わされていたやり取りなど知らぬ顔して、彼らはさわさわと揺れている。風で運ばれてきた柔らかな香りが、ラスターの鼻腔びくうをくすぐった。


「先ほどは自己紹介もせずに失礼しました。私はナクルと申します。キーシャ様を助けていただいて、ありがとうございました」

「い、いいよ、そんなかしこまられても困るし、あれは本当にたいしたコトしてないし……」


 ラスターが助けたというより、キーシャに助けられた割合の方が大きい。あのときキーシャが話をしてくれたおかげで、ラスターの心が定まったのだ。

 ナクルへと両手を振って否定するも、彼は生真面目なその顔のまま、ゆっくりと首を横に振った。ラスターの否定こそ必要ないとでも言いたそうに。


「いいえ、とても助かりました。私がお傍にいなかったばかりに何もできず、キーシャ様は最悪、命を落とす可能性もありましたから。何度お礼を言っても足りません」


 ナクルの表情は変わらない。それでも、彼がキーシャの身を案じていた思いが伝わってくる。

 なんだか素敵だ。いいなあと思う。ただ、純粋に。


「……それなら、役に立てて良かったよ。ボクが大人だったら、もっとそつなくこなせてたかもしれないケド」


 保険だと言いながら傍にいて、助けてくれたシェリックみたいに。気落ちしていたラスターを励ましてくれたフィノみたいに。簡単にはそうだと気づかせず誰かの助けになる。そんな彼らに、ラスターは憧れるのだ。


「そんなことはありません。必要なときに己の力量に合った方法で対処する。実際になすのはなかなか難しいことですが、あなたは見事に成し遂げた。ご自身を誇って差し上げてください。それは大人であろうと子どもであろうと、関係ありません」

「あ、ありがとう……面と向かって言われると、なんか照れる」


 赤くなった頬を隠そうと下を向く。両手で覆った頬が、心なしか熱い。


「事実でしょう? それに、元気が出たみたいですね」

「――えっ」


 弾かれたように面を上げたラスターへと、彼は言う。あくまでも淡々と。


「先ほどはあまり元気がないように見受けられたので」

「そうかな……」

「ええ、少しばかり表情が明るくなりました。キーシャ様も、なにか煮詰まったときにはよく外にいらっしゃいます。王宮を歩いてみたり、人と話をするだけでも、気分転換になるのだとおっしゃっていましたよ」

「そうなんだ――うん、でも、そうだね。ありがとう」


 気分転換。きっと、そうだ。ラスターも、考えを詰めすぎてしまっていたのだ。

 何かで気を紛らわせたいときは誰にでもある。いずれは問題に立ち向かわないといけないのだとわかっていても、遠回りすることで解決できることだってある。早急に答えを出す問題ばかりではない。時間が必要な問題だって、あるだろう。


「少々説教じみてしまって申し訳ありません。キーシャ様からよくそれを言われるのですが、つい」

「ううん、気にしてないよ」


 リディオルと話している姿には驚いたけれど、こうして話してみると優しい人だとわかる。

 それに、ナクルはまったくの無表情というわけではなさそうだ。よくよく見ていれば、彼の表情は微かに変化しているし、無感情なわけでもないだろうから。


「ボクはラスター。ラスター=セドラ」


 そういえば名乗っていなかったことを思い出し、ラスターが右手を差し出した瞬間。


「――っ!?」


 今まで動じなかったナクルの瞳が、はっとしたように大きく見開かれた。




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