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翡翠の星屑  作者: 季月 ハイネ
二章 船
25/207

25,提示された選択肢


 揺れる。揺れる。ゆらゆらと。丸く光る雷も、床に打ちつけられて固定された椅子も。ラスターの耳に入るあらゆる景色がぎいぎいと音を立てる。

 揺れているのはこの部屋かラスターか。考える余裕すら失われていた。


「まっ、おしゃべりはここまでにして、本題に入ろうか」


 いやに明るい声がした。

 ラスターに向かって手が伸びてくる。強く目をつむると、横からとん、と音がした。片膝を突いて、リディオルは至近距離で目を合わせてくる。逃げられない。視線さえも。

 何を言われるのか。何をされるのか。想像の範疇はんちゅうにはなかった。


「なあ嬢ちゃん、王宮に来る気はねぇか?」

「――え」


 思いもしなかった言葉を聞いて、反応に戸惑う。――王宮?


「いい素質を持っていると思うぞ? あの場でガローを作って勧める薬師なんて、そうそういねぇからな。誰もが自分の腕試しをしたい、その一心でクゥートを作るもんだ」


 ――それ、クゥートですか?

 脳裏に蘇るのは、治療師見習いのセーミャが不思議そうにつぶやいたときだ。


「……そんなコトない。状況を考えれば、誰でもできるよ。ボクじゃなくたって、誰だって」

「その状況を考えるってのがなかなか難しいんだよな。結局、誰だって自分が一番可愛いんだよ」


 ぐるぐる回る。めぐる言葉に、行ったり来たりを繰り返す思考に、ラスターは考える。

 目の前のリディオルは、器用に頬杖を突く。


「まぁ、嬢ちゃんならわけねぇわな」


 もたげたラスターの頭が怪訝な思いを深める。


「なんたって、あの村の生き残りだもんな? ――いや、生き残りなんて言ったら語弊があるか。村が全滅したって言っても、誰一人死んじゃいないし。無事だった嬢ちゃんは、あの村から逃げ出したんだよな」


 あの村。リディオルは固有名詞を一切出していない。それでもなんのことを言われているのか、どこの場所について話しているのか、ラスターは思い当たってしまった。取り繕う間すらなくて、身体が畏縮する。


「――どうして、それを」


 リディオルの目が面白げに細められる。ラスターに知らないなどと言わせる気は一切ない。


「さぁて、どうしてでしょう?」


 あれは三年以上も前のことだ。今なお調査されているなんて、思ってもみなかった。

 リディオルはアルティナ王国の人間だ。海を隔てたラディラ共和国、その片田舎にある村のことなど、どうしてしているのだ。

 口から出まかせかもしれない。だってリディオルは、ひとつも名前を言っていない。けれども、言わなくても合致する。ラスターに想起させてしまう。思い当たるできごとがあると。三年ともにいたシェリックにさえも、ひた隠しにしていた事件を。


「――やっ!」


 考え込んでいて反応に遅れた。

 額の『印』に触れられ、ラスターは力の限り首を振った。しかし、ラスターの力なんてたかが知れている。大した抵抗にもならない。寝台の縁に突いていたリディオルの手が下ろされる。ラスターの左腕をつかみ、リディオルはことさらゆっくりと口を開いた。


「今となっちゃ違うものだが、これはひと昔前までの薬師の印だよな」

「――ボクは、そんなの、知らない……」


 そうだ、知らない。だから、きっと違う。

 喉が張りついて、言葉にならない。口を開いても、かすれた息しか出てこない。喋り方を忘れてしまったみたいに。

 だって、母親に教えてもらうはずだったのだ。どうすれば薬師になれるのか、その方法を。だから、教えられていないラスターはまだ薬師ではなくて、薬師を目指している最中なのだ。この印だってそんな大層なものではない。これは、ラスターが母親からもらった、大切な――


「だったらあいつに言えるわけねぇよなぁ。『互いの過去には干渉しない』っつってたあいつにはさ。話したら絶対軽蔑されるもんな」


 思考を遮るように割り込んでくる。考えさせやしないと。


「――て、よ」


 小さな声にしかならない。抵抗も拒絶も、彼の前では塵に等しい。

 聞きたくない。


「嬢ちゃんは自分の村を、」


 その先の言葉は。


「もうやめてよ!」

「っと!?」


 渾身こんしんの力でリディオルを突き飛ばし、寒さのせいではない震えをしまい込むため、手を握りしめた。動悸も、動揺も、なくなってしまえばいい。覆い隠すように、見えなくなるように、強く。

