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翡翠の星屑  作者: 季月 ハイネ
五章 アルティナ王国Ⅱ
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100,よどむ光がなくなれば


 余儀なくされた事態だとはいえ、彼ら、治療師見習いにとっては一大事だったに違いない。同僚の昇進に湧く、上擦った歓喜の声を聞きながら、シェリックはそんなことを考えていた。

 彼らとの間に壁や扉はない。一応は白い幕で仕切られているが、それでも同じ治療室であるのに変わりはなかった。こちらまで明瞭に届くのも、仕方ないか。


「良かったのか? あのままで」


 白い幕を眺め、じっと考えごとをしているリディオルに尋ねた。幕を見ても彼らの姿は直接見えないだろうに。

 リディオルは誰もいない寝台にどっかりと腰を下ろし、足を組みながら返してきた。


「いいんじゃねぇの? 決まったっつーんなら、それ以上俺らにできることはねぇだろ。反対しねぇんなら、あとは受継を待つだけだ」

「そうだけどな……」


 どうにも、言葉そのままに受け取れない。シェリックが煮えきらないのにはわけがある。うっかり、見てしまったのだ。

 レーシェに話しかけたあと、ルースに呼ばれて振り返ったセーミャの顔を。どうにもならないことにうちひしがれた表情を。自分の意志とは関わりのないところで進んでいく現実が、止めようもなく、変えられようもないのだと知り、痛感してしまった様子を。

 その直後だった。彼女が腹に手を添え、全てを押し殺したように笑ったのは。

 何がそこまで彼女にそうさせるのか。シェリックに禁術を求め、彼女が師に会って話したいこととは何か。セーミャの行動、感情、いうまでもなく、その全てにエリウス=ハイレンの死が関係している。


「だったらあいつらに任せておけよ。あとはルース次第だし、治療師見習いじゃない俺らが心配しても仕方ねぇだろ」


 確かに、リディオルのいうとおりだ。賢人であるとはいえ、治療師と占星術師、魔術師はどれも違う。いくら顔見知りで他の賢人たちよりは親しいと言っても、新しく定められた賢人の決定に異を唱えて、口出しするほどではない。

 たとえ、そうできるだけの権限があるのだとしても。

 人選も申し分ないし、懸念したのはもっと別のことだ。シェリックが迷うのは、聞いてしまったからだ。気にかけてしまうのは、セーミャと彼女の状況が被るからだ。


「セーミャが、俺に禁術を求めてきた」

「また、突拍子もない話題を振ってくんな」


 言葉でいうほど驚いた様子はない。まるで、そうするのが当然だと言わんばかりに。

 ――そうか。どれだけシェリックが気にしようと、リディオルには痛くもかゆくもない。シェリックが勝手に六年前の状況と似通っていると思い込んでいるだけだ。

 彼女は、レーシェではない。

 今は、六年前ではない。

 自分は、あのときと同じではない。


「断った。俺は」


 言い聞かせるように認めた事実が、騒ぎ立てていた心を鎮めさせた。


「まぁ、それが妥当だろうな。おまえだって、牢屋に舞い戻りたくはないだろ?」

「そういう問題じゃない」


 からかうリディオルに、怒るよりも笑ってしまった。

 賢人が二度も牢屋に入れられたなんて前代未聞だ。アルティナの史上初として広く知らしめられるかもしれない。名を馳せたいわけではないが、そういうことで名が知れ渡るのはごめんである。


「どうして人は、少しでも可能性があれば、それに賭けてみたくなるんだろうな」


 それはため息のようにこぼれ落ちて。懐古の情にも似た吐息が、一緒くたに出てきた。


「なんだよ、突然」

「いや」


 話したところで、全て説明できるとは到底思えない。リディオルがいぶかしげるのも、もっともだ。

 シェリックは視界からの情報を遮断する。

 どうして人は、可能性に賭けるのだろう。リディオルに向けた問いを、心のうちで繰り返して。

 諦めてしまえば楽だろうに。現実を現実だと受け入れてしまえば、それで終わりだ。

 セーミャは言った。どうしても会いたいのだと。

 諦めることをせず、禁じられているとわかっていながらも、それにすがりたくなるのはどうしてか。禁じられているのならば、その術ごと葬り去ってしまえばいい。そうすれば、もう誰も求めないだろう。

