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翡翠の星屑  作者: 季月 ハイネ
二章 船
22/207

22,闇からの手が牙むいて


 ぱさり、と。

 かけずによけていた布団が床に落ちたようで、顔をしかめる。というのも、首を回すのがわずらわしくて、音だけで判断したからだ。これでは動かねばならないではないか。見ることすら面倒で、無視を決め込んだ。

 部屋に残されたシェリックは、ただひたすら寝台に沈んでいた。別に動けなかったわけではない。動きたくなかっただけだ。病ではないが、気持ちの持ちようで多少は変わってくる、と信じることにした。

 立っているよりは座っている方が、座っているよりは寝ている方が楽なのだ。それと、せずともいい心配をしてくれる連れがいるものだから、その憂いを取り払うためにという理由もある。初めての船なのだからもっと楽しんでほしかったのだが――どう考えても自分のせいだということに行き当たってしまい、申し訳なさと自己嫌悪が勝った。


 目元を手で覆い隠すと多少はましになる。視界に入ってくる情報が減ったからだろう。

 しかし、この体調は本当にどうしたものか。以前船に乗った時はここまで酷い状態にはならなかったはずだ。しばらくぶりに乗船したせいだろうか。いや、何度乗っても毎回同じような症状になったのは、他でもない自分が一番良く知っている。結論から言うと、船に慣れなかったのだ。今までそうだったのなら、これから先、良くなる可能性は皆無に等しいわけで――よそう。考えるだけでさらに悪化しそうだ。

 リディオルは近々嵐になると言っていた。体感できる振動はないが、もうまもなく、荒れた天候が船を揺さぶりにやってくるのだろう。あらかじめ知っているのと何も知っていないのとでは、前者の方がまだいい。事態に直面する前に、いくらか心構えができるからだ。

 今でも十分気持ちが悪くて最悪なのに、それよりも大きな揺れが来るのかと思うとげんなりする。これ以上自分をどん底な気分にさせてそんなに楽しいのか――いや楽しくない。絶対に。

 水を取りに行ったラスターには悪いけれど、嵐が本格的に来る前にもうひと眠りしておこう。運が良ければ、寝ている間に嵐が過ぎてくれる。

 自分が眠ってしまっていたらその辺に置いていてもらおう。そんなことを考えながら、床に落ちている布団を手探りで拾い上げた――その矢先だった。


「っ!?」


 シェリックは弾かれたように飛び起きた。つかみ損ねた布団が指の間をすり抜ける。助長した気持ち悪さは、頭を押さえることで押し込めた。

 耳元で小さな破裂音が鳴った。聞き間違えるわけもない。


「今のは……」


 ――何かが起きたらおまえに知らせる。それが、合図だ。便利だろ? 遠くにいる相手にもすぐに伝えられるんだぜ?

 昔交わしたやり取りが思い出される。同時に教えられ、覚えた感覚も。

 懐かしい。ルパでも同じような感覚で呼ばれた。初めて教えてもらったあの時からずいぶん時間が経つのに、未だにそれを覚えている自身にも驚いたけれど――どうして、わざわざ今。嵐がすぐそこまで迫っているというのか。嵐でないなら、いったい何を知らせたのだ。

 まさかという予感と、もしやという想像とがせめぎ合う。

 嵐が来たなら、海が荒れるのだからすぐにわかる。海が荒れるなら、必然的に船も影響を受ける。もしかしたら嫌がらせで知らせたという可能性も――否定はできないが、その線は一旦省いておくとする。

 そもそもなぜ、今なのか。嫌な予感が消えない。何かが起きたのは間違いない。きっと何かが、シェリックではない誰かに――?


「――ラスター?」


 彼女が出ていった扉を見やる。

 そのつぶやきを拾われたのかはわからないが、閉じていたはずの扉がきい、と開いた。

 そこには誰もいない。シェリックは寝台の上から動いていないし、扉を開けたはずの人物もそこにいない。

 誘われているかのような扉をにらみつける。

 シェリックが決断を下すまで、そう時間はかからなかった。



  **



 リディオルの生み出した風の渦が、ラスターの意識を奪い取る。渦の中から上がっていた悲鳴は徐々にかき消されていき、やがて風の声しか聞こえなくなった。

 それは暴風と呼んでも大差なく、壁や窓にぶつかったなら大きな音を立てること必至だ。当たりどころが悪ければ、瞬く間に壊してしまうだろう。そんな誤った操作はしないが。

 風を注視していたリディオルは、すうと息を吸い込んだ。


「――いい。散れ」


 耳を澄まし、聞こえていた悲鳴が完全に消えたのを確認して片手を払う。ラスターを囲んでいた風はあっけないくらい簡単に霧散した。唐突だったにも関わらず、ひと筋の流れも残さずに。

 支えを失ったラスターは、崩れるように床へと倒れ伏す――その前に、リディオルは腕を伸ばして、小さな身体を抱き止めた。


「あっけねぇわな」


 軽く背中を叩いてみるも、ラスターは動く気配を見せない。彼女の髪を結っていたひもが今の風で千切れ、露わになった本来の髪の長さに目を見張った。ざっと見て目立つ外傷はない。リディオルは安堵する。

 うっかり傷でもつけようものなら、彼女の連れに何を言われるか――考えたくもない。

 驚いたのは、彼女が思った以上に軽かったことだ。初めて見たときにリディオルも間違えたくらいだ。しかし、どんなに外見が少年っぽく見えるとはいえ、この華奢きゃしゃ体躯たいくは紛れもなく少女だ。


「巻き込んで悪いな、嬢ちゃん――文句はあいつに言ってやってくれ」


 聞こえた足音に、ついつい笑みが漏れた。


「――人の内側に入り込み、風を送り込んで強制的に意識を奪い取る。対象の近くであればあるほど、その効果を発揮するんだったか。おまえの得意技だったな」


 それとほぼ同時に、低い声音が空気を張りつめさせる。怒っているだろうに。腹立たしく、苛立ちすらしているだろうに。


「訂正、奪うのは外側からも、だぜ?」


 茶化すように言い、やってきた人物を見やった。


「なんだ、意外と早かったな。わざわざ知らせる必要はなかったか」


 壁伝いにここまで来たらしく、片手を壁に当てた姿勢で、彼はそこにいた。先ほどは目眩めまいを起こしかけていたのだったか。浮いた脂汗に上がった息。よくもまあそんな状態でここまで来れたものだと感心する。

 ルパで再会したときには穏やかに和らいでいた。何があったのかと問い質したくなるくらいに。船で会話したときにもまだ柔らかかった。そんな彼の双眸そうぼうは、今ではかみつきそうなほど険を帯びている。その変わり様に、我知らずたじろいでしまいそうなほどだ。

 抑えられた怒気に、友好的な感情など一切ない。それもそうだ。取れるはずもないだろう。リディオルは、そんな彼の姿を冷静に受け止める。そうして片手を挙げ、いつものように応じた。


「や。さっきぶり」


 彼らの間にたたずんでいた空間がぴりりと緊張をはらんで、彼を――シェリックを出迎える。


「ふざけるなよ――リディオル!」


 そこだけ空間が切り離されたかのように、時を止めた。



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