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翡翠の星屑  作者: 季月 ハイネ
三章 孤島
38/207

38,抱いた疑心は杳として


 絢爛けんらん豪華というよりは質素で素朴。派手さはなく、慎ましく暮らしている様子が見て取れた。ここにいる人もよく言えば親しみやすく、悪く言うなら少々馴れ馴れしい。ただ一概にそうだと言いきれないのは、尋ねてくる人がこちらの事情を追求してこないから。

 話してみて感じたことだが、どんなに親しみをこめて話しかけられても、彼らは決して他人のことを詳しく訊くような真似はしてこない。自分を知られたくない人には、誰かに知られるという苦痛がない。

 楽園。

 誰もが望んだ場所。

 忘却の島。

 ラスターは、あちこちで語られていた輝石の島についての噂を思い出す。

 痛みを伴わない点ではどれも合っている言葉だろう。世の中の何もかもを忘れて、どこにもない世界を、新しい場所を追い求める者にとってはなんて魅力的に聞こえる響きか。ラスターの母親だって、きっと。


「――そうだなあ、以前ここに来た人はもう二年ほど前だったか。あの時も海が荒れていてね。今、何人か集めて海の神様を鎮めに行っているんだ」

「もしかしたら、俺たちのせいで怒りを買ってしまったのかもしれないですね。申し訳ない、出立がネボの日だったもので」

「いやいや、本当に怒りを買ったならここにはたどり着けないよ。君たちは運がいい。嵐にあってたどり着けたなら、海の神様の加護がついているんだね」


 ――なんか、なあ。

 立ち止まり、シェリックと会話しているのは、食事をくれたどころか、着替えまで貸してくれた男性だ。今ラスターが借りている服は、彼の娘のものらしい。彼の話によると、この服装は本来ならばもう二、三枚上に羽織るようだ。

 思い返してみれば渡されかけた覚えがある。けれど一枚だけでも寒くはなかったし、余計に着ると動きづらくなってしまうし。着替えを手伝ってくれた女性に、窮屈になるからと断ったのだった。それと、女の子はみんなこのような服を好むのだとか。動きにくいだろうに、どうしてそんな身なりが好きなのだろう。

 着るのに大変そうと思ったのはもちろん内緒である。一枚だけで終わらないとは、着るのに毎回苦労する。ラスターだったらそれは嫌だ。

 迷うことなく渡された衣装が女性ものだったけれど、娘がいる人だと性別の見分けがつきやすいのだろうか。そんなよしなしごとが浮かんでしまう。そうして、ラスターのすぐ前を歩く二人へと視線を戻した。


 もともと会話に入るつもりなどなかったのだが、すぐ目の前で行われている会話にはなんとなく口をはさめずにいる。

 彼らの間でよどみなく交わされる言葉。一聞すると単なる会話なのだ。入り込む余地がなかったわけでもない。

 けれどずっと何かが引っかかっていて、どこかが変だと、ラスターの内側から警鐘が発されている。それは、彼の家を訪れた時からずっとだ。家、と呼ぶよりは屋敷と呼んだ方がいいくらいの大きさだったけれども、そこは置いておいて。

 ラスターが感じたそれが何なのかはわからない。何かが違う。

 違うということだけははっきりとわかるのに、それが何であるのか分からないのが、すごく気持ち悪くて仕方ない。得体の知れないもやがまとわりついているような、もどかしい感覚がしているのだ。


「――ねえ、シェリック」


 彼らの会話が終わり、再び歩き始める。ラスターはシェリックの袖を引き、小声で尋ねてみた。


「ここ、何かおかしくない?」


 杞憂きゆうであればいいのにと、思わずにはいられなかった。確証はなかったし、ラスターの感覚に過ぎなかったのだから。


「そうか? もしかしたら、輝石の島の雰囲気がそうさせてるんじゃないか?」

「あ……」


 輝石の島。

 誰も知らない場所。

 考えられる要素は十分にある。ここがどんな場所であるか、誰も知らなかったのだ。噂が噂を呼び、理想郷のように語られていた。少なくとも、ラスターが会った人々はみんなそう言っていた。ここに来たことがあると言っていた、フィノ以外には。

