12,銀と青の身分証
「ずいぶん話し込んじゃったね」
振っていた右手を下ろし、ラスターはシェリックを見上げた。
「滅多にない機会だったんじゃないか?」
「うん。楽しかった」
情報をくれたフィノに礼を言い、彼と別れたのがつい先ほど。遠ざかる背中はまだ視界にある。
海賊に王国、輝石の島、星命石。これほどたくさんの話を聞けるとは思わなかった。
ラスターは覚えていられただろうか。フィノと交わした会話を思い出し、服の上から石に触れる。
「シェリックも星命石って持ってるの? ──あ」
フィノとの会話を思い出して、口からぽろっとこぼれてしまい、ラスターは慌てて口を閉じる。時既に遅しと、シェリックの視線が語る。
「ごめん、やっぱりなんでもない」
「別に構わない。──ほら」
シェリックに拳を出され、ついつい手のひらを差し出してしまう。そこに置かれたのは、紐で繋がれた黄色の石だった。ラスターの石も紐がついているけれど、石自体は銀の飾りに固定されている。シェリックの石は紐を編み込み、包み込んでいるようだ。よく固定したものだ。球形で立体感のある石だから可能だったのだろうか。
ラスターはふと思い立って、紐を宙に持ち上げる。太陽を背負い、その石は光を受けてきらりと反射した。
「わ、きれい!」
透かした先の陽光のおかげで輝いたその石は、月を彷彿とさせた。球形だから満月だ。
「ね、シェリック。見てほら、すごいきらきら!」
「そうやって眺めたことはなかったな」
掲げていた石を、言葉少なに語るシェリックへと返す。
「ありがとう。なんか、シェリックみたいな石だね」
「どういう意味だ、それは」
「ほら、夜みたい」
ラスターは、シェリックの髪と、今返したばかりの石を示す。夜を思わせる深い藍色の髪に、月を思わせる石。闇の中に溶け込みそうで、けれども消えはせず、いつでも見つけられる。連想するは、そんな夜の光景だ。
「……それは褒められているのか」
「え、褒めてる。だって、方向を間違えないように示してくれるじゃん。夜になると出てくる月とか星と、同じだよ」
ラスターの言葉を聞いて、シェリックは微かに目を見開く。一度目を伏せて言うことには。
「そりゃありがたいこって」
「本当なのに」
「別に疑ってるわけじゃない」
行き交う人の流れに逆らいながら、ラスターたちは港の方へと足を向けていた。
シェリックいわく、リディオルに用事があるらしい。多分港の方だと言っていたのだけれど、一体その根拠はなんなのだろうか。待ち合わせをしたような素振りはなかったけれど。
「リディオルかあ……」
初めに浮かぶのは、彼のまとっていた黒い外衣だ。
「黒一色の人だよね」
「おまえのその覚え方はどうなんだ」
「わかりやすいじゃん」
そこを突っ込まれるとは心外である。そうか。羽織りものは黒かったが、彼の髪まで黒くはなかった。彼の色は独特だったので覚えている。薄茶髪で、光の当たったところだけ金に見える、不思議な色。それと、底の知れない、深い紫紺の瞳。
初めに見つけたのはラスターだった。
「あ、シェリック。あそこ」
前方真っ直ぐ。指を差した先には、一人佇むリディオルがいた。景色の中に黒がないせいか、わかりやすい。夜だったら紛れてしまうが、今の時刻ならば目立つ。彼の外套は海からの風ではためき、まるで旗のようにも見えた。
「リディオルだな」
「ほら、やっぱり黒い人」
昨日二回、それに今日と、出会ったのはこれで三度目だ。ずっと同じ格好だったので、容易に特定できたのである。自慢げに指摘すると、隣で息を吐かれた。
「あれはまあ、制服みたいなものだからな」
彼は立ったまま海を向いており、何やら難しい顔をしている。まだこちらには気づいていないようだ。
「リディオル!」
シェリックが呼ぶと、彼は顔だけこちらに向けてくる。彼の一瞬見開かれた瞳はすぐに元の大きさに戻り、今度はまじまじと眺められた。そうして近づいたラスターたちににやりと笑んだのだ。
「こんなところで奇遇だな。フィノには会えたのか?」
「おかげさまで。そっちは助かったよ。おまえを探してたんだ」
「へえ? 何用かね?」
リディオルは意外そうな声を上げる。
「ま、会えたってんなら良かった。こっちは久々に動きっ放しだったから、今になって身体中痛くてなー……」
肩に手を当てて、「はーいてぇ」なんて言いながら、腰にも手をやっている。横に倒したリディオルの首が嫌な音を鳴らした。音だけ聞いていると今にも折れそうだ。
「でも昨日もらったやつがだいぶ効いてて、少しは楽だな」
