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翡翠の星屑  作者: 季月 ハイネ
三章 孤島
44/207

44,ひとつひとつをほどいて


「……ほんっとうにごめん」

「気にするな」


 苦笑する二人を見ていると、なんだか無性に申し訳なくなってきた。


「そうですよ、お気になさらないでくださいね」


 そう言われると、余計にいたたまれなくなる。

 席を外していたフィノが戻ってきた頃には、あれほど止めどなくあふれていた涙も落ち着いてくれた。何だったんだろうと思いながら、腰かけた寝台で濡れた手巾を目元に当て、ラスターはぼんやりとしていたのだ。

 フィノが持ってきた椀を両手で持ち、中に入っていた淡い茶の飲み物をひと口ずつゆっくり飲んでいくと、何かがほろほろとほどけていくような感覚がした。温かさが心地よくて、そうして先ほどまでの行動を思い返して、大変恥ずかしくなって――赤くなった顔を隠しながら二人に告げたのが先の言葉である。


「先ほどよりも顔色が良くなっていますし、もう大丈夫でしょう。ですが、無理は禁物ですよ」

「うん、もうしないよ。……シェリックに怒られちゃったし」


 それも、見たことのない形相で。

 ちらりと視線を転じれば、まったくだ、なんて返された。


「わかってるならいい。けど、おまえの場合は目の届かないところでそれをやろうとするから、性質が悪い」

「うー……だから、ごめんってば。もうしないよ――多分」

「多分ってなんだ、多分って」


 小さな声でつけ加えたのに、しっかりとシェリックの耳にまで届いていたようだ。耳ざといにもほどがある。聞き流してくれたっていいものを。

「だって、わからないもん。もし、どうにもできなくて、なんとかしなきゃいけない場面があったら、またやっちゃうかもしれないし。とにかく無我夢中だったんだから」

 だから絶対とは言いきれない。そういう意味合いを込めて話したのに、シェリックには深く息を吐かれてしまった。


「……一応訊いておくが、あの時、俺が近くにいなかったらどうするつもりだったんだ」

「えっ、海に飛び込んで、距離を稼いで、どうにかする?」

「どうにかって……なんつー、後先考えない行動してるんだよ、お前は……」

「だって、仕方ないじゃん。あっちにしか逃げられなかったんだから」


 選択肢は限られていたのだ。ならば、その中でどうにかしなければならないではないか。


「俺が来るまで待とうとか、大人しく捕まってからどうにかしようとか、考えなかったのか?」

「そんな余裕なかったし、捕まったら終わりだって、思ってたから……」


 シェリックの足枷あしかせになるくらいだったら、逃げきりたい。どんなことをしてでも。どんな方法を取ってでも。今思えば、ラスターはずっとそう思っていたのだ。

 握った拳が、膝の上で仲良く並ぶ。落とした視線がそれを見つけて、大丈夫、なんて励まされる幻聴すら聞こえて。ため息と一緒にそれはこぼされた。


「――あせるなって言っておきながら、思い起こさせて悪い」


 ラスターは無言で首を振る。

 シェリックが悪いのではない。全てはラスターが招いた結果だ。


「聞いておきたかったんだよ。お前が何を考えていたのか。話さないとわからないことだってあるしな」

「うん」


 本当だ。お互いに口に出して話さないと、何を思ってそうしたのかわからない。


「話してくれれば……もう、二度と――」

「シェリック?」


 そこから先は聞き取れなかった。訊き返せもしなかったのは、シェリックが立ち上がったからだ。


「――フィノ、数刻席を外す。その間、こいつを頼む」

「ええ、かしこまりました。行ってらっしゃいませ」

「……行ってくる」


 苦笑したシェリックが出て行き、静かにしまった扉は沈黙する。

 ――もう、二度と?

