5,探し物の行方を問うて
離れた位置から見ても大きいのは重々承知の上だったのだが、近くで見るとまた違った。物怖じせずに仁王立ちする存在感は、間近に来ないと実感できない。ラスターが両手を伸ばしても、灯台の端から端までを計るには足りない。ラスターがあと何人いたらこと足りるだろう。
「わー……首痛くなりそう」
縦はもちろん、天まで届きそうなほど高い。頂上まで上ったなら、太陽にも触れるだろうか。夜だったら星に、月に、手が届くだろうか。誰もが成し得なかった偉業を、この灯台ならばできるのではないか──そう思わせてくれるほどに。
海を向いている側の、元は白い壁であったであろうところが剥げて、灰色の石が見えている。
さて、飯屋はどこだろう。先ほど言われたのはこの辺りだ。
ラスターは灯台の横を通り過ぎ、きょろきょろと見回してみる。しかし辺りと言っても、視界が狭まったこの位置からでは、見える範囲に限りがある。というのも、灯台の周りには大きな岩が大量に転がっていたのだ。
すぐ傍にある岩でも、ラスターの頭ほどの高さがあった。試しにラスターの背丈と比べてみるが、ほぼ同じだ。なんだか他人とは思えない。
試しに力を入れて押してはみるが、びくともしない。下が砂浜で足に踏ん張りが効かず、いつもより力が入りにくいからか。悔しいのでそういうことにしておく。
見上げた岩はラスターのまだ見ぬ、遠くの地から流れ着いたものだろうか。海を渡ってきた説も考えられる。きっと、荒波を越え、ラスターの想像がつかないほどの壮大な冒険をしてきたのかもしれない。
石と喋れたなら、経験した冒険譚を教えてくれるだろう。もしかしたら、懇切丁寧に語ってくれるかもしれない──が、今においてこの岩は邪魔である。見えづらいのも理由のひとつ。
「うーん……あ、そっか」
ふと思いついて、ラスターは岩の上へと登ってみる。
安定しているおかげか、ラスターがよじ登っても動く気配がない。平衡感覚を取って岩上に立ち、見えなかった先へと目を凝らす。
すると、その場所から少し離れたところにぽつん、と一軒の小屋が建っているのに気づいた。
漁師のおじさん──もとい、お兄さんが話していた店はあれだろうか。
よく言えば小ぢんまりとした、悪く言えばあばら屋。そこにあったのは粗末な小屋だ。岩から飛び降り、灯台から離れる方向へとてくてくと歩く。中に人がいるのかも怪しかったが、近寄るにつれて声が聞こえてきた。
機嫌の良さそうないくつもの笑い声。盛り上がっては一旦収まり、しばらくすると再び湧き上がる。
ラスターは小屋の前で一度立ち止まった。
おそらくここが飯屋なのだろう。ここまで賑やかだと、昼という時刻の繁盛さというよりは、まるで酒場のやかましさだ。
出がけ際のシェリックとのやり取りを思い出した。あちらはそろそろお開きになっているだろうか。それとも積もる話とやらがまだ続いているのだろうか。
町外れに位置するここは、服屋の周りと比べると寂しい風景だ。周りに人はおらず、漁師以外である町の人も滅多にここへは来ないのではないかと見当をつける。知る人ぞ知る、という店か。
しばらく悩んだが、入ってみないことには何もわからない。ラスターは意を決して、両開きになっている小屋の扉を押し開ける。開けた途端、小屋の外まで聞こえていた笑い声が耳をつんざいた。
「……っ」
荷物で片手がふさがっているせいで、耳栓は片方しかできない。当然片方だけで防げるわけはないのだが、今は仕方ないだろう。なにせ、先ほど会った漁師の船から考えてみても、今回は大漁だったようだから。
ラスターは騒ぎの中心から逃げるように足を進める。もう少し落ち着ける位置はないものか。
店の中は、外見に比べるとこざっぱりとしていて──意外と、と言ったら失礼だけれど、きれいだ。賑やかな席に座っているほとんどが漁師となのだろう。賑やかな一団を避け、ラスターは遠回りして細長い卓へとたどり着く。
ふさいでいた片耳の手をそっとどかし、外しても大丈夫なことを確認する。それでも時折盛り上がるのには目を瞑ろう。この場合は目よりも耳か。八つほどある席のうち、今は間隔を空けて三人が座っていた。左端にいる二人は知り合いなのか、何やら親しげに話している。
ラスターも同じように間を空け、右から三番目の席へと腰を下ろす。
