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翡翠の星屑  作者: 季月 ハイネ
四章 アルティナ王国
49/207

49,たどり着いたその場所で


 きょろきょろと辺りを見回し、ラスターは人に呑まれながら歩いていく。

 石で整えられた硬い道。歩きやすくはあるけれど、いつも土の上を歩いていたから、その硬さに違和感を覚えてしまう。

 すれ違うのは豪華な衣装に身を包み、忙しそうに道行く人々。ルパとは別の意味で活気があり、確固たる意志と、どこか上品な印象を受ける。華々しくあるのにいまひとつその空気に慣れなくて、首の辺りがむずむずとする。

 人だけではない。看板も、売られている商品も、気になるものは多い。じっくり眺めて一喜一憂しながら歩きたい。けれど、前を行くシェリックたちについていくのが精いっぱいなのだ。

 景色だけでなく、二人が交わしている会話も気になっている。そばだてた耳が、世間話より、最新の馬車の話より、彼らの会話に向いてしまう。

 二人の会話は、周りで飛び交う話ほど多くない。ひと言、ふた言。だからこそ、次は何を話すのかと、ラスターの全身が集中してしまう。


「! ごめんなさい」


 顔をしかめた女性が通りすぎていく。

 向かいから歩いてきた人とぶつかりそうになって、頭を下げたのはこれで何度目だろう。ラスターが集中すべきは話を聞く体勢ではなく、周囲に迷惑をかけずに歩く方法だ。

 歩いてくる人の多さや歩く速さに目を白黒させているのに、ものともせず平然と歩いていく二人が信じられない。これがアルティナに来たことがある者と、ない者との差だろうか。

 今だから言える。ルパではまだ、ゆっくりと見ながら歩いていられる余裕があった。方向感覚も残っていたけれど、ここは無理だ。一人で来たら絶対に迷える自信がある。迷うことを前提で歩いたなら楽しそうだけど、それではいつまで経っても目的地までたどり着けなさそうだ。

 迷うこと前提で歩いたなら楽しそうだけど、それではいつまで経っても目的地まで着けなそうだ。

 ふと視線を感じれば、振り返っていたフィノと目が合った。


「浮かない顔をしていますね」

「そうかな」

「ええ」


 フィノに頷かれ、頬をかく。そんなことはないと思うのだけれど。


「熱が下がったとは言え、まだ万全ではないでしょうから。気分が悪くなりましたら、すぐにおっしゃってくださいね」

「うん、今は平気。ありがとうフィノ」

「いいえ」


 笑顔で返したフィノは、再び前を向く。

 不安はあるけれど、気を遣われてばかりではいけないとも思っている。ここにいると、前に進むと覚悟を決めたのだから。ラスターの感じている不安は、きっと別の意味合いだ。

 ラスターが目を覚ましたのは昨日だ。普通に起きただけなのに、シェリックから聞いた話によれば、どうやら二日間眠り続けていたらしい。

 安静にとは言われたけれど、目が冴えてしまった状態では、寝転がっているだけなのは退屈だった。フィノにアルティナの町が見たいとせがんだら、外に出ることには首を振られてしまった。それならばと案内してもらった屋根の上からの景色に夢中になり、フィノをあきれさせたのもつい昨日のことだ。

 身体のだるさはある程度抜けているけれど、足の運びが少し覚束ない。いつもより息が上がりやすい気がしてならないのは、二日も眠っていたからだろうか。落ちた体力を、こんなところで実感したくはなかった。


「アルティナって、こんなに大きいんだね。ルパとは全然違うや」

「ルパも大きい港町ですよ。アルティナは──そうですね、都市と言えばおわかりでしょうか。人だけでなく、様々な情報や技術の発信源となっております。それゆえに、常に時代の先を行こうと、躍起になっている部分はあるかもしれません」

「どこにでもある。戦争にまで発展しないだけましだな。今だってひとつでも狂えば、いつ人が武器を取ってもおかしくはないだろう? どこに戦争の火種がまかれているかわからない。用心するに越したことはないだろう」

「否定はできませんが……不穏な発言はお控えください」


 ラスターは、シェリックとフィノを順繰りに眺めた。

 今日の二人はご機嫌ななめかもしれない。しかめ面ばかりしている。和気藹々(あいあい)には遠い。昨日は普通に話していたのに。

 こん、と。ラスターのつま先が石の破片を蹴飛ばした。

 ラスターたちが今歩いているここは大通りと呼ばれるらしい。真正面、一番奥に見える丘の上には、ひと際大きな建物がそびえていた。

 白と青を基調として、塔がいくつもそそり立っている。全部でいくつあるのだろう。見えただけでも八は越えている。その中でも主体となる中心の建物は、高さはあまりないものの、塔のどれよりも大きい。

