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翡翠の星屑  作者: 季月 ハイネ
二章 船
17/207

17,些細な同行、混じる人


 船室がここまで遠いと思わなかった。

 船の中を走るなと注意する者がいなかったのをこれ幸いと、ラスターは船室までを駆け抜けたのである。扉を前にして立ち止まると、軽い息切れに襲われた。

 シェリックは戻ってきているだろう。去っていったうしろ姿を思い出すと、どうしようもなく胸が締めつけられた。思い出しただけだ。理屈ではない。なのに、ちり、と走る痛みはただ切なく、苦しい。

 今の今まで、一度もこんなことはなかったのに。

 引き結んでいた口を開き、息を吸って、吐いて。ラスターは勢いよく扉を開く。と、ちょうど真正面の窓際に座っていたシェリックが、うつむいていた顔をこちらに向けてきた。


「ラスター?」


 丸くした目で呼ばれたその顔色は、先ほどと比べるとずっと良さそうである。

 部屋の明るさもあるせいか、しかめ面ではなくなった表情のせいか。理由がなんであれ、快方に向かっているなら良かった。


「起きてたんだ」

「ああ。だいぶ休めたからな」


 窓に向けていた体勢を扉側へと向ける。緩慢な動作ではあったけれど、シェリックが出した声もしっかりとしている。波がある症状だから、今は比較的落ち着いているようだ。


「──さっきは悪い。気が立っていた」


 密かに安堵あんどしていたところへ、思いがけない謝罪を受けた。ラスターは目を見開く。


「ううん。ちょっとびっくりしたケド、気にしてないよ」


 出した言葉とは反対に、内心では胸をなで下ろす。いつものシェリックだ。これから先ずっと、話せないままだったらどうしようかと思っていたのだ。

 見なかったことにして問題を先延ばしにしただけではないかと、ラスターのどこかで見もしない誰かがささやく。もやもやとした気持ちは聞こえなかったふりをして、自分の荷物を探した。

 めぐらせた首がそれに行き当たり、ラスターは鞄をひっつかんだ。


「ちょっと出かけてくるね」


 急がなければならない。待っている人がいるから。


「──は? どこに?」

「わからない。ケド、熱を出した人がいるって聞いたから、行ってくる」

「熱を出した人?」

「うん」


 一応話しておいた方がいいだろうか。強行突破するという手段もよぎったが、それはあとで咎められるだろう。一から説明するのは苦ではないが、概要だけでも説明した方がいいかもしれない。

 悩んだ末に、ラスターはシェリックへと向き直った。


「あのね──」


 そうして船員から聞いたばかりの話をする。急に熱を出した女性がいること。船員が医師を探していたが、船内には見つからなかったこと。それを聞いて、ラスターが何かできるかもしれないと提案してみたこと。


「それで、荷物を取りに来たんだ。その熱を出したって人がアルティナのお嬢様らしくて、お母さんとこっそり出かけてたんだって。いつもならいる従者の人とかが今回はいないみたいで、だから余計に慌ててる、って感じかな」

「おまえは何をしに行こうとしているんだ?」

「症状診て、わかる種類だったら薬を作ろうとしてる。わからなかったり、材料足りなかったらお手上げだケド、できるコトがあるならそれをやりに行くよ」


 ラスターの説明をシェリックはじっと聞いてくれていた。

 予想外の出来事が起きたときこそ、その対処法が問われる。

 大国のお嬢様、ともなれば対処はより慎重に、かつ迅速に行われなければならないものだろう。ラスターが行って何ができるかはわからないけれど、力になれると豪語してしまった以上はやれることをしたい。

