表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
翡翠の星屑  作者: 季月 ハイネ
一章 港町ルパ
13/207

13,出発の日は二日後に


 客船に乗るにはまず、手続きをしなくてはならない。

 二人と別れたリディオルは、とある建物を訪れる。そこには待ち合い用の椅子と細長い卓、ふたつだけの質素な家具があった。奥で気だるげに欠伸あくびをしているこの店の主人とリディオル以外、他に誰もいない。

 すっかりこの店の常連となってしまったリディオルは、幸なのかあるいは不幸なのか。考えても仕方のないことを夜色の裾に置き換えて、蹴飛ばしながら闊歩かっぽする。いや、間違ってもやりたくて蹴飛ばしているわけではないのだけれども。

 歩く度に広がるこの裾はなんとかならないものだろうか。この黒い外套がいとうはただでさえ長いのに、靴にまとわりつきそうになって非常に歩き辛いのだ。

 店の主人はちらと視線を寄越すも、興味が失せたように欠伸を再開する。来訪に気づいていながら無視をするとは何事か。リディオルは受付の卓へと無遠慮に肘を置き、その先にいる店主に声をかけた。


「よぉ。相変わらず陰気くさい店だな。繁盛する日は来るのか? なんなら俺の顔見知りを呼んできてやろうか?」

「そういうのを大きなお世話と言うのだ。この若造め」


 顔を上げたのは、厳めしい面をした白髪混じりの男性だ。

 部屋が薄暗いので、密会するのに最適な場所であると言ったのは誰だったろう。それともリディオルが言ったのだったか。覚えがないので、いずれにせよたいしたことではない。


「じいさん、若造はないだろう。若造は。あんたよりは十分若いつもりだが、これでも数年前には成人した身なんだぜ?」


 大仰に肩をすくめる。仰いだ天井から薄暗い灯りが見下ろしていた。


「それもそうだな。ではお主は童顔だ」

「はいはい、口の減らないじいさんで。しぶとさが年齢によく出てるわ」

「それこそお互い様だ。まったく、今更何を言うておる。そこの童顔の若造よ」

「……そもそも俺は童顔じゃねぇよ」


 ほっほっほっ、と明るく笑う。険しかった彼の面構えがいくらか柔らかくなるも、こちらをおちょくろうとする態度に変わりはない。リディオルはこれ見よがしにため息を吐いた。


「して、リディオルよ。何用で参った?」


 口元に笑みはたたえたまま、店主はそう聞いてくる。


「加えて人も悪いときた。わかっててわざわざ訊くのか? ここに来たらやることはひとつしかねぇだろう?」


 回りくどいことはやっていられない。


「必ずしも前と同じ用件とは限らんじゃろう? 昨日酒場に酒を飲みに行った人間が、今日も同じ酒場に行って同じ酒を頼むとは限らんようにな」

「また妙な例を使うな。納得せざるをえん」


 リディオルは頭を抱えてうめく。本当にこの人は──話していて飽きないけれど、相手をするのは面倒くさい。


「ほっほっほっ。人生経験が足りんのう。ほれ、早よ出さんかい」

「はいよっ、と」


 懐の中から取り出したのは、青い背景に剣と銀竜が描かれた一枚の身分証だった。それともうひとつ、右の中指から外した指輪である。店主はリディオルから受け取った身分証をしげしげと眺め、裏も返して確かめる。そうして指輪も手に取り、同じように確認を取った。


