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翡翠の星屑  作者: 季月 ハイネ
二章 船
19/207

19,証明示すは彼の言


 差し出していた盆を危うく落としかけ、ラスターは慌てて手に力を込める。

 今、彼女はなんと言った。

 女性は笑みをたたえたままで、怒りも焦りも見えない。むき出された敵意もなく、手も出さず、確認をしている。何を思って質問してきたのか。見当もつかなかったラスターを動揺させるには十分だった。

 言葉が出てこない。まさかそんな疑いをかけられるなど、思ってもいなかった。


「それは……」

「シャ──奥様!」

わたくしはこの方に問うているのです。口出しは無用ですよ、セーミャ」


 口を挟みかけたセーミャは、ぐっと押し黙り引き下がった。

 毒ではない保証。

 治療師の見習いであれば、薬草の種類は大まかにわかるのだろう。けれどもそれは、慣れている人にしかわからないものもある。見習いである彼女にどこまで判別ができるのか定かでないし、それだけでは完璧な保証とは言えない。薬と非常に似ているけれど、実は毒草だったという種類も少なくはない。

 何かを試されているようで、次第に焦りが浮かんでくる。早く飲ませてあげたい。けれどそのためには、これが毒ではない保証をしなければならない。

 言い張ることはできる。しかし、それだけでは説明が不十分だ。ラスターはこの女性とは初対面で、築けるだけの信頼も皆無。

 誰にでもわかりやすく、説明するにはどうすれば──


「失礼」


 ラスターの持っていた陶器が、うしろから伸びてきた手に奪われる。


「シェリ──」


 携えられていた手巾が陶器に巻きつけられる。彼はふたとして使われていた器に中身を少量入れ、少し減った薬湯はもう一度盆に戻される。そうして移した方を、シェリックは無言で飲み干す。盆に置かれた小さな容器が、やけに大きな音を立てた。

 誰もが呆気に取られている中で、動いているシェリックだけが異色に見えた。


「こいつの腕は私が保証します。即効性はなくとも、万が一毒であれば私も共倒れするでしょう。それでもまだ疑うというのなら、この薬を差し上げない方が良さそうですが──いかがする」


 唖然あぜんとした空気をものともせず、シェリックがそう言いきる。空になった器が何よりの証拠だと。

 ラスターの隣で。すぐ傍らで。淡々と語るその背中を、今ほど頼もしいと思ったことはないかもしれない。


「わかりました。その言葉を信じましょう。いただけますか?」

「──あ、はい。どうぞ」


 今度こそラスターの手ずから盆を受け取り、女性はラスターへと眉尻を下げた。


「不快に思ったならごめんなさいね。あなたが私たちを害しようとしたのではないことはわかっています。あなたを疑っているのではありません。そうした立場にいるものですから、警戒を怠るわけにはいかないのです」

「そうなんだ……」


 ラスターが疑われていたのではなく、誰もかれも疑わなくてはならない。この女性は、そういった立場にいる人なのだろう。ラスターには想像もつかない世界だ。食事ひとつでさえも安心して口に入れられないと考えると、とても不便だ。

 同時に、ひとつ考えがよぎる。もしや、シェリックが言っていた『保険』とは、このことを見越してだったのだろうか。


「ううん。ボクにも配慮が足りなかったから……飲ませてあげて」

「ありがとうございます。セーミャ、お願いします」

「はい、お任せください!」


 盆は女性から、セーミャへと渡される。セーミャが受け取った陶器は、その手から寝台にある卓上に。彼女は眠る少女の肩を叩いて起こした。


「キーシャ様。起きてください、キーシャ様」

「う、ん……」


 布団がもぞもぞと動き、まだ夢心地にいるような声がした。

 女性の影になっていたのであまり見えなかったが、寝ていた少女は金の短髪で、どこかで名を響かせている貴族の令嬢を思わせた。そうだ。船員の人と、そしてセーミャが『お嬢様』と言っていたのだった。

 声と容姿から推定すると、ラスターと近しい年齢のようだ。


「なあに、それ……」


 熱に浮かされたぼんやりとした声音で、弱々しいものではあったがはっきりと聞こえた。


「お薬です。早く良くなりましょう?」


 一度こちらをちらりと見て確認してきたセーミャに、ラスターは顎を引いた。間違いない。シェリックも証明してくれたのだ。毒などでは、決してない。

 セーミャが背中に手を当て、少女の上半身を起こす。


「甘いけど──にが……」

「良い薬は得てして苦いものですよ」

「そう、なの……?」

「ええ、そうです。飲んでしまえばあとは薬が効いてくるのを待つだけですから、嫌なことは早く済ませてしまいましょう?」

「そうね……」


 途中で顔をしかめながらではあったが、木さじを使いながら時間をかけて飲み、器をセーミャに渡した。


「……ごちそうさまでした」

「はい、確かに。ゆっくりおやすみください、キーシャ様。すぐに良くなりますから」

「ええ、ありがとう……おやすみなさい、セーミャ、お母様……」


 吐息にも似た挨拶を口にしたあと、少女は再び眠りについた。発される寝息は、先ほどよりも穏やかになりつつある。


「ありがとうございます。こちらの器、お返ししますね」

「あ、うん。どういたしまして」


 セーミャから返された盆を受け取る。陶器の中身は小さな葉くずがほんの少し残されているだけだ。からに近い。

 飲んでもらえないかもしれないという心配も杞憂きゆうだった。やはり、シェリックの保険があったからだろう。

 ラスターは、我知らず強張らせていた肩をゆっくりと下ろす。薬効はあるとはいえ、効果が出るまでは個人差がある。それに関して、ラスターには何とも言えない。あとは薬が無事に効いてくれるのを祈るばかりだ。