「それは何よりだ」
二人の会話を交互に聞き、ラスターはきょとんとする。
「昨日? 何かあげたの?」
ラスターがいるとき、ものの受け渡しはしていなかった。だとしたら、ラスターが帰ってくる前だ。
「滋養特効の栄養剤と言われたな」
「あー、シェリックに渡してたあれ?」
あれはあくまでも緊急用だ。決して常用するためのものとして作ったわけではない。あれに頼ってばかりだと、今度は『普通』の感覚がわからなくなってしまう。
「けど、あれは困ったとき用だし、休めるときはちゃんと休まないと駄目だよ。でないと身体がおかしくなっちゃうし──わっ」
軽く叩くようにして、ラスターの頭に手が乗せられた。シェリックだと思ったのだが、なで方が違う。ラスターの頭をぽんぽんと叩きながら、リディオルはしみじみとつぶやく。
「嬢ちゃん優しいなー。俺の体調管理役で一人欲しいわ」
「一人って……ボク、一人しかいないんだケド」
「ばれたか」
離れていく手をなんとなく見送って、そうしてラスターは見たのだ。リディオルが意味ありげに目配せをしてくるのを。なんだろうと思う間に、リディオルはシェリックの方を向いてしまった。
「なぁ、シェリック」
彼が言うことには。
「ものは相談なんだが、嬢ちゃんもらっちゃ駄目か?」
「やらん」
シェリックの即答に、思わず吹き出していた。先ほどの目配せはこれのことか。
「なんかシェリック、お父さんみたい」
「だな。娘はやらん、ってか?」
「……言ってろ」
標的となったシェリックは深々と息を吐く。そうして一旦気を取り直し、リディオルを呼んだ。
「リディ。船の手続きは終わったのか?」
「これから行こうと思ってたんだよ。ひと息ついてたら、おまえらに見つかった」
「海見ながら?」
「嬢ちゃん。男にはたそがれたいときもあるんだ。察してくれ」
「? う、うん、よくわからないケド」
それにしてはやけに険しい顔をしていたような気がするけれど、そこは大人の事情というやつだろうか。あまり聞かないでおこう。
「通行証は持っているんだよな?」
「ああ。そもそも持っていないと渡れねぇだろ? 身分証に次いで大事なものだからな。なくしたら大目玉食らっちまう。で? この通行証で一緒に渡らせてくれ、って?」
リディオルの懐から取り出されたのは一枚のカード。青い背景に、剣と銀竜が描かれている。
「察しが良くて助かるよ」
「あそこまで聞けば嫌でも推測がつくだろ……行く気だな?」
「ああ」
どこにとは言わない。けれどもリディオルが息をついたのが聞こえた。横から覗き込んでいたラスターは提示された身分証に釘づけになっていて、その動作を見ていなかったけれど。
「何か目ぼしいものでもあったか?」
「ううん、そうじゃなくて……これすごいね。格好いい」
「お、それじゃ嬢ちゃん見るのは初めてか? これはアルティナの紋章だぜ」
「へえ、なんか強そうだね」
「強そうって……もっと他の感想はないのか」
「だって」
呆れた様子のシェリックを見て、せめて言い訳くらいはさせてほしいと思ってしまった。
手渡されたその身分証は、間近で眺めてみてもやはり美麗だ。竜と剣が交差され、前面に描かれた剣が反射して光っている。絵柄に反して、色合いはとても優しい。
「ありがとう」
「どういたしまして」
こんな身分証を作れるとは、アルティナはやはり凄いところだ。認識を新たにし、見せてもらった身分証を持ち主に返した。
「なるべく交渉してはみるが、あまり期待はするんじゃねぇぞ」
「わかってるつもりだ」
「ならいい。おまえらのおかげで気分転換もできたし、ぼちぼち偏屈なじいさんとやりあってくるかねぇ」
不穏な言葉に、ラスターは眉根を寄せた。
「やりあうって……喧嘩でもするの?」
「違ぇよ。乗船手続きをするだけだ。話すのが毎回面倒なじいさんなんでね」
「あ、そういうコトか」
やりあうなんて言うものだから、てっきり拳と拳で語り合うのかと思ってしまった。
「じゃあな」
「ああ、頼んだ」
「はいよ」
リディオルはくるりと背を向けると、手を振りながら行ってしまった。なんともあっさりとした別れ方である。
「大丈夫かな?」
「とりあえずあいつに任せておけばいい。駄目だったら他の方法を考える」
「だね。うまくいけば船代浮いたかも」
財布を預かる身としては、やはり気になってしまうのが性分なのだ。
「あいつ次第だな」
「うまくいきますように」
ラスターは両手を合わせて、リディオルの背中へと願うのだった。