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翡翠の星屑  作者: 季月 ハイネ
四章 アルティナ王国
53/207

53,踏みしめる足は不安定


 部屋を出た足で、そのまま王宮内を闊歩かっぽする。

 自分より前に飛び出していった姿は見当たらず、そちらはあとまわしにすることにした。

 ラスターが王宮の敷地内から出ていないことは確かだ。ここから出ようとしたなら王宮の人間が止めるだろうし、連れてこられる形となったラスターが容易く出られるとも思っていない。ラスターが人質として扱われているることに感謝するとは、なんという皮肉か。それに、頭を冷やす時間が必要だ。きっと、お互いに。

 言い過ぎた後悔はあっても、告げた言葉を取り消すつもりはない。ラスターに告げたのはシェリックの本心だ。人が二人いれば、どこかで意見が食い違うのは必然だ。

 シェリックがここに戻ってきたのは、ラスターのせいでもラスターのためでもない。うそぶかずとも、偽善者であらずとも、自分のためだと言いきれる。ラスターがいてもいなくても、いずれ戻らなければならないと思っていたからだ。


 ――六年か。


 外観や内装に多少の変化は見られるものの、内部の造りは覚えている限り何も変わらない。探索と称そうにも、迷わず目的の場所へと向かってしまうから困る。何十回、何百回も訪れたシェリックにとっては、六年もの歳月が流れていようと、歩き慣れた道のりであることに変わりはなかった。

 吹き抜けの廊下を抜けて中庭に出る。人工の建造物だけでは息が詰まるだろうからと、先代の王が緑の多い場所を所望し、職人に頼んで造らせたのがこの中庭だったろうか。いつかの薬師がそこに目をつけて、薬草園を作ったというのも聞いた覚えがある。それはこの場所ではなく、別の場所だったか。目の前にある植物が観賞用なのか薬用なのか、薬師でないシェリックにはわかりかねた。

 廊下から眺めてもわかるほど色鮮やかな花が咲き誇り、それも四季折々に違った色合いを見せてくれるのだから、これほど目を楽しませてくれる場所はそうそうない。

 育ちがいいせいで小さな森になっており、木々の間に一本だけ道ができている。目指す場所は、この先にあった。


 木立の間から漏れる光が、時折視線と絡まってまぶしい。その都度目を細めながら、森を抜けた。暗さに慣れていた視界が唐突に光に晒され、顔をしかめる。慣れるのは時間の問題だ。向こうに、誰かが立っているのが見えた。

 近頃目にすることの多かった黒い外套がいとう。それが意味するのは、アルティナにおいての上級職、賢人と呼ばれている人間や、その周囲の者たちだ。

 一瞬旧友の顔が浮かんだが、そこにいる人物は彼よりも小柄だ。それに、旧友は杖なんて持っていなかった。魔術師であるはずの彼に、終ぞその姿を見たことがないと気づき、やはり旧友は常識では語れない人物だとこっそり息を吐く。

 おぼろげだった姿は、近づけば近づくほどはっきりとしてくる。そこにいたのは子どもだ。恐らくは、ラスターと同じくらいの少年。


「──止まれ!」


 彼の口から鋭い命令が飛び出てくる。

 無視して進んでもどのみち止められるに違いない。それも、今度はきっと物理的に。シェリックは彼の目の前で大人しく足を止める。やり合うのはごめん被りたいが、返答次第ではその展開も待ち構えている。けれど一番の理由は、シェリックが彼に抱いた興味だ。

 賢人やそれに連なる者は、シェリックやリディオルと同い年くらいの者が多い。ゆえに、彼ほどの年齢で黒い外套を着ているのは、珍しいと言える。誰かに借りた様子はなさそうだし、十中八九、彼自身の外套だろう。

 驚くべきはその一点だけにあらず、シェリックが向かっている目的地の主が、彼を認めている点だ。


「見ない顔だが、何用でここに来た」


 両の眉はひそめられているが、怒っているわけでもとがめているわけでもない。ここにやってきたのが、恐らくは彼にとっては見慣れない人物であったから、そう尋ねているだけだろう。