 フィノは夢の地だと語らなかった。星命石の産地だと、そう言った。ラスターがそれまでに聞いていた空想の話が、一気に現実味を帯びたのだ。


「……そっか、そうかもしれない」


 ラスターは力なく手を離す。

 シェリックも同じように感じていたならあるいはと思ったけれど、何ともないと思われているなおさら、やはりラスターの思いすごしだったかもしれない。


「――ああそうだ、ここだ」


 彼のそんな声が聞こえたのは、とある民家の前まで差しかかった頃だった。


「少し待ってもらってもいいかい?」

「ええ、構いませんよ」

「悪いね。すぐ戻るので」


 申し訳なさそうに眉尻を下げた男は、すぐ右手にあった数段の階段を登り、その民家の中へと入っていった。

 いくつもの細い木を横に重ね、組み合わされた形。見た目は単純なのに触れば頑丈であると知られるその構造。屋根は中心がとがった三角形で、雨が降ったら雫が下に落ちるようになっている。

 高さはそれほどないその建物に、ラスターは懐かしさを覚えた。乗船前に訪れた港町、ルパにあった家とよく似ているのだ。

 ルパで一番高かったのは灯台で、町の中にある家はどれも灯台まで届かない。唯一風向計だけが高さを持っていたけれど、それでも灯台の高さには届いていなかった。等間隔で並んだ屋根たちは仲良く同じ背をしていたのである。届かない高さに憧れているようにも、ひと際高い灯台を崇めているようにも思えて、見え方ひとつでも変わってくるなあなんて。


「ラスター」

「……ん、なに?」


 ぼんやり顔を上げると、頭の上に手を置かれた。


「出かける前にもっと止めるべきだったな。お前、やっぱり先に戻ってろ」


 ラスターはきょとんとシェリックを見やる。


「どうして?」


 突然何を言うのだろう。


「別に邪険にしてるんじゃない。話を聞いて回るだけなら一人でもこと足りる。ラスター、お前ここに着いたとき長く気を失っていたんだよ。自分で思ってる以上に体力が落ちてるはずだ。――やっぱり、体温も低いな」


 そんなコトないよ。

 そう言おうとしたのだが、頬に触れてきた手が思いのほか温かくて、ラスターは開きかけた口をおとなしく閉じた。

 言葉よりも雄弁に語られている状態だと言うのなら、それに従った方がいい。自分の顔は自分では見られないのだから。


「休んでな。無理はするんじゃねえよ。無茶も禁止、いいな」


 一方的に告げられ、せめてもの反抗とばかりに口をとがらせる。


「……シェリックだって無理してるじゃん。まだ本調子じゃないのに」


 ラスターと同じように、シェリックも海の中をさまよったはずだ。その前だって、船酔いでぐったりとしていたではないか。

 条件として挙げるならばほぼ同じ。それをラスターに言いながら自分は無視するだなんて、どういう了見なのか。


「船の中よりはずっとましだ。俺も無茶はしねえよ」

「ほんと?」

「ああ」


 じっと見つめたシェリックの表情は嘘を言っているようには思えない。ならばいいだろうか。それとも、断ってしまおうか。

 思い迷っていたそこへ、三人目の声がやってきた。


「どうもすまないね、お待たせしてしまって。さ、行こうか」


 声がすると同時、ラスターの頬に添えられていた手が離れる。


「心配するな、すぐ戻る」


 行かせたくないのが本音だし、欲を言うのならラスターもついていきたい。けれどすぐに戻るというのなら、きっとそれを守ってくれるだろう。


「……わかった」


 だからラスターは、しぶしぶながらも了承の意を示した。約束を守ってくれなかったら、承知しないのだから。


「行ってくる」


 ラスターの頭へと手を置き、答えを待たずに歩きだしてしまう。

 まったくもって勝手だ。そう思いはするも、なんとなくそこで二人を見送った。


「彼女は? いいのかい?」

「ええ。体調が悪そうなので先に戻らせました」


 一度だけラスターをちらりと見た男性と、それに応じるシェリックと。二人の後ろ姿が遠くなった頃に、ラスターもようやく歩き始める。今まで進めていた方向とは反対に。

 頬に残った微かな温もりが、約束の証だと言い聞かせて。



  **



 ――ねえ、シェリック。

 心配そうなラスターの表情が思い出される。何も言うまいと決めていたのだが、ラスターのひと言でついつい口を出してしまった。戻らせるか一緒にいるべきか、迷ったのも事実だ。無駄に不安をあおりたくはない、そう思って結局は戻らせたけれど。