──下ろしたかったのだが、いかんせん椅子が高い。椅子の下についていた踏み台に足をかけてえっちらおっちら座り、ようやくひと息吐く。普段より高い椅子だとひと仕事やりきった感じがあり、少しばかり大人に近づいた気がした。
目の前の卓にふっと影が差したのはそんなときだった。
「おう、らっしゃい。こりゃあ珍しいお客さんだ」
目をぱちくりと瞬かせ、突然降ってわいた影をほけっと見上げる。その先にはひげ面の大柄な男がいた。
それとほぼ同時に、右端にいた男性が立ち上がる。
「ごっそさん。うまかったよ」
「どうも。また来てくれよ」
言葉を交わし合い、男性はそこから去っていく。
ラスターは、シェリックが男性の中でも比較的背の高い方だと思っている。しかし、この人はそれよりも高い。加えて彼の口をぐるりと囲んだ立派なひげに、ぎょっとしなかったと言えば嘘である。
威圧感を覚える外見でありながらも、ラスターを見下ろしてくる顔には愛嬌があり、外見さえ気にしなければどうということはなかった。
「おじ──お兄さん、背ぇ高いね」
ラスターはうっかり言いかけた言葉を訂正する。同じ轍は踏まない。
男もラスターが言い直したことに気づいたのか、楽しげに笑いかけてきた。
「まあな、よく言われる」
「いいなあ、羨ましい」
かけ値なしの本心を語れば一笑に付されてしまい、ラスターは唇をとがらせた。
「悪い悪い、おまえさん今成長期だろう? 伸びる奴はそのうち伸びるもんさ」
「えー、それ伸びない人は?」
「そのままだ」
「だろうと思った」
追撃とばかりに断言され肩を落とす。人が悪い。
「ははは、諦めるのが早いぞ」
とは言われても、初めから笑われてしまってはやる気も失せようものである。やる気があれば背が伸びるというものでもないけれど。
「で、何にする? 酒以外なら受けつけるぜ?」
「どうしようかなー」
からかい半分で言われた言葉に、負けじと笑顔で返す。せめてもの意趣返しだ。
男に目を向けながら、ふと奥の棚に置かれていた瓶が目に留まる。
「ねえお兄さん、あれちょうだい」
「おう。温めるか?」
「うん!」
ラスターが示したその中身は、乳白色に淡い黄色がかったような色だ。間違っていなければ、ほんのりと甘い味がする乳製品だったはず。栄養も満点だ。
馬鹿にされるだろうかと構えていたのだがそんなことはなく、いささか拍子抜けをした。足元に鞄を放り込むと手持ち無沙汰になり、飲み物を用意する男をなんとなしに眺めた。
壁にかけられていた鍋を取り、瓶に入った液体を鍋に注ぐ。焦がさないように彼が木べらを使って混ぜているところで、ほのかな甘い香りが鼻をくすぐった。思い出したかのようにぐうっとお腹が鳴り、ラスターは手で押さえる。
そういえば朝から何も食べていない。起こされたのはいつもより早い時間だったし、朝食を食べる頃合いもだいぶ過ぎている。戻ってから食べてもいいのだが、ここで軽く腹ごしらえするのもありだ。さてどうしよう。
ほんの少しの逡巡。
「お兄さん」
「ん?」
鍋を傾け、今まさに器へと注ごうとしているところで声をかける。
「軽くつまめそうなものってある?」
昨日はシェリックがいたから、なんとか宿屋までたどり着けたのだ。このまま戻って無事に着けるかどうかを問われると危うい。結論、戻るまで我慢できなそうだ。
「もっと早く言って欲しかったな」
「ごめん」
迷っていたからだったけれど、そんなことは言えない。さしもの空腹には勝てなかった。
「こいつのパンならすぐに用意できるがいいか?」
「あ!」
赤い実を目にして、もろ手を挙げる。
その実は熟したものだと際立つ赤さで、大人の親指の先ほどの大きさである。甘さと酸味が絶妙で、生のままで食べても美味しい。実を乾燥させるとより甘さが増し、保存食にも効く優れものである。
差し出された器を両手で受け取り、ラスターは大きく頷く。
「うん、大好物!」
「なら良かった。熱いから気ぃつけろ」
「ありがと」
渡された器からは濃い湯気が立ち上っている。顔を近づけただけでも熱さが伝わってきた。
「それ飲んで待っててくれな」
「はーい」
器を持っていても不思議と熱くはなかった。ほんのりと温かく、海風で冷えた手を暖めるのに丁度いい。
ただ、残念なことにこのままでは飲めない。きっと火傷するだろうから、大人しく息を吹きかけながら冷ますことにした。