 ここまで伝えたなら、もう行っても大丈夫だろう。


「船員さんたち急いでるみたいだし、ボク、行くね」

「俺も行く」


 身を翻しかけたラスターの足が止められる。今、なんと。


「え。でも、シェリック、体調──」

「問題ねえよ。保険のために行くだけだ」


 言いかけた言葉が遮られる。

 動作は常よりもゆっくりで、声に覇気もない。それでも問題ないというのなら別にいいのだけれど──いや、鵜呑みにするのはまずい。

 様子を見て駄目そうなら強引にでも止めようと、ラスターはこっそり決める。それと、少々気になる単語があった。


「保険って?」

「気にするな。こっちの話だ」


 首を傾げるも、背中を叩かれて強引に終わらせられる。船室がわからず迷うと思われているのだろうか。ラスターは一人でもちゃんと戻ってきたのに。

 廊下に明かりは点いているが、今はれっきとした夜だ。一人で出歩かせられないと思われたのかもしれない。

 どちらにせよ不服だ。


「ほら、行くぞ」

「……うん」


 納得はできなかったけれど、ラスターは頭を振り、思考を切り替えた。ここで押し問答を繰り広げている場合ではない。今は、他にも先にもすべきことがある。

 材料は足りていただろうか。ルパで仕入れた分を換算しても、きっと間に合う量のはずだ。足りなくてもどうにかする。いや、しなければならない。荷物を握った手に力が入る。

 助けたい。力になりたい。ラスターが役に立てるのなら。


「ラスター」

「──なに?」


 頭へと乗せられた手に、ラスターは上を向く。

 ああ、やっぱりまだ顔色は悪い。先ほどは良さそうだと思ったけれど、青白いことに変わりない。船の廊下に薄暗い照明しかないのも助長しているのだろう。早く終わらせよう。シェリックに無理をさせないように。


「あんまり張りきり過ぎるな。それと、考え過ぎるなよ。おまえはたまたまそこにいただけなんだから」

「ありがとう。なんとかなったら、シェリックもゆっくり休んでよ?」

「ごめんだな」

「なんでさ」


 間髪入れずに返され、ラスターは口をとがらせる。保健だと行ってついてきたくせに、自分だけ断るのは卑怯ひきょうではないか。


「なんとかなったらじゃなくて、おまえができることをやってひと段落ついたらな」


 言い直された言葉。ラスターはうっかり頬が緩んでしまった。にやついた顔を見られたくなくて、抱え上げた荷物で顔を隠す。それからシェリックの腕を叩き、了承の返事をした。


「──うん。約束したからね」

「約束にもならないだろ。終わったら寝る気満々だぞ、俺は」

「あはは、そうして」


 シェリックの言い方に、吹き出すのを止められなかった。体調は、万全の状態にしておくのが一番だ。

 廊下の隅で待っていた船員の元へと走り寄る。もう一人の姿は見えないので、もしかしたら先に向かったのかもしれない。ラスターが近づくと、彼の目がシェリックへと向いた。


「そちらは、連れの人ですか?」

「ええ、邪魔はしません」


 応じたシェリックが片手を挙げる。


「わかりました。どうぞ、こちらです」


 船員はそれ以上疑問を挟むことなく、先を歩き始める。彼の先導に従って、ラスターとシェリックは奥の船室へと連れられていった。

 他の乗客は各々の船室にこもっているのだろうか。驚くほど誰ともすれ違わない。話し声も聞こえてこず、あるのは三人分の足音と、船の稼働音だけだ、

 甲板に続く廊下を途中で右折し、階段を下っていく。

 船の中心部に向かっているのだろうか。海から守るように、外界から遮断するように。

 厳重な船室なのかと思いきや、上階と同じように窓はついている。甲板よりも海面に近いどころか、これは海の中だ。小さな魚が列を成し、船とは反対に泳いでいく。海の中こそ、彼らの世界だ。

 ラスターたちの頭上にある照明の数は、上の階よりずっと多い。海中では太陽の光が届きづらいからだろう。

 歩いてきた廊下の最奥で、船員は立ち止まる。木登りでつかまる枝のような腕を持ち上げ、その扉を三回叩いた。


「失礼します」


 船員が叩いたばかりの扉を開き、脇へ退いた。


「どうぞ」


 船員はラスターたちを促す。彼が一歩避けたのは、そのためかと納得した。


「お連れしました」

「ご苦労様でした」


 途端に浴びせられたのは、痛いほどの視線。それも一人だけではなく、その場にいた五人ほぼ全員からだ。驚愕、心配、不安、困惑。

 こんな子どもが現れて、頼りなく思われているだろう。

 大丈夫だろうかと、不安もよぎらせているに違いない。

 物言わずとも、注目する目が物語った。口で直に言われるよりも居心地が悪い。身の置きどころのなさを示してくれずともいいのに。

 深く息を吸って、ゆっくりと吐き出す。前だけを見据えることで、それらの視線を意識から追い出した。シェリックがいなかった頃はいつも浴びていた反応だ。慣れたとはいえ、あまり気持ちのいいものではない。