「もしかしてさっき、お邪魔だったかな?」


 ラスターと別れてからそれほど歩かないうちに、申し訳なさそうな声がかけられた。


「いえ、そんなことはないですよ。気を遣わせてしまったようなら謝りますが」

「いやいや、そういうことじゃないよ。二人が恋人同士に見えたから、僕はてっきりそうなんだと思って」


 にこやかな表情。悪気のなさそうなその様子に、どんな顔を向けたらいいのかわからなくなり、シェリックは前を向いた。


「……違います」


 ついでに頭をがしがしとかく。前にも、別の誰かにそんなことを言われた覚えがある。

 あり得ない。そもそも十ほど年の離れている自分たちが、どう考えたらそんな関係になるのか。恋愛に年齢の差は関係ないと言われたことがあるけれど、それにしたって――

 思い返してみて、口をつぐんだ。


「あれ、違うのかい? 兄妹にしては似てないし、仲良さげだし、端から見た限りでは甘い空気が流れてたからさ」


 彼の語調がからかうようなものではなかったから、余計に居心地が悪い。


「悪いですが、そんな間柄ではありません」

「へえ? じゃあどんな?」


 そうだ。自分たちはそれほど近しい関係ではない。


「あいつは、俺の――」


 純粋な疑問を受け、それに答えかけてはっとする。

 あいつは俺の。

 自分は何だと言う気だったのだ。

 ――家族以外は赤の他人じゃなかったか?

 そう問われた時、自分は肯定の返事をした覚えがある。では、自分とともにいる、家族ではないラスターは? 赤の他人でなければ、何だと言えよう?


「俺の? 何だい?」


 興味津々で答えを待つ彼へと、シェリックは何事もなかったように答える。


「旅の連れです」


 旧友にもそうだと言い続けていた説明が、なぜすぐに出てこなかったのだろう。

 迷うまでもない。自分たちは、それだけの関係だ。


「そうかい――おっと」


 男性がぴたりと足を止める。


「すまない、ちょっと用事を思い出してね。ちょっとそちらに行ってくるよ」

「構いません。俺のことはどうぞお気になさらず」

「度々悪いね」


 男性が元来た道へと歩いていき、なんとなしに彼の背中を見送る。一人になったシェリックは歩きながら思考にふけることにした。ただ待つだけは暇を持て余してしまうし、ちょうどいい、考えたいこともあったのだ。

 再開した歩みを進めつつ、シェリックは自分の思考に浸る。ずっと考えていた。ここが、一体どこなのか。

 しばしば向けられるラスターの視線には気付いていた。何か言いたげな雰囲気で、けれども決して口には出さない。思い当たる節がありすぎて、果たしてどれなのだろうと。

 ――お前のことだって、どうして牢屋に入れられていたか、ばれちまうかもな。

 旧友はそう言っていた。

 ――ここ、何かおかしくない?

 ラスターが覚えていた違和感と。

 人数にしてほんの数人。向こうからやってくる人たちとすれ違いながら、シェリックは聞こえてくる会話のひとつひとつに耳を澄ましていた。日常の家事に精を出す者、荷車を引いてどこかへ向かう人。それを見送ると、ラスターよりも幼い子どもたちが前方へと駆けていく。子どもはいつの時代も元気だ。


「ここまで来ると、さすがに気のせいでは片づけられないな」


 一度立ち止まり、来た道を振り返るがやはり変わらない。ラスターにはぼやかしたけれど、シェリックもずっと違和感があったのだ。

 見たことがないと、一度はそう思ったけれど、景色の端々に覚えがあるような気がしていた。

 立ち止まったシェリックをも入れて、緩やかな時間が流れる。広がるのはのどかな光景だ。

 船から落とされ、運よく漂着しただけだと思っていた。それにしてはうまくことが運びすぎていると。ラスターを置いて、様子見に出てきて正解だった。疑惑は確信へと変わる。


「この島、やっぱり――」



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