「ところで、おまえさん一人か?」
鍋がかけられていた壁の下には、赤々と燃える火を囲む石がある。どうやら石窯のようだ。料理に使うばかりでなく、肌寒い時期に火をくべたらそれだけで暖かそうだ。ラスターの元まで漂ってくる熱気が教えてくれる。
石窯にパンを放り込む男を眺め、飲み物を口に含む。まだ熱い。
「今はボク一人だよ。宿に連れの人がいるケド」
「へえ」
男は感心したのかしきりに頷いている。ラスターはその背中へと尋ねてみた。
「ねえお兄さん。ちょっと訊きたいコトがあるんだケドさ」
「ん? なんだ」
パンを焼きながら耳を傾けてくる男に、ラスターは頬杖を突いて言った。
「輝石の島への行き方って知ってる?」
「輝石の島?」
振り返った男がおうむ返しに問う。それに頷けば、呆れた瞳がラスターを映した。
「おまえさん、そりゃ夢物語だろうよ。そんな楽園みてえな場所はどこにもありゃしないんだ。悪いが、はっきり言って目指すのは止めた方がいい」
取りつく島もない。目指すだけ無駄だと、お琴はそう言いたいようだ。
「じゃあ、忘却の島への行き方知らない?」
「言い方変えただけで変わってないだろう。何度言おうと知らんよ」
「そっかー……」
視線を落とす。使い込まれた木製の卓に、いくつもの傷がついているのが見て取れた。きっと、長年ここで使われてきたのだろう。
持っていた器を置くと、視界にす、と入ってくるものがあった。男がほら、と差し出してきたのは、平たい器に盛られたふたつのパンだ。
「わあ、美味しそう!」
ほかほかの湯気と甘酸っぱい香りを漂わせ、器にはいつの間に作ったのだろう、乳酪と温野菜も添えられていた。仕事が早い。
「いただきます!」
「それ食ったら、とっとと帰んな」
手のひらを合わせ、食することに感謝をする。そうして、焼きたてのパンへとかぶりついた。かんだ瞬間から口内に広がる酸味に、あとからあとから唾液が溢れてくる。やはり焼きたては美味しい。ラスターは落ちそうになる頬を押さえた。
食事は大事だ。他の生き物から命を頂き、自らの糧へと変換する。
どれだけ一人でいたとしても、決して一人で生きているわけではない。そのことを忘れてはいけないよと、ラスターは祖母から教えられたのだ。
「ねえお兄さん」
「ん?」
男に再度話しかける。使ったばかりの鍋は熱いだろうに、そんなことを微塵も感じさせず洗い始める。ラスターは持ったパンをそのままに、両手で肘を突きながら尋ねた。
「どうして夢だなんて言うの? 輝石の島は本当にあるよ。ボクはありもしない場所を目指しているわけじゃないんだ」
「──いいや、あれは夢で幻だ」
男は鍋を洗い終え、水の出ている蛇口をキュッと閉める。
「地図のどこにも載っていない。海図にだってな。あんなもの目指して海に出るよりは、もっと現実のことに目を向ければいい。おまえさん旅の者だろう? 明日の飯だって当てはあるのか? それに根なし草のままでいるよりは、一度どこかに腰を据えた方がいいんじゃないか? 見たところ、成人もしてないだろう」
「でもさお兄さん、知ってるんでしょ?」
さあほら、そう言いかけた男の言葉を遮る。彼の瞳をひた、と見据えて、ラスターは言う。
「忘却の島、って名前を知っているのは、輝石の島を知ってる証拠だよ。名前だけじゃない。いろんな人がそこを目指して、誰一人帰ってこなかった怖さを」
世間一般で広まっているのは『輝石の島』だけだ。誰もが夢を見、理想を追いかけ、憧れた場所。そんな場所なら、負の感情を連想させる言葉なんて広まるわけもない──普通なら。
だから、彼は輝石の島について知っているはずだ。ラスターとしても、せっかく見つけた手がかりを逃すわけにはいかないのだから。
シェリックから教わったのだ。『忘却の島』という名称で反応する人がいるなら、踏み込んで訊いてみるのがいいと。
「本当に知らないなら、その名前が出た時点で知らないって言うべきだったね」
一度、二度。瞬かせた男の瞳が細くなる。
「──へえ、よく知ってるな。おまえさん何者だ?」
ほんのわずか、剣呑になった気配には気づかないふりをする。疾走している心臓が気づかれないようにと祈りながら、ラスターはにっこりと微笑む。
「旅をしてるただの子どもだよ」
ぴりりと空気が張りつめた。