 構えられた杖から、彼の揺るぎない意志が伝わってくる。答えなければ、実力で排除することもいとわないと言われているようで、それは勘弁願いたいところだ。


「リディオルはここにいるか? いないなら別を当たる」


 彼の態度から、まだこちらのこと──シェリックが戻ってきたのだということは、知れ渡っていないのではないかと推測した。


「? あなたの名前は?」


 向けられていた杖とひそめられていた眉が、いぶかしげに反応する。


「──シェリック=エトワール」


 答えたのはシェリックではない。少年の背後からやってきた、シェリックの探し人だ。


「リディオル殿。戻られていたんですか」


 少年は隣まで来たリディオルを見上げるも、こちらの様子をうかがう素振りも忘れない。知り合いという様子は察せられても、警戒心を解くまでには至らないようだ。なかなか見上げた心構えである。


「ついさっきな。こいつは俺の旧友だ。身分は保証する」

「えっと、では、この方が……?」


 戸惑った言葉から、ようやく少年の年相応な顔が見える。問いには答えず、リディオルは意味ありげに笑った。杖を下ろさせた少年の肩に手を置き、彼の耳元で告げる。


「ちょっと出かけてくる。さっきの用事、頼むな」

「う……はい、わかりました」


 一瞬見えた嫌そうな顔はすぐに収められ、少年は背筋を正した。


「いってらっしゃいませ」


 そうしてぞんざいに手を振るリディオルを、丁寧に見送ったのだ。



  **



 太陽は偉大だ。

 世界にどんな天災が起きようと、人がうっかり死にたくなってしまうほどの後悔を抱えようと、変わらず頭上で輝き続けている。空にあるそれだけで、明るい気分が浮上してくる。それも、空を見上げていればの話になるが。

 ぽかぽかとした陽気さとは裏腹に、沈み込んだ気持ちと膝を一緒くたにして抱えた少女が一人。ここだけどんよりと漂う空気を、さすがの太陽も払拭しきれなかったようだ。


「……やっちゃった」


 植込みの陰に座り込んだラスターは、先ほどのことを思い返して、激しい自己嫌悪に苛まれていた。

 あふれ出ていた涙はすっかり乾いてしまった。ラスターは、代わりに出てこようとしている

鼻をすんとすする。

 シェリックが悪いのだ。ラスターはちゃんと決めて、気持ちを定めてここにいるのに、シェリックが他人を理由に使うな、とか、忘れろなんて言うのだから。

 シェリックに捨て台詞を吐いてしまい、部屋から飛び出してきたのが今より少し前のこと。

 ──俺を連れ出して、ここまで来てくれて、ありがとうな。感謝してる。

 常よりも距離を置いたような言い方に、どうしようもなく悲しくなってしまった。

 ラスターはそんな言葉が聞きたかったのではない。そんな台詞が欲しかったのでもない。だって、あれでは別れの言葉ではないか。

 ひと目を振りきるように走りながら、落ち着ける場所を探して、たどりついたのがこの場所だった。思い返した先ほどのことと、現状に意気消沈しながらうずくまって今。視線までも落とすとさらに気が滅入ってきた。

 揺らぐ心があるなら、気持ちは明確に定まっていない。シェリックとのやりとりで、それを痛感してしまった。なんて脆弱な意志なのか。


「……ボクは、どうしたらいいんだろう」


 唯々(いい)諾々(だくだく)と従っていたわけではない。目的はある。それはもうはっきりとしていて、疑いようがない。

 母親を探したい。

 シェリックの力になりたい。

 そのふたつは相反しているわけではない。けれどもふたつを同時に求めてはいけないのだと、シェリックは言う。

 どうして駄目なのだろう。アルティナにいたなら、ここに留まるシェリックを助けられる。それに、母親に関する情報だって手に入れられるかもしれない。

 ──そうだ。フィノだって話していたではないか。アルティナは情報や技術の発信源だと。ならば、ここで母親の情報を手に入れることだって、できるのではないだろうか。だってそうしたなら、ここに留まって、シェリックの力になれるではないか。

 けれど、それではいけないのだ。シェリックがそれを許しはしない。認めてくれない。


 ラスターは目をつむった。

 あのときもそうだった。

 思い出すのはいつかの光景。どうにもならない状況を、すがりついてでも止めたくて、けれどもできなくて。

 扉の向こうに消えてしまう背中を、ラスターは引き止めようとしていた。けれども、ラスターがどれだけわめいても、駄々をこねて泣きじゃくっても、止めることなどできやしなかった。

 ──嫌だ、行かないで!