 何だと言うのだろう。もう二度とあんな真似はしないでほしいと、そう言いたかったのだろうか。


「ラスター殿に考えがあるように、シェリック殿にも、シェリック殿の考えがあるのですよ、きっと」

「うん、そうだよね……」


 だからラスターたちは幾度も食い違ってしまった。そうしてシェリックに、たくさんの迷惑をかけてしまったのだ。


「ラスター殿が気落ちする必要はありません。人の考えなんてものは、一人一人異なるのですから。人がいれば同じ数だけその方の考えがあるものです。ラスター殿は、ご自身の信じていることを貫けばいいのですよ」

「ボクの……?」

「ええ。譲れない信念があるならなおさらです」

「そんな立派なもの、ないよ」


 浮かんでくる困惑を隠せず、フィノを見やる。

 そうだ。そんな大層なものは持っていない。

 シェリックの助けになりたかったけれど、どれもこれも空回りしてしまった。そもそもの発端はラスターの薬のせいだったのだし。

 信念なんてない。この旅だって、ラスターは、母親に会いたいだけだった。

 いなくなった母親を探して、手がかりを追い求めて、当てをたどって、それでも見つからなくて、また探して、その繰り返しを続けていただけ。ただ、それだけのことだ。


「――そうでしょうか?」


 ところがフィノは言うのだ。


「誰でもひとつは譲れない思いがあると思います。その方にとって些細なことかもしれません。あるいは信条と呼ばれているものかもしれません。それが何かは私にはわかりませんが」


 ラスターの上げた目が捉えたのは、フィノの穏やかな眼差しだった。


「どうするべきか迷った時、あなたは一番優先させたいことをお選びになった。シェリック殿も同じようにそうした。けれども、それがお互いに異なっていたために、すれ違ってしまったのでしょう」

「うん」


 多分そうだ。


「すべてが他の人と同じでなくてもいいのです。ラスター殿はラスター殿が持つ思いを、これだけは決して譲れないと思うことを、一番に考えればいいのですよ。例えその結果がどんなものであっても、後悔する度合いが違ってきますから」


 譲れないもの。渡してはいけないもの。何があっても、手放したくないもの。

 ラスターは自分の中に問いかける。そう思えるものは、そうまでして思い続けられることは、何かあるだろうか。

 母親を見つけたい。

 シェリックに助けてもらった分を返したい。

 ――改めて考えても、それらは単なる願望でしかない。そのふたつがラスターの譲れないものだと断言するには、少し違うように思えた。


「……わからないや」


 どうしてそうしたいのかと問われると、答えられない自分がいる。だからそれはきっと、ラスターの『譲れない思い』などではないのだ。


「いずれまた悩むことがありましたらお考えください。心に留めておいてくだされば、それで結構です」


 そう話すフィノへ、ラスターはしっかりと頷き返した。


「うん、そうする」


 寝台から腰を上げ、上に大きく伸びをする。


「なんかずっと寝てたせいか、身体が軽いや」


 ずしんと重かった胸の真ん中も和らいで、今にも走り出せそうなほどに――と言うと言いすぎかもしれないけれど。


「シェリック殿のおかげですよ」

「シェリックの?」

「ええ」


 きょとんと問うラスターへと、フィノは教えてくれたのだ。


「ラスター殿が倒れた時、シェリック殿が持っていた栄養剤を飲ませたのです。あれがなければ、回復するのにもっと時間を要したでしょう」

「栄養剤って、なんでそんなもの持ってたん――あ」

「どうかなさいました?」

「それ、もしかしたらボクがシェリックに渡したものかも……」


 まだ持っていてくれたのか。期限は保つとは言ったけれど、それにしても一年は前の話だ。まさか、めぐりめぐって自分の元に帰ってくるとは。


「物持ち良すぎじゃないかな」

「そうですね」


 旅をしてきた間は、ラスターもシェリックも、最低限のものだけを持つようにしてきたのに。

 もしかしたら捨て損ねたのかもしれない。うっかり今まで持っていて、たまたま思い出して、ラスターに返したのかもしれない。それとも――シェリックにとって、邪魔でも無駄なものでもなかったという意味だったのだろうか。それなら嬉しい。必要なのだと思ってくれたなら、それはとても嬉しいことだ。


「シェリック殿は本当に変わりませんね。厳しいことも口にしますが、あの頃からずっと、お優しい方です」


 フィノのつぶやきをなんとなしに聞いて、ふと疑問が浮かんでくる。まるで、以前から知り合いだったかのような口ぶりだ。


「フィノはシェリックのコト、知ってたの?」


 ルパで会った時。あれが初めの会偶だと思っていたのだけれど。


「シェリック殿が覚えているかは存じませんが、私は以前から知っておりますよ」

「ふうん……」


 でも、そうか。思い返してみれば、フィノもシェリックもアルティナの人間なのだ。互いに面識などなくても、どこかで名前を聞いていたりすることだってあるだろう。もしくは、一方的に名前を知っていることだってあるかもしれない。

 寄った窓の傍。そこから開け放たれた空に、懐かしさを覚える。まぶしい青が広がる空は雲ひとつない快晴で、とても高く感じられた。見える範囲はルパよりもほんの少しばかり狭く、なんだか景色がごちゃごちゃとしている。

 ――あれ?