「ふむ。確かに。行き先は王国でいいんじゃな?」


 ひと通り調べたところで店主は尋ねてきた。


「そうだ。アルティナまで頼む」


 乗客名簿と書かれた冊子によどみなく書き込んでいく。動かしていた筆記具を置き、身分証と指輪をリディオルに返した。


「ほれ。今回の出航は明後日のネボの日だ。海神が荒れやすい日なのはお主も知っていよう? 心しておけ」

「そりゃありがたい忠告なこった──ところでじいさん。ひとつ頼まれちゃくれねぇかい?」


 返された指輪をまた元の指にはめて、今度は両腕を卓上に乗せる。内緒話でもするように、少しばかり声を潜めて。


「聞くだけ聞いてやろうかの。ほれ、言ってみい」

「こいつでもう二人ばかし乗せてやる、なんてことは可能か?」


 すると、店主は目をすがめた。


「ほう。そりゃまたどうして?」


 この店主は理由もなしに同意するほど、生易しい性格ではない。


「俺の旧友が王国に行くんだ。ちょいとわけありでね。で、昔恩を受けた分をここいらで返してやろうかと思ってだな。できるかい?」


 実際に向かう場所は王国ではないのだけれど、そんなことをわざわざ言いはしない。どのみち向かう方角は同じだ。それに、いずれにせよ王国にも行くだろうし。


「そういうのは職権濫用と言わんか?」


 店主は向かいから乗り出していた身を起こす。腕を組み、深々とため息を吐いた。


「名目はあくまでも恩返しだ。これ以後は二度とやらないと約束する」

「一度でもごめんだがな。まぁいい。お主の頼みごとなんぞ、滅多に聞けるものではないからのう。貸しひとつじゃな」

「高くつきそうだな、それ。けど、さすがじいさんだ。ありがとう」


 先刻の冊子を開きかけていた店主が、手を止めてリディオルを仰いだ。


「まさか、お主から素直に礼を言われるとはのう……」

「たまには受け取っておくんな」

「気持ち悪いの。明日は悪天候、明後日は時化しけじゃな」

「はっはっは、減らず口ばっか叩くじいさんだ」


 こんな会話も慣れたものだ。リディオルは手続きされていく様を眺め、手の中にある身分証を弄ぶ。


「それで、その二人の名は?」


 店主から顔も上げずに問われる。どうせ自分の身分は告げているのだ。何か起きたなら、リディオルに苦情が来るだろう。二人の名が正確なものでなくても、問題はないはずだ。


「シェリックとラスター」

「ほいほい、これでよしと。乗船前に、その二人にも身分証の提示を頼んでおいてくれの」


 それもそうだ。リディオルは先ほど見せたものの、現時点で二人に関しては身分証がここにないのだから。


「あいよ。助かる」

「なんのなんの」

「それじゃ。また来るぜ、じいさん」

「うむ。達者でな」


 お互いに別れを告げ、リディオルは振り返りもせずそこから出る。手続きはおしまいだ。



  **



 リディオルが二人の元に朗報を持ってきたのは、その日の夜遅くのことだった。


「どうにか取りつけた。出発は明後日だそうだ」


 シェリックが招き入れた部屋の中。備えつけてあった椅子を勧めると、リディオルは開口一番にそう告げてきた。ラスターが見た四回目も、以前と変わらない黒い外套を羽織っていた。

 昼間に話した際は呆れられたけど、やはりリディオルの代名詞は『黒い服の人』でいいのかもしれない。ここまで来たら、きっと五回目に会うときも同じ格好で現れるだろうから。

 シェリックはその黒服を制服みたいなものだと称していたが、常用されるほどだから使い勝手はいいのだろう。どこで買ったものだろうか。先日上着を購入したばかりだが、気になってしまう。丈夫でかつ使いやすい服にはなかなかめぐり会えないのだ。


「明後日か」

「そうだぜ。あー、疲れた。あのじいさん相手だと毎回疲れる疲れる──しっかし、おまえらいい部屋に泊まってんなー。羨ましい限りだ」

「おまえが言うか」

「俺だから言うんじゃねぇか。あんな堅っ苦しい部屋は苦手なんだよ」

「ああ、逃げてきたのか」

「語弊がありすぎんだろそれ」


 げんなりしたリディオルを見ながら、シェリックは笑う。こんなに楽しそうなシェリックは久々に見る。やはり、気心が知れた仲だからだろう。


「ここもそれなりにいい値段したんじゃねぇか?」


 組んだ手の上に顎を乗せながら、リディオルはぼやいている。今の質問の答えをシェリックは知らないだろう。宿を取ったのはラスターなのだから。


「でも格安だったよ。他の町より全然安かったし」

「へぇ。そりゃ何よりだ」


 椅子に座っているリディオル──もとい、椅子の背もたれを前にして行儀悪く座るリディオルは、大きな欠伸をひとつ漏らした。気だるい姿勢と眠たげな目蓋の様子から、本当に疲れていそうだ。


「寝るなら宿に戻れよ。ここで寝落ちても寝台はないぞ」

「はいよっと」


 リディオルにつられて欠伸をしそうになり、ラスターは慌てて唇をかんで耐えた。いつもならそろそろ寝る時間なのだ。寝台に腰かけているから、余計に誘惑が強くなっている。横になりたい欲はあるけれど、話を聞いていたい思いもある。