「あなたのお名前を、うかがってもよろしいかしら?」


 セーミャの横、目礼した女性が尋ねてくる。彼女の物腰は柔らかく、とても丁寧だ。初めから、ずっと変わらずに。


「ええと、ラスター……です」


 彼女に合わせて答えたものの、慣れない言葉遣いにしどろもどろになってしまった。敬語なんて普段使わないから、どう話していいのかわからない。見よう見まねという表現が一番合っている。


「私はシャレルと申します。あなたがいてくださって助かりました」

「大したコトしたわけじゃないケド……力になれたなら良かった、です」

「ええ、あなたは十分過ぎる働きをしてくださいました。どうもありがとうございました」

「ど、どういたしまして」


 彼女が丁寧な物言いをするのは、ラスターに限った話ではない。誰に対しても温和な対応を取っているのは、ラスターにもわかった。

 しかし、ものには限度がある。ここまで丁寧な受け答えをされると、ラスターはどうしていいのかわからなくなるのだ。


「あなたは、いい腕をお持ちですね。うちの薬師に似ています。その腕前、これからも磨いてくださいね」


 女性は目を細め、遠くを見るように言った。


「ありがとう、ございます……」


 もはや恐縮を通り越して平身低頭したくなってしまう。慣れていないのでごめんなさい、と。

 助けを求めてシェリックに視線を送れば、息を吐くのが見えた。呆れられたか、仕方ないと思われたか。


「──この辺で失礼する。ラスター」


 シェリックの瞳が、行くぞと促していた。


「うん。あ、待って!」


 船員が持ってきてくれていたらしい鞄を肩にかける。茶器に茶さじと茶こしを順に乗せ、盆と小皿は別に持ち、船員の元へと向かう。借りたものを返却しなければ。


「これと、鞄、ありがとうございました」

「どういたしまして。こちらこそ、助かりました」


 船員にまで深く頭を下げられ、ラスターの戸惑いは供給過多だ。


「ど、どういたしまして」


 なんとかひと言を口にし、ラスターは慌てて扉をくぐる。

 シェリックに追いつきかけて、何か忘れたことに気づいた。ラスターは一旦部屋の中へと引き返す。


「失礼します!」


 そこにいた四人に向けてお辞儀をしてから、ばたばたと逃げるように部屋をあとにする。先に出ていたシェリックがそこに待っていてくれて、遠慮なく隣へと並んだ。そういえば、この廊下は並べるほどに広いのか。

 かたかたと小刻みに鳴っていた陶器が、ようやく口を閉じた。まるで、今までラスターの気持ちを代弁してくれていたみたいに。

 顔が熱かった。


「なんとかなったな」

「うん、良かった」


 一時はどうなることかと思ったけれど、シェリックがいてくれたおかげだ。


「……でも」

「気になることでもあったか?」

「ううん。気になるコトっていうか……」


 ラスターにとっては大問題がひとつ。


「……敬語とか大人の言葉って、難しいね──って、笑わないでよ! ボク、すっごい悩んだんだからね! さっきだってシェリック、呆れてたでしょ。見てたよ、ボク!」

「っはは、わかったわかった。まさか助けを求められるとは思ってなくてな──くくっ」


 そんなに面白かったのか。ところどころ顔を背けて笑わないでほしいのだけど。


「……ボクは、シェリックみたいに大人じゃないんだから、シェリックみたいにはいかないの」

「悪かったよ」


 ラスターはそっぽを向く。本当は腕を組みたいが、生憎と陶器を持っているため手が塞がっている。

 大人になりたいと願っているのに、思いだけではどうにもならないことだってある。


「知って実践する。おまえはもう、二歩進んでるんだよ。無理に誰かの真似をしなくたって、おまえの言葉でいい。伝えたい気持ちがあれば十分だ。不格好だろうが形になっていなかろうが、思いは相手に伝わる。あとは……まあ、慣れだ」


 頷きながら聞いていたのに最後のひと言で台なしにされた。


「経験とか積みながらーなんて言っちゃって、どうせ大人にならないとわからないってやつでしょ? 知ってるよそんなの。大人ってずるいんだもの。ボクたちには届く位置にいないんだから。早く大人になりたい」

「そう言われると言い返せないのが辛いな。俺だったら──そうだな、おまえくらいの頃に戻りたい」


 ぷうと膨らませた頬はすぐにしぼませる。

 シェリックはおかしなことを言う。ラスターとはまるきり反対の意見を出したことに、首を傾げた。


「どうして?」


 大人になったらなんでもできるのに。子どもの頃にはできなかったことが、たくさんできるようになるのだ。届かなかった棚に手が届いたり、遠くまで石を投げられたり、暗闇が怖くなくなったり。大人が子どもに戻りたいなんて、なんだか不思議だ。

 お互い、自分にはないものを欲している。もしも交換することができたなら、ちょうどいい塩梅になるのではないか。


「今と違って好き勝手できるからだよ。誰かさんみたいに」


 含み笑いをしながら話すシェリックの視線の先。そこにいるのは。


「……それ、ボクのコト?」

「さてな」


 ばっちり合わさった目を見返してみるも、シェリックは笑うだけで教えてくれない。なんて意地悪なのだ。しぼませた頬に不満を充填じゅうてんさせる。


「教えてくれたって──」

「──待ってください!」


 言おうとした文句に別の声が被せられた。



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