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翡翠の星屑  作者: 季月 ハイネ
二章 船
20/207

20,佇む静寂、嵐前と


 その姿を認めてラスターは口を閉ざす。ラスターたちのうしろから追ってきたのは治療師見習いだった。確か、名前は──


「セーミャ」

「覚えてくださったんですね」


 見張らせた目を和ませると彼女は弾んだ息をすぐに整え、居住まいを正して微笑んだのだ。


「あなたがいてくれて良かったです。あなたに頼りきりになってしまってすいません。ラスター、お嬢様を助けてくださって、どうもありがとうございました」

「そんな、たいしたコトしてないし……」


 深々とお辞儀をされ、どうしたものかと隣を仰いで助けを求める。ところが今度は視線すら合わせてくれず、知らんふりを決め込まれてしまう。

 助けてすらくれないなんて──ラスターは少しの緊張を宿らせて彼女に相対する。と、顔を曇らせたセーミャが口を開いたのである。


「それと──わたし、あなたに謝らなければならないんです。船員の方が呼んできてくれたときにこんな小さい子が来て、どうなることかと思ってしまって。本当に、すいませんでした」

「あ、う……」


 なんと言おう。なんと言えばいいのだろう。

 狼狽ばかりするラスターの背中が、ぽんと叩かれる。横目でこっそりうかがったシェリックと一瞬、視線が合わさった。

 ──おまえの言葉でいい。

 その目が言わんとすることは想像がついた。形にならなくても、思いは伝わると。伝えるなら、ラスター自身の言葉で。


「ボクはできるコトをしただけだよ。ボクはボクの、あなたはあなたのできるコトをした。そうしたらうまくいった。それだけだよ。ボク一人だけじゃ絶対に無理だったもの」


 シェリックがいてくれる。それだけで、言いよどんでいた言葉が嘘のようにすらすらと出てきた。だから、ラスターも伝えたいことはひとつだ。


「ありがとう。セーミャがいてくれたから、ボクも薬を作れた」

「お礼を言うのはわたしの方ですよ。もう、こんなに可愛いなんて思わなかったじゃないですか!」

「え? えっと……」


 セーミャの両手がラスターの右手をがっしりとつかんだ。少しばかり及び腰になるも、両手を上下にぶんぶんと振られて逃げられなくなる。一度ぎゅっと力を込められたかと思ったら、ようやく右手が解放された。

 より近づいてきたセーミャが声を潜める。なんだろうとこちらも耳を立てていると。


「──実はわたし、小さい頃、親にクゥートを飲ませられたんですけど、あまりの苦さに断念しちゃったんですよ。なので、クゥートを作ってるのを見てちょっとびっくりしてしまって。でもわたし、あなたが作ってたガローだったら飲めそうです」


 耳打ちされた内緒の話に、二人して笑った。


「ありがとう、そんなコト言われたの初めて」

「ふふ、ですから、お礼を言うのはこちらです。これも何かの縁ですし、またのちほどお会いしましょう。お嬢様にもお会いしていただきたいです。アルティナまでご一緒ですから、まだ時間はありますし」


 ──アルティナまで。

 セーミャに他意はない。すとんと投げ込まれた氷結に、ラスターは瞬間口を閉ざしてしまった。


「うん……そう、だね」

「では、わたしはこの辺で失礼します。引き止めてしまってすいませんでした。お連れのあなたも、ありがとうございます」


 言葉の詰まったラスターに気づいていないのか、セーミャはシェリックに話しかける。


「ああ」

「それじゃあ」

「ええ、また!」


 その場で手を振るセーミャに、ラスターも振り返す。セーミャはくるりと背を向けて、来た道を戻っていった。ラスターは、手をゆっくりと下ろす。


「嘘、ついちゃった……」

「方向は一緒だから間違ってはいないだろ。ほら、俺たちも戻ろう」


 シェリックに促されて、そこから離れる。

 セーミャの嬉しそうな表情を見てしまったからだ。またあとでと言われてしまったからだ。輝石の島に行くのだと。ラスターたちはアルティナまで行くわけではないと、彼女にどうしても言えなかった。



  **



 部屋へと戻る最中、後ろを歩くラスターに裾を引かれる。


「ありがとう、シェリック」


 何事かと思って足を止め振り返れば、そんなことを言われたのである。


「俺は一緒にいただけだ。気にするな」

「でも、ああいうの慣れてないから、どうしていいかわからなかったんだ」


 あの女性とのやり取りだろう。様子から考えてみるに、あれほどまで率直な説明を求められたのは初めてだったのではないかと勘ぐった。

 保険と称してついてきたものの、何か起こる確信はしていなかった。結果として保険の役割を果たせたのだから、良かったと言えるだろう。あとは事後処理といったところか。

 いつもより沈んでいるようなラスターへ、シェリックは口を開く。


「少なくともおまえのせいじゃない。世の中には、常に命の危険がつきまとう人だっているってことだ。お前がまだ若いからとか、そんな理由で言われたんじゃないぞ」

「うん、ああいう世界があるんだって、びっくりしちゃった」


 慰めていた言葉に制止がかかる。シェリックの言葉が的外れに思えるのは気のせいだろうか。


「きっと、あの人たちには毒見役の人もいるんだよね。大変だなあ」

「──おまえ、へこんでたんじゃないのか」


 船員の頼みを受けて薬を作ったのに好奇の視線を浴びて、その厚意から出た行動すらも拒絶されかけて。追ってきたセーミャとの会話で、気持ちが少し和らいだとは思っていたのだけれど。