 希望なんて初めからないのだと。抱くことすら間違っているのだとわかってしまえば、絵空事として片づけられるのに。


「後悔、じゃねぇ?」


 開いた目が、何を考えているのか読めない横顔を映す。笑いもせず、はぐらかしたりもせず、リディオルは答えてくれた。


「あのときああしてれば。あんなことをしなければ。昔のことに対する後悔と、これから起こり得るであろう後悔をできるだけ減らしたいのと。だから、それが少しでも軽くなるっつーんなら、誰だってそっちを考えるだろうよ」

「後悔か……」

「んなこと、俺よりおまえの方がわかってるだろ」


 リディオルはまじろぎもせず見つめてくる。にらみにも似た目で、潜めた声で、シェリックに尋ねた。


「六年前、何を考えて禁術を行ったんだよ? 理を犯すと知りながら、どうして実行するまでに至った?」

「あれは、レーシェが望んだからだ」

「ちげぇよ。おまえは?」


 シェリックの答えを遮って、リディオルはもう一度尋ねてきた。


「発端は知ってる。だけど、俺が言いたいのはそうじゃねぇ。おまえ自身は、何を考えてた?」

「――俺自身?」

「そうだ」


 リディオルが投げてきたのは、初めとは似て非なる問いかけ。

 つっぱねればそこで終わったはずだった。セーミャに告げたように、同じようにレーシェにも断っていれば、そのあとの悲劇なんて起こらなかった。


「俺は……」


 考えてしまう。考えないようにしていたことを。もしものことを。起こり得たかもしれない未来を。

 もしかしたら、あのときから今日に至るまで幸せな日々が続いていたのかもしれない。このアルティナで。王宮で。誰も何も傷つかずに、いられたのかもしれない。


「――シェリック殿と、リディオル殿? そこにいますか?」


 奥の白い幕の方から、微かな声に呼ばれた。


「悪い、起こしたか?」

「いえ、今は寝ていなかったので」


 治療師見習いたちから距離を取りたくて、シェリックとリディオルは寝台の白幕の中で話をしていた。一番奥でユノが寝ているからと、そこからふたつ離れた位置で。

 聞かれていただろうか。今の会話を。

 一度顔を見合わせ、肩をすくめたリディオルに頷いて場所を移す。

 先に向かったリディオルに続いて幕を避けると、寝台から半身起こしたユノがそこにいた。


「すいません、わざわざ来ていただいて」

「いや、別に問題ない。うるさかったか?」

「いいえ。微かに聞こえる程度だったので。なんとなく、聞き覚えがあるよう声だなと思いまして」


 それならば大丈夫か。リディオルに合わせて声を潜めていなければ、内容まで筒抜けだったかもしれない。

 どうにも気が抜けている。フィノが『ティカ』だとわかったせいか。まだ気を抜いていい時分ではないのに。


「昼寝は十分とれたかよ?」


 黙りこくったシェリックの代わりだとでも言いたげに、リディオルがユノへと話しかける。


「ええ、まあ……ぼちぼち」

「そうか。じゃあ、まだ寝とけ。昨日の熱、またぶり返すぞ」

「そんな柔じゃないですよ」


 ユノが起きたてのような顔をしていると思ったのは熱のせいか。目がとろんと垂れていて、眠そうにも見える。

 穏やかな会話をしている二人を見て、失礼だとは感じるも意外な光景だと思ってしまう。からかっている場面に遭遇するのがほとんどだったから、優しい面もあるのだと感心する。どうやら旧友は、シェリックが思っていた以上にちゃんと魔術師としてこなしているらしい。

