18,疑惑の眼差し注がれて
薬師。そう呼んでいいのか微妙なところではある。母親から教えてもらった知識で薬を作れるだけであって、ラスター自身、『薬師』という資格を持っているわけではないのだ。その資格を取る方法を聞く前に、母親はいなくなってしまった。
そうして資格の取り方もわからず、母親は行方知れずのまま。本当に、どこへ行ったのだろう。
今はとにかく、目の前のことに集中しなければ。
「船員さん。調理場って借りられる?」
「調理場ですか? ええ、こちらです」
承諾の意を得て、ラスターは寝台の横にいる女性に向き直る。
「作って持ってくるから、少し待ってて」
「そうですか、わかりました。セーミャ」
「はい! ──あのっ」
治療師見習い、セーミャと名乗っていた女性が手を挙げた。
「わたしにできることがあればお手伝いします。どうぞお役立ててください」
「えっと……」
どう答えるべきか、返事に迷う。先の悔しそうな様子を見てしまっては断りにくい。治療師見習いというならば、他の人よりはずっと薬に関する知識があるだろう。
「人手がいるなら頼んだらどうだ?」
シェリックからの助言に頷き、緊張した面持ちで待っているセーミャへも頷いた。
彼女にとっては。名誉挽回になるかもしれない。
「じゃあ、お願い」
「はい、お任せください!」
力強く返事をもらい、百人力を得た気分だ。彼女となら、より早く作れそうだ。何よりラスターが一緒に作ってみたい。
そうして顔を戻した途端、額に固いものがぶつかってきた。
「いった!」
瞑った目をそろそろと開くと、片手をラスターに向けたシェリックがそこにいた。どうやら、今の痛みはシェリックが指で弾いてくれたらしい。
何かしでかした覚えはない。指弾をもらう謂われはないのだが。
「年上には敬語」
そろそろ教えておかないとだな、なんてつぶやかれる。教えるとはラスターにだろうか。もうひとつ浮かんだ疑問があり、ラスターは額をさすりながら聞いてみた。
「……シェリックにも?」
「俺は別にいい。慣れた」
敬語は慣れれば使わなくていいものではないと思うのだが。認めてくれているというより、諦められている意味合いが強そうだ。
「俺はここで待ってる。行ってこい」
「うん。行ってくるね」
この場をシェリックに任せ、ラスターは先に部屋から出た二人を追った。
**
「ここです」
連れてきてもらった調理場に、扉はなかった。開け放たれた入口から、ラスターはひょっこりと中を覗く。すると、うしろからセーミャも身を乗り出した。
「わ、すごい」
「立派ですね」
こんなときなのに二人して感嘆の声を上げて、合わせた目が輝いていることに気づき、互いに恥じた。
船内だから限られた面積しか取れないだろうに。そんなことを一切感じさせない広さと、きれいに磨かれた台や床。汚れどころか塵ひとつ見当たらない調理場がそこにあった。
「自慢の調理場です。もう少しすると明日の仕込みに取りかかる時間ですが、今は空いています」
「今からだと、どのくらい使えるんです?」
セーミャがすかさず質問する。
「そうですね、半刻ほどでしたら……」
「だそうですよ」
「ありがとう。十分だよ」
肩にかけていた荷物を台の端に置かせてもらい、ラスターは中から必要なものを漁った。
船員が教えてくれたとおり、確かに人はいない。ぱっと目につくのが一人だけだ。忙しい時間帯は人でいっぱいになって、大変慌ただしくなるのだろう。
それでも入ることができる人数は十まで届かないだろう。七、八人ほどで身動きが取れなくなってしまいそうだ。
手を洗いながら、頭の中でこれからの流れを確認していく。
ラスターたち三人でやるのだ。調理場の中をもう一度眺める。やはりきれいで広い。それと同時に、隅々まで丁寧に掃除されている様子がうかがえて、この調理場が大切に使われていることがわかる。
道具も大切にする人は、気遣いが隅々まで行き届いている人だ。ここを大事にしている船員たちと同じように、ラスターも大事に使わせてもらおうと心に決める。
「ちゃっちゃと作っちゃわないとだね」
限られた時間で腕を振るわなければならない。腕まくりをして、準備は整った。
「船員さん、お湯沸かすの頼んでもいい? 鍋とやかんと、両方でお願い。あと何か平たい小さなお皿があれば貸してくれる? えっと、貸して、ください」
「ええ、わかりました」
「お姉さん、沸いたら道具の消毒お願い……します」
「はい、かしこまりました!」