 ――ラスター。

 耳の奥に甦る、大好きな祖母の声。

 ――あんたは行っておいで。あとは私がなんとかしよう。大丈夫、たいしたことじゃないさ。あんたはあんたのできることをしておいで。

 そこから人目を忍んであとにした村と、見送ってくれた祖母の笑顔と。

 ラスターは村から逃げたのではない。母親を探すために出てきた。だから決して、逃げてきたわけではないのだ。


「ははっ、嬢ちゃん意外と力あんな」


 尻もちと後ろ手を突いて、リディオルは呵々(かか)とした。


「――リディオルは」


 隠しきれなかった震えが声に伝わる。これはなんだ。恐怖なのか、怒りなのか。説明つかない身震いを抑えながら、ラスターはふさぎたい耳を懸命に立てた。

 突き飛ばしたおかげで、リディオルとは少しばかり距離ができる。もう縮まらなくていい。近づいてくれなくていい。


「どこまで知ってるの」

「多分、嬢ちゃんと同じくらいには」


 同じくらい。では、リディオルは知っているのか。あそこで起きたことは、全て。


「まさか、ついでに調べてたことがこんなところで役立つなんて思っちゃみなかったが、なんでも調べておくもんだな。嬢ちゃんも覚えておくといい。知識と経験はいくつあっていも足りないそうだ」

「――っ!」


 視界の端、忍び寄ってきた手をとっさに振り払う。しゃがみ直したリディオルが、音を立てて払われた手と、払った手を握りしめるラスターとを、意外そうな顔で交互に見ていた。


「触らないで」

「やれやれ。そんなつもりじゃなかったんだが、ずいぶん嫌われちまったな」


 好かれる要素がどこにあったというのだ。ラスターは縮み込みながらリディオルをにらみつける。もう、リディオルの望むものは何も渡すものか。情報も、状況も、彼のしたいことは何ひとつとして。


「俺としては、どうしても嬢ちゃんの力を貸してもらいたいんだよ。な、ひとつ承諾しちゃくれねぇか?」

「嫌だ!」


 ラスターは間髪入れずに言い返す。

 絶対、嫌だ。何があっても。どんなことを言われても、望んだ通りにはさせない。

 そんなラスターの様子を見て、リディオルはわざとらしく息を吐いた。


「勘違いすんなよ――所詮は暇つぶし、だろ。どうせやれることは何もないんだ」

「それはリディオルの、だよ。できることが何もないわけじゃない」


 さっきは払えたけれど、手にも足にも、変なだるさが居座っている。それがなくとも、体格で彼に勝てる気がしなかった。

 せめてもの反抗とばかりに、ラスターは目で反抗する。思い通りにはならないと、目線で訴え続ける。

 起きたことは変えられない。過ぎ去ったことをなくせもしない。だけど、これから待ち受けていることは、自分次第で変えられる。対処できなくても、結果として失敗に終わっても、心構えひとつで気の持ちようを変えられる。

 だって、まだ途中だったのだ。シェリックに水を持って行っていない。時間が経ち、シェリックの体内から薬の効果がなくなれば、新しい薬だって作ってあげられる。相対してしまった事態にだって、知らないとはいえ間違えてしまったことだって、変えることが可能だ。ラスターは何もできないんじゃない。――無力じゃない。


「じゃあ、こう言ってやろうか? 嬢ちゃんにあいつは救えない」

「そんなコトない!」


 冗談でもそんなこと、言われてたまるものか。


「助けられやしねぇよ。あいつは船の苦手意識を呼び起こされて終わり。嬢ちゃんはあいつを救えなくて終わり。可哀そうにな」

「……冗談じゃない」

「冗談を言ったつもりはねぇよ。今まで退屈だったんだろ? 丁度良い遊戯をさせてやるんだ。ありがたく思えよ」


 言い返せない。そうではないと言いたいのに、だんだんと声を発するのも億劫になってくる。言葉が出てこない。反論にならなくとも、手が出てこずとも、意志だけはリディオルの思い通りにはならない。そう決めて。

 リディオルは片膝を突き、これまでとは比べものにならない速さでラスターの腕をつかみ取った。反対の手は寝台に置き、自身でラスターを囲うようにして。


「さて、選んでもらうぜ? なに、二択だからそう難しいことじゃない。嬢ちゃんがどちらかを選べば終わるんだ、簡単だろう?」


 影が差し、真上から見下ろされる。つかまれた腕はびくともしない。彼に対する抵抗なんて、あってないようなものだ。それがわかってしまったから無性に悔しい。これが体格の差なのだと、思い知らされているようだった。

 吐息のかかる距離。耳元でゆっくりとささやかれた。


「これは、命を賭けた選択なんだからな」

「――っ!」


 いつもよりも低い声音に、背筋が総毛立つ。今すぐにここから逃げ出したい。叶うなら。できもしないことをラスターは願う。

 耳だけは鮮明に、遠くの風を拾っていた。




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