 今まで見てきた建物とは全然違う。鳥に届きそうな高さに、どっしりとした佇まいに、青空に映える美麗さに、圧倒される。

 ルパで見た灯台も高かった。ルパでは灯台だけだったのに、ここで見える建物はどれもが高いし、また大きい。この、アルティナという国の規模を象徴しているかのようだ。


「そっか、アルティナ……」

「なんだ、今更」


 こっそり確認していた呟きが拾われる。


「うん」


 ここはアルティナなのだ。


「キーシャとセーミャにも、会えるかなって思って」


 ──じゃあ、またね。

 別れ際に見た彼女たちの笑顔を覚えている。

 あのときはまだなんの疑いもなく、船が輝石の島まで連れて行ってくれるのだと思っていた。アルティナ行きだったけれど、途中で下船して、ラスターたちは輝石の島まで行くのだと。

 その過程がどうであれ、結果として輝石の島には行けたのだからそれは良かったとしよう。母親の手がかりを見つけられなかったことが悔やむところか。

 雲をつかむような手がかりのなさに、前へ進めているのかどうかもわからなくなる。

 いつか会える。きっと。信じていれば、必ず。


「会えるだろ。アルティナにいるならそう遠くない。そのうち会いに行けばいい」


 心を読まれたのかと思った。

 母親のことではない。直前までなんの話をしていたか、一瞬見失っていた。

 シェリックは言う。同じ場所にいるなら、距離はさしたる問題ではないのだと。


「そっか……そうだよね」


 そうだ。二人はアルティナにいるのだ。待つばかりでなくラスターからも動けばいいのだ。難しいことではない。できないことでもない。教えてもらった提案に嬉しくなって、ラスターはそうしようと決めた。人質として連れてこられたラスターに許されるのなら、だけれど。


「──わっ、ごめんなさい!」

「気をつけろよ」


 またぶつかりそうになる。すんでのところで避けられたものの、これでは正面衝突してしまうのも時間の問題かもしれない。先を行く二人へと急いで追いついたラスターの目の前に、手が差し出された。


「なに?」


 その手の持ち主に問いかけると、彼は少々仏頂面になりながら言ったのである。


「ほら、はぐれないように繋いでろ。少しはましになるだろ」

「ありがとう」


 差し出された手を借り、シェリックの隣へと並ぶ。フィノと合わせて両隣を挟まれたシェリックは、どこかの国の偉い人みたいだ。事実、そうだけれど。


「ルパや輝石の島とは段違いなんだ、よそ見してるとはぐれるぞ」

「うん、こんなに広いんだ……それに、人がいっぱい」


 これほどまでに人が多い場所は初めてで、まるで別世界に入り込んでしまったみたいだ。輝石の島でも似たような感想を抱いたけれど、ここはそれ以上の衝撃がある。

 アルティナ王国。

 話に聞いていたよりも、ずっとずっと立派な国だ。

 大通りもにぎわいから外れて、人が閑散としてきた。ラスターもその頃にはもう、シェリックに手を引かれなくとも歩けるようになっていた。迷う心配も、人とぶつかる懸念もない。広くなった視界に落ち着くのは、ラスターが人混みに慣れていないせいだろう。

 丘を上る人の姿は少なくても、間近になったその建物が占める割合はとても大きい。なんて存在感のある建物だろう。ここがきっと、リディオルの話していた『王宮』なのだ。

 視線の先にあるのは一枚の大きな旗。銀色の竜の前で、ふた振りの剣が交差している。背景の深い蒼は空として描かれているのか、爽やかな印象を受ける。世界で恐らく知らぬ者は少ないであろう、アルティナの紋章だ。つい先日まで知らなかったラスターも、今ではわかる。

 旗は中央にある大きな建物の後ろ、一番高い塔に掲げられ、その紋章を守るかのように、左右にはそれよりも低い塔が配置されている。

 旗が掲げられる高い塔は、間近で見上げると首が痛くなりそうなほど高い。ルパの灯台と同じくらいだろうか。それ以上だろうか。比べられるほど近くにないからわからないのが残念だ。


「なんか、凄いところに連れて来られちゃったなあ……」


 何から何までルパとは違うことだらけで、ここにいるラスターが場違いな気がしてならない。実際、場違いで予定外の存在なのだ。ここに来るのはシェリックだけで良かったのだから。シェリック、だけで──