「ボクはまだ子どもだし、ああいう反応されるのはいつものコトだもん。酷いときにはこんなもの飲めるかー、なんて言われてその場で捨てられちゃったこともあるし。もらってくれるだけでもありがたいと思わなきゃ」


 ラスターは笑った。なんでもないことだとでも言うように、へらっと笑ったのだ。

 今までどれほどその事態を経験してきたのかはわからない。けれども、苦笑しながら話すラスターに、相当の数ではないかと見当をつける。経験したからこそ、今こうして笑えているのか。


「でも、いつまで経っても慣れないね。やっぱりボクは早く大人になりたいなあ」


 いつかの誰かが同じことを言っていたのを思い出して、既視感を感じる。そう言ったシェリックも、あのときは今よりずっと子どもだった。


「なってもあまりいいもんじゃないぞ。俺だって、もっと年上の人から見たら未熟者だ」

「嘘ぉ」

「上にはさらに上がいるんだよ」


 いつまでが子どもで、いつからが大人になったと言えるのだろう。それは明確にわかれているものではなく、境界線すらはっきりとしていない。

 成人したら、酒が飲めるようになったら、仕事に就いたら、親から離れたら。人によってその基準も様々で、誰しもがいつの間にか、気づいたら大人になっている。そういうものだ。

 風で窓が揺れる。はめ込まれた硝子が何かを主張するようにがなり立て、その大きさにつられて外を見た。風が強くなってきたのか。

 視線をずらすと、さっきは見えなかった何かが視界の端をよぎった。

 違う。見えなかったのではない。すっかり暗くなった廊下と外と、彼の格好が同化して見えていなかっただけだ。


「──リディ?」


 狭い通路で二人並ぶのは少し窮屈である。シェリックの陰からラスターがひょいと覗いており、「あ、リディオルだ」なんてのんきな声を上げていた。


「よう、お二人さん。こんなところで奇遇だねぇ」


 ラスターに負けずとも劣らない、のんびりとした雰囲気で。

 リディオルも気づいていなかったのか。しかしこんなところも何も。


「同じ船だったら顔くらい合わせてもおかしくないだろ」

「気分だよ、細かいことは気にすんな」


 少なくともこの船が出航してから、彼の姿を見かけたのは初めてだ。自分がほとんど寝ていて、部屋から出なかったということも手伝っているか。


「どしたの?」


 訊こうとしてラスターに先を越されてしまう。気になったのはこの場にいるということではなく、彼が浮かべていた思案顔だ。何かに気を取られているような、それでいて少し気だるい様子。シェリックが悩まされている、船酔いの類ではないだろう。リディオルが船酔いしたという話は、一度として聞いた覚えがない。羨ましい限りだ。


「ちょいとばかし外を見ててな」

「見ればわかる。何か起きたのか」


 リディオルがいるのは窓の傍。そこから一歩も動こうとせずに、彼は外を凝視している。会話をしている今もなお、外から視線を外していないのだ。


「ああ。起きたっつーか、これから起きる方だな。近々でかい嵐が来るぜ」


 来そう、ではない。リディオルは、来る、と言った。


「思ったより早かったな」


 シェリックも頷く。見立てではぎりぎり夜は越えられるかと思っていたのだが、リディオルの言い分では明ける前にやってきそうだ。

 どのみちアルティナに着くまでには遭遇する。時期が早くなっただけだ。


「……やっぱり、来るの?」


 不安げな──というよりは不満げな表情でラスターがこちらを見上げてくる。


「外、昼間はあんなに晴れてたのに」

「数刻前の話だろ、それは。時間が経てば天気だって変わ、る──」

「シェリック?」


 それは不意を突いてきて。

 目眩めまいを感じたシェリックは額へと手をやった。湧き上がってきた気持ち悪さに目を閉じる。意識の外に追いやっていた症状が、まさかここで来るとは思ってもいなかった。


「おまえ、歩いてて大丈夫か?」

「……うるせえよ」


 からかい混じりに言われているのがわかったからこそ、こちらも粗雑に返す。


「やっぱり早く戻ろう。ひと段落ついたから、シェリックはゆっくり寝てて」


 シェリックが提案した台詞をそっくり真似て。


「ああ……」


 言われなくてもそのつもりだった。

 ラスターについていった先での用事が終わったなら、すぐにでも部屋に戻って寝台に倒れこむ予定だったのだ。思いの外具合が良くなったと、調子に乗って動き回っていたらこのざまである。


「ほら、行こう」

「……急かすな」


 途端に病人扱いされ、爪の先ほどの後悔が募る。こんなはずではなかった、と。


「嬢ちゃんもそう言ってることだし、とっとと寝てな、運が良けりゃ、寝てる間に嵐も越せるだろうよ?」

「……だといいがな」


 苦笑された気配が伝わってくる。二人して人を病人扱いするなと──言葉の代わりにうめき声が漏れた。


「悪態つける元気がありゃ大丈夫だな。じゃ、嬢ちゃん、そいつ頼んだぜ」

「任せて!」


 ラスターの答えは、先の言葉と同じ。けれども、あの時の、緊張した面持ちで薬作りを承った返事とは違う。今度は確固たる意志を持った言葉に聞こえたのだ。

 目を閉じていてもわかる。自信満々に承諾したのだと。

 ほんの少しばかり、彼女の成長を見たのではないか。


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