 賢人になりたてだったあの頃の彼とは、もう違う。


「今日はもう十分起きてただろ。あとは寝とけ。そのまま三日くらい寝ててもいいくらいだぜ。ほら、遠慮すんなって。寝ろ寝ろ。さっさと寝ちまえ」

「断固遠慮します! っていうかそんな言い方されて、寝たくなる人がどこにいるんですか!」


 続いたやりとりに前言を撤回しかけた。

 ユノのためを思って、といえばいいものを。リディオルはやはりリディオルだ。きっと、シェリックがいないところでも、ずっとこんな感じなのだろう。


「あ、そうでした。ひとつ、シェリック殿にお尋ねしたいことがあって」

「なんだ?」


 思いがけない名指しを受け、シェリックはユノの傍へと近寄る。


「これなんですけど……見覚えはありますか?」


 ユノは寝台の横にある小さな卓へと手を伸ばす。卓の上に置かれていたのは、空になった器と、装飾品がひとつ。ユノが取ったのは、装飾品の首飾りだ。

 長めの麻紐と、そこに繋がれた銀の飾り。飾りにくるまれた緑色の石が光を受けて、燦々《さんさん》と輝いている。ちぐはぐな素材だけれど、シェリックは温かみのある装飾品だと、そんな感想を抱いて、彼女に告げた覚えが――


「……あの馬鹿」


 思わずうめき声が出た。

 確かに見覚えもある。これが星命石なら、簡単に失くしていいものではないのに。


「これ、星命石ですよね? シェリック殿のですか?」


 首を傾げるユノも想像がついているのだ。この石が星命石ではないかと。星命石ならば、肌身離さず持っておくものだと。


「俺のじゃないが見覚えがある。多分、ラスターのものだ」

「ラスターの? ……ああ、じゃあやっぱり、さっき落としていったんだ」


 さっきということは、シェリックたちがここに来る前、ラスターもいたということか。どうやらすれ違いだったらしい。


「おまえ全然寝てねぇじゃねぇか」

「ラスターが来る前までは寝てました」

「嘘吐けよ。こっちはフィノから報告が上がってんだよ」

「――えっ。いや、あれは!」

「寝とけっつってるのに従わねぇし、熱が下がったばっかだっつてんのに聞かねぇし、しまいには資料広げ出すし。どうしたらいい?」

「えっと、その……」


 真っ青な顔をし出すユノに苦笑し、そろそろ助けてやろうかと右手を出した。


「それ、俺が預かってもいいか? あとで渡しておく」

「はい、お願いします!」


 逃げ道を得たとばかりに飛びついてきたユノの横で、リディオルが小さく舌打ちをした。本気ではないだろうに。まったく。

 受け取った装飾品は隠しにしまい込み、あとで説教がてら届けてやろうと心に決める。ラスターのことだ、落としたことにも気づかずに、今頃薬でも作っているのではないだろうか。


「――そういや、おまえ」


 思案げな顔で、リディオルはユノに尋ねた。


「はい?」

「いつの間に嬢ちゃんを呼び捨てするようになったんだ?」


 口を閉じたユノがリディオルを見上げて、物言わず二度瞬いて、ゆっくりと目を逸らした。


「……いろいろ、あったんですよ」


 言いづらそうに話すユノ。それはまるで、苦し紛れの言い訳のようだった。それを逃すほど、リディオルは優しくない。


「あっやっしー。なーにがあったんかねぇ、ユノ?」


 リディオルは腕組みをし、にやにやと楽しそうな表情を浮かべてユノに迫る。


「何もないですよ! なんですか、そのにやにやした顔は!」

「まー、赤くなっちゃって。おら、なにがあったか洗いざらい吐け」

「ラスターに頼まれただけですから!」


 顔を真っ赤にし、リディオルに枕を投げつけながら抗議するユノ。それをひょいと避けながらユノをからかうリディオル。病人とけが人には見えない。

 一時はどうなるかと思ったけれど、この二人は大丈夫だろう。また無茶をしでかさないように、目の届く範囲で気にかけておけばいい。

 治療師見習いたちに負けじと騒ぎ始める魔術師の師弟を見ながら、シェリックはこっそりと決めるのだった。



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