「遠いんだよな、あそこ」

「文句はアルティナに言ったらどうだ」

「へいへい。半ば嫌がらせみたいなもんだから、ありがたく受け取っておくとするよ」


 欠伸混じりにそんなことをつぶやくリディオルは、なんだかおかしな人だ。礼を言っているはずなのに、感謝が伝わっている様子はあまりない。


「それにしても、出航の日って意外に早いんだね。もっと時間かかるかと思ってた」

「当日の天候にもよると思ったが……ま、現時点での状況では船を出せるみたいだな。大丈夫だろ」

「ふうん?」


 そんな適当な決め方でいいのだろうか。言ったところで決めるのはラスターではないから、どうすることもできないのだけれど。


「当日までわからないんじゃな──ふわ、あ……」


 ラスターの口から今度こそ欠伸が漏れ、目を閉じながら口元を手で覆った。それを二人に凝視されていたと知ったのは口を閉じてからで、彼らの無言の視線にたじろぐ。


「……そんなに見られても」


 穴は空かないし、出てくるものなどありはしない。だから期待に添えるようなことは何もないというのに。


「ま、そろそろいい時間だな」

「嬢ちゃんも眠そうだし、お暇しますかね」


 素知らぬふりをしたシェリックに次いで、立ち上がったリディオルにもそう言われては、少々申し訳なくなってくる。二人の行動の発端は、どう考えてもラスターだ。


「……ごめん」


 まだ子どもで──彼らの横に並ぶには、身長も、年齢も、体力も、経験ですら足りなくて。仕方ないと言えばそれまでだ。差を埋めるための手段は、まだ何も思いつかない。


「おまえのせいじゃない。こいつが遅くに来たのが悪いんだ」

「まぁ……そう、だな」


 その言い方では、責任の一端どころか全てを押しつけている。リディオルは苦笑いをこぼした。


「出発までは一日あるが、おまえらはどうするんだ?」

「適当に過ごすさ。たまにはのんびりするのも悪くない。──見ていないところだってあるだろう?」


 後半はラスターに向けられたものだ。逡巡しゅんじゅんしてから、ラスターは思いついたことを指折り挙げていく。


「うん。海沿いで掘り出し物市やってたよね? あそこも行きたいし、材料も買っておきたいし、それに市場だって回りきれてないし」


 そうして数えてみればまだまだ行きたいところがある。ルパから出る前に全て回りきりたいけれど、時間は足りるだろうか。


「──あれ」


 ふと入った視界の中で、見覚えのある模様がよぎった気がした。ラスターは寝台から飛び降り、それを確かめに行く。


「嬢ちゃん?」


 リディオルのすぐ前で立ち止まり、彼の外套をじっと見やった。ちょうど胸の位置、外套を留めているのは銀の飾りである。それをしげしげと眺め、今度はリディオルを見上げた。


「ねえ。これって、もしかしてアルティナの紋章?」

「お、嬢ちゃん目がいいな。目立たないから意外と気づかれにくいんだよな、これ」


 銀一色。描かれているのは竜と剣。色分けがされているわけではないが、立体的に象られている。至近距離から見ると、その細やかさがひと際目を引いた。リディオルが持つ、あの身分証に描かれている絵柄と同じだ。


「アルティナに属している者の証、とでも言っておこうかね。どうだ、これも格好いいだろう?」

「うん。つけてるだけで、なんか偉そうに見えるね」

「……偉そうって、おまえな」


 単純にそう思っただけで、他意はない。半眼になったシェリックとは反対に、リディオルは茶目っ気たっぷりに笑った。


「ほれほれ、もっと崇めてもいいんだぜ?」

「えー……」


 不意に近くまでやってきたシェリックに腕を取られる。突然どうしたのだろうと、引かれるままについていくと──


「ほら、お子様はとっとと寝た」


 最後は背中を押されて、ラスターを元座っていた寝台に追いやったのである。


「えー、横暴」

「どこがだ。そのうち目が冴えて眠れなくなるぞ。明日欠伸しながら回りたいっていうなら話は別だけどな」

「……はーい、わかった」


 反論したのはいいけれど、眠いのも確かなのである。今も気を抜くとまた欠伸が出てきそうになる。二人がいる前で二度目はしないと、ラスターは口を引き結んだ。


「ちゃんと寝ておけよ。じゃあな、嬢ちゃん」

「うん。それじゃあ」

「おまえもな」

「俺はついでか」


 笑いながら出て行くリディオルの声を聞きながら、ラスターは大人しく寝台に潜り込んだ。今日を楽しみ過ぎると、明日の楽しみがなくなってしまう。それはいけない。


「おやすみ」


 布団から少しだけ顔を出してシェリックに言うと、こちらを見て微笑んだのが見えた。


「ああ、おやすみ」


 その言葉を聞いて、ラスターは目を閉じる。明日はどんな出会いがあるだろうか。何を見つけられるだろうか。

 閉じたまぶたの裏側で、ラスターは空想のルパを歩き回る。あの服屋も、飯屋も、シェリックと一緒に行こうと──

 そうして夜は更けていったのである。



  一章 了


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