シェリックが敬語を、なんて言うものだから、たどたどしい言葉になってしまった。果たして使い方は合っているのだろうか。慣れないことはするものではない。
とにかく仕込みが始まる時間に差しかかるまでに終わるかどうか、時間との勝負だ。早ければ早いほど、シェリックだってすぐに部屋に戻れる。
先ほど取り出したのは褐色の瓶が全部で三本、木製の薬さじ、立体的な半月型の茶こし、陶製の茶器、それと白い紙だ。
「先に皿を置いておきますね」
「ありがとう」
横目でちらりと確認する。大きさは大丈夫そうだ。白い紙を台に敷いて、褐色の瓶のふたを開ける。中にいる乾燥した薬草を、薬さじで取り出した。水分がないので飛ばないようにしなければならない。手にも呼吸にも気を配り、紙からこぼれないように適量を出していく。
──ラスター、これはね。
祖母から教えてもらったときのように、ひとつひとつなぞりながら進めていく。その間、目は薬草から片時も離さない。何があっても、目を離してはいけないのだと教わった。
薬草によっては必要量以上取ってはいけないものがある。だから配合を間違えて作っては大変なことになってしまうと、何度も何度も、それこそ耳にこびりついて離れないほどに教えられた。
今では、秤がなくとも正確な量を取れるまでに至った。
「お湯沸きました」
「お鍋お借りしますね!」
ラスターの家では、様々な種類の材料から薬効が高いものを選別し、組み合わせていく。植物であれば、日や時刻に合わせて採取し、粉薬の調合であれば、五、六種類を用いて調合する。それが、理想だ。
家を出てきてからラスターが学んだことは、環境に応じて最良の選択をしていくことだ。
手持ちの材料だけでも薬は作れる。必要なのは理想よりも汎用。居合わせたその場で、可能な限りの最善を尽くすこと。だからこそ手は抜きたくないし、今できる最高のものを作りたいという思いがある。
薬を作る者としての矜持と言われれば、そうなのかもしれない。
わけた薬草を茶こしに入れる。それを茶こしごと紙の上に戻して、一旦息をつく。
「お茶、ですか?」
話しかけてきた船員に頷いた。
「うん。お茶みたいなものかな」
茶と、今作っている薬と。思い浮かべた手順を照らし合わせてみると、双方は似ている。異なるところというと、薬効があるかどうかの違いだろうか。
「どれくらい消毒しておきます?」
「もういいかな。ありがとう」
いつもより少しばかり短いけれど、致し方ない。鍋からお玉ですくい上げられた陶器は、素手では到底触れなさそうだ。粗熱が取れるのを待って、薬草の入った茶こしを陶器の上に乗せる。これで準備は完了だ。
「やかんのお湯をちょうだい」
「どうぞ。こちらも熱いので気をつけてください」
鍋つかみごと渡されたやかんを受け取り、陶器の上で傾ける。蒸気で火傷しないよう、陶器から少しばかり距離を取って。
茶こしの八割くらいにまでなみなみと入ったのを確認して、そこにふた代わりのお皿を置いた。あとは、待つだけである。
ちらりと目にした時計の針は、ここにきてからもうすぐ半刻を差す。船員も集まり始めているし、そろそろ時間切れだ。ここでできることは終わったし、残りはあちらの部屋で仕上げてもいいだろうか。
ラスターは陶器を両手で包む。
「む……」
──包み込もうとして手を離した。
「どうしたんです?」
「……熱い」
容器のまま持っていこうとしたのだが、いかんせん熱い。消毒した後にすぐ使ったからだ。
このままでは持てないし、さてどうしよう。冷めるまで待つのは時間がかかるから除外しておく。考えられるのは容器を手巾に包んで持っていくか、容器自体を移し替えて持っていくか──いや、それだと消毒した意味がないからこれも駄目だ、もしくは氷を使って急速冷却するか──
思案していると、後ろから何か丸いものが差し出された。動かした目が船員に行きつく。
「どうぞ、こちらを」
丸い形。配膳でよく見かける盆だ。
「ありがとう。でも……」
「何か気になることでも?」
「あげるときに火傷しちゃうかなと思って」
持っていくのはいいけれど、これでは飲ませる際に熱い。あの寝台の横に座っていた女性が火傷してしまう。
「確かに、そうですね。では木さじを添えましょうか」
木さじ。
茶のように一気に量は飲めないけれど、火傷するよりはよほどいい。結果的に量が取れればいいのだ。
「うん。お願い──します!」
「子ども用のがあるので、そちらを出しましょう」
