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翡翠の星屑  作者: 季月 ハイネ
二章 船
16/207

16,静かな発端、揺れる波


 方々の体で戻ってきた部屋の中。あんな言い方をするべきではなかったと自己嫌悪に陥るが、一度出てしまった言葉は戻せない。なんて無様な醜態をさらしているのか。

 今のところ観客はいない。演じているのは自分だけ。自嘲する笑みが口を象る。

 酩酊めいていにも似た状態に頭が回るも、肝心な思考回路は回ってくれそうにない。回るなら一緒くたに動いてくれればいいものを──八つ当たりを咎めるように、頭に鈍い痛みが走る。

 痛みから逃れようと逸らした目が、外の景色を捉える。ルパの姿はすっかり見えなくなっているが、海の様態は出発のときと変わりなく穏やかだ。けれど自分の勘が告げている。このまま無事に終わるはずはないと。必ず嵐はやってくると。

 しばらく来そうにない嵐に杞憂きゆうするよりは、少しでも体調を回復しておくべきだ。そちらの方がよほど現実めいている。そう決めて、シェリックは寝台に倒れこんだ。閉じた目蓋の裏で、誰かが自分の頭を叩く幻が見え──


 シェリックが眠りに落ちるまで、そう時間はかからなかった。



  **



 名残惜しそうに残光を放っていた陽も完全に落ち、辺りは奇妙なくらい静まり返っている。

 一日目の航海の景色は、早くも夕暮れから夜の月へと移り変わった。月明かりが海面へと降り注ぎ、動いているのは波と船だけ。空までもが眠る準備をしているようで、どことなく物悲しい風景だ。そこには、妙にぽっかりとした、空洞にはまったような感覚があった。

 月明かりと船の他に灯りはない。そのためか星がよく見える。それも、ルパでは見えなかった膨大な数だ。見渡す限り、星、星、星の海だ。空の海と地の海と、ふたつの海に囲まれたこの特等席は、ここに来た者だけが知るのだろう。

 紺色の空に散りばめられた白い宝石、それは永遠の宝だ。盗賊や山賊、あるいは海賊ですらも盗むことはできない。これこそ極上のお宝である。これほど難易度の高い財宝を奪える者は、果たしているのだろうか。


 星の明るさは様々で、まるでこの世界の一人一人を指し示しているかのようだ。亡くなった人の命の輝きが瞬いているのかもしれない。

 昔の人は、きっとこの光景を見て星命石を定めたのではないだろうか。当時夜空を見上げた人は、星を人に置き換えて眺めていたのだろう。ひとつひとつ異なる明るさと、あまりに多くの星を目の当たりにして。

 実際にこの夜空を目にしてみると、圧倒されるのがよくわかる。星の光は、命の輝き。地上の人々を導くかのように、空から煌々《こうこう》と照らしている。

 海上を満たす静寂と、星空を覆う冷気。

 海の上は、地上と比べて遥かに温度が違う。夜の冷え込みが半端ではないし、周りに遮るものも何もないので、吹きさらしなのである。変わり映えのない景色も余計に寒さを煽っているのだ。見渡す限り何もなく、まるで、氷の砂漠に一人取り残されたかのようで。


「──さむっ」


 思い出したように吹いてくる風に、ラスターは身をすくませた。

 外套を羽織っているとはいえ、長時間じっと動かずにいたのだ。身体が冷えきらないわけがない。外套がないよりましではあるけれど、身にしみる寒さとはまさにこのこと。ルパと明らかに違うのは気温だ。どちらも同じ海風なのに、ルパで吹かれた風の方がまだ温かかった。場所が変わると自然の気性そのものまで変化するのだろうか。

 などとラスターが考えている間にも、容赦ない風が吹きつけてくる。


「……そろそろ中に入ろ」


 部屋に戻るのは気が進まなかったけれど、朝までここにいるわけにもいかない。

 シェリックがここに来てからは様子を見に行っていないが、体調は大丈夫なのだろうか。またあんな突き放された態度を取られたとき、同じように会話できるかどうかわからないし、自信がない。

 けれど、ここであれこれ考えているよりも行動あるのみだ。


「──よし!」


 すっかり冷たくなってしまった体をさすり、ラスターはそろそろと動く。ずっと同じ体勢でいたため、身体中が強張ってしまっていた。


「あたたた」


 急に動いたせいで痛みが襲ってきた。苦笑いをしながら、ゆっくりとときほぐす。我ながら情けない状態である。

 あちこち動かすとぼきっという音が鳴ったけれど、あまり良い音とは言えない。むしろ聞かない方が良かった部類に入るだろう。最後に曲げた首が盛大にいい音を出し、ラスターは首を傾けた姿勢のままで止まる。


「うう、参ったなぁ……」


 首に手を添えるも、凝り固まってしまった肩は痛みを主張している。

 あとで温かい薬湯くすりゆでも作ろう。温めてほぐそう。そんなことを決意しながら、ゆっくりと歩き始める。甲板から船内へ下る階段の途で、ラスターはふと、耳を澄ました。


「?」


 船の中からだろうか。話し声がする。

 ラスターが今いた甲板は、船のほぼ先端に位置する。先端側に客室はなかったから、甲板に用でもない限り、ここに近づく人なんていないはずだ。

 何かあったのだろうか。不安に駆られながら階段を一番下まで下りきる。すると、ラスターのすぐ目の前を男性が慌ただしく駆けていった。暗くて見え辛かったけれど、恐らくは船員。

 予感が確信へと転じた。何か起きたに違いない。


「おい、そっちはいないのか?」


 廊下の隅から聞こえた声に、思わず耳と目をそちらに向ける。男性が走って行った方向とは真逆だ。そこには二人の船員が立っていた。先の話し声は彼らだろうか。


「ああ。どうやら見つからないらしい。また別のところを探してみると言っていた」

「弱ったな……」

「お忍びで出かけたのが仇になったか」

「ああ」


 奥にいる男性ががしがしと頭をかいた。どうやら誰かを探しているようである。


「あの」

「はい?」


 振り向いた男性は二人で話していた口調とは違い、丁寧なものに変化する。変わりようが熟練者だなあなんて、感心している場合ではない。


「何か用事かな?」


 ラスターの姿を認めると、くだけた態度へとさらに変わった。二人分の視線を受けながら、ラスターは尋ねてみる。


「何かあったの?」

「ああ、医師を探していて。乗客の中にいないか当たっていたんだけど、見つからなくてね」

「お医者さん? 急病人でも出たの?」


 脳裏に浮かんだのはシェリックの顔。状態が悪化したのだろうか。それこそ、医師を呼ばなければならないほどに。

 ざっと引いた血の気に、ラスターは左手首をつかんだ。


「ああ、急に熱を出された女性の方がいてね。連れの人はいるかい? その人、医師だったりしないかな?」


 挙げられたのはシェリックではない。ラスターはほっとする。けれど、これでは顔も名も知らない誰かの不幸を喜んでいるようで、罪悪感がよぎった。


「ごめん。いるけどお医者さんじゃないや」


 首を振ったラスターが見たのは、残念そうに顔を見合わせる二人の男性。それさえも拍車をかけた。

 困っている人がいる。何かできないだろうか。助けになれないだろうか。余計な世話だと言われるかもしれない。けれど、何か──


「そうか。ありがとう」

「──あのさ」


 ぎゅっと唇を噛みしめ、気づいたら声を上げていた。別の場所へと行こうとしていた彼らは足を止める。聞いてくれる。


「なんだい?」

「お医者さんじゃないけど……もしかしたら、力になれるかもしれない」


 それを聞いた彼らは、互いに顔を見合わせた。


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