 彼らが何も言ってこないのは、背後にシェリックという大人が控えていたからだろう。切れ目の長身で、その場にいるだけでも威圧感が漂っているからだ。努めて笑顔を引っ込めてしまえば、威力も倍増してしまう。睨みをきかせたら、誰もが身をすくめるに違いない。


 ラスターは、微かに宿る安堵感を認めるしかなかった。シェリックは保険だと言っていたから、恐らく、ラスターに向けられる態度を予測しての同行だったのだろう。

 子どもに過ぎないラスターと、ラスターと比べたら遥かに大人であるシェリック。保険の効力は、こんなにも大きいのかと。

 いいなあと思う。早く大人になりたいのに、月日がそれを許してくれない。大人になれば、こんな視線を投げかけられることもなくなるのだろうか。それはいつになるのか。

 シェリックにもあったのだろうか。早く大人になりたいと、そんな風に思っていた時期が。今より若い、ラスターと同じくらいの年齢のときに──ラスターは思考を閉ざす。それ以上はいけない。


 ──過去に何が起きていようと、互いに一切干渉しない。

 二人の間で決められている暗黙の了承。暗黙とは言っても、一度だけ約束に似たものを交わしたことを、シェリックは覚えているだろうか。

 シェリックが何者なのかはわからない。それはシェリックにとっても同じことだ。

 何故彼が最果ての牢屋に入っていたのか、ラスターは訊く気などない。気にはなるけれど、訊いてまで知りたいとは思わないのだ。会うべくして会った人物であり、なるべくしてなった奇妙な関係である。

 ラスターも自分のことについて話す気はない。必要があるのなら話そうとは思っているけれど、必要がなければその限りではない。別に知りたいなんて思っていないだろうし──


「あなた方が、医師の代わりの方ですか?」


 現状を思い出して、ラスターは慌てて居すまいを正す。

 疑いの眼差しが注がれる中、唯一違う反応をしたのは、奥に座っている女性だった。微笑む姿は穏やかではあるけれど、友好的なのかまでは判断がつかない。


「うん。そっちの子が、具合悪くしたんだね?」

「ええ、そうです」


 女性が腰かける椅子と、その前にある寝台。どちらも決して華美ではない。けれど、ラスターたちの船室とは表面の艶めきが違うことから、良い素材で作られている家具だと察せられる。

 寝台には、女の子が一人眠っていた。

 額には布が置かれ、彼女の頬は赤い。平常よりも早い呼吸で、かけられている布団が上下している。話題に上がっていたアルティナのお嬢様とは、きっと彼女のことだろう。


「ボクはお医者さんじゃないから詳しい判断はできないケド、薬なら作れる。それでもいいかな?」

「ええ、構いません──説明してあげてください」


 視線をずらし、ラスターの背後へと声がかけられる。


「はっ、はい!」


 上擦った返事が上がり、振り向こうとしたラスターの視界に飛び込んできたのは、寝ている少女に負けず劣らず、上気した顔の若い女性だった。

 淡い色合いの服装は彼女を穏やかに見せる。肘までまくった白衣からは長い腕が伸び、腕と同じように長い指は、身体の前で所在なさげに組まれている。あめ色の髪を後頭部の高い位置で結わえ、前髪を留めているためによく見える表情は、憂いと戸惑いとで揺れていた。

 見たところ、シェリックと同じくらいの年だろうか。


「わ、わたしは治療師見習いのセーミャと申します。お嬢様の症状を見たところ熱があり、喉が少し腫れていました。風邪ではないかと予測しております!」

「あ、ありがとう」


 彼女の勢いに押され、ラスターはしどろもどろになってしまう。言い終えるなり、彼女は勢いを失くしてしゅんとなった。どうしたのだろうと思う間もなく。


「あなた、薬師なんですね。症状はわかるのに、薬がなくて解決できないなんて面目ないです。お薬、お願いします」


 医者がいないのではなかったのか。薬がないとは、彼女にとっても予想外だったのだろう。

 その様子が本当に悔しそうで、ラスターはしっかりと頷き返した。


「うん、任せて」



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