 唇をぎゅっと噛みしめる。


「──これは、フィノ殿ではないですか」


 不意にかけられた声。門を挟んで立つ彼らは門番だろうか。門の左を守るように立っていたもう一人が、それを聞いて顔を輝かせた。


「おお、フィノ殿、おかえりなさい! 長旅お疲れ様です! いい石は手に入りましたか?」


 並び立っていた位置から、フィノは一歩進み出る。


「ええ、ぼちぼちです。よろしければあとでお見せしますよ」

「ぜひとも! うちの女房が楽しみにしていたんですよ!」

「おい、職務中だぞ、ったく……ところでフィノ殿、そちらはお連れ様ですか?」


 その目は、ラスターたちをぎろりと値踏みしてくる。あまり友好的とは言えない態度をものともせずに、フィノは笑顔で応対した。


「ええ、シェリック殿をお連れしました。お二人にも通行の許可をいただけますか?」

「シェリック……シェリック殿!?」


 さっと青ざめた表情が、フィノの後ろに立つ長身の一人へと注目する。


「なぜ、あなたがお戻りに……」

「シャレル様の命です。聞いてはおりませんか?」

「さようですか……いえ、私は何も。ですが、シャレル様の命ならばお通りください」

「ど、どうぞ」


 困惑しながらも開けてくれた門をくぐり、もの言いたげな彼らの視線を振り切るように抜けていく。ちらりと後方を顧みると、二人で何かを話している様子がうかがえた。はた目から見ても彼らの動揺は伝わってくる。大丈夫だろうか。


「なんか、良かったのかな……通っちゃまずかったんじゃないの?」

「そんなことありませんよ。お連れしませんと、あとで叱責を受けるのは彼らです」

「俺は別に引き返しても構わないが」

「ご冗談を」


 シェリックの本気とも冗談ともつかない発言と、答えるフィノ。神妙な空気はないが、さてどうしたらいいだろうかとラスターを悩ませる。

 昨日、目が覚めてからずっと、シェリックの不機嫌さが消えていないような気がしているのだ。不機嫌というよりは、怒っているのだろうか。

 心当たりがありすぎて触れられない。もっと詳しく言うなら触れたくない。下手に触れようものなら、またいらぬ事態にまで発展しそうな気がしてしまうのだ。


「フィノって、実は偉い人?」


 なので、代わりにフィノへと話しかけてみた。


「そんなことはありませんよ。顔見知りが多いだけです」

「ご近所さんみたいな?」

「少し違うかもしれませんが、似たようなものですね」

「ふうん……」


 廊下は先が見えないほど広く、歩を進めるごとに響く靴音から、ひどく居心地の悪さを覚える。シェリックもフィノも慣れた調子でさっさと歩いているから、緊張しているラスターが変な気分になってしまう。だからと言って二人にならって悠々と歩けはしない。

 終わりの見えなかった廊下はまだ先が続いている。入口からどれほど歩いてきたのか。後ろを振り向いても、湾曲した廊下では入口も見えない。ひとつの扉の前で足が止まったのは、廊下をいくばくか進んだそんなときだ。


「大きい……」


 眼前に現れた扉に、そうつぶやかずにはいられなかった。通ってきた廊下もそうだったけれど、この扉はラスターやシェリックが背伸びしても届かないほど高い。それに、装飾する飾りも見事だ。

 そういえば、ルパで出会った服屋にも木製の看板があった。あちらは恐らくは手製のもので、とても温かみのある作りだった。

 ここの飾りは、ルパのものより精工だ。例えていうなら隙がない。象られ、立体的に彫られた花は、色がついていたなら本物と見間違うほどだ。その花はひとつだけでなく、扉の四隅にひとつずつある。こんなに豪華な扉は見たことがない。触ったら最後、そこに傷でもつけてしまいそうだ。

 うかつに触れられず遠目から眺めていたら、先に立つフィノが臆することなく、その扉を三度叩いた。


「フィノです。シェリック殿をお連れしました」

「──どうぞ」


 中から聞こえてきたのは女性の声。フィノはそこから一歩退いて扉の脇に立ち、場所を空ける。


「お通りください」

「──え。フィノは、入らないの?」

「残念ながら私はこの部屋に入れません。どうぞ、お二人でお入りください」


 聞いたのはフィノなのに、彼だけ入れないなんて。


「行くぞ、ラスター」

「ちょっと、待って!」


 気圧されることなく入ろうとするシェリックに、制止の声を上げる。

 扉を前にしてしり込みしたのは、やはりラスターだけだった。少しばかり──悔しいのでほんの少しばかり、平静を保てるよう深呼吸をする。

 ラスターが横を向くと、そこには不思議そうにこちらを見返すフィノがいて。


「じゃあ。あとでね、フィノ」

「──ええ。それでは」


 フィノは若干見開いた目で答え、ラスターの振った手に気づいて同じように返してくれる。ラスターはもうためらうことなく、部屋の中へと進むのだった。



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