途中で薬湯をこぼさないように、手元にも足元にも注意を払いながらゆっくりと進んだ。盆の上にある陶器内の液体が、ラスターが歩く度に波打つのがわかる。こんなに移動距離があることは滅多にないから、どこかで落としてしまいそうで怖い。容器ぎりぎりに入れたわけではないし、入れ物の容量に余裕はあるけれど、ラスターの気持ちに余裕がない。
治療師見習いの人が先導し、そのすぐあとをラスターが、しんがりを船員が担当する。そうして戻ってきた部屋には、出てきたときと変わらない光景が広がっていた。
「あら、おかえりなさい」
「ただいま戻りました!」
押さえられた扉に感謝をしながら、ラスターは初めに扉をくぐる。
先ほどと異なっていたのは、ラスターが入った時に、向けられる疑いの目が少なくなっていたことだ。
決して認められたわけではない。席を外しただけで認められるそんな都合のいい展開なんてないのだ。けれどもきっと皆、藁をもつかむ思いで待っていたのだろう。
場所を空けてもらった卓の上に、ラスターは盆を置く。乗せていたふたを取り、茶こしを外して盆に置いた。途端に立ち上る薬草の香りと白い湯気。
火傷しないように気をつけながら、ひとさじの液糖を垂らす。最後に木さじで中をかき混ぜて。
「できた」
混ぜた木さじは、そのまま使ってもらおう。
「──あれ」
意外そうな声が上がる。
「それ、クゥートですか?」
さらっと薬湯の名前が出てきたところを考えると、やはり見習いでも彼女は治療師なのだなと思ってしまう。
「ううん。ガローだよ」
「ガロー? ──と言うと、子どもに飲ませる、あの?」
「ええと、子どもが、っていうより、正確には薬を誰でも飲みやすいようにしたものかな」
きょとんとしている彼女に説明する。
「クゥートだと、慣れてない人は苦みを感じやすいんだ。いつも飲んでる薬でも、作る人と使う材料によってはその苦みもちょっと違ってくるから、調整しにくくて。その人の腕の見せどころだね。──ボクはまだまだだから、こうやってずるしちゃうの」
ガロー、そしてクゥート、と言うのは、薬の製法の一種である。ふたつの製法は違えど、どちらも主に薬草茶──薬湯を指すものだ。
クゥートとは、植物の葉や花を、茶のような製法で作る薬のことを指す。植物の種類も一種類だけであったり、場合によっては数種類用いたり。数や種類は、作る薬によって多様化する。人によって、あるいは使用する薬草の状態によっても変わってくる製法だと言われている。製法自体は簡単ではあるけれど、よほど腕利きの人でなければ同じものを作るのは難しいと言われている。
もうひとつ。植物の成分である苦みやえぐみが出てしまうので、クゥートを飲みやすくしたものがある。それがガローだ。
途中まではクゥートと同じで、作り上げたそこに甘い液糖を加えたものがガローである。不快な薬草の味を飲みやすくし、また喉の痛みも和らげる利点を持っている。特に喉風邪を引いたときであれば、わざわざ苦い味を通すより、喉に優しい甘い味を通した方がいいという考えもある。
そんなわけでクゥートではなくガローを作ったのだけれど──ラスターは少々思い出したことがあって顔をしかめる。
薬草の味を知っておくために、昔、母親が作ったガローを何杯も飲んだのである。勿論、一日でとれる量を調整しながらだ。あの一件で苦みにはだいぶ慣れたけれど、子どもの味覚ではなかなかに辛いものがあった──と、それは置いておこう。
それこそ腕利きの人ならば、苦くないクゥートを作ってみせるのだろう。そう、ラスターの祖母や母親のように。
以前ラスターが人に頼まれてクゥートを作ったとき、こんなものが飲めるかと容器ごと投げられてしまったのは、まだ記憶に新しい。だからラスターは安全策を取るのだ。いつか誰かのかかりつけになるそのときまで、ラスターはガローを作り続けるのだと決めている。誰にも言わない、自分だけの約束だ。
「苦みを消すための甘味を入れてあるから、普通に作られるものよりは飲みやすいんだ。それに、すぐ効果が出るときに使いたいならこっちかな、と思って」
「そうだったんですね」
彼女が納得したように頷く。
「──うん、それなら大丈夫そうです。どうぞ、お嬢様に差し上げてください」
「うん」
空けられた場所。ラスターの手足に緊張が走る。寝台の傍に腰をかけている女性へと、薬の入っている容器を盆ごと差し出した。
「これを……ええと、どうぞ。熱いので気をつけて、ください」
先ほどよりはだいぶましな敬語になったのではないだろうか、なんて自画自賛をして。
「飲ませればいいのね?」
淡く微笑した女性に、ラスターは頷く。
「それで──これが毒ではない保証はあるかしら?」
──頷いて、続く言葉に凍りついた。