 繰り返しそう叫ぶ横では、祖母が自分の頭をなでながらなだめていて、扉を背にした女性はそんな光景を申し訳なさそうに眺めていた。後ろから差し込む光が、今にも彼女を連れて行ってしまいそうで──ただひたすらに怖かった。

 近寄ろうとしても祖母の手がそれを許してくれない。子どもの力はなんて非力なのだろうと、恨みさえした。

 ──行かないで……お母さん!

 振り絞った言葉に女性は一瞬だけ顔を歪めて、それから目を伏せた。

 ぽつりとひと言つぶやいて、くるりと背を向けて──外へと消えていってしまって。

 あの言葉は誰に向けて放ったものなのか、どうしてそんなことを言ったのか、ラスターは今でもまだわからない。

 けれど、彼女は間違いなくラスターを見据えていたから、紛れもなくラスターに向けての言葉だったのだろう。真相はわからないけれど。

 ずっとずっと、ラスターの耳に残っている。あれから四年経った今でもなお覚えている。一字一句、忘れることなく。文言は覚えているのに、彼女の声だけ、ずいぶんと薄れてしまった。


「……許さないで、なんて、どうしてあんなコト言ったんだろう……」


 答えてほしい。あの言葉の意味を。どうしてラスターと祖母の前からいなくなってしまったのかを。ラスターは聞きたい。聞いて、納得がいくまでお互いに話して、いつか帰ってきてほしい。待ちわびている祖母も、きっとそれを望んでいる。

 こぼした言葉が地面に消えていく。何をこぼしたのか、こぼしたかどうかもわからなくなるほどに。下を向いていると何もかも悪い方向に考えてしまう。このままでは駄目だ。立ち止まってばかりでは何も解決しない。

 ラスターは目をこすり、腰を上げ、前を向く。外まで飛び出してきたのは覚えているけれど、さてここはどこだ。そうして今度はちゃんと辺りに目を配って──そこにあった景色に目を丸くした。


「え……」


 ぐずぐずと悲しんでいた気持ちさえも引っ込む。それ以上言葉が出てこない。

 見慣れない花が辺り一面に咲き誇っている。それも一種類だけではない。見渡す限りでも数十種類は超える。

 王宮から一歩外に出たところとは言え、ここはまだ敷地内であることに変わりない。それなのに、広がるのはラスターの故郷でも見たことがない花ばかり。王宮にこんな場所があるなんて。


「なんの花……?」


 ふらりと立ち上がり、近くへと寄ってみる。花畑──いや、これは花壇か。

 煉瓦れんがが敷かれた道を歩き、その花々を見て進む。残念ながら、ラスターに見覚えのある花は見つからない。

 ──でも、これ。

 ひとつを手に取り、間違って摘んだりしないように注意しながら眺めてみる。

 母親の持っていた文献で見たことがある。ラスターの故郷であるラディラには生息していなかった植物──それも、薬草だ。隣も、あちらも、恐らくは向こう側も。もしかしたら、ここに育っている植物全てが薬用なのかもしれない。

 日陰にほど近い一角に、ラスターはようやく見たことのある植物を発見する。やはり、これも薬となる材料だ。ではやはり、ここの視界を覆う植物の全てが薬草なのは間違いない。


「すごい……こんなに、いっぱい」


 まるで宝庫だ。

 しゃがんで茎や葉、土を確認する。土壌の乾きはちょうどいい。茎も太く、葉は色濃く育っている。生育状態に至っては言うまでもなかった。害虫はついていないし、一見して病気にもかかっている気配もない。日当たりのいい場所に置かれた植物と、あまり日の当たらない場所に置かれた植物と。

 こんなに状態のいい薬草にはめったにお目にかかれない。それも、加工されていない生の状態。誰かが厳しく管理しているのだろう。でなければ、こんなに多くの種類と数の薬草が、これほどいい状態で育つわけがない。

 これだけあったなら、薬を作るのに困ることはないだろう。必要な量どころか、余分に作ることだってできるに違いない。

 ──もし、もしも。

 ラスターは思うのだ。今でなくあのとき──母親がいなくなる前に、これだけの薬草があったなら。


「みんなを、助けられたのかな……」


 求められたいくつもの救いの手に、応えることはできたのだろうか。



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