 見慣れない街並み。道を歩く人はルパよりも多く、その格好には気品すら感じられる。石畳が敷きつめられた道路ににぎやかな声が響いて、ルパの喧騒けんそうとはまた違う。すべてが新鮮に映って見えた。

 ルパではない。それにここは、輝石の島でもない……?

 ラスターの思考に、今更ながらその可能性が浮かんできた。


「――ねえ、フィノ」

「はい、なんでしょう?」

「違うなら違うって言ってほしいんだケド」


 どうしてすぐに気づかなかったのだろう。思いついてしまった予想どおりの場所であってほしくなくて、その場所を、浮かんだ名前を、ラスター自身も知らぬ間に除外していたのだ。

 ――なあ嬢ちゃん、王宮に来る気はねぇか?


「ここって、もしかして……」

「ラスター殿の思っているとおりの場所ですよ」


 隣までやってきたフィノが苦笑をこぼす。


「ここは既にアルティナです。連れてきておいて言うべきではありませんが、ようこそ、と言っておきましょうか」


 ラスターがそれを言葉にするよりも早く、フィノはそう教えてくれたのだ。


「アルティナ……」


 繰り返した言葉は現実味がなくて、知らない世界にうっかり迷い込んでしまったような気がしたのだ。輝石の島に着いたあの時よりも、もっと。

 シェリックに尋ねた時、彼が一瞬ためらったのを思い出した。もしかして、ラスターが今いる場所を知らないから、答えるのをためらったのではないだろうか。ラスターが眠っている間にここまで来たのだ。シェリックが現在地を知らないはずがない。

 新天地は嬉しい。今まで見たことのないものが見られるから。

 だというのに、今、ラスターには別の感情しか浮かんでこない。着いてしまった悔しさと、これから先どうなるかわからない不安と、シェリックを来させてしまった申し訳なさと。

 なのに、どうしてここはこんなに綺麗なのだろう。真っ青な空はただひたすらに高くて、道行く人々はルパのように楽しそうで、建物になされた装飾からは輝石の島にあった輝源石を思い起こさせた。

 楽しそうな街並みに、華やかな景色に、胸が苦しくなる。これでは、何も憎めないではないか。


 ――アルティナには戻らない。今も、これから先も。

 本当は、ここに来るつもりなんてなかった。シェリックを連れてなんて、来たくなかった。ラスターの目的は輝石の島であって――不可抗力とは言えそれが叶ったのだから、目的地を新たに定めなければならなくて。ラスターは輝石の島とは別の、新しい地を決めるつもりだった。けれど、それは決してアルティナではなかった。

 ――お前のせいじゃない。

 ラスターがいなければ、ラスターと出会わなければ、きっとシェリックがここに来ることはなかった。シェリックにぼかされ、やんわりと否定されたけど、それは確かなのだ。


「……めん」


 隣のフィノにすら気づかれないように、ラスターは小さくつぶやく。

 ここに来たくなかった自責の念と、ここに来させたくなかった悔恨と。気に病むな、なんて、シェリックはどんな思いでラスターに告げたのだろう。

 ――ごめん。でも、

 握り込んだ手をいしずえにして、面を上げる。今いるこの場所を、アルティナを、ちゃんと見るために。

 来てしまったからには、それを悔やんでいても仕方ない。もう、ここにいるのだから。後悔は後にしかできない。ならば、これからラスターにできることが他にあるはずだ。悔やむだけは嫌だ。このままで終わりにしたくない。

 ――見つけるから、きっと。ボクにできるコトを。

 何ができるのかわからない。何が待つのかもわからない。それでも、何かをしたいのだ。シェリックのために。迷惑をかけてしまったこれまでの分を、返すために。

 つぶやいた言葉とラスターの決意はアルティナの空気に染まり、やがて紛れて消えていった。



  三章、第一部 了



 これにて第一部、輝石の島編はおしまいです。ここまで読んでくださり、どうもありがとうございました!

 物語はまだまだ続きますので、第二部をお待